23 7月
オレゴンへの里帰り 坂 柚実子 7月23日
オレゴンへの里帰り
先週4泊のオレゴンへの里帰りを主人としてきました。家族がいるわけではありませんが、長く親しんできた多くの方々と再会することができ、大変祝福された時を持つことができました。
ハワイに引っ越してから2年が経とうとしていますが、オレゴンで40年近くも慣れ親しんだ所に行くと、その2年間が無かったような錯覚におちいりました。ハワイに来て、「オレゴンから引越してきました。」と話すと、「何であんないいところからハワイにきたんですか?」とかいう反応が返ってきて、びっくりしたものです。 オレゴンの人にとっては、ハワイはパラダイスのように考えられていますし、休暇にハワイに来る人も沢山います。 でもハワイに住むと、オレゴンのように広々としたところが素晴らしいと感じられるのでしょう。
確かに夏のオレゴンはきれいでした。私たちはレイク・オスエゴというポートランドに隣接した小さな町に住んでいましたが、そこはカナダのヴィクトリヤを真似たのでしょうか、町に花があふれています。一つ一つの電柱にペチュニヤなどの花を盛り込んだかごが吊り下げられていますし、道の中央にも花が一杯です。洒落たお店も又、どんどん新しくできていました。
今回のオレゴン行きの一番の目的は、主人が45年前に渡米し勤めた材木輸出会社の、社長の未亡人である加藤さんをお見舞いすることでした。主人は渡米してから私と結婚するまでの8年間は、加藤さんのところに下宿させていただいていました。加藤夫人は帰米二世というのでしょうか、アメリカで生まれ、小さいときに日本に帰り、ティーン・エイジャーのときに再びアメリカに戻られました。そして第二次世界大戦のときには、日本人として強制収容所に入り、様々な苦労をされたのでした。
彼女は主人と私にとってはアメリカの母、子供たちにとってはおばあちゃん役をしてくださり、クリスマスやイースターにはご馳走をして招いてくださるのは勿論のこと、すべての面において私たちの生活をバックアップしてくださいました。洋裁がお得意だったので娘などはいつもドレスを縫ってもらっていましたし、クリスマスには主人と息子にお揃いのパジャマを縫ってくださるのが慣例でした。私のためにもパーティー用の絹のドレスを一晩で縫ってくださったりしました。アメリカには家族のいない私たちにとって、彼女の存在はどれだけ有難かったか知れません。
現在彼女は92歳になり、ケア・ホームでお世話をしてもらいながら暮らしています。アルツハイマーでどんどん記憶を失っていますが、2年ぶりの再会にもかかわらず、私たちのことは分かり、涙を流さんばかりに喜んでくださいました。別れるときに主人が彼女の頭に手をおいて主の守りを祈りました。私たちが訪問したことも彼女はすぐに忘れるのですが、彼女の魂はその喜びを記憶していると信じています。
最後の日には、私たちが以前かかわっていた教会やバイブルクラスの方たちが集まってくださり、主人がメッセージをさせていただきました。主にある兄弟姉妹との再会は本当に心温まるものでした。一人ひとりが主の取り扱いを受けて、霊的成長をしておられるのがはっきりと感じられました。これからも遠く離れてはいても、祈りで支えあって行きたいと思います。
今回のオレゴン訪問は主からの素晴らしい贈り物であり、多くの方のご好意で快適に楽しくすごすことができましたことを、心から感謝しています。ハレルヤ! (終わり)
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