19 5月
癒しの御使い
癒しの御使い
ビル・ヨント
癒しのために働く天使たちが、神の癒しが地上にもたらされるのを祝って祝杯を交わそうとしているのを私は見ました。彼らは「癒しの入っている鉢」を手にしていましたが、それがぐらぐらと今にも傾きそうになっていました。
天使たちはヨハネの手紙第三の1:2の「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」という御言葉をもって乾杯していました。
私は多くの者が、癒しを信じて信仰の戦いを勇敢に戦っているゆえに魂に幸いを得ているのを見ました! 父なる神の御心は、癒しだけではなく、全き健康を人々に与えることでした!
誰かの癒しのために祈ったけれども、その人が死んでしまったという経験をお持ちでしょうか? 私たちはみんなそういう経験がありますね。でもその人の癒しのためにあなたが祈った祈りは無駄ではく、神はその祈りを今も大切にしていてくださることをご存知ですか? 又、その人の死も無駄ではなかったのです。
あなたが愛する者のために癒しを信じて祈り、それでも癒されなかったときにあなたが流した涙は無駄ではなかったことを、私は見ました。天でその涙がある目的で瓶に集められているのを見ました。一見「聞かれなかった」と思える癒しのための祈りも、天の巨大な鉢の中に集められていました。
地上で私たちが流した涙や聞かれなかった祈りは、私たちにとってすばらしい栄光となるのです。天の鉢が縁まで一杯になり、今にも傾き、地上に今なでなかったような偉大な癒しを降り注ぐばかりになっているのを私は見ました。
癒しの賜物をいただいている多くの人たちが、敵の攻撃をうけて癒しの祈りしなくなっているのを知っています。彼らは信仰の祈りの成果を見ることができないでいるからです。「ビルさん、私は病人に手をおいて祈りなさい、という預言を受けました。それで10人のために祈りましたが、誰も癒されませんでした!」とあなたは言うかもしれません。 よく聞いてください。あなたは11人目の病人を探して、手を置き、信仰の祈りをし、神をもう一度信じなければいけません。神が癒し主であられます。私たちが癒すのではないのです。 私たちは息のあるうちは神の言葉を信じ続けるようにと、召されているものです!
私たちは疑う者ではなく信じる者であることを忘れないでください!たとえあなたが次にする癒しの祈りが答えられなくても、天にある癒しの鉢をひっくり返すその最後の祈りになりかも知れないのです。決して祈ること、信じることをやめてはいけません。あなたの祈りは決して無駄ではないからです。
「ビルさん、私は自分の癒しのために15年も神を信じてきましたが、まだ勝利がありません!」とあなたは言われるかもしれません。よく聞いてください。今祈りをやめるのは愚かなことです。あなたは癒しのためにすでに15年間の信仰を投資しているのです。最初信じたときよりもあなたは癒しにずっと近づいているのです。
ジョン・G・レイクは16人の大家族の中で育ちました。愛する家族のうち7人が伝染病で死にました。しかし、この愛する者たちの死こそが、彼の内に神の力の癒しを受けとる鍵を見つけたい、という強い願いを起こさせたのであり、その結果彼が見出したものは、今も世界中に影響を与えているのです。彼はまわりで多くの死を見たとき、神の癒しを信じることをやめてしまうこともできました。しかし、火の上にかけられるガソリンのように、愛する者の死は、世界の癒しのための鍵を探し続けるようにと彼を燃えさせたのです。
彼の伝記を読んだのですが、彼が疫病が流行っているある国にいたときのことですが、彼を除いて周りにいた人たちはみんな死んでいきました。あまりにも不思議なので、人々は彼の手を顕微鏡の下において、疫病の病原菌をその手に一滴たらしました。それがジョンの皮膚に触れるやいなや、その病原菌が彼らの目の前で死んでいったのです!私たちの周りで死が起こるときに、イエスがご自分の死をもって与えてくださった癒しを得る努力に拍車がかかりますように。なぜならば「彼のうち傷のよって、私たちはいやされた」のですから。
どうして癒されずに死ぬ人がいるのでしょうか、それは神だけがご存知です。 彼らがイエスを知っていたか、又は、小さな子供だったならば、もう今は永遠に癒されて主とともにいることは確かです。そして私たちはまた彼らと会うことができるのです。
今にも傾きそうなこの鉢の中には復活の命が入っていました。人に噛み付いた死の顎をこじ開けお葬式をキャンセルさせる鍵が、この鉢から転がり出るのが見えました。天の力強い天使が「人々は見つけた!奇跡をおこす鍵を見つけた!死の病、病気、疾患の逆境の中でもあきらめずに信仰の祈りを続けて忍耐し続けたからだ!」と叫ぶのを私は聞きました。
私は病人のために何度も祈ってきました。そして、祈っていて何も感じないときの方が、もっと頻繁に癒しが起こるのを経験してきました。癒しのための真の信仰の祈りとは、自分では祈る気持ちが起こらないときに、イエスに祈りなさいといわれるから祈る、という祈りだと私は思います。病人を癒すのは感情的な祈りではなく信仰の祈りなのです!私たちが同情で動かされ、神の臨在を強く感じながら祈るときもあります。また、感情ではなく信仰で祈るようにと主から言われるときもあります。「祈るのが難しいと感じるときこそ、一番激しく祈りなさい!When it’s hard to pray, pray the hardest!」という言葉を聞いたことがあるでしょう。
あなたの手中に癒しがあることを忘れないでください。なぜならば癒し主があなたの中におられるのですから。
さあ、一緒に癒しの鉢を傾けましょう!(終わり)