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Walk With God Ministries

05 6月

嵐の中の希望  キャシー•ペルトン  2011年6月6日


嵐の中の希望

キャシーペルトン

 

4月のある早朝、父からの電話で、母の病が重いので彼らの住むジョージア州に来るようにと言われました。医者たちは、母の命を救う希望をすでに失っているということでした。数時間後に私はサンフランシスコから故郷のジョージア州リングゴールドへの飛行機に乗りました。そして、私たち家族は母のそばで、辛く悲しい、でもうるわしい数日を過ごしたのでした。母はグッド・フライディ(受難日)に私の手を握りながら主のもとに帰って行きました。イースターの日曜日は両親の51回目の結婚記念日になるはずでした。

それからの数日、私たちは十分時間をかけて母のお葬式の計画を相談しました。いろいろな地から家族が到着し、私たちを慰め、又、母に別れを告げました。すべての式が終ったのは4月26日の火曜日でしたが、私たちはみんな身体も心も疲れ果てていました。

 

恐怖の嵐

 

父は葬儀がすむと、30分ほど離れたところにある兄の家でゆっくり休むことにしました。 母の思い出がつまった家に帰ってそこで一人で過ごすのは、父にとってまだ辛すぎたのだと思います。私の長男と彼のガールフレンド、そして私の三人は、そのまま両親の家で休むことにしました。すると家の異常気象報知器が激しい雷と雹の警告を発しはじめました。テレビを見ると嵐が次々にこちらにまっすぐに進んでいて、それは夜中まで続くであろうことがわかりました。

 

私たちはカリフォルニア州(地震多発地帯です)に住んでいるので、地震予報が外れることを何度も経験していました。しかし、この時は備えをせねばならないことを私は直感的に感じました。それからの数時間、私たちは嵐が近づいてくるのをじっと見守っていました。暗い空全体が地面に降りて来て巻き上がっていく様子を見るのは初めての経験でした。 激しい雷と雹という予報は、今度は竜巻の警告へと変わりました。

 

私には竜巻の経験は全くありませんでしたし、しかもこれは一つではなく数えきれないほどの複数の竜巻がまっすぐ私たちの方へ向かって来ていたのです。私たちは地下室に避難するために、懐中電灯、電池、トランジスターラジオ、毛布、水を用意しました。地下に行ったとき、1マイルの幅の竜巻が時速175マイルでまっすぐリングゴールドにむかっていることをラジオは告げていました。

 

息子のガールフレンドであるブリタニーは大学時代数年南部に住んだことがあり、何度かこのような警報を聞いたことがあったそうです。彼女は終始落ち着いた様子で行動していました。 息子は南部に住んだのは去年一年だけで、このような経験はありませんでした。地震なら私におまかせください。どうすればよいのか知っていますー大きな物の傍に行って身体を丸くすればいいのです。でも巨大な竜巻からそんな事で身を守ることはできないことは明らかです。地下室に避難してから直ぐに停電になり、風がうなり声をあげはじめました。稲妻は今まで見た事がないような非常に激しいものでした。落雷と落雷の間隔はほとんどありませんでした。私は恐怖を感じましたがブリタニーは落ち着いて 、あたかも日の出をただ待っているかのように静かに座っていました。ラジオは竜巻がリングゴールドの繁華街を襲い多くの建物がなくなったことを報じていました。

 

随分時間が経ってから、 やっと兄から「最後の嵐が過ぎ去ったから地下室から上に上がってもいい」という携帯メールを受け取りました。一階に上がると、息子とガールフレンドは居間のソファで寝てしまいました。私は真っ暗な中で座っていましたが、不気味な静けさがあたりを覆い、 息がつまるような今まで感じた事がないほどの恐怖が私を取り囲みました。嵐の最中も恐ろしかったのですが、それをもっと越えた恐怖でした。私は怯えました。私は手探りで電話をとり、カリフォルニアにいる主人に電話をしました。そしてテレビで気象情報を見て、こちらにもう竜巻が来ていないかどうかを調べるように頼みました。というのは、ここにラジオ局も被害にあってもう発信していなかったのです。もし兄のメールが間違っていて、また次に竜巻が近づいていたらどうなるのでしょうか?

 

夫のジェフは「最後の嵐がこの町を過ぎてアトランタの方にむかっているからもう大丈夫だ」と教えてくれました。でも私は「本当にそうなの?本当?」と何度も言い続けました。主人はテレビをずっと見て何か変った状況になったらすぐに電話をすると約束してくれました。午前2時になって やっと私は数時間の眠りにおちいることができました。目を覚まして分かったことは、数時間のうちに150もの竜巻が襲い、リングゴールドの街の大部分が破壊され、 300人の命が失われたということでした。 竜巻の一つは幅が一マイルもあったのですが、私たちの家をほんの一マイルほどよけて通って行ったのでした。

 

嵐が一番激しかったとき私は本当に恐ろしかったのですが、列車に轢かれるようなすさまじい恐怖に襲われたのは、すべての危険が去ったときだったのです。それは母の葬儀などのストレスで疲れ果てていたのだ、と思うこともできました。でもそれは「恐れの霊」というべきものが来て、嵐が過ぎ去ったにも拘わらず、私は平安を取り戻すことができませんでした。

 

敵の策略

 

もしあなたが大変な問題、艱難にあったことがあるならば、その中を耐えていく恵みを神が与えてくださることを知っておられるでしょう。それはその困難をあなたが感じないとか傷を受けないということではなく、あなたより大きな存在である「誰か」が困難の中であなたを運んでくださるということです。嵐が過ぎ去り青空が広がるとき、回復のときが始まります。そして敵は私たちが回復するのを憎むのです。静けさが戻ったときを、 あなたから平安を奪いとるチャンスとして敵は使うのです。穏やかさの中で敵は、「また恐ろしいことが起こるぞ」とか、「お前は決して立ち直れない、回復しない」というような言葉をかけてくるのです。

 

ロトの妻のように、 あなたが将来への希望を望み見る代わりに、災難が起きた過去へとあなたを振り向かせようと敵はします。

「太陽が上ったころ、ロトはツォアルに着いた。そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」創世記19:23−26

 

ロトの妻は塩の柱となって固まってしまいました。そうなのです、恐れの霊は一所に固まってしまうようなものです。あの夜私を襲った極度の「恐れの霊」を経験したのは、 人生の中で他には1、2回しかありませんでした。私は恐れで固まってしまい、慰めを受けることも、聖霊の御声をはっきり聞くこともできませんでした。何が起こるか分からないという恐怖が、 熟知していたはずの主の御声までも聞こえなくしてしまったのです。

 

助けを求めなさい!

 

敵は盗人のようにあなたの希望を盗みにやってきます。そのような時には、あなたの回りにいる人たちに助けを求めてください。恐れであなたが押しつぶされないように、あなたに真理を語り正気にもどしてくれる人に助けを求めてください。私にとってそれは主人でした。彼は私の命を危険にさらすことは決してしないし、 確信のあることだけを告げてくれる人であることを私は知っていました。

 

主人は天気予報のチャネルだけではなく、インターネットで沢山のサイトを調べてくれて、もう危険はないから眠るようにと私を安心させてくれました。真理と彼の励ましの言葉が、その夜、恐れの声を黙らせてくれました。その真理とは、もしも竜巻が家を襲い私たちの命が取り去られたとしても、私たちは主の御前に完全なる勝利を握って立つことができると言う事です。私たちは艱難の中にあっても救いの希望があるのです。

 

アメリカ南部で起こっている竜巻や、日本での地震や原発事故のような歴史的規模の大災害が「主の日」までこれから続くことを私は疑いません。しかし私たちは嵐の最中でも平安と希望を見出すことができるのです。もし私たちが平安を無くしてしまったときは、主にある兄弟姉妹が真理と慰めをもって私たちを励ましてくれるでしょう。

 

「兄弟たち。それがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。主の日が盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。人々が『平和だ。安全だ。』と言っているそのようなときに、突如として滅びが襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」第一テサロ二ケ5:1−11

 

互いに結び合わされなさい

 

敵が「キリストの身体」を懸命に分裂させようとするのにはわけがあります。それは私たちがお互いを非常に必要としているからです。主はこのことをご存知であるので、聖書全体を通して互いに励ましあうようにと私たちは勧められているのです。イエス様さえ、裏切りを受けた夜、ご自分の弟子たちを求められました。弟子たちが目を覚まして祈っていることを知るだけで、主には大きな慰めとなったことでしょう。多くの兄弟姉妹が今、又将来、多くの問題に直面している時、眠ってしまうことのないようにしようではありませんか。

 

今は主が「キリストの身体」の中であなたに与えて下さった人間関係、結びつきを大切に育てる時です。主があなたをどこに植えたいと願っておられるかをみつけて、そこで成長してください。主イエスは地上におられたとき、ご自分の回りに親しい者たちを沢山おかれました。私たちも同じようにせねばなりません。「キリストの身体」の中にいる者だけが御父の計画を知ることができます。御父の計画は私たちを導く真理であり、私たちはこのことを深く悟る人たちによって

励まされる必要があります。

 

「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」ヨハネ15:15

 

私たちは回復されている

 

嵐が過ぎたあとに回復の時が始まると私は先に述べました。これはもっと大きな事柄に関しても真理です。これから地上での問題がますます悪化し、大災害が起こっていくとき、私たちは絶対的完全な回復の時にどんどん近づいて行くのです。私たちは「主の日」へと近づいており、その日にはそれまでに罪と死が破壊したものが、すべて完全に回復されます。私たちの主との関係も完成され、互いの関係も完成され、天と地は新しくされるのです。

 

私たちは慣れ親しんだものが好きです。自分が知っているものを欲し、未知のものを(たとえ真理の御霊がそれは望んでいたものや夢見たものよりもっといいものだと言われても) 恐れます。私たちは信仰により真理にむかって進んでいます。しかしロトの妻のように後にしたものを振り返りたいという誘惑にかられるのです。私たちは希望をもって前のものを見ようではありませんか。私たちの回りの地は激しく揺れても、揺るがされることのない希望が私たちの前には備えられています。それは私たちの救いの希望です。回復の時はすでに始まっています。ある時にはそれは手の届かないところにあるように見えますが、そういうときはお互い同士、また「希望を与える方」に手をのばして、その方が希望と成就の間をつなげてくださることを知ろうではありませんか。

家に帰る

 

主のもとに帰る前の最後の数日間、母はよく「(天の)うちに帰りたい」と言いました。母がその他に言うのは「愛しています。I  love you.」という言葉だけでした。主は母を愛して下さったので母をうちに連れて行ってくださいました。母はこの世のものは何も持っていきませんでした。母が行くところにこの世のものは何も—身体さえもー持って行かれませんでした。

 

今までになかったほどの愛で愛してください。神を愛し、あなたの家族や友人を愛してください。そしてあなたの前を通り過ぎてゆく神が愛されている他人をも愛することを忘れないでください。(終)

 

Kathi Pelton
Compassion Arise
Email: jkpelton@sbcglobal.net


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