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Walk With God Ministries

31 3月

ことば      坂 柚実子   3月31日


言葉

3月11日から12日間、関西に住む小西家のお母さんと下の息子さん(ピアノの上手な12歳)が我が家に遊びに来ていました。ポートランドに駐在されていたときに教会に集っておられた御家族で、お父さんと上の息子さん(このサイトの立ち上げを手伝ってくれたコンピューターに強い17歳)は、今回は家で留守番でした。

彼らの会話は勿論関西弁です。それで彼らと一緒にいると、主人も私もいつの間にか少し関西弁になってしまうのです。「それ、違うんとちゃう?」とか「そうやなぁ」とか、初めはおもしろがって使っていると、だんだん身についてきて、そっちのほうが言いやすくなって自然に口から出てくるようになります。そして感じることは、関西弁はとっても会話をなめらかにするということです。そして心までもなんか「関西弁風」にソフトになっていくような気がします。

言葉といえば結婚してアメリカに36年前に来たときは、英語と日本語で苦労しました。英語は勿論「話せない」苦労であり、日本語は「主人のビジネス関係(主に商社)の方々の中でちゃんと話せない」苦労でした。

それから英語が少し話せるようになっても、アメリカ人のグループの中では緊張してしまって英語がうまく出てきません。私たちがその一部として日本語教会をやらせていただいていたオレゴンの教会は、まさしくアメリカ人ばかりの教会で(当たり前ですよね)、私はそこに35年も属していたにもかかわらず、親しい方と話す時は別として、うんと勇気を出さなければ英語が上手く出てきませんでした。

ところが、ハワイはご存知のように多くの人種がいて、それぞれがそれぞれのなまりのある英語を使っています。ハワイのいわゆる「ピジョン・イングリッシュ」にいたっては、しばらく聞いていても英語なのかどうか分からないくらいです。そういう中では「私の英語でも大丈夫」というおおらかな気持ちになることができます。

ニュー・ライフ・チャーチは、まさに人種のるつぼです。アメリカ生まれの人でも人種的には様々なので、日本人の私たちにとってもまったく違和感がありません。また、多くの人が移民でなまりのある英語を使うので、聞き取るのが大変です。

マーシャル・アイランドから最近引っ越してきた夫妻がいて、ご主人のチャーリーはもともとアメリカ生まれの人ですが、奥さんのレネーはマーシャル・アイランド出身で、彼女は英語をすらすら話すのですがすごいなまりがあり、私には半分くらいしか理解できません。また、スコットランドから引っ越してきたジョンの「本格的英語」は彼といつも親しく話している主人も、聞き流してすむ話は実は「半分くらいしか分かっていない」らしいのです。私のジャパニーズ・イングリッシュもみんなは、もしかして「半分しかわかっていない」のかもしれません。

それでもみんな和気あいあいとやっているのは、言葉の足らなさを補って余りあるものがこの教会にはあるからではないか、と私は思うのです。それはリーダーたちを通して流れてくるキリストの姿、即ち、相手を受け入れる姿勢、謙虚さ、仕える心です。

オダ牧師はハワイ生まれの日系3世ですが、神からそれぞれの文化を大切にするようにというヴィジョンをいただいています。 ちなみに、この教会のロゴはハワイアン・キルトの真ん中に十字架を入れたものです。賛美も時々ハワイ語のものを入れたりしていますし、これからは、日本語や韓国語などの賛美をも入れていきたいといっています。お互いの国の文化を受け入れ合うということは非常に大切であり、神が喜ばれることであると思います。

レネーはこの日曜日にマーシャル・アイランドの慣わしだといって、牧師たち全員に沢山の貝をマクラメ編みの中に入れ込んだ素敵な首飾りを配りました。主人も首にかけていただいてとても嬉しかったようです。そして教会全体がなぜかとても喜ばしい雰囲気になりました。(終わり)


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