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Walk With God Ministries

21 8月

神の平安による勝利 フランシス フランジペン 8月21日


神の平安による勝利

フランシス フランジペン

真の平安とは、あなたが物事に無頓着で何が起こっても動揺しないということではありません。また、非常に「霊的」であるため、世の中で何が起こっているのか気にもしないので得るものでもありません。平安は、神が私を愛しておられるという確信から生じる実です。第一ヨハネ4:4の「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力がある」という真理をあなたが確信するときに、平安があなたの心に生まれます。平安は自分の手で得るものではなく、神の愛によって保証されるものなのです。

平和の神がサタンを砕く


霊的戦いを効果的にするためには、私たちは自分に与えられている霊的権威を理解し、それを行使せねばなりません。けれども霊的権威とは、自分の権威の下に人を押さえつけるものではありません。あなたが霊的権威を持つということは、かつて葛藤や抑圧で満ちていた場所に、神の平安を打ち立てるということなのです。ですから、あなたが真の権威をもって働くためには、まず自分のうちに平安を持たねばなりません。

使徒パウロは「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。(ローマ16:20)」と教えています。私たちが戦いの最中にも平安を保ち続けるならば、それは恐れとか抑圧をもって責めてくる敵に対して致命的打撃を与えることになります。私たちの勝利は決して私たちの感情や知性で勝ち取るものではありませんし、自分の目で見たことや耳で聞いたことで判断するのでもありません。 それは、神が言われたことは必ず成就すると確信する信仰からくるのです。

キリストの勝利を完全に味わいたいならば、周りで起こる状況に対して人間的にリアクトするのをやめねばなりません。何かに対して本当に権威を持つならば、それを見たときにあなたの心は何の心配も恐れも脅威も感じないはずです。あなたの中の平安が勝利のしるしです。イエスが激しい嵐に対して権威をもっておられた証拠は(マタイ8:23-27参照)、嵐に対してご自分が持っておられた平安を宣言し、それをもたらしたことです。主は嵐と戦うこともなく、恐れることもありませんでした。主は猛威をふるう暴風に立ち向かい、完全な平安の中にある主の権威をもってそれを治められました。

また、イエスがピラトの官邸で裁判にかけられたとき、そこは地獄の力によって人々が感情的な狂乱状態に陥っていましたが、キリストの周りには聖なる静寂が漂っていました。それは、どのような代価を払おうとも、父なる神の御心に従うことを決意されたイエスから流れ出る平安でした。神の御座の平安と静けさを、イエスの霊は完全に映し出していました。そしてイエスが裁かれていたはずの場面は、一瞬にしてサタンやピラト、また、イスラエルの宗教家たちが裁かれる場面と変えられたのです。

サタンが使う武器の倉庫は、恐れ、思い煩い、疑い、自己憐憫などで一杯に詰まっています。このような武器は私たちから平安を奪い、心を悩みで満たします。あなたの敵はどこから攻めてくるかわかりますか? あなたの周りの人間関係で、平安がないところがありますか? そこからサタンは攻めてくるのです。 逆にいえば、平安があるところには勝利があります。サタンがあなたにむかって火矢を投げてくるときにどれだけ平安を保っていられるかは、あなたがどれだけキリストの勝利の中を本当に歩いているかを示すバロメーターです。

パウロはピリピ1:28で、「また、どんなことがあっても、反対者たちにおどろかされることはないと。それは彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。」と言っています。あなたが平安を保ち、神のみ言葉に堅く立って動かされることがないことこそ、神の御心に服従しようとあなたが心を定めている証拠です。「どんなことがあっても反対者たちに驚かされることがない」という事実は、あなたが敵に対して権威を持っているというしるしでもあります。

平和をつくる者は神の子

平安は霊的な力です。平安は聖霊のもつ特性であり、あなたが平安のうちに歩むとき、あなたは力のうちを歩んでいるのです。平和をつくる者というのは、ただ単に戦争に反対する者というのではありません。それは霊と目的においてキリストに心から服従している故に、神の子と呼ばれるのにふさわしい者です。(マタイ5:9参照)その人が行くところには神も行かれ、神が行かれるところにはその人も行くのです。平和をつくる者は恐れず冷静で大胆です。燃える火が光と熱をまわりに放つように、その人からは平安が流れ出ます。

人生の戦いの中で平安を保つことは、敵をやっつける武器と実際なるのです。揺るがない確信をもって立つあなたの姿は、サタンのうそに決して騙されないことをはっきり表わしています。敵に対して霊的権威を持つための第一歩は、どのような状況に置かれても平安を持ち続けることなのです。イエスは悪魔と対面したときも、感情的になったり恐れたりはしませんでした。サタンが偽り者であることをご存知であった主は、神以外の声に影響されることを堅く拒みました。主の平安はサタンを圧倒しました。そして主の権威はうそを打ち破り、サタンは逃げ去りました。

治める前に安息する

詩篇23:4で、ダビデは「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」と言っています。神と共に歩くときに、わざわいを全く恐れなくなることが可能なのです。ダビデは人生の中で、ライオンや熊や巨人を始めとして沢山の敵に遭遇せねばなりませんでした。この詩篇で彼は「死の陰の谷」にいるときもわざわいを恐れなかったといっています。ダビデは主に信頼していました。「あなたが私とともにおられますから。」といっています。神がともにおられますから、あなたが遭遇するすべての困難は、神に信頼するときすべて勝利となるのです。ダビデは続けて5節で「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ」といっています。今あなたが戦っている戦いは、もうすぐあなたの食事となるのです。即ち、それはあなたを養い霊的に立て上げる経験となるのです。

戦いの最中にあなたが肉的にリアクトしてしまうのを鎮めることができるのは、神の平安だけです。神の平安は神ご自身からのみ来るものです。「御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。」と黙示録4:6にあります。ガ

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