13 1月
預言的イメージの表現 キム・クレメント 1月13日
預言的イメージの表現
キム・クレメント
ヨネ4:16-18 「イエスは彼女に言われた。『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。』 女は答えて言った。『私には夫はありません。』イエスは言われた。『私には夫がないというのは、もっともです。 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 』
その後、彼女は水がめをそこに置いて町に戻り、人々に言いました。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」(ヨハネ4:29)
イエスが井戸のそばでサマリヤの女と話したとき、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」と言われました。 イエスは彼女の人生の中の一つの小さなポイントにだけ焦点を合わせたのですが、その結果として彼女は町に走っていって、人々に「私の人生のすべてを話した人がいますから、来て会ってください。」と言ったのです。 イエスは彼女の人生のすべてを語ったのではありませんでした。一つのことだけ話したのです。しかし、それが彼女の全世界、人生のすべてだったのです。ですから、あなたにとっても、現在あなたが面している「まさにその事」が、あなたの全人生なのです。
他の人の重荷と自分の重荷とを比較して、自分の重荷の方がずっと小さいと思うことはできません。私の重荷は私にとっては大きいものであり、敵はいつも私の人生を最後にはやっつけたいと考えています。敵は些細な事柄をいつも掘り起こしてきて私たちが前進するのを阻止しようとします。
ヨハネ8:32に「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」とあります。真理そのものではなくて、真理を知ることがあなた方を自由にするのです。真理はあなたを自由にしません。真理を知ることが自由にするのです。ひと度あなたが真理を知るならば、真理はあなたを自由にするのです。この真理というのは、神から与えられた真理です。もし、誰かがあなたのことを悪く言っていて、それがあなたにわかった場合、その真理はあなたを自由にはしません。かえってあなたを傷つけるでしょう。神の真理は直接神から与えられます。聖書には神の言葉は真理であると書かれています。医者は医学的な観点からあなたに事実を告げ、それは多分真理かもしれません。しかし、今私がお話している真理は、神がみ言葉によって与えてくださる真理のことなのです。
私がある人に個人的な預言の言葉を与えたとします。そのとき彼がそれは確かに神のことばだと信じ、神からの「真理の知識」を得るならば、その後どんなに敵の攻撃にあったとしても彼は「真理の知識」という武器で敵をやっつけることができるのです。ですから、彼が神から受け取った真理を事実(fact)にするか、ただの絵空事(fiction)にしてしまうかという力を彼は与えられているわけで、したがって責任は彼の肩にかかっています。
医者はあなたを診断して得た事実を基にしてあなたに真理(真実)を告げるかもしれません。一方、神は神の真理を基にしてあなたに事実を告げられます。あなたはそれを目で見ることが出来ないかもしれませんし、明らかでないかもしれませんが、神は確かに真理に基づいた事実をあなたに語ってくださるのです。私たちは自分の人生は自分の望み通りであってほしいと思います。完全な人生を望みます。しかし、そうはなりません。問題や困難が絶えず起こってきます。 このようにあなたを襲ってくる問題から真理はあなたを開放してくれるのです。
真理のことばを受けてからは、周りの状況がどのようになろうとも、自分は真理を知っているのだということを忘れないでください。神はあなたに一つの約束を下さいましたが、事の成り行きは預言の霊とくいちがってくることがあります。 しかし、預言の霊は真理の霊であり、又、キリストは真理の霊です。このようなくいちがいが起こるとき、もしあなたが真理を持っていたら、神の真理をあなたの真理にする力をあなたは持っているのです。たとえ物事が反対のほうに進んでいると思われるときでも、真理は真理であり続け、あなたはそれを事実にしていく力を持っているのです。
真理はいつまでも真理
神が究極的な真理です。私たち個人の真理は現実です。それは知恵ですが、時間と空間のなかでそれを事実としていかねばなりません。私は真理の力に関してすばらしいことがわかりました。その真理をあなたが事実とするならば、真理はなんでも出来るのです。どうやって事実にするのでしょうか。あなたの信仰がそれを事実にするのです。あなたの想像がそれを事実にするのです。あなたが夢見ることはすべて真理でなければなりません。現在の状況に飲み込まれてしまってはいけません。
神があなたに語られるとき、一つのことばだけをくださいます。
「ある人には御霊によって知恵のことば(the word of wisdom)が与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことば(the word of knowledge)が与えられ…」 (Iコリント12:8)
これはあなたは、知恵の一つのことば、知識の一つのことばを与えられるということです。 どうして神は一つのことばだけをくださるのでしょうか。どうしてちゃんとした文章をくださらないのでしょうか。それは、私たちは神のかたちに造られたので、一つのことばから文章を造りだす力を持っているからなのです。もし私たちが間違った文章を書いたならば、神はそれを消して、もう一度書き直させます。そうやって最終的に神が意図された文章になるまで何度も書き直させるのです。
神は全能の神なのだから、最初からなぜちゃんとなるようにしてくださらないのだろうか、と思われるかもしれません。それは神は私たちを神のかたちに造られたので、私たちが自分でちゃんとできる力を与えられているからです。ですから、神から「富」ということばを受けたとき、あなたは「富は私を堕落させ、悪くする」という文を作ることもできるし、または、「富は神の国を拡大する力を私に与えてくれて、福音が全世界に広まる」という文を作ることもできるのです。 もし、あなたがするべきであると分かっていることにむかっての一歩を踏み出さないでいるときに、真理はただの絵空事になってしまうのです。
神はアダムとイブに、地を従わせて支配せよといわれました。これが真理です。しか