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16 1月

イスラエルの二度目の回復 リック・ジョイナー


イスラエルの二度目の回復

 

リック・ジョイナー

 

イザヤ11:11「その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りを買い取られる。残っている者をアッシリヤ、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シヌアル、ハマテ、海の島々から買い取られる。」

  

これは私の2011年最初の文であり、又、今私たちは神の御声を知り神が教会に与えられた預言の賜物について学んでいるので、今回はクリスチャンが多分一番多く受け取っているメッセージの一つについて話したいと思います。私が最も頻繁にされり質問は、「11−11は一体何を意味しているのか」というものです。時計を見ると丁度11時11分だったことが何度もあるとか、その他のことにおいても、多くの人々が過去何年にもわたって「11−11」を与えられているのです。今年の元旦は1/1/11、あるいは1-1-11でした。これは普通2度目の機会、チャンスを指していて、それが又、イザヤ11:11のメッセージでもあります。なぜならば、神はイスラエルを彼等の地に2回目に回復させることを約束されているからです。

 

今はイスラエルが台木—神ご自身—に再びつぎ合わされる時

 

イスラエルがイザヤ11:11のメッセージを受けた時は、彼等の地からまだ一度も散らされたり集められたりしていない時でした。終りの時のしるしについて人々がイエスに質問したとき、主が言われたことの一つは、いちじくの木—これはイスラエルを象徴していますがーをよく考えなさいということでした。イスラエルは際立った預言的メッセージの一つであり、預言者たちは常にイスラエルをじっと見つめ観察しています。

 

イスラエルは人類のバロメーターです。イスラエルの内や外で絶えず紛争があります。紛争があまりにも長く続いており、人々は平和を強く願うあまりに、 平和が得られるならば自分たちの小さな国土の大半を差し出してもいいとさえ考えるようになってきています。しかし、それは平和を生み出すことにはならず、彼等が差し出した土地は彼等を攻撃する基地になってしまっています。彼等の平和は人間の手によってもたらすことは決して出来ず、神によってしか実現しないものなのです。そして、良い知らせは「平和は神から確かに来る」ということであり、それがイザヤ11章の最も基本的なメッセージです。

 

神が私たちに与えてくださったものをあきらめて手放すことによっては、平和は決してきません。そうではなく、神が与えてくださったものに「人との平和」以上の価値を見出し、神の目的を命よりも価値のあるものとみなすことによって、平和は来るのです。今はイスラエルが台木—神ご自身—に再びつぎ合わされる時です。彼等がその地に再び集められはじめている時ですが、それよりももっと重要なことは、彼等が主のもとに再び集められるということなのです。

 

イスラエルは神がご自分の言葉に忠実であられるということのしるしです。エレミヤ31章で主は、イスラエルに対する主の約束が成就されないことがあるとすれば、その前に太陽、月、海の波に定められている法則がまずくずれるであろうと述べておられます。多くの人は、「霊のイスラエル」である教会において神の言葉は成就していると信じています。確かに多くのことに関してその通りなのですが、しかし、神の約束が「肉のイスラエル」のためでもあるということを否定することはできません。主はご自分のみ言葉の多くの箇所で、これらはアブラハムの肉の子孫への約束であることを明確に述べておられます。使徒パウロの「新しい契約の神学に関する最も重要な書簡」、即ちローマ人への手紙の9章から11章を読むと、彼がこのことを断固として主張していることが明かです。この箇所で警告されているように、私たちが「もともとの枝に対して高ぶる」ことは大きな誤りです。(ロマ11:18参照)

 

今年は失われていたものを回復する時である

 

イスラエルの国が再び集められることに関して私たちが受け取るべき中心的メッセージは、神はご自分の言葉に忠実な方であるという事です。私たちが忠実でないときでも、主は忠実であられます。そして主は忠実であられる故に私たちにもう一度チャンス を下さるのです。イザヤ11章全体は、地球が最初創造されたようなパラダイスに回復されることについてであり、それは全地球にとって2回目のチャンスなのです。即ち、イスラエルが「2回目に」集められるというのは、この回復が間近であるしるしなのです。イエスが地上におられたとき以来神の民がずっと祈り求めてきた「神の御国」が間近に来ているのです。

 

今年は失われていたものが回復される年です。多くの約束が成就する年、バックスライドしていた人たちが戻ってくる年です。それは祈り、とりなし、そして多くの場合断食から始まります。ダニエルはエレミヤの預言からイスラエルが彼等の地から散らされている期間は70年であることを知りましたが、彼は「帰る時が来た!」と言ってただ喜んだのではありませんでした。彼は神の言葉が成就するように断食と祈りを開始したのでした。

 

神が約束されたことが成就するために、どうして私たちのとりなしが必要なのでしょうか? 詩編115:16に「天は、の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。」と書かれています。主は地上での権威を人に委任されました。それが「私たちが主に願うまで主は地上のことは何もされない」理由なのです。これは又、イエスが人となって地上に来られ仲介者となられた理由でもあり、地上では常にご自分を「人の子」と言われた理由なのです。イエスは神の御子でもありましたが、人が失ったものを回復するために地上に人としてこられたのでした。

 

ですから、今は神の約束が成就される時だと知ったならば、私たちは祈りと断食をもって天と交わり、「いつも生きていてとりなしをしておられる」イエスと一致してとりなし手となる必要があるのです。(ヘブル7:25参照) イエスは永遠にメルキゼデクの位に等しい祭司であられますが、私たちも同じ位の祭司なのです。この理由により、神の民の持つ最も重要なメッセージと務めとは、私たちが召されているその祭司職を回復することでしょう。(終わり)

 

Rick Joyner
MorningStar Ministries
Email: info@morningstarministries.org


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