28 11月
魂の闇夜 ポール・キース・デイビス 11月28日
たましいの闇夜―神の光の軍隊を準備するために
ポール・キース・デイビス
アメリカ国内だけではなく世界中で最近よく耳にするのが、「今はたましいが闇夜を通っている!」という言葉です。 確かに一見、多くのクリスチャンが、険しく苦しい道を通らされているように見えます。 しかし、これは実は、よい結果をもたらすためなのです。
私は数年前にある啓示的なヴィジョンを見たのですが、そのヴィジョンは私が苦しいところを通らねばならなかったときに大きな励ましとなりました。このヴィジョンは特にリーダーの立場にある人たちに対して語られていると思いますが、すべてのクリスチャンに適応することが出来ると思います。
自分のミニストリーはかなり成功している、と思っていたリーダーが、突然「神から取り扱いを受けている」自分を発見する、ということが最近よく起こっています。しかしその試練を通ったあとには、主と更に親しく交わるようになり、もっと大きな霊的権威を持つようになるという素晴らしい結果が期待できるのです。
光の軍隊のヴィジョン
私に与えられたヴィジョンの中で、光の軍隊が広い戦場で整列していました。私たちは戦闘態勢をとっており、暗やみの勢力と戦おうとしていました。光の戦士たちは、どの地位の者もすべて称賛に値するほど立派で、昔風の武具で身を固め、手には剣を持っていました。
やがて激烈な戦闘がはじまり、それはあたかも「世の終わりの戦い」のように見えました。 光の軍隊は剣の一振りごとに戦果をあげて敵を撃退し、勝利は間違いなし、と感じていました。
戦いは凄絶を極めましたが、私たちは前進し続け、敵は次第に後退していくように見えました。私たちは「我々は世の終わりの戦いに勝利している、自分たちの力はこのように偉大なのだ。」と心の中で感じていました。
聖霊によってとどめられる
しかし突然、聖霊が私たちを捉え、私たちはそれ以上前進することを許されませんでした。勝ち進んでいた戦いを、敵にではなく聖霊によって阻止されて、私たちは狼狽しました。私も敵からわずか数メートルしか離れていなかったのですが、身体が麻痺して一歩も前に進めなくなりました。
私は非常に落胆し、混乱してしまいました。 そして主にどうして光の軍隊が前進するのをとどめられたのかをお聞きしました。すぐに主は私たちの頭上の雲を吹き払われました。すると、私たちの目は開かれて、今までは隠れて見えなかった敵のいくつもの巨大な大砲が、私たちに向けられて並んでいるのが見えたのです。
敵は後退していると見せかけていたのですが、それは彼らの策略であり、実際には私たちが自分たちの力を過信するようにしむけていたのです。確かに私たちは戦場で戦うことにより主と共に歩み、主の力をいくらかは受けていました。しかし、預言にある「世の終わりの戦い」を長期に亘って戦うのに不可欠な主の力を、まだ十分には受け取っていなかったのです。
教会の上に神の霊が完全に注がれることを、敵は断固として阻もうとしています。神の民は主の完全な啓示と力の油注ぎを受けることが、み言葉で約束されていますが、そのときには、私たちは主のもとに帰り、完全に癒されることを、敵はよく知っていますから、それを阻止しようと必死なのです。主による完全な癒しとは、単に身体や心の癒しだけではなく、エデンの園以来できてしまった神と人との間の裂け目を完全に修復するものです。
これが成就されれば、「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み(コロサイ1:27)」 が現実のものとなり、私たちクリスチャンは聖書に預言されている通りに生きることが出来るようになります。敵が、「預言的世代」が生まれ出るのを何故これほどまでに阻止しようとしているのか、という理由がここにあります。
敵は、私たちの準備が完全に整う前に戦いに引きずり込むことしか、自分には勝ち目がないことを知っています。教会がキリストの花嫁として、キリストにあって受け取ることのできるすべての啓示を受け取り、その花嫁の住まいとして用意された場所に入るならば、敵の勝ち目は全くなくなるのです。その真理に立てば、私たちは地獄の勢力にも対抗して戦うことができます。なぜならば、そのとき私たちは自分の力ではなく、天からの見えざる力の源から力を得て、神の勝利を勝ち取ることができるようになるからです。
私たちがあれ以上敵を攻撃するのを許されなかったのは、神の憐みと恵みの故でした。あのまま進んでいたら私たちは滅んでいたことでしょう。私たちが、完全にキリストを着ることをせずに、また主の武器で武装する用意もないままで戦いを続けることを許されなかったのは、父なる神の偉大な愛の故でした。 もし私たちがあと少し攻撃を続けていたならば、敵の巨大な兵器が終末の大戦争のために使用され、私たちは簡単に滅ぼされていたでしょう。
手術室
次に私たちは、天の手術室と訓練センターのようなところに移されました。 この特別な部屋の中で、私は手術台に横たわっていましたが、面白いことに、手術台を取り巻いている天使たちのうしろで私も一緒に手術台の自分を見ていました。天使たちは「手術」の準備をしていました。
背丈2メートル半くらいの6人から8人の天使が手術台の周りで、それぞれ分担された作業に取り掛かっていました。彼らは私たちに霊的手術をほどこして、来るべき戦闘のために整えているのでした。
彼らは、一枚ずつ私の肉を私の身体から剥ぎとっていきました。それは私の中の肉的なもの、この世的なものを取り去る作業でした。自分の身体から自分のアイデンティティーや計画、野心、欲望が除去され捨てられるのを私は見ていました。 そして、来るべき戦いには何一つ不純なものを持ち込むことは許されないのだ、という理解が与えられました。自分の考えとかアイディアとかというパン種を、主の純粋な真理の中に混ぜることは絶対に許されません。人間的なものが混じってはいけないのです。
天使たちによるこの作業が続けられ、おしまいには手術台の上の私はなくなってしまいました。私は一人の天使に「私はどこにいるのですか?いなくなってしまったようですが。」 と尋ねました。声がして、手術台の上の小さな、しかし命にあふれている種を指差しました。 丁寧な手術を受けて私に残されるのを許されたものは、神から与えられたいのちの種だけだったのです。
肉的なも