主は道を備えられる フランシス・フランジペン 12月22日
主は道を備えられる
フランシス・フランジペン
税金、テロの脅威、病気、老い、家計、政治的混乱、家族の人間関係、教会の問題、恐怖、健康保険の問題、空港での厳しいチェック、失業、ガソリンの値上がり、戦争、不正、死——これは私たち多くが日々直面している敵のほんの一部です。しかし、主が私のこころに語られたことをお伝えしたいと思います。
ピリピ4:6−7「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
主は 、「特に別に問題がない」というような単に普通で一般的な平安を私たちが持つことを願っておられるのではないのです。又、ちょっと霊的なだけで人間的レベル、人間サイズの平安を私たちに与えようと計画しておられるのでもありません。もし私たちが、主の示される通りの 道を従順に歩み続けていくならば、主は主御自身の平安の中に私たちを住まわせ守ってくださるのです。
神の平安は全能者なる方の思い、思考のプロセスが含まれている深い静寂です。神は決して憂慮されることなく、常に主導権と解決法を持っておられます。神は初めから結末を見ておられ、人間に必要なものを無尽蔵の資源、能力の持っておられる立場からご覧になります。神は神の子供たちの必要を、あわれみと確信をもって見て下さいます。なぜならばすべてのことは神にとって可能だからです。
主が与えられる平安は、ただ単に「主がくださるもの」というだけではなく主ご自身の延長であり、それこそが主の平安の実体そのものなのです。それは神のレベル、神サイズの平安です。主が「あなたがたのこころと思いをキリスト・イエスにあって守ってくれる」とは、神のこの方法によることなのです。
驚くべきです
多くの聖書箇所にある同じ約束
私の解釈に疑問を持つ人があるかもしれませんが、救い主イエスの約束を思い出してください。
ヨハネ14:27「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。」
又、パウロは言っています。
コロサイ3:15「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」
これらを初めとする多くの聖書箇所は、私たちのための避難場所、私たちが宿ることができる神の平安で守られている空間、次元、がまさに存在することをあきらかにしています。
平安を用いなさい
勿論私たちは、 自分をどのような霊的領域の支配下に置くかは自分で選び取らねばなりません。ですから聖書は「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。Let the Peace of Christ rule.」と言っているのです。 この文章の「しなさい let」という語は、私たちの前におかれたリアリティー、現状の中での選択を言っています。忘れないでください。まわりの状況があなたの心を苦しめ始めたときでさえ、あなたは恐れから離れることができるのです。なぜならばそこには神の平安も又備えられていて、あなたの手に届く所にあるのです。恐れ、心配の思いを権威をもって治めてください。なぜならば、「それはただ悪への道(詩編37:8)」だからです。ですから、神の約束の上に信仰により堅く立ってください。
平安は私たちの盾であり、神の御言葉は武器です。ですから、主よりも問題の方を大きいと拡大して見てしまうような否定的で不信仰な思いを虜にしてください。私たちの父は私たちが願う前に私たちの必要をご存知なのです。(マタイ6:8)
あがくのを止めて、静まって主が神であることを知ってください! もし疲れたならば、主のもとに来て、主のくびきを負ってください。あなたのたましいは安らぎを得ます。最後に、パウロの言葉を思い出してください。彼は神に願いをささげるときは「感謝をもって」するようにと言っています。多くの者はいろいろと考えることは沢山すぎるほどしても、感謝することが少なすぎるのです。ですから、私たちの重荷を主に委ねましょう。主は本当に私たちのことを愛し、よくしてくださるからです。主は道を備えられます。(終わり)
Francis Frangipane Ministries of Francis Frangipane Email: francis1@frangipane.org