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06 2月

警鐘をならす―聖霊は何を語っておられるのか リック・ジョイナー 2012年2月7日


警鐘をならす―聖霊は何を語っておられるのか

 

リック・ジョイナー

 

歴史上最大のリバイバルの一つは、1906年にロスアンゼルスのアズサ・ストリートで始まりました。以前は家畜小屋であったみすぼらしい建物は神の栄光で明るく輝き燃え、しばらくは「世界で2番目に有名な住所」と呼ばれました。神は同じことが又出来ますし、私たちがそれを必死で心から求めればして下さいます。

 

歴史上のすべてのリバイバルは、幾人かが神に激しく餓え渇き、酸素よりも神を更に求めるほどになった結果として起こるように思えます。そのように激しく神を求める人は決して神から否まれることはありません。今は「世界で最も知られる住所」となるようなリバイバルを求める時です。決して止まることのない神のムーブを求める時です。

 

私は数々のヴィジョンや夢で、大災難が起こること(特にアメリカ西海岸で)を見てきました。それで、私が西海岸に対して憎しみを持っているのではないか、と言う人たちも中にはいます。決してそんなことはなく、むしろその反対です。私がそのような夢を見るのは自分でコントロールできることではなく、精神分析では深層心理の現れだというかもしれませんが、私にはこれが預言的な夢であることがはっきり分かるのです。大災害の夢を見たあとの私の気持ちは沈み、人々が耳を傾けて悔い改めることによってその事が実際には起こらないことを望むのです。 そして攻撃や非難を受けても人々に警告せずにおられないのは、私が心から心配し悲しんでいるからなのです。

 

私は今の時代の終りに魂の収穫があるのを預言的に見ています。どうして大災難が来る前にリバイバルが先に起こってはならないのでしょうか? 神がヨナの説教を用いて邪悪なニネベを救われたとしたら、来るべき大災難で失われるかもしれない何百万人もの命を神は救われようとされないのでしょうか? 聖書には、神の本当の御心は人々を救いたいと願っておられるであると確かに書かれています。

それでは、どうしてそうされないのでしょうか? 神は自分の命や自分が成し遂げたい事を捨て、神の求めておられるとりなし手になる人々が現れるのを待っておられるのです。 どれほど人々から侮られ、馬鹿にされ、迫害されても神の真理、義、正義を妥協なしに伝える説教者が立ち上がるのを神は待っておられるのです。神は本当にそういうお気持ちおられるのです。私たちはどうでしょうか?

 

主は荒野の幕屋やエルサレムの神殿で、祭壇に火をつけられました。そして次に主は、祭司たちにこの火を燃えつづけさすように命じられました。それと同じように、本物のリバイバルを始めることが出来るのは神だけですが、その火を燃やし続けることを怠ってリバイバルを終らせるのは人間です。リバイバルが起こるためには、 根本的な神への飢え渇きと、神の目的のためには自分の目的を犠牲にして捧げる人々の献身がなければなりません。

 

過去数年に渡って、私は多くのネガティブなことを預言せねばなりませんでした。そして好むと好まざるとに関わらず(多くの人は好みませんが)それらが正確であったという結果が出ています。かなり多くの人々が私の言葉に耳を傾け、判断をし、信じて、それに備えをして、よい結果を得て栄えています。いつの時代にあっても備える者が栄えることを私は知っていますが、大災難の故に栄えることはしたくありません。私たちの第一の目標は、人々に警告を発することによって大災難が起こらなくなるようにすることです。大いなる裁きの日にはすべてのことに決着がつき正しい裁きがなされます。私はその日のために生きようと決意しています。

 

アメリカの西海岸は、今までになかったように揺さぶられようとしています。私は知人全員にもう少し大災害に備えるための時間が与えられるように祈るように勧めていますが、あまり時間がないのです。 同じような災害がミシシッピ川沿いのニューマドリッド・フォルトに発生するのを預言的に見た人たちもいます。ある人たちは、アメリカがイスラエルにエルサレムを分割するようにと強い圧力をかける時期と関係してこれが起こることを見ています。アメリカがイスラエルに対して行ってきた事とこの国を襲った自然災害との間には、驚くべき関連性があるのです。それは単なる偶然でそうなったのではありません。

 

東日本で大地震が起こったのを機に私がこのことを言い始めたことによって、私の人生の中の 物議を醸す沢山の事柄がまた一つ増えました。私は議論好きではありませんが、今の時代、何かを達成しようとすれば必ず物議を醸すことを避けられないことが分かりました。私が言葉を誤解のないように完璧に用いたとは思いませんし、自分自身でもどうかと思うこともあるのですが、この事に関してだけは私の言葉によってより多くの議論が起こった方がいいのです。これは真実の言葉であり、物議を醸していることはより多くの人がそれについて話す結果となっています。西海岸のある人たちは(非常に疑い深い人たちの中からも)耳を傾けるようになり、それを私は心から感謝しています。

そうではあっても、この事が西海岸に起こり始める日は、私の人生最悪の日となることでしょう。ずっと前に学んだ事ですが、 たとえ預言が正確でも、その預言者が死んでしまって最早脅威でなくなるまでは、正当な評価を受けることはあまりないのです。この理由から、私は自分が正しいと証明されることなどは考えてもいません。この事に関してはむしろ自分が間違っていた方がいいと思うのですが、間違っていないことを私は知っています。日本での地震と津波が起こって以来、私は西海岸に住んでいる人たちに対する嘆き悲しみをますます深く感じているのです。

 

又、非常に多くの偉大な教会や神の働きが西海岸にあることを私は感謝しています。そして願わくばそのすべてが災害を免れてゴシェンのように守られるといいと思います。災害が起こったときには、今までに無かったほどに偉大な教会、聖徒たちが必要とされることを私は知っているからです。それが理由で彼らがこの警告に耳を傾けないのかもしれない、と 考えたこともあります。神はすべてのクリスチャンがその地を去ることを望んでおられないからです。西海岸にいる神の民が強められ守られるように、そして彼らが神に大いに用いられ、命を亡くす人の何倍もの人が救われるようにと、私たちは今祈らねばなりません。

中でも最も必要とされるものは、バプテスマのヨハネ、或いはヨナの油注ぎを持って悔い改めを呼び起こす声であり、それによって人々に罪が示され悔い改めが起こり、主がもう少し時間的猶予を下さるようにすることです。アメリカが今置かれている危機を通リ抜けるためには、再び大いなる霊的覚醒が起こらねばなりません。しかし、 今は西海岸のリバイバルが緊急の課題です。このためにどうか私と毎日祈りを合わせてください。

 

皆さんの中には、これによって 私のミニストリーが損なわれるとの心配から、この事を話すのを止めるようにと望まれた方がありました。先ず、私は皆さんが心配してくださることを心から感謝いたします。しかし、実際のところこのことで私のミニストリーが損なわれているとは思いません。しかしもしそうであるとしても、私はミニストリーを立て上げるためとか、自分の名を挙げるためとかのためではなく、ただ神の御心を行うために生きているのです。主のしもべとなるべき者が受け入れねばならない「主の重荷」というものがあるのです。私の一番の心配は、私が臆病になり、人々が耳を傾けるような言葉で警告を発することができないことです。警報というものは、人々を叩き起こす程うるさくあるべきものですが、もし人々の目を覚ますことができたならば私は大変うれしいです。そうであっても、皆さんが心にかけてくださることを心から感謝いたします。(終り)


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