WWGM

Walk With God Ministries

06 12月

ただ一つのこと=主の顔を見上げる  ライアン・ワイアット 12月6日


ただ一つのこと ― 主の御顔を見上げる
                                  ライアン・ワイアット

かなり前のことですが、私はカンサス市で行われたあるカンファレンスの最中に、初めて本当のトランス(夢見心地)状態を経験しました。その経験は私にとって非常に衝撃的であり、その後の私のミニストリーの方向性を多くの点において決めてしまったほどのものでした。今、神と親密な関係を毎日持つ重要性を書くにあたり、この経験はそれと深い関係があると思いますので、それをまずお話ししたいと思います。

園に住み、園を世に持ち出す

私はそのときワーシップをしていたのですが、突然、私の霊が全く違う場所に移されるのを感じました。そのような経験は初めてだったのですが、それがトランスと呼ばれるものであることが後になってわかりました。カンファレンスには4千人以上が集まっていましたが、まわりにいた人たちはもう私の意識からは消えていました。私はただワーシップ・ティームが歌う預言的な歌だけに耳を傾けていました。

私は今まで見たことがないような美しい園に入っていきました。地面にはバラの花びらが一面に散っていました。丁度そのときにワーシップ・チームは「主よ、あなたの園に連れて行ってください…」と預言的な歌を歌っているのが聞こえました。実に、私が経験することがすべて、すぐそのあとでチームによって歌われるのでした。

私はバラの花びらが敷きつめられた地面にそっと横たわりました。すると突然風が吹いてきて花びらを舞い上げたので、私の身体は花びらで取り囲まれました。それは聖霊が私の上に臨まれたのだ、と私にはわかりました。私は頭の向きを変えて園の外を見ました。そこに見えたものすべては、死と悪とに満ちていました。恐ろしい旱魃と飢饉もありました。爆弾が炸裂し、ありとあらゆる犯罪が行われていました。人々の顔は恐れと絶望の色を濃く表していました。園の外部の世界とはまったく異質な場所に自分だけがいるようでした。

私は地面から立ち上がりました。そして園の中央にむかって歩いていきますと、そこには小さな流れが注ぎこんでいる池がありました。水の中に入ると、私の身体のすべての病が一瞬にして癒されるのを感じました。私は水の中にじっと身を横たえていました。 すると、園の外部から人々が大混乱の世の中を逃れて入ってくるのが見えました。彼らの顔からは恐れや死の影は消えて、晴れやかな表情になっていました。(詩篇34:5)

彼らも、池の中に足をいれましたが、その瞬間に彼らの身体から腫瘍や癌が落ちていくのが見えました。 また、骨が正常な位置に戻される音がし、盲人が見えるようになり、聾者の耳が開きました。たちまちのうちにすべての病が癒されていったのです。

私が水の中にじっと浸っていると、水が私という存在そのものの中へと浸み込みはじめるのを感じました。その水の性質と私の性質とがあたかも一つに溶け合うように感じました。 そして神の御性質をいただいて私の性質は少しづつ変えられていきました。(IIペテロ1:4)私はすっかり元気ずけられリフレッシュされました。それがあまりにも満たされた状態なので外に放出しなければなりませんでした。


私は池から出ました。そしてこの素晴らしい神様の臨在を分け与えるために園の外に出て行きました。私が歩くところはどこも水溜りになりました。私が建物の中に足を入れると、壁からありとあらゆる草花や木が生え出てきました。私が入ると建物はみんなきれいな庭園に変わっていくのでした。私自身が庭園であり、私が行くところはみんな庭園になるのでした。しかも私に触れる人は瞬間的に元気になり、彼らを縛っていたこの世の足かせから自由にされていきました。

万物の頂点

現在私たちは大いなる揺さぶりと混迷の世界の中に置かれています。歴史上今までになかったような悪と混乱の極みの世界が展開しています。これまでの悪が頂点に達して、今という終末の時代に現れています。 今までの悪のすべてが今の時代に集められて最高潮に達しているようです。

しかし、それと同時に主からの油注ぎも最高潮となり、今までの時代の神の業がすべて集められて、この終わりの時代にそそぎ出されるのです。上では天の不思議、地ではしるしが起こり、勝利者たちの上には身体の癒し、奇跡やしるしが大いに与えられるのです。今私たちは歴史的に画期的な時代に生かされています!

II歴代誌16:9「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」

今私たちに不可欠のものは、主に捧げきった忠実な心です。愛と忠誠をもって私たちが100%主に心を向けることを妨げるために、敵はあらゆる策略を駆使します。もし二心があるならば、私たちの魂は敵の捕虜になってしまうのです。(ヤコブ1:8) 悪魔はほえたける獅子のように獲物を探して歩きまわっています。私たちは、悪魔につけ入らせる隙を見せてはいけないのです。(Iペテロ5:8、エペソ4:27)

しかし、私たちが主の御顔を仰ぎ見て、主との親密な交わりを楽しむという、ただこの一つのことに励むならば、敵に隙を与えたり惑わされたりすることから自分を守ることができます。

詩篇27:4「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」

私たちの毎日のすべての時において、私たちの存在のありとあらゆる細胞はこの一つのことのために捧げられねばなりません。この邪悪な時代の中では、それだけが私たちの心と思いを清く保ってくれるものです。そのような生き方をするならば、天の父が私たちに目を留めてくださり、神の力が私たちの人生の中に流れてくるのです。エデンの園で人に与えられた元々の命令とは、神との親密な交わりを持て、というものでした。ですから、私たちは今、そこに戻らなければ、天国を地上にもたらして毎日勝利しながら生きることは決してできないのです。

初めに…

初めに、神はアダムとエバのために園を造られました。彼らがそこで生活し、管理するためでした。神はこの園をエデンに造られ、人をその中に置かれました。

創世記2:8 「神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。」

「エデン」という言葉は、「喜びと楽しみ」、

Post a Comment