28 2月
懐かしい 坂 柚実子 2月28日
懐かしい
うちの子供たちはアメリカ生まれの二世で、会話は英語を使います。息子はごく簡単な日本語しか話せませんし、娘は、職場では日本語も必要で使っているようですが、通常は英語を使います。その二人が「懐かしい」ということを言うときは、日本語を使うのです。英語の辞書で「懐かしい」を引くと「fondly remembered」とか出てきて、確かにそうだとは思いますが、子供たちにとっては「懐かしい」という言葉のほうが自分の気持ちにぴったりくるらしいです。
息子はニューヨークに住んでいますが、あるアンティーク・ショップで我が家でずっと使っている琺瑯びきのボールと同じのを見つけて、“It was so natsukashii!”と思ったそうです。でもかなりいい値段がついていたので買わなかったと言っていました。娘は、Tシャツを買っていたら、アップリケのしてあるものがあり、それが娘が小さいときに私が作ったスカートのアップリケととても似ていて”It was so natsukashii!”と思ったそうで、買ってきたのを見せてくれました。
子供たちがそういうことを懐かしく思うということに私は興味があり、感慨がありました。自分たちが育ったときに経験した小さな一こま一こまが記憶の中に織り込まれていて、「懐かしい」という思いが理屈を超えて湧きあがってくるのでしょう。彼らも30代になり、「昔」ができてきたのだとも感じます。
ハワイの気候はバラには適していないにもかかわらず、バラの苗が売られています。それはバラがどうしても懐かしくて、少しでも咲くならば植えたい人がいるからなのではないかと、私はひそかに思っています。花の思い出はその人の生い立ちと深く結びついているのかもしれません。私の花の嗜好も「きれいな花」から「懐かしい花」へと年をとるにつれて変わっていく気がしています。
私たちはあまり昔のことを懐かしがってばかりでは、後ろ向きの人生になってしまうかもしれません。けれども、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。」と詩篇103篇にあります。それは主が「咎を赦し、病をいやし」て下さったことや、また、その他の沢山の主からの小さなプレゼントがあるのではないでしょうか。うれしかったこと、楽しかったこと、美しかったことなどの思い出が沢山あることは幸いなことでしょう。それはすべて「あなたの一生を良いもので満たされる」主が下さったものです。
聖歌687番はこんな歌詞です。
「間もなくかなたの流れのそばで
楽しく会いましょう また友達と
神様のそばの きれいな きれいな川で
みんなであつまる日の ああ懐かしや」
この曲はバプテストの牧師であるロバート・ローリーによって作詞作曲されました。彼は1864年7月のとても暑い日に、疲れて横になっていたとき天国の幻を見たのです。輝く御座やそこから流れる命の川のほとりで楽しく集う聖徒たちを幻で見ているうちに、自然に詩もメロディーも出来てしまったそうです。
懐かしいというのは、普通は過去のことに対する気持ちをいいますけれど、ここでは、天国を待ち望む気持ちを歌っています。まだ行ったことはないけれど私たちの国籍のある天国を慕う気持ち、そこで主とお会いし、又、私たちより前に天に召された人たちと再会できる日を待ち望む気持ちを「ああ懐かしや」と日本語で巧みに表現された訳者はどなたでしょうか。(終わり)
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