16 11月
一番良いもの ラリー・オケーシオ 11月16日
一番良いもの
ラリー・オケーシオ(Other Side Ministries モーニングスター・ジャーナル誌Vol.16、No.4)
イスラエルの2つ半の部族が神の約束の地にゆくことをやめて、ヨルダン川の東側に定住することに決めてしまった事は、聖書の中で最も悲しい出来事の一つではないでしょうか。(民数記32:1-33)確かにその土地は彼らの生活に適する良い地ではありましたが、それは、神の約束の成就ではありませんでした。「良いものは一番良いものの敵である。Good is the enemy of best.」という古いことわざがあります。これはまさに真理です。私たちも神様が約束された「一番良いもの」を求めてヨルダン川を渡ろうとしないで、ただの「良いもの」で妥協し満足してしまうことが、あまりにも多いのではないでしょうか。
人間は、心地よさや気楽さ、苦労しないで満足を得ることを好む傾向がありますから、神から与えられる一番良いことが何であるのかを見極めることは、聖霊の助けがなければ非常に難しいのです。今の社会は、何が最高のものであるかを、ブランド名やタイトル、又は貨幣価値で決めてしまおうとしています。しかし、これはなにも今始まったことではないのです。イスラエルがカナンの住民を追い出して約束の地を勝ち取ろうとしたとき、主は彼らがただの「良いもの」を「一番良いもの 」の代用にしてしまう傾向を知っておられましたから、「あなたは一生、彼ら(アモン人とモアブ人)のために決して平安も、しあわせも求めてはならない」(申命記23:6)という警告を発せられました。
しかし、悲しいことにイスラエルの民は何度もこの警告を無視しました。そしてそれは私たちも同様なのです。度々私たちは、自分にとって一番良いことは何かという答えを、神にではなく神以外のものに聞いてしまうという罠に陥るのです。この世が最良とするものと神が最良とするものとは往々にして正反対であることを、私たちは、何故かなかなか理解できないのです。
このポイントをよく表している話が旧約聖書にあります。それは第一サムエル記に出てくるハンナのことですが、彼女は主からの特別な召しを受けました。(Iサムエル1-3章)ハンナの夫はエルカナといいましたが、その時代の習慣で彼にはもう一人ペニンナという妻がおりました。エルカナはこの二人の妻を愛しておりましたが、特にハンナを愛していたことがうかがわれます。
Iサムエル1:4-5
イスラエルの当時の時代背景を考えますと、不妊の女ということがハンナにとってどれほど辛い重荷であったかが分かります。不妊の女は神にのろわれているとみなされていたのです。その上ハンナは絶えずペニンナに嫌がらせをいわれ、苦しんでいました。
Iサムエル1:6-7
この箇所を読んで私たちは、ハンナにとってペニンナは神からおくられた「一番良いもの」では決してありえない、と決め付けてしまいそうになります。しかし、もう少し掘り下げて考えてみると、興味深い真理が見えてきます。ペニンナという名前はヘブル語でルビーという意味なのです。そうです、女性の好きなあの宝石です。しかしこのペニンナというルビーはハンナにとっては宝石どころか、ただ悩みを与えるだけのものの様に思えます。しかし、本当にそうだったでしょうか。聖書によると、ハンナはペニンナから絶えず苦しみを受けた故に、追い詰められてついに神にすべてを打ち明け、明け渡す決心をしたのでした。
Iサムエル1:11
この後、ハンナにはサムエルという子供が授けられ、誓い通りに彼は主にささげられました。サムエルは成長してイスラエルの大預言者、祭司、士師となりました。ハンナが神からの一番良いものを受け取ることを止めてしまう危険があったのは、皮肉なことにペニンナではなく、ハンナを心から愛していた夫のエルカナでした。エルカナはハンナの重荷を少しでも軽くしようと一生懸命彼女を慰めました。神がハンナに「一番良いもの」を求めさせようとしておられたときに、図らずも彼は「良いもの」で満足するようにと彼女を諭してしまったのです。ハンナが神の約束を求めるのをやめさせようとしてサタンは狡猾にもエルカナにこういわせました。
Iサムエル1;8
これはとても優しいエルカナの言葉です。しかしこれは実はハンナやサムエル、ひいてはイスラエルという国家に対する神のご計画を台無しにしようとする敵が彼に言わせたことなのです。エルカナの「私は十人の息子以上の者ではないのか?」という質問に対して、私たちは、「いや、違う、絶対に違う!」と叫ばねばなりません。
たとえそれがどんなに素晴らしい夫であっても、どんなに立派な家であっても、またどんなに素敵な車であっても、それらは神が私たちの人生のために用意していてくださる一番良いものと比べ物には絶対にならないのです。私たちが今緊急にせねばならないことは、聖霊との交わりを深く持つことです。何故ならば聖霊の助けによってのみ、自分の人生の中のペニンナとエルカナを識別していくことが出来るからです。彼らはあなたの人生の中に必ず存在しますが、彼らを識別する知恵は私たちのうちにはないことを知ってください。
邪悪な敵は、私たちが神からの一番良いものを求めないで、それ以下のもので満足するようにと惑わす機会をいつも狙っています。敵は「それで十分ではないか、満足しなさい、感謝しなさい。」とささやきます。神がもっと素晴らしいものを用意していてくださることを、信じて期待をすることは欲張りであるという罪悪感を私たちに抱かせようとします。敵が「あなたにとって私は十人の息子以上の者ではないのか。」とささやくのが聞こえますか?
神からの一番良いものとはなんでしょうか。それはあなたの人生に対する神の御計画が完全に成就することです。そしてそれは、すなわち、主に栄光をおささげできるように私たちのうちにキリストが形作られることです。この地上でそれ以上に良いものや価値のあるものは絶対にないのです!(終わり)
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