06 3月
天国への門 ジョン・ポール・ジャクソン 3月6日
天国の門
ジョン・ポール・ジャクソン
神の現われを愛し心からそれを待ち望んでいる者たちに、主はご自分を喜んであらわしてくださいます。
神のすばらしい奥義の一つは天の門の存在です。 そのドアや通路を通って私たちは天に出入りすることが出来ます。天の門の入り口に立つと、天が開いているような感じがします。
天の門というのは、天からの光の通路で、天使や天にいるものたちが、悪霊に邪魔されずに自由に出入りできようにと神に守られている場所です。神はその門を、第三の天からはじまり、第二の天を通って地上で開いているようにつくられました。
聖書の中には何箇所もこの天の門、通路のことが書かれています。
詩篇24:7 「門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王がはいって来られる。」
詩篇78:23 「しかし神は、上の雲に命じて天の戸を開き、」
箴言8:34 「幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、わたしの戸口の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。」
ヨハネ1:51「そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」
黙示録4:1-2 「その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」 たちまち私は御霊に感じた。…」
黙示録に書かれている「門」は、神が私たちを天の領域へと招きいれてくださっていることを示しています。主は私たちを友と呼んでくださり、天の門を開いて多くの天の軍勢がかつてなかったほど頻繁に地上に訪れることを望んでおられるのです。
ヤコブは天の門を発見した
ヤコブは父祖アブラハムが「主の御名によって祈った(創世記12:8)」場所で一夜を過ごしました。彼が契約の石を枕にしたとき、天の門が開いたのです。ヤコブは天の使いがはしごを上り下りする幻を見ました。彼は目を覚ましたときに次のようにいいました。
創世記28:16-17 「ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
ヤコブは天のはしごの正確な位置を印すために、枕にした石を記念の柱として立て、この場所を「べテル、神の家」と呼びました。この後数度、主はヤコブに「べテルに戻れ」と指示され、そこでヤコブに語られたのでした。
主はどこででも語ることができるお方なのに、どうして「これこれの場所で私はおまえに語るから、そこに行け」といわれるのかと、不思議に思ったことはありませんか。
神がエリヤに語られたとき、主はホレブ山(シナイ山とも呼ばれる)に行くようにと彼に告げました。そこで主はエリヤにもっと詳細に語られたのです。(I列王記19:11-18)
天へと続いている門は、現在も地球上に存在しています。エルサレムの町は天の門です。 実にエルサレムは地上で一番主要な天の門なのです。ダビデやイザヤが、エルサレムは地の中心であると言った理由はそこにあります。 何故敵が躍起になってエルサレムを占領しようとしていると思いますか? それはこの天の門を塞いでしまおうとサタンがしているからなのです。
リック・ジョイナー師が証していることですが、ノース・キャロライナ州のモラビアン・フォールにある彼らの地所で、彼や彼のスタッフは天使の訪問を幾度となく受けているそうです。そこはかつてジンゼンドルフ伯爵とモラヴィア兄弟団によって所有されていた地所で、モラヴィアン兄弟団が100年以上祈り続けてきたゆえに、そこには数個の天の門が存在しているのです。
ニューハンプシャーのサトンという所に私たちのストリーム・ミニストリーズに与えられた90エイカーの土地があり、そこには一つの天の門があります。明らかに敵もそのことを知っていて、この門を私たちに使わせないように妨害し、その門が第二の天までしかとどかないようにしているのです。私が地所の中で一番高台になっている所に行くたびに、必ず魔女たちによって作られた悪魔の祭壇を発見するので、いつもそれを打ち壊してきました。魔女たちはこの地所に無断で入ってきては、神がかつてご自分をあらわされたことのある場所を汚していくのです。神はこの悪魔の「高きところ」を私たちが取りもどし、神の天使が邪魔されずに行き来することができるようにせよ、と今私たちに命じておられます。
ニュー・エイジに入っている人たちの多くが、この門の存在を知っているのですが、悲しいことに彼らは第二の天までの門しか知りません。彼らの多くは、自分は神から聞いていると思っていますが、実はにせものにだまされているのです。
バビロンで預言者ダニエルは主権と戦った天使に出会いました。しかしながら、ペルシャの君が国を支配していたので、第三の天の門は閉ざされていて(キッチンの流しがごみでつまってしまったように)天からの力の流れが止められていたのです。しかし、主はそれらの天の門をこれから大いに用いようとしておられ、私たちの間に天使が自由に出入りできるようになるように、その場所を敵の手から奪いかえすようにと私たちを召しておられるのです。
天の門を開く鍵は私たちの心の働きの中にある
ペンテコステの日に天の門を開いた鍵は、信徒たちの一致でした。彼らは共に集まって「一つになって(in one accord)」いたと聖書は言っています。 その時、突然、天の門が開いたのです。激しい風のような天からの音が家全体に響きわたりました。超自然的な炎が彼らの上にあらわれ、彼らは聖霊で満たされました。(使徒行伝2:1-4)
聖霊の力ある油注ぎと、かつてなかったような天の軍勢の訪れを、神が与えようとしておられる時代に私たちは今、突入しているのです。(ヨエル2:28-29) この神の霊の新しい波は、大いなる力をもってやってきて、いやしと命を与えるでしょう。それはエゼキエルが幻で見た命の川のようです。(エゼキエル47)
これから来ようとしている神の霊の流れは非常に力強く、大規模な世界的リバイバルを解き放つでしょう。クリスチャ ンは油注ぎを受け、イエスがしたよりも大いなる業をするための力を受けるでしょう。病人をいやし、悪霊を追い出し、死人をよみがえらせ、神の御国が地上に来たことを宣言するのです。(ヨハネ14:12) これから神は、多くのクリスチャンに彼らが住む地域のどこに天の門があるかを示し始められ、それによって彼らは今までより深い霊的洞察力と神からの啓示を受けることができるようになるでしょう。〔終わり〕
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