05 10月
神の御性質にあずかる特権 ポール・キース・デイヴィス 10月5日
神の御性質にあずかる特権(1)
ポール・キース・デイヴィス
ずっと昔、イスラエルの王であったダビデは、やがて神を求める人々の群れが起こるであろう、と預言しました。詩篇24編には彼の預言のアウトラインと、その一人となるための必要条件が書かれています。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けなかった者が、主を心から求める神の民の群れの一人になれるのです。ダビデは次のように言っています。
詩篇24:3-6「だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。 これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。セラ」
それでは、一体どうしたら神の民を覚醒させ、この条件を満たせるようにできるのか、という問題が残ります。こういう結果を生み出すために最も効果的なのは、それぞれが個人的に天からの啓示をうけて神と出会うことであることは明らかです。聖書には、預言的啓示を受けることをいつも神に求めていた、ある偉大な王のことが書かれています。第二歴代誌26:5には、「彼(ウジヤ)は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主をもとめていた間、神は彼を栄えさせた。」と書かれています。
この10代の王と年老いた預言者との関係は、とても興味があると共に、貴重な教訓を私たちに与えていると思います。歴史の資料によると、ウジヤが16歳で王位に着いたときには、ゼカリヤはかなり年を重ねていたということです。ゼカリヤという預言者は、ウジヤ王を監督していた間、王に常に神を求めさせた、というのは、とてもすばらしいことです。そして、ウジヤが神を求めたので、神は彼を非常に栄えさせました。ゼカリヤが受けた啓示と、必死に神を求め続けたウジヤの心との間には、深い関係がありました。天へ通じる道を会得していたゼカリヤを見て、ウジヤは自分ももっと神を求めるようになり、結果として、彼をイスラエルの最も偉大な王の一人にしたのです。
同じ歴史の資料によりますと、ゼカリヤはウジヤが40代半ばのときに死んだということです。ウジヤ王の心にプライドが起こり、祭司たちが止めるのを聞かないで、神殿で香を不遜にも焚ことしたのは、その頃でした。残念なことに、この神の偉大なしもべは致命的な間違いを犯してしまい、それで命を落としました。ゼカリヤが神からのヴィジョンによって得た霊的理解を王に与えていた間は、ウジヤは正しいことを行っていました。啓示の油注ぎがなくなったときに、間違いが起こってしまったのです。
しかし、彼の犯した間違いにもかかわらず、ウジヤは聖書の中で「神の礼拝者、創造的な発明や軍事的にも天才的であった偉大な王」として記録されています。疑いもなく、それらの才能は、ゼカリヤや王自身が天からの知恵を求めたゆえに与えられたのです。
先の世代から学ぶ
ウジヤに代わって治めた彼の息子であるヨタムについて、非常に興味あることが書かれています。第二歴代誌27:2に、「彼(ヨタム)はすべて、主の目にかなうことを行った。父ウジヤが行ったとおりである。ただし、彼は、主の神殿にはいるようなことはしなかった。」と書かれています。
ヨタムは、父が行った正しく立派なリーダーとしての良い部分は全部見習いましたが、それと同時に父の間違いを見て、それをどうすれば避けることができるのか、ということも学びました。聖書には、ヨタムは父がした正しいことはすべてしたけれども、神殿に香を焚きには入らなかった、と書かれていますから、彼はしっかりと父の失敗から学んだのです。彼は父がらい病を患って苦しんでいる姿や、身体が蝕まれているのを目の当たりにしたに違いありません。そして自分が王である間、決して同じ間違いはしないことを心に決めたのです。私たちは、自分で植えたのではないぶどう畑で収穫を始めるときには、ヨタムと同じように、先人の良いところは見習うという態度を持たねばなりません。
現代のモデル
今の世代のクリスチャンたちが、前の世代のリーダーたちの経験から学び、熟慮し、熱心に見習うようにと、主がこの聖書箇所を預言的な型として、最近、私に示してくださったのです。残念なことに、前の世代の素晴らしい神のしもべたちに関する本は、彼らが犯してしまった失敗や間違いにばかりに焦点が当てられ、ひどい非難や批判をあびせているものがほとんどです。その結果、今の世代のクリスチャンが彼らから受け継ぐべき良いものまで、重要視しないようにさせてしまっています。勿論先人が犯した間違いに目をつぶれ、というわけではありません。ヨタムに倣って、その間違いから学び、同じ間違いをしないようにしなければなりません。
最近、聖霊が私にこう言われました。「何事でも尊敬しないより、尊敬したほうが、あなたはずっと霊的に成長します。」 ウジヤの致命的な間違いにもかかわらず、彼は偉大な王として記録されているのです。そして息子は間違いからも学んだのです。
私たちが「後の雨のリバイバル」を導いたリーダーたちの人生について調べるときには、このような姿勢をとるべきだと思います。彼らは神の栄光を大いに表わすと共に、人間的な過ちも犯しました。私たちは彼らがした正しいことは見習い、落とし穴は避けねばなりません。
生まれながらの敗者が勝者となる
「後の雨リバイバル」で最も顕著に奇跡を起こしたのは、A.A.アレンでした。この偉大な伝道者を個人的に知っていた人たちに沢山会う幸いを、最近、私は得ていますが、彼らはアレン師について非常に暖かい語調で語ります。彼はこのリバイバルの中で最も不名誉を着せられたリーダーの一人ですが、天の記録には勝利の人生、正しいリーダーとして記されると私は信じます。
彼は人生の終わりに間違いを犯したかもしれませんが、彼と全く同じ状況の中に置かれた人でなければ、誰も彼を裁くことはできません。何千人という人たちが彼の働きによって、今天国にいるのです。またおびただしい人たちが、そのうちの多くに私は会ったのですが、癒され今も生きているのは、彼が神の奇跡的な救いの力を流す管となったからなのです。
私は彼の人生を調べたのですが、彼がミニストリーを始めてすぐのころ、彼は主の訪れ、ヴィジテイション、を経験しています。彼はその頃は伝道者としてまあ