終末における火のバプテスマ ウエイド・テイラー 2012年1月30日
終末における火のバプテスマ
ウエイド・テイラー
「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。」創世記3:8
アダムとイブが主の声を聞いたのは、「彼らが歩いていたとき」ではありませんでした。そうではなく、彼らは「歩いている声」を聞いたのです。この言葉は非常に深い意味を持ち、2つの事を明確に示しています。
まず一番目に、彼らが声を「聞いた」という事実は、主が私たちと話をしたいと願っておられることを表しています。
「耳のある者は聞きなさい。」マタイ13:9
二つ目に、主が「歩いておられる」という事実は、主はご自分が語りたいことを続けて語って行くことを表しています。すなわち、主は昨日言われたことを越えて、今日は今日のことを語りたいと願っておられるのです。
「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」ヨハネ16:12−13
明日主は、今までに語られた事を越えたことを話されるのです。
その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」黙示録4:1
主の預言的カレンダー
創造は6日間で完成されました。そして主は7日目に休まれました。ペテロはこの時を「一日は千年」としても理解できると言っています。この7日間のうち、初めの4日間が旧約の時代、次の2日間が新約の時代、そして最後の7日目は千年王国として分類することができます。
これは預言的な「時」のことであり、必ずしもカレンダーに基づく時ではありません。 この考えに基づくと次の箇所はこのように理解することができます。
イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは(教会時代)、悪霊どもを追い出し、病人を直し、三日目(千年王国)に全うされます。』」ルカ13:32
人類の歴史の中で、 各「千年という一日」が終りに近づくころ、主が直接的に介入されましたが、その都度、主は一人の`人物にご自分を顕し、その結果その人はその時代に大きな影響を与えました。
最初の「千年という一日」を通して、ずっと主は人類と共に歩かれました。その終りに洪水が起こり、ノアとその家族以外のすべてのものが地上から取り除かれました。洪水に対してノアが備えられるように、主はノアを訪れました。2番目の「千年という一日」を通してずっと主は共に歩かれ、やがてアブラムがカルデヤのウルから呼び出されました。神の訪れにより、彼は神の友、信仰の父であるアブラハムとなりました。そして神と人との個人的関係が確立され、アブラハムは「ソドムとゴモラ」に対する神の裁きに関して、神と論じ合いました。
次の「千年という一日」を通して主はイスラエルの中を歩かれました。この時代が栄えたときに、主はソロモンにご自分を顕したので、彼は「雅歌」を著し、神殿を建てました。神殿には神の栄光が顕れ出ました。
4番目の「千年という一日」の間、イスラエルは少しずつ主から離れて行きました。この「一日」が終る頃、天使ガブリエルがマリヤに現れ、神が彼女の身体を用いて御子をこの世に送りたいと願っておられることを告げました。マリヤはそれに服従し、イエスが生まれました。後にバプテスマのヨハネは「荒野で呼ばわる声」として召し出され、イエスを「神の小羊」として世に示しました。
5番目の「千年という一日」の初めに、イエスの十字架、復活、昇天によって贖いの業が完成されました。屋上の間で待っていた120人の上に聖霊が注がれ、教会が誕生しました。聖霊が下ったとき、炎のように分かれた舌が一人ひとりの上にとどまり、彼らは聖霊に満たされ、彼らの知らない言語で神の栄光を語りました。
主は5番目の「千年という一日」、即ち教会時代の最初の「千年という一日」の中を使徒的力をもって歩き続けられました。そして当時の世界はそれによって大きな影響を受けました。次第にニコライ派(信徒を統治する者たち)が支配力を強め、超自然的であるべきものを 宗教という形式と儀式とに置き換えてしまい、それによって「暗黒時代」がもたらされました。
この時代に、紀元1150年頃、クレアヴォクスのバーナードが、神の恵みに関する啓示を受けました。この光は広がって行き、やがてローマ・カトリックの神父であったマルチン•ルターの人生の中に明るく輝きました。
神の歴史の6番目の「千年という一日」、即ち教会時代の2番目の「千年という一日」、が始まったとき、主は歩き続けられ、贖いの光が 暗黒の教会に再び輝き始めました。
ヴァチカンの建設費用を集めるために、ローマ・カトリックは「煉獄」での苦しみを免れることが出来ると言って「免罪符」を販売しました。マルチン•ルターは「救いは恵みによる無償の贈り物であり、買収できるものではない」という理解を神から受け取りました。そして1517年に彼の論文を教会の扉に打ち付けました。これによって教会への重荷を持っていた真の「教師たち」が回復されてきました。続いてこれに対する大きな迫害が起こりました。
1600年代に神の言葉「聖書」が印刷され広まり始めると、バプテストの人々が、「もし私たちが恵みによって値無しで義とされるならば、地域教会の中で育つ人たちにこのことを伝えねばならない。」という啓示を受け取りました。キリストのからだの中に「牧師」が回復され、彼らへの迫害がまたもや起こりました。
1700年代にも主は歩き続けられ、ウエスレー兄弟が、「義とされた者は、目に見える形での献身の証しがなければならない。」という啓示を受け取りました。それによって起きたリバイバルは1800年代まで続き、キリストのからだに「伝道者」が回復されました。
1901年の大晦日に、カンサス州トピカの小さな聖書学校で一人の若い女性が聖霊のバプテスマを受けました。他の人たちもこのバプテスマを受け始め、この神の訪れはロスアンゼルスのアズサ・ストリート・ミッションへと広がっていきました。「義とされ、聖化され、福音を伝えていくならば、その目的のために私たちは力を受けねばならない。」という啓示が示されていきました。
このようにして使徒行伝1:8が その時の「 今の言葉」となりました。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
ペンテコステの神の訪れが世界に広まっていくにつれ、またもや迫害が起こりました。
しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。 ガラテヤ4:29
聖書や教会史の中に明らかなように、神の訪れを受けた者たちは各々、その時代にそれまでに知られ受け入れられていたものを越えた啓示を受け取ったのです。そして、その一つ前の啓示を受け取った者が、次のレベルの神の訪れと啓示を迫害する者となっていきました。
その理由は、彼らが自分たちのレベルの霊的経験に満足し、そこに安住してしまったからです。ですから今もルーテル派、バプテスト派、メソジスト派、ペンテコステ派が存在し、彼らはその場所から進んでいないのです。
しかし、主はどんどんと歩き続けられたので、それから40年後に「後の雨 Latter Rain」における主の訪れの時に、次の啓示が受け取られました。それは「もし私たちが福音を伝えるために力を受けるならば、超自然的な賜物が働き、しるしが現れるはずである。」というものです。この啓示により、「預言者」と「預言の賜物」が教会に回復されました。
迫害がまた起こりました。ペンテコステ派が「後の雨」の訪れを受け入れなかったからです。しかし、真理が少しずつ回復されるために、誤解されたり拒否されたりするという代価を喜んで払う人たちがいました。
それから更に40年が経ったとき、「カリズマ運動」における神の訪れが、主流教派の教会の中にも聖霊のバプテスマをもたらしました。ですからこれまでに、教師、牧師、伝道者、預言者が回復されたのです。
カリズマ運動の神の訪れの時、「使徒」が回復されるべきはずでした。バプテスマのヨハネは「聖霊と火のバプテスマ」について語りました。このバプテスマは、屋上の間での聖霊のバプテスマのときには起こりませんでした。なぜならば、火のバプテスマははっきりと招かれなければ起こらないからです。
私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。マタイ3:11−12
終末の聖霊の火のバプテスマ
私たちは、今までに異言や力あるミニストリー、賜物を伴う聖霊のバプテスマを経験してきました。しかし、「聖霊の火」によるバプテスマにまで到達する必要がまだ残っているのです。それは、 使徒になるべき人の罪を完全に取り去り清めて、使徒職の回復のために備えるものであり、又、キリストのからだの中の人々に使徒的な働きをする力を与えるものです。そしてそれはキリストのからだが今までに達成したレベルを越えて教会を前進させるものです。
この終末の(真の)「使徒的なもの」の訪れによって「聖霊の火」が分与され、それは主のシェキナ(栄光)の回復への道備えとなります。これによって人生の真の聖さと霊的一致が起こり、「創造する力を持つ言葉 creative word」が権威をもって語られます。
使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇跡と不思議と力あるわざです。第二コリント12:12
超自然的なものの現れは、真の使徒的ミニストリーのしるしです。栄光の顕れの中での創造する力のある言葉が使徒によって回復されるとき、それは世界の国々に対して再び大きな影響力を及ぼし、千年王国が確立されるための備えとなります。
起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。イザヤ60:1−3
罪を犯してアダムは「シェキナ」の覆いを失いました。そしてその「シェキナ」が、人がいのちの木に行けないように道を守る炎の剣として、アダムの敵となってしまったのです。しかし、ペンテコステの日に屋上の間で120人が祈っているときにこの「シェキナの火」は友となり、一人ひとりの頭の上に戻ってきてとどまったのです。
五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のように分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。使徒行伝2:1−4
彼らすべては聖霊で満たされましたが、「火の舌」は彼らの頭の上にとどまったことに目を留めてください。「火」が彼らの内に入るためには、もっと何かが起こらなければならなかったのです。
これら一つひとつの神の訪れによる前進により、教会には霊的生活とミニストリーが徐々に回復されていきました。そして「カリズマ運動」による神の訪れにより使徒的なものも回復されるはずでした。
しかし残念なことにこの神の訪れは、ミニストリーのための賜物、特に癒しと個人預言という表面的なムーブメントにとどまりました。キリストのからだの中で使徒的油注ぎと力をもって機能できる「使徒職」の回復の備えをするための「火」が、個々人の中に入り聖めることができるスペースが与えられなかったのです。
ですから、現在、カリズマの訪れは薄れつつあります。有名なリーダーたちが堕ちるとき、彼らの失敗は、彼らがその代表となっていたカリズマの訪れには「火」が無かったことを指し示しています。もし「火」が来ていたならば、彼らは完全に聖められて、失敗を犯す余地はなかったはずなのです。
「使徒的なもの」が完全になるためには、私たちが主の臨在の中で物事を見ること、臨在の中にとどまることが必要です。内面的な聖め、罪の追放なしには、主は主の宮に入って初代教会と同じレベルの力で使徒職を回復することはできないのです。
私たちは主の「parousia」(主の顕れ)のときに今生きています。主の終末の目的のために参加する備えの出来ている者に、主の顕れがあるのです。イエスがそのような者たちに顕れるとき、主は力と確たるしるしを伴う真の使徒の油注ぎを彼らに分与されるでしょう。
ですから、今現在の主の言葉はこれです。「宴会に招かれていた者たち (各教派やカリズマティック・ミニストリー)が応答しなかったので、聖霊は今大通りやわき道に行きキリストのからだの中で賜物のない者たちに、宴会に来て使徒の油注ぎと力を身にまとうようにと招いておられます。」(マタイ22:3−10参照)
現在、神の働きのスポットライトは、 牧師の説教台(説教者、指導者)を離れて会衆の座っている座席(一般信徒)の方に移り始めています。キリストのからだの中で「目に見えるような」目だった能力や賜物のない者(信徒)たちが聖霊の呼び掛けに応答する時、彼らは主の顕れの臨在によって、使徒職の回復の中で機能する備えをすばやく調えられつつあります。
使徒的権威の新しい波が、再び、神の力によって諸国を揺り動かし、諸国はそれによって再び大きな影響を受けるでしょう。
勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。 黙示録2:26−27
その結果、神の御国が義と平安の内に確立され、大いなる喜びが世界中にわき起こるでしょう。イエスが王の王、主の主として顕されるからです。(終わり)
Wade E. Taylor
Wade Taylor Ministries
Email: wade@wadetaylor.org