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Walk With God Ministries

18 11月

Creative Truth  創造的真理


キム・クレメント

イエスの力が最も顕れたのはいつだったと思われますか? それは主がサタンに面した時だったのです!それと同じように、あなたが手強い敵や厄介な問題に遭遇しそれに打ち勝つ時に、最もあなたの力は発揮されるのです。ですから、敵や逆境が襲ってきたときには、今までとは違う角度でそれを見なければなりません。

エペソ3:20に「(主は)私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことが出来る方(である)」と書かれています。

墓の中の真理は胎の中の真理のような力はない

真理には二つのレベルがあります。すでに確立された真理とまだ確立されていない真理です。後者は、まだ成熟しきっていない、まだはっきり見えない、ぼんやりとその辺りに浮かんでいる感じのものです。私が「真理」というとき、それは真理の発見を意味しています。あなたの人生に何かが起ころうとしている、今まさに自分はそこに踏み込もうとしていることが分かっている、けれどもまだ生まれ出てはいないもの、その「新しい真理」をあなたがはっきりと見出していくとき、あなたの力は最も発揮されるのです。あなたの人生の中には「まだ分らないもの」があるべきなのです。次に何が起こるのかが分らないとき、人は非常にフラストレーションや怒りを覚えます。しかし、もし、あなたの人生で次に何が起こるのかみんな分かっていたら、退屈するのではないでしょうか。はじめから分かっていたら、あなたは邪魔なものは取り除くし、厄介なことからは身を避けることでしょう。ですから神様は少しだけは教えて下さいますが、あとは暗やみの中を手を取って導いてくださるのです。それは、あなたに将来起こることのすべてを知って欲しくないからです。暗やみの中にこそ宝が隠されているのです。奇妙に聞こえるかもしれませんが、あなたは暗やみの中にいるときに信仰の一番頂点にいるのです。

「見るところによってではなく信仰によって歩く。」(IIコリント5:7)

この暗やみというのは、罪の暗やみではありません。次に何が起こるのか全く分からない場所、という意味です。暗やみの中でつまづく時、私たちは一番大きな力が発揮できるのです。(勿論、その経験は決して喜ばしくは感じられませんが)暗やみの中にいる時ほど私たちが強くされる、そして勿論フラストレーションのある、時はありません。将来のことはチラッとは見えるかもしれませんが、詳しくは全く分りません。神様は詳細は語られないからです。というのは、もし詳細が分ったら私たちに信仰は必要ではなくなりますし、「信仰がなくては神を喜ばせることは出来ない(ヘブル11:6)」のです。

もし、あなたの人生に何が起こるのか、はじめから全部分かっていたならば、あなたは神を喜ばせる信仰を持つことができないのです。

集会で人々に預言をし始めるとき、私は彼らについて何の知識もありません。それは私にとって最も危うい場所なのですが、それと同時に最もすばらしい、力のある場所でもあるのです。なぜならば、そのとき私の信仰は頂点に達するからです。私の信仰は当惑させられ、激しく揺り動かされます。主が私を激しく揺さぶり、私の中のまだ生まれていない「信仰」が突然胎動を始めるのを私は感じるのです。

あなたの中にまだ生まれていない信仰が宿っているのをご存知でしょうか。神様があなたを窮地に追いやり、信仰という泉から水を飲むしかあなたには方法がなくなるとき、あなたの中の信仰は胎動を始めるのです。「分からない」というのはあなたにとってよいことなのです。多くの人が私に電話をかけてきて、神様が自分の将来に何を計画しておられるのかを教えてくれ、と聞くのですが、私はほとんどの場合、「私にも分かりません。神様は私に何も語られていませんよ。あなたがまだわからないようにと主は望んでおられるのです。」とお答えします。主があなたのために次に計画されていることは、必ず、あなたが十分に対処できることです。それにあなたが出会う時、あなたの信仰が始動し、神はあなたを新しい境地へと進ませてくださるのです。

神様がアブラハムに語りかけたときは、彼の国、父の家から出て行くようにと言われました。アブラハムは神に従い、言われたところへと出かけて行きました。それによって彼は「信仰の父」と呼ばれ賞賛されました。
アブラハムは自分の行き先を知りませんでしたが、何か偉大なことが起ころうとしていることは分かっていました。行いのない信仰は死んでいます。

「墓の真理」では役にたちません。それはいつも葬られては復活させられるものです。ある時代に一つの真理が確立されると、しばらくは生きていますが、その後、教義や信条によって葬られてしまいます。教会は真理の周りに垣をめぐらします。すると次の世代の者がそれを見出し、また命を与え、前の世代の二倍の価値をその真理に与えます。

しかし、どの世代にも預言的な人たちがいます。彼らはパンだけを食べて生きていくことに満足しないのです。すでに作られたパンを食べるだけでは満足せず、彼らは神様の口から出るパンを求めるのです。人々は使い古された真理に飽き飽きしています。多くの説教者たちは、そのような古い真理に「自分の考え」や「自分の確信」をどんどん付け加えて完璧にしていきます。ですから、それを聞く者には自分の信仰を働かせる余地が全く与えられないのです。確かに確立された信仰、真理は大切です。しかし、創造的な新しい真理こそが、あなたの信仰を生まれださせるのです。

預言、このフラストレーションを引き起こすもの

この預言というフラストレーションを引き起こすものは、どのように捉えたらいいのでしょうか。聖書にはすべての人が預言をすると書かれています。

「しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなによってさばかれ(ます。)」(Iコリント14:24)

「あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。」(Iコリント14:31)

神があなたに語られるのは、まだ起こっていないことに対する信仰(預言的信仰)をあなたに与えたいと思われるからなのです。まだ起こっていないにもかかわらず、その事に対する信仰をあなたは得るのです。神からの言葉を受け取るとき、それが実際に起こる前に「それは必ず起こる」という信仰を神はあなたに与えてくだ

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