04 2月
神の子孫 ボブ・ジョーンズ 2月4日
神の子孫(種)
ボブ・ジョーンズ(代筆ポール・キース・デイビス)
神の民は残りの者という子孫(種)です。今主は神の民の残りの者を再び蒔く準備をしておられます。多くのクリスチャンは今まさに自分に死ぬ時を迎えています。神の種は産みの苦しみや涙と共に蒔かれるのです。時が遅れている主な理由は、主のタイミングを待っているということです。神はご自分の計画を遂行するために、すべての物事が起こる時間を合わせているのです。
今まで何年もの間、主は、この時のために多くの人を調え、彼らに力を与えて準備をされてきました。我々は今神のご計画の青写真の中に描かれた岐路に立っていて、偉大な変化が水平線上に現れようとするのを見ているのです。
これまでの過程は長く厳しいものでしたが、神は困難なときには我々に新しい命を与えてくださり、主を求め続けるようにと励ましてくださいました。主の民に喜びをもたらすためにトロント・ブレッシングを与えてくださいました。悔い改めを強調し教えるためにブラウンズビルを与えてくださいました。 他にもいくつかのことを用いて主の恵みを教会に示し、我々をここまで導き助けてくださいました。
今、収穫の主が立ち上がられました。大収穫に参加するようにすべての人が召されています。魂と主の約束の収穫は祈りによって始められます。ヨブ記22:30にあるように、あなたのとりなしによって罪ある者さえも主は救ってくださるのです。とりなしと我々の手のきよいことによって、罪ある者も救われるのです。
我々は祈るとき、先ず自分の家族のための祈りからはじめるべきです。 自分の家族や、教会という家族の中で和解する機会への扉を我々は与えられているのです。分裂や不調和を取り除く恵みが与えられています。この恵みの実は、キリストの身体「教会」のなかですでに顕著になってきています。
罪ある人のために、きよい手を持たない人のために、主の救いをまだ受け取っていない人のために、又、あなたに最悪な助言をした人のために祈りなさい。 ヨブがしたのは、まさにそのことでした。
ヨブ記42:7-8、10 42:7 「さて、主がこれらのことばをヨブに語られて後、主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。 今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、あなたがたのために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」…… ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。」
友人たちの愚かさにもかかわらず、ヨブの義なる祈りは、彼らをとりなし、助けたのです。今は又、神の民の繁栄も回復されるときです。ヨブが友人のためにとりなしたとき、神はヨブを救い、彼の財産を2倍にして回復しました。我々は今、2倍のものを受けるとき(シーズン)に入ろうとしています。
主の目はいま地上を見渡して、破れ口に立つべき義しい者を探しておられます。主は問われます。「わたしが来たとき誰もいないのか? わたしが呼んだとき誰も答えるものはいないのか? 誰かわたしの声を聞くものはいないのか? わたしの手が短くて贖うことができないのか? わたしには救い出す力がないのだろうか? わたしが誰なのかおまえたちは知らないのか?」 主のこの呼びかけを聞いて応答する者が「残りのもの」として地上にいることでしょう。イザヤ50:2で主はこのように問われています。
イザヤ50:2 「 なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。わたしの手が短くて贖うことができないのか。わたしには救い出す力がないと言うのか。見よ。わたしは、しかって海を干上がらせ、多くの川を荒野とする。その魚は水がなくて臭くなり、渇きのために死に絶える。」
主は物事をすばやく変えることが出来ます。主はご自分の民に言葉を与えられ、疲れ果てた者を支えるようにされます。主は今、聖徒たちを朝毎に起こされ、ちょうど12弟子にされたように、霊の目を開いて見えるようにし、霊の耳を開いて主からの指令が聞こえるようにされているのです。
教会の中の多くのものにとって、剪定とさばきのシーズンは終わろうとしています。そして剪定とさばきのシーズンがこの世で始まろうとしています。主の願いは我々の光が明るく輝くことです。というのは、大いなる暗闇が人々を覆うとき、多くの者が私たちの光に向かってやってくるようになるからです。今こそ勝利を得る者たちが大いなる主の栄光を身にまとって立ち上がるときなのです。
これはまさしくダニエルが書き記した預言が成就するシーズンなのです。
ダニエル12:3 「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」
今こそ神のご計画が成就するときであり、大収穫のときです。主は、現代の若者も、又、老成した者も、ご自分のものであると言われます。ヨシュアとカレブのように。傷ついた者や迫害された者が「三日目」に収穫されるときに、主はご自分でつくられた裂け目を癒されます。主の御心は力強くなし遂げられ、大収穫が起こります。
ホセア6:1-3 「「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」
イザヤ30:26 「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。」
地上での艱難は甚だしく増大するでしょう。そのとき、黙示録に記されている真理がますます明瞭になってきます。これらの奥義に関する偉大な理解力が教会に与えられます。
黙示録は主の花 嫁に宛てられたラブ・レターで、花嫁が主と結ばれるために調えられるようにと書かれたものです。主が今のシーズンに関して語られていることを、耳のあるものは聞くようにと、主は呼びかけておられます。今は何事も憶測でするときでありません。聖霊によって導かれる者は主の守りと恵みのうちに安息することができます。
主はすでに敵に勝利され、敵を公衆の面前でさらしものにしました。我々はその事実をもっと完全に理解して、私たち自身がそれをあてはめ現実のものとすることが大切です。我々が主と結ばれるとき、主は主の勝利を現実にあらわすことを我々に委ねられるのです。
今の最大の召しの一つは、我々が主のしもべではなく、主の友と呼ばれることです。我々は勝利と権威の王座に永遠に座しておられる方を友として持っているのですから、我々の信仰を完全に働かすためには、この事実をしっかり把握せねばなりません。王座のある部屋から指令を出すことは、神の御言葉の中で約束されているのですから、本当に現実となりえるのです。主は「ここに上れ。」と言っておられるのですから。
主は教会に対して、今の時がどのような時であるかを認識しなさい、と呼びかけておられます。今というシーズンを知り、このシーズンのキリストの思いを知りなさいと言っておられます。それを我々から隠すことは主の願いではありません。救われていない人たちのうえに神が祝福と知恵を注いでおられることを彼らが見ることができるように、我々が主のみ思いをはっきり理解するようにと願っておられます。過去10年間の訓練はこのことのためでした。我々の過去の苦しみは将来のための準備だったのです。
理由が分からないままで砕かれることは、絶望へと人を追いやりますが、砕かれる理由を理解するならば、それは我々に望みをもたらします。主の霊は我々を砕き、罪の性質や肉的な計画を根絶し、主の御性質と主の戦略を注ぎこんで下さっています。主の最終目標は、父なる神の御性質を我々に表し、我々を神の成熟した息子、娘にすることです。
我々は今まで沢山の失敗を重ねてきただけのように見えますが、実際には、それらの年月は我々の内にへりくだりを養って来たのです。 終末にあたって我々に要求されている仕事(命令)は、肉的な働きや我々の力では達成不可能なのです。それは人の力や工夫によってなされるのではなく、主の霊によってのみ達成されるのです。我々がなすべきことは、主の霊にすべてを明け渡して、主に協力する方法を学ぶことです。
主がヤコブにされたと同じように、我々は自分の力に頼る傲慢を砕かれ、性質が変えられたのです。このように勝利したものには、黙示録2:17にあるように新しい名前があたえられます。
すべての雷や稲妻、地震、火山の噴火、ハリケーンの中で、主は主導権をとられます。これらは、今我々が生きている時代を照らしだす道標であり、今が予断を許さない重大なときであり、我々がいかに主イエスを必要としているかを知らせるものなのです。 (終わり)
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