27 7月
天と地の間で新しい音が交わされる ジョアン・マクファッター 7月27日
天と地の間で新しい音が交わされる
ジョアン・マクファッター
絶えることのない交流
天から地上にむかって音が絶えず放たれているのですが、それと同じように、地上から天に向かってもも常に音が放たれています。 それは神による交流とも言うべきでしょうか。その交流は目には見えない世界で、エネルギーのパターン、波動、粒子などを通して行われています。 その大部分は人間の耳で聞くことはできませんが、私たちも宇宙の一部として存在していますから、それを感じとることはできるのです。
地上の私たちから発信されるものは、神によって「聞かれ」、そして神はそれに対する応答を絶えず私たちに送ってくださっているのだと私は信じています。神からの応答が来ていることを知って、内なる霊の耳をその波長に合わせれば、私たちは神との絶えざる交わりを持つことができるのです。それを聖書の中では「霊が霊を、淵が淵を」という表現で表しています。
ヨハネ17章でイエスは、私たちが主と一つになることを次にように言っています。「…わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにいるように…」
私たちがそれに気がついていてもいなくても、天と地の間のこの交流がなければ、この世界は存在することはできません。「万物は御子にあって成り立っている」のです。
初めにことばがあった
神が天地を創造されたとき、神はその音、即ち、「光よ。あれ。」ということばを発することにより、すべてを始められました。
ヨハネ1:1-5 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
今、み言葉の真理に、科学がやっと追いつきはじめています。 最近科学者たちが、特に量子物理学の分野で発見していることが、いかに聖書が語って言っていることに合致しているかは、まったく驚嘆に値します。
神の音(神のことば)は永遠の中から放たれました。 私たちがいままでに経験したこと、今経験していること、これから経験することは、すべて、神のことばによって保たれています。科学はそれをゼロ・エネルギー・ポイントとよんでいて、それは最小の粒子の真ん中に位置しています。私たちの周りにあるものすべてを崩壊しないように支えているのは、そこなのです。イエスはそのことばが人となられた方であり、彼がことばなのです。
万物は御子によって成り立っている
コロサイ1:15-17 「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」
すべてのものは御子によって保たれています。また、万物は御子にあって成り立っている(consist)のです。私は「成り立っている consist」という言葉を辞書で調べてみました。 それは「共に存在すること、共に存在することが可能であること」という意味でした。 すべてのものが御子にあるときにのみ、ともに存在することができるということです。
打ち破りの音
今というこの時は、天から「打ち破り」の音が解き放たれていて、地上でのワーシップの音が信仰の音と一つにされるときに、 「打ち破り」が活性化し働き始めるのだと私は信じています。 天がしようとしていることに私たちが合意するときに、真に素晴らしい結果を生みます。
「信仰の音」とか「よい行いの音」とかいうと奇異に聞こえるかもしれませんが、信仰やよい行いから発せられるエネルギーは、本当に音を持っているのです。ワーシップは、人間の耳に聞こえても聞こえなくても、私たちから父なる神へと流れていく音です。心や思いを主にむけるとき、たとえそれを口に出さなくても、それは波やバイブレーションとなって、主が見たり、匂いを嗅いだり、聞いたり、味わうことのできる空間に解き放たれていき、主ご自身によって受け取られるのです。
「主のよきことを見て味わえ」というようにです。 又、「私たちの祈りはよき香りであり、主はそれで鼻を満たされる」とも書かれています。その他たくさんの例があります。もし目に見えない原子未満のレベルで何が起こっているのかを調べてみるならば、私たちの発する言葉や音は、まわりの空間にエネルギーを放っていて、すべてのものに影響を与えているのです。明らかに聖書は神と被創造物との間の交流を隠喩で表しています。
霊的領域を見たり嗅いだりせよ
私は霊的な分野では教会の父的存在であるネビル・ジョンソン師が語ってくれたことを思いだしました。 彼はあるとき数ヶ月間にわたって、霊的領域―特に感情の領域だったそうですが―で起こっていることを見たり、嗅いだりできるように主がしてくれたそうです。彼はある感情を抱いている人から発せられる色や臭いを嗅ぐことができました。
たとえば、ある人が怒っていると、ジョンソン師には赤い色が見え、それと共に悪臭がするのが分かりました。嫉妬を抱いている人からは緑灰色が見え、それ特有の悪臭がしました。中でも一番悪臭を放つのは自己憐憫に陥っている人からでした。悪霊どもはそれらの色を見、臭いを嗅いで、それを発している人に集まってきてそのマイナスの感情をもっと煽るのです。
好ましい感情もまたそれ特有の色を持ち、よい香りを放ち、天使たちがそれに集まってきます。ですから、私の言わんとするポイントは、本当に私たちは見えない世界で起こっていることのほんの一部分しかわかってはいないと言うことです。
事実、ジョンソン師は、感情を見たり嗅いだりできるこの能力を取り去ってください、と神様に嘆願しました。というのは、絶えず人々の感情が分かると気が狂いそうになったからです。神様にはすべての人の感情が絶えずわかっているばかりでなく、