あなたの口を見張る天使 チャック・ピアスによる預言 2011年1月3日
あなたの口を見張る天使
チャック・ピアス、バーバラ・ウエントロブル、キース・ピアスによる預言
主が言われます。「海のようにあなたを覆うことができる多くの祝福をわたしは備え持っています。これらの祝福があなたを覆うから、入ってきなさい! もしあなたがわたしと共に座し、わたしとお茶を飲みながら私に語るならば、あなたはそれを味わい、それを見ることができるでしょう。祝福を味わい、見てごらんなさい。海よりも大きな祝福があなたを覆い尽くすことができるのですから。
今あなたが自分の口を開いて声を発する言葉に気をつけねばならないシーズンに入ろうとしています。わたしは、今のシーズン、あなたがどのようにあなたの口を用いるかをじっと見守っています。わたしはあなたがどのように喜び祝うかを見守っています。わたしはあなたの口を見張る天使を遣わします。
わたしはあなたが自分に必要なものをどのように求めるかを見守るでしょう。あなたは信仰によって必要なもの求めるでしょうか? あなたは礼拝の心をもってそれを求めるでしょうか? それとも自分に必要なものを得るためにあくせくするでしょうか? わたしはあなたが必要なものを得るためにどのような言葉を発するかを見守るでしょう。わたしはあなたが必要なものを得るやり方を今変えようとしています。ですから今週あなたは心を取り乱してはいけません。今週、あなたは言葉を発して、それによって蜜と水が出てくるのを見てごらんなさい。
今は怒りをもって攻撃する時ではありません。わたしは 『語りなさい!』と言っているのであって、『攻撃しなさい』とは言っていません。攻撃するのではなく語るのだということに、よくよく気を付けなさい!もしあなたが攻撃するならば、何も出てこないでしょう。しかしあなたが語るならば、水を注ぎだすことになります。立ち上がってあなたの手で口をふさぎなさい。そして『(主である)わたしが、あなたの中で打ち壊されねばならないものは何であるかをはっきりと口にして、わたしの名によってそれが出て来るようにと命ずる。』とわたしに言わせなさい。
「わたしにわたしの山を与えよ!」
「怒りの感情を持ってはいけません。むしろ喜びを持ちなさい。あなたの感情は適切に表現されねばならないからです。あなたの置かれている状況のただ中であなたの感情を涌き上がらせなさい。そしてその岩にむかって語りかけ、その山にあなたが勝ち突くと告げなさい!
「わたしは今の時、カレブの世代を起こそうとしています。カレブは『わたしの山を与えてください!』と言いました。彼は山にむかって語りかけ、彼の所有物となるように山に命じました。カレブのように語ることができ、わたしが彼等のものとなるとすでに告げたものを獲得してゆけるカレブの世代をわたしは今立ち上がらせています。今までのシーズンでは、つぶやいたり文句をいうだけで主が約束されたものを手に入れずに終っていた世代であっても、彼等は『今だ!』というでしょう。今の時、わたしはカレブの世代を起こします。わたしが『これは彼らのものだ』と宣言したものを彼らは獲得していくのです。カレブのように、『これは私のものだ、私の所有物だ』と語り宣言しなさい。この世代は立ち上がり主の備えられたものを宣言し勝ち取っていかねばならないのです。」
あなたの現状をよく考えよ!
先週の日曜日に主が私たちに、ハガイ書から明確に語ってくださいました。ハガイは復興の預言者でした。彼は人々に向かい、彼らが始めた事業を完成させなさいと叫びました。ハガイという名には、「お祭りのような」とか「祝祭の」という意味があります。今のシーズンのための「タイミング」「復興」「祝い」に関して理解を得るためには、ハガイ書が一番ふさわしいものです。私たちはハガイ書を7日間読んで聖霊からの洞察を受けることにしました。
これはリンダ・ハイドラーがハガイ書を読んで得た洞察です。
人々は神を中心とし神の臨在が留まる場所を立てるということを最も優先することを忘れおろそかにしていました。ハガイ1:5には「今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。」とあります。「 consider よく考える」という言葉は3つの言葉から成っています。「consider よく考える」には、「指定し、呼びかけ、言明し、定め、決意する」という意味があります。これはこころ(heart)の状態をあらわす言葉です。「heart」とは実際の身体の器官でもあり、また人間の一番深いものを表す言葉でもあります。「consider」のもう一つの言葉の意味は「越えて、上に、むこうに」という意味です。
この「あなたがたの現状をよく考えて見よ。」という箇所を見ると、これは「あなたの心を現状よりも高いところに呼びなさい。今あなたがしていること、生き方、あなたが選んでいることに関しての理解と認識を、もっと高いレベルにしなさい」という意味です。あなたは物事をまわりの状況からだけの低いレベルで見ているかもしれません。ですからもっと高いレベルの理解を持たねばならないのです。あなたの持つ将来への見通しは小さく限度があるものかもしれません。これがあなたの人生で起こっている事柄の全貌を見えなくしている可能性があります。神があなたのうちに始められた神による最高の計画・目的(目標)から、あなたのプライオリティー、優先順序がずれているかもしれません。
欠乏があなたを盲目にすることがあります。間違った将来への見通しは、あなたの欠乏の本当の理由を見えなくしているかもしれません。問題は食べ物や着るもの、お金がないということではなくて、あなたの心が天国の目的ではなく地上の低いレベルに置かれていて、神のことではなく地上のことに心が奪われているところにあるのです。あなたの心をもっと高いレベルに引き上げてください。あなたの心を神とあなたのために用意された神のご計画の上に定めてください。
今月は遅れを取り戻す月であることを忘れないでください。もし私たちが主を毎日求めるならば、御国の祝賀の集まりセレブレイションに間に合うでしょう。
私は妻のパムに何か書くように頼みました。以下が彼女の書いたものです。
私の思い出
パメラ・ピアス(注:チャック・ピアスの奥様です)
1968年は嵐のような年でした。ベトナム戦争が激しくなっていました。マルティン・ルター・キングやロバート・ケネディーが暗殺され,ソ連がチェコスロバキヤに侵入し、リチャード・ニクソンがアメリカ合衆国の大統領に選ばれました。
その年は私の家族にとっても別の意味で意味深い年でした。ベトナムでの戦争が激しくなり、私の養父であるクリント・ヒューズ軍曹はタイのコラット空軍基地に遣わされ、養母のベティーはニューハンプシャーの家に4人の子供と共に残されることになったのです。それで私と養母との小競り合いは休戦に入らざるをえなくなりました。
私と妹のパウラがベティーおばさんとクリントおじさんの所に行き一緒に暮らすようになったのは1965年のことでしたが、それは一時的な処置のはずでした。以前にも母がアルコール中毒と精神病で施設に収容されたので、私とパウラは親戚に預けられたことがあったのです。しかし今回は状況が少し違うことが私たちにもわかりました。この時、私たちの父(社会的には機能できるけれどもアルコール中毒でした)は、遠いニューハンプシャーに住む私たちが今まで一度か二度しか会ったことのない親戚に私たちを送ったからです。
初めのうちは、すべてうまく行っているように思われました。私はホワイト山脈を見渡せる自分の部屋を与えられました。私たちが住んでいた農場は深い森や草原、所々に突き出ている岩、清く冷たい小川のあるパラダイスでした。ずっとロスアンジェルスとヒューストンの市街に住んでいた私は、この田舎暮らしに大喜びで飛び込んだのです。
しかし 私が好むと好まざるとにかかわらず 、言われたことをしなければならない状態であったことから、問題は起こり始めました。クリントおじさんがイギリスのポーツマスの空軍基地に行っていたとき、私はベティーおばさんが私に頼むことにことごとく反抗しました。困り果てたベティーおばさんは、ついに私を里子に出すことをおじさんに相談しました。パウラは言うことを聞くとても良い子だったのでそのまま居ていいということでした。
クリントおじさんが私の救出に乗り出してくれたのはその時でした。他人の家に私を預けるかわりに、おじさんはこう言いました。「私にパムを任せてくれ。どうなるか見てみようよ。」と。それで私は1965年に空軍軍曹であるおじさんの「新兵訓練部隊 ブートキャンプ」に入隊したのです。それは私の人生に起こった最良のことでした。次の2年間、おじさんは気ままでしつけのなっていない赤毛のわがまま娘の私を訓練し、役に立つ家族の一員へと変えてくれたのです。おじさんは朝食用のパンの作り方や、家畜の世話の仕方、自分より上の権威を尊敬する事、人に仕えることを教えてくれました。目的を持ち役に立つ人間になることが、どれほどすべての事を変えることが出来るかを、おじさんは教えてくれたのです。
1966年の春、私の実父が亡くなり、実母は親権をおじさんとおばさんに譲りました。私とパウラは養女となり、私たちの苗字はローリーからヒューズに変わりました。それ以後は私を里子に出すという話は全く出なくなりました!
父(おじさん)が1968年の初めにタイに出発する前に、 部屋の隅に私を連れて行って二人だけで話をしました。
「パム、私がいない間、お母さんを助けることを頼んだよ。」と厳かに言いました。「毎朝、お母さんが起きる前にコーヒーを沸かしてパンを作り始めるんだよ。」
「はい。お父さん。」と私はうなずきました。
「それから、お母さんと言い争いはもうしないように。お母さんが頼むことを素素直に聞くんだよ。そうすれば大丈夫だからね。私
がいなくなるのはお母さんにとってとても辛いことなんだからね。わかるだろう。」
お祝いをすることの大切さ
父がいないことは私たちみんなにとってとても辛いことでした。しかし、感謝祭が近づいて来たとき、私たちは東南アジアからのよい知らせを受け取りました。父が11月に短い休みをとって家に帰ってくるというのです。もっと長くいて欲しかったのですが、その短い期間を最高のものにしようと私たちは決意しました。
そしてその年、私たちはクリスマスを感謝祭のときに祝ったのでした。妹と二人の兄弟、そして私の4人は、家の後ろにある森までそりで行き、樅の若木を切り倒し、雪の中を家まで運んで来ました。その夜、私たちは感謝祭ツリーの飾りつけをしました。木曜日(注:感謝際は11月の第4木曜日)の夕食後、みんなはピアノの回りに集まってクリスマス・キャロルを歌いました。父にクリスマス・プレゼントを渡し、本当に12月25日であるかのようにお祝いをしました。次の日、父はタイにむけて出発せねばなりませんでした。
私たちは神様のスケジュールに合わせてお祝いをしなければならない時があるのです。そのような時は自分たちの計画を横に置いて、父なる神のご計画通りに従わねばなりません。神のタイミングは完全であり、神はお祝いすることの大切さ、価値を、私たちにはとても理解できないほどに分かっておられます。神のカレンダーは常に正しいのです。(終わり)