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31 1月

2007年への多くの預言をどのように受け取ればよいか 坂 達也 1月31日


2007年への多くの預言をどのように受け取ればよいか

 今年2007年に対する預言を、私たちのインターネットHPで今まで4つ5つご紹介させていただきましたが、年頭に今年ほど多く預言がなされた年は、私としては今まで見たことがありません。今までご紹介したもの以外に今私たちの手元には少なくとも後10程あります。
これ等の預言は皆少しずつ内容が違いますが、それぞれ預言的な方たちが主から個人的にいただいたものであることを私は疑いません。個人的に受け取ったものであれば、その人その人で置かれている状況が異なりますから、主からいただく預言が違って当たり前です。しかし、多くのことで共通しておりますのでそれをまとめてみますと三点あります。
一つは今年は天変地異、地震、大風あるいは大きな災難が起こるという預言。一つは、今年も昨年に続いてより激しい変化・変革が起こり、前進の年であるという点。もう一つは、今年はクリスチャンとして非常に期待の持てる「すばらしい恵み、約束が適う年」であると言うことです。ある預言者たちは「昨年はどうしても出来なかったことが今年こそ実現する」と言っています。
私はこれら多数の預言を見ているうちに、新年も日が経つにつれ私の「霊が騒ぐ」と言いましょうか、いよいよ、風雲急を告ぐ時に入ったという緊迫感が強まって参りました。そして主から示されたのはバプテズマのヨハネのことでした。

マタイ11:12 でイエスは「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」と言われましたが、この表現ですと御国が敵によって激しく攻められているように受け取られます。確かにそうなのです。しかし、イエスの言われたのは、その意味も含みながらも、実は天の御国とはそれを激しく求める人たちによって勝ち取られて行くもの―イエスの御国とはそのように激しく求め、激しく戦う人たちによってのみ築き上げられる王国であると言う意味です。言葉を替えれば、キリストの王国の弟子とは「なまぬるいクリスチャン」とは似ても似つかない、徹底して聖く激しいラディカルなクリスチャンなのです。その「聖さ」「激しさ」を身をもって紹介したのがバプテスマのヨハネである訳です。

11節でイエスは「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」(新改訳)と言われました。ここで言う天の御国とはイエスの(メシアニック)王国のことです。ヨハネはイスラエルの人たちに、イエスがメシアでありその王国が来たことを正式にアナウンスしました。彼はイスラエル人がイエスを信じ、イエスの王国の弟子となることを勧め、その人たちは「イエスの花嫁」になる人たちであると説明すると共に、自分自身を「花婿の友」と呼びました。(ヨハネ3:29)
しかし主は、ここでヨハネを紹介者ではあっても王国の外にいる〔それ以前の〕人間と位置付けております。その意味でヨハネは人間の中で誰よりも優れた者ではあっても、イエスから直接訓練を受けて王の「花嫁」となる王国の弟子たちとは比較にならないことを明言されたのです。その意図は、キングダム・メンタリティーも持った「王国の弟子・戦士」あるいは「キリストの花嫁」になる人たちの優秀性をイエスが強調されたのであると思います。これは大変なことです。私たちがこれからどんな厳しい訓練を受けるか、又、受けねばならないかがこれから容易に想像出来るからです。

私は現代のクリスチャンであっても、いや終末に生きる私たちこそ、イエスから直接王国の弟子訓練を受け、王の命令を毎日直接聞くことが出来て、総てにおいて王に忠実に従う者にならなければならないと思います。そうでなければ王国の戦士として実戦に出ても使い物にならないからです。
そのような弟子はバプテスマのヨハネよりもっと聖く、もっと激しく求める人でなければならないのではないでしょうか。

ここで見落としてはならないのは、イエスご自身が、事ご自分の御国を建て上げることに関しては、そのような激しく厳しい方であると言う点です。当時のイスラエルの霊的状態と特にパリサイ人を中心としたリーダーたちを、マタイ11:16 ―24でイエスは本当にこれ以上激しい言葉はない程の激しさで責められました。私は今の時代のクリスチャンはまさに当時のイスラエルと似ていると思います。そうであれば私たちは今こそ、この主のメッセージを本当に心して厳粛な警告として受け取らねばならない時であると思います。

特に、昨年まではどんなに宣言しどんなに祈っても起こらなかったことが、今年は実現するという点についてですが、主が示して下さったのは、それは単に手をこまねいていては起きないということでした。本当に夢と幻を実現させたければ、去年の二倍の努力をしなければならないと言うことが私には示されました。

それは先ず、昨年まで一日一時間祈っていた人は二時間、二時間祈っていた人は四時間祈り、熱心に主を求めることです。主により忠実であること、そして、この世的な生き方を出来るだけ排除し、聖く生きることです。そして愛を増すことを示されました。これには相当な決意と「やる気」が必要です。本当に信仰が問われる年であると思います。そうすることによって初めて今年を「やりがいのある年」「何かが起こる年」「勝利の年」とすることが出来ると確信します。

私たちの教会は大人100人余りの小さな教会ですが、祈りを強調する教会の一つであると思います。毎朝二時間以上祈る人が牧師以下、片手の指の数ほどおります。中に毎朝夜明け前の三時から三時間祈る方がおられ、その方は静かに異言で祈るのですが、聞いてみると、内なる聖霊様に「今日は何をすべきか語って下さい」と祈るそうです。そうしていつも主の御声を聞いているそうです。一つの例を語ってくれましたが、或る時、主が今日はどこどこの病院に行って、こうゆう人がいるからその人のところに行って癒しを祈りなさい、と言われたので、行って祈ったら、助からないと言われていたその人が癒されて、今はその人は私たちの教会員になっております。これこそ100%聞かれる信仰の祈りです。私はその方から大変大きな励ましを受けました。

総てが主を求めることから始まります。そして主と親しくなればなるほど、主がより多くより細かいことまで示して下さいます。主の御声を聞く、そのために今年も一層主に近づき、親しく主と共に歩こうではあり

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