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Walk With God Ministries

05 4月

花を咲かせる   パトリシア・キング    4月5日


花を咲かせる

パトリシア・キング



バラの花のヴィジョン

少し前のことですが、私は一つのオープン・ヴィジョン(起きているときに見るヴィジョン)を見せられました。この文章を読んでおられる方の中にもこのヴィジョンの指し示すことが当てはまる方がおられると思います。


このヴィジョンの中の私は、キッチンの窓から見える古い農家を眺めていましたが、そこに沢山のバラが植わっている庭園があるのに気がつきました。いくつかのバラは開いていましたが、ほかは堅いつぼみのままでした。バラ園の上には嵐を呼ぶような大きな黒雲が広がっていました。私は心の中で「もうじき、、」とつぶやき始めたのでしたが、「大雨になるぞ」という言葉を頭の中で考える暇もなく、そのとき天が開いて土砂降りになりました。大雨は降り続きましたが、その中で私は奇妙な光景を見たのです。

開いていたバラの花は、コップのように水で一杯になり、重くなると花は頭を下げてカラカラに乾燥した地面に水をこぼし、また、頭をあげて水を天から受けていました。

固いつぼみのバラの花は、同じ雨の下にありましたが、つぼみの周りに数滴のしずくをつけるだけでした。その時主が「開いている花は雨を受けるけれど、つぼみはしずくだけしか受けられない。」と言われました。


死海はなぜ死んだか

花が開かないでつぼみのままになっている理由は沢山あります。太陽の光が少ない、土に栄養がない、水が足らない、というようなことです。しかし、私の見たヴィジョンでは、すべての条件は調っていて、すべてのバラが同じ雨を受けていました。 同じ環境の下に置かれていたのに、開いている花と開いていない花とがあったのです。 一体何が違ったのでしょうか?

これと同じことが「神様の庭園」の中でも起こることがわかります。ある者たちは雨の中で踊り、ある者は傘をひろげ、ある者は雨を飲み、又他の者は水の成分を知りたがり、ある者は溺れることを恐れ、ある者は旱魃を恐れます。結論は「けちけちしている人」からは何も得られないということです。彼らは豊かなのですが、自分の持っているものをしっかりと握りしめ、それを必要としている人たちに分け与えようとはしないのです。死海が死んだのもそれが理由です。

あふれ出すことの大切さ

ヨルダン川から良いものがすべて死海に流れ込むのですが、そこから出ていくものは何もないのです。それで水は澱み死んでしまうのです。それと同じように、キリストの身体の中でも、霊的水ぶくれは非常に嫌われるべきものです。私たちはすでに生ける水で一杯なった身体でざぶざぶと音を立てながら集会に集い、もっと水を受けようとするのです。乾いている人のためにもっている水を分け与えようともしません。その結果はもっとも悲劇的なものとなります。即ち、つぼみが固く閉じていて、雨を受けることが全くできない状態になるのです。これは自分で飢饉を招いている姿です。


言葉は影響力がある

神の子供たちが花を咲かせない理由はいくつかあります。恐れや、無視されたとか、拒絶された、裏切られた、妨害された、虐待された、批判されたというような経験が原因となります。批判は創造性を殺してしまいます。たった一言のひどい言葉でそれを言われた人の賜物は窒息してしまいます。互いにかけ合う言葉は、その人を育てる肥料になるか、あるいは殺す毒になるかのどちらかなのです。殺す力のあるような否定的な言葉を受けると、私たちは自分を固く閉ざし、やがて干上がってしまいます。

神さまは花は咲くように造られたのです。花は、開くと無防備になり攻撃されやすくなります。その花のすべての良さがあらわになり、隠れたところがなくなります。飢えたひとのためには食糧となり、乾いた人のためには飲み物となり、家のない人のための宿となり、見るに美しく、新鮮な空気を与えます。(実際に植物は炭酸ガスを酸素に変えます)これが主から与えられた私たちの仕事であり、この世でするべきことなのです。

また、私は植物に話かけると良く育つことも知りました。ディボーションのときを持つのはまさにこのためです。神様はあなたに話けられ、あなたは必ず成長します!後の雨が降り始めています。ですからつぼみのままでいないで花を開いてください。(終わり)


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