「今 いる場所でわたしを愛しなさい」 フランシス・フランジペン 2012年1月元旦
「今 いる場所でわたしを愛しなさい」
フランシス・フランジペン
主を探し求めているとき、最も困難な時期が 神の愛を経験するブレークスルー(打ち破り)に変えられる可能性があることを、私は見出しました。私にとってそのような時は、1979年から1981年の間に起こりました。私が属していたある教会の群れが、霊的惑わしに堕ちてしまいました。中心的な教義がどんどんとニューエイジの影響を受けるばかりか、不道徳が入り込み、主要なリーダーたちが 他の女性のために妻を捨て去りました。私はもはや黙ってはおられませんでした。それで、私は1979年に、それまで牧師として働いていたミシガン州デトロイトの教会を離れ、アイオア州にある教団の地区本部に赴きました。彼らに悔い改めを嘆願するためでした。しかし、上部のリーダー達との話し合いの結果は、私がその群れを去るようにと言い 渡されたことでした。
私が置かれた状況は、教会もなく、お金もなく、しかも4人の子供をかかえているという状態でした。最低限の住居を借りるお金もありませんでした。とにかくどこでもいい、と探し回った結果、アイオア州のワシントンという田舎に古い農家を見つけることが出来ました。それは築100年以上の家でしたが、実際はそれよりもっと古く見えました。家主と掛け合った結果、片付けやペンキ塗リ等の家の修理をすることを条件に、一年間ただで借りることができました。
けれども、この家の状態は私の手に余るひどいものでした。暖房はほとんどきかないので、台所に薪ストーブを入れました。 何とその冬はアイオア州の歴史で一番寒さが厳しい冬になってしまったのです。家の中に霜が付き、すべての窓は下から50センチくらいは霜でした。風が吹くと-50度Cくらいになりましたが、それより寒いときも時々あったのです。
毎晩暖かく寝るために、台所のストーブから5メートルくらい離れている食堂の床に置いた大きなマットレスの上に、家族全員が身を寄せ合って 寝ました。ストーブの後ろのファンが温風を私たちの方向に送ってくれました。私の夜ごとの仕事は、当然のことながら、朝までみんなが暖かいようにストーブに沢山火を燃やすことでした。
ストーブに火を焚き続けながら、私は祈りながら神を求めました。ストーブは私にとって祭壇のようになり、毎晩私はそこで 自分の成就されていない夢や霊的孤独の痛みを神に捧げていました。勿論、 神が私の置かれている状況を知っておられることは分かっていました。私たちは本当に何もありませんでした。しかし神は、小さな多くの事柄を通してご自分を顕してくださいました。私はただ、主が私に何を望まれているのかが分からなかったのです。
季節が移り変り、次の子供が生まれ、更にベトナムの女の子を里子にしたので、子供は6人となりました。家族が増えても、ストーブの周りの狭い場所は私にとって聖なる領域でした。夏でも私はストーブの横の椅子に座って、祈り礼拝したのでした。
「この時期に私は主の喜びを見出した」と申し上げたいところですが、 自分の状況に次第に順応してはいましたが、本当は私の心には惨めな思いがいつもありました。非常に貧しかったこと(年6000ドルほどしか収入がありませんでした)もその原因の一つでしたが、それよりも、私は自分が主の御こころから外れてしまったように感じていたのです。私の祈りは常に「主よ、あなたは私に何をお望みなのでしょうか?」というものでした。
神を求めつつ3年が経過しましたが、私の内には空しさがまだありました。私に対する神の御こころは何なのでしょうか? 私は二つほど聖書研究会を始めていましたし、いろんな教会で数回説教もしました。しかし私は「自分は牧師である」という意識が強かったので、フルタイムのミニストリーを再びするまでは、 人生に対する神からの召しを私は失っているのではないか、という恐れを持っていたのです。
ミニストリーに関するこのような空しさを内に抱えてはいたのですが、 実際には私は霊的に(特に以前は耕されていなかった領域において)成長していました。私はキリストの御言葉を知り従うことに餓え渇いていたので、福音書を深く学びました。以前は、無意識のうちに、ミニストリーの成功は私の業や働きによって起こったと考えていました。しかしこの期間に、主は私を単なる一人の「イエス・キリストの弟子」にしてくださいました。
そして、 それまで聖書的だと思っていた多くの事柄が、ただの宗教的伝統に過ぎないことを私は発見しました。主は私が自分の心の中にある色々な考えを丁寧にもう一度吟味し直し、その中で本当に私が喜んで死ぬことが出来る真理(複数)を探すように望まれました。そして「そのために死ぬことが出来る真理のためにこそ、あなたは生きるべきです」と主は言われました。
携挙のタイミング、ワーシップのスタイル、霊的賜物などは、私も大切なこととは思いますが、率直に言いますと、それらは最も重要なもののリストからは外れていきました。私の焦点のトップに上がってきたのは、真にイエス・キリストの後を追う弟子になること(主の教えに従い、単に批評家としてではなく人を励ます者)になりたいといる熱い思いでした。又、 自分が徐々に他の教派や異なる視点を持つクリスチャンとの交わりを喜び、彼らからも学ぶことができるように心が自由に解放されてきたことが分かりました。
この変化は深く永続的なものでしたが、 ほとんど気がつかないほどにゆっくりと起こっていきました。それは私の心の中で静かに起こっていたことであり、その時主がしておられたことが分かったのは後になってからでした。この期間中、私はずっと「自分は神の御こころから離れてしまっている」という思いに捕われていたのです。 私への主の御計画を知りたいという祈りは、毎日続いていました。
ブレークスルー
ある日、私は台所のパントリー(食料庫)の中にいたのですが、いつものように「主よ、あなたは私に何をお望みなのですか?」と祈りました。その瞬間、一瞬の輝きの中で主が答えられました。主は直接私の心の中に 「あなたの今いる所でわたしを愛しなさい。」と語られたのです。
その時私は牧師でも聖職者でもなかったのです。私は家族を養うためにテレビの修理をし、その他雑多なアルバイトをしていたのです。私は自分の仕事が嫌いでした。以前牧会していた時には、テレビは良くないと教えていたのに、今は死んだテレビに「手を置いて」生き返らせているのです! 主からの答えは私の心に真っすぐに入ってきました。私はそのシンプルさに畏敬の念を感じました!私は「あなたを私が今いる所で愛するのですか、主よ?あなたが私に望んでおられるのは、ただそれだけですか?」と訊ねました。これに対して主は「それがわたしのあなたに望むことのすべてです。」と答えてくださいました。
この永遠の瞬間、平安が私の魂に洪水のように押し寄せ、私は「自分のミニストリーをしなければならない」と言う間違った期待に駆り立てられていた自分から解放されたのでした。神は「私が 神のために何をしたか」を見ておられたのではなく、「 私がどれほど神を愛する人間になったか」を見ておられたのです。主が問題とされたのは、私が牧師であるかどうかではなく、私が主を愛するかどうかだったのです。 何をしていても (テレビの修理人であっても)主を愛すること、、、それならば出来ます!
私の内に深い驚くべき変革が起こりました。私のアイデンティティーは、もはや「牧師であること」ではなく、「神を真に愛する者になること」にありました。このように私が一番自分に重要なことは何かを決めた途端、驚いたことに、その2日後に私はアイオワ州マリオンの教会の牧師になるようにとの依頼を受けました。 ミニストリーに戻りたいという焦りをずっと持っていたにも拘わらず、私はそのチャンスに 飛びつきませんでした。なぜならば、私は主が私に真に何を望んでおられるのかを見出したからです。少ししてから私はこの依頼を承諾したのでしが、その時にはもはや私の焦点は「教会を導くこと」ではなく、「神を愛すること」に変っていました。
神が求められること
神は、私たちのミニストリーの働きよりも、 私たちの愛を求めておられます。主の偉大な戒めは、私たちが主を愛することであり、究極的に言えば、思いを尽くし、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして主を愛することです。もし私たちが神を愛するならば、神が私たちに要求することはすべて満たすのです。(ヨハネ14:15)そして私たちが神を愛するとき、神はすべてのことを相働かせて私たちの益としてくださいます。(ローマ8:28)
愛する皆さん、神を愛することは難しくありません。私たちはどんな任務(メカニック、主婦、医者、大学生等々)に就いていても、私たちの天の父を大いに喜ばせることができるのです。主を愛するためにミニストリーの肩書きは必要ではありません。神は、実際に私たちの人生の価値を私たちの愛の深さによって計られるのです。真に神を求めるものたちに神が求められるものとは 、即ち、私たちの置かれた場所で神を愛する事です。
祈り:主イエスよ、あなたの愛を知り私はあなたに夢中になりました。あなたは私を引き寄せられるので、私はあなたのもとに急いで参ります。主よ、たとえ世俗的な生活をしている時でも、私はあなたへの愛を表して行きます。どうかあなたの愛の中で私を燃やし尽くして下さい。(終わり)