23 2月
殉教者の祝福 ローレン・カニングハム 2008年2月23日
殉教者の祝福
ローレン・カニングハム(Making Jesus Lord からの抜粋)
「何の代価も払わなくてもいいキリスト教は、即ち、何の価値もないキリスト教だ。」という言葉を聞いたことがあります。イエスご自身は、「主の命令に従うものは天の父に愛され、必ず偉大な奇跡を見るであろうが、それと共に迫害と艱難をも受けるであろう。」と言われました。
ワイワム(ユース・ウィズ・ア・ミッション)創立から最初の16年間は、世界中で何千人というワイワムの若者が危険を伴う状況の中で働いていたにもかかわらず、命を落とす者は一人も出ませんでした。
アナリーとマリアという二人のフィンランドの女性はザンビアの村に宣教師として住みはじめ、土間に敷かれた藁の上に寝袋をおいて寝ていました。一週間の間、寝るときにいつも片方が「何か聞こえない?」ともう一人に確かめました。というのは、微かな物音が聞こえたようだったからです。すると、もう一人が「何も聞こえないわ、大丈夫よ。」と答えて眠りについていました。一週間経って、二人は小屋の掃除をすることにしました。すると彼らが寝ていた場所の藁の下にコブラの巣があるのを見つけたのでした!
また、交通事故も何回か起こりました。車が何回転もするような、死者が出ても不思議ではないような事故の時も、誰一人死にませんでした。バハマのロング・アイランドで、みんなの乗っていたバスのブレーキが突然きかなくなり、道路から落ちてあわや、大木に激突するという瞬間、急にその数インチ手前で止まったのです。みんながバスから降りて見てみると、太い蔓が車軸に何重にも絡んでしっかりとバスをひきとめていたのでした。
16年の間には急病人も出ましたが、医者が必ず間にあうように見つかったり、人里離れたところでもたまたまそこにパイロットが飛行機を着陸させたので、病人を運ぶことが出来たりしたのでした。ワイワムの働き人たちは、宣教活動をして逮捕されたり投獄されたりはしましたが、1960年から1976年までは、全く一人も死ななかったのです。何千人もが働いていましたから、統計学的に言っても誰かが自然死したり、事故で死んでも当然でした。しかし、誰も死ななかったのです。私たちは不思議な世界に住んでいるようでした。
そして1976年に、主が私に語られたのです。その時までワイワムが基礎固めをしていた期間、主は私たちの上に特別の守りを下さっていたけれども、これからは死者も出るであろう、と主は告げられたのです。そして、やがて私たちはキリストのために迫害され殺される殉教者たちも見るようになったのです。
私は主からのこのメッセージを、その年の7月にモントリオールのオリンピック大会での伝道のために集まっていた1600人のワイワムの働き人に話しました。そしてそれから6ヶ月のうちに、最初の二人の死者があり、その後も死者は出たのです。フィリピンで3人の宣教師が殺害されましたし、アフリカでは熱帯病のために死者が出ました。死者が出ると私は遺族に電話をして、その方の愛する娘や息子、又、父や母の死を伝えなければなりませんが、その時の私の心の痛みはいつも大きいのです。
主の軍隊の兵士の中に死者が出ないとは、主は決して約束しておられません。イエスは弟子たちを伝道に遣わすときに、主と福音のために彼らは死をも経験するであろうと言われました。人のために命を捨てることほど大きな愛はない、とも言われました。また、地に落ちた一粒の麦のように、落とされた命は人のために100倍の実を結ぶであろうと言われました。
マイクとジャニス・シェリングは殉教者となった夫婦でした。マイクはニュージーランドの出身、ジャニスはアメリカのミネソタ州の出身でした。彼らはワイワムのフィリピンの働きの中で知り合い、恋におちて結婚しました。そして、フィリピンの山の中で2歳の娘と3ヶ月の息子と共に暮らしていました。その近くに住んでいる部族に福音を伝えるチームのリーダーとして働いていたのです。
ある夜、マイクとジャニスは彼らの家で殺害されました。翌朝、宣教師の仲間が血に染まった彼らの死体を発見しました。3ヶ月の赤ちゃんは2階のベビーベッドの中に無事でいました。2歳の女の子は母親の死体の上で眠っているのが発見されました。多分、彼女は夜が明けてから両親を探しに階下におりてきて、母親の体を見つけたのでしょう。この事件の犯人は見つかっていませんが、残された証拠から、多分、彼らが宣教しようとしていた部族の中の一人の仕業であろうと考えられています。
マイクとジャニスの訃報を聞いたとき、私はニュージーランドにいました。私は押しつぶされそうに感じました。2歳の子供が母親を探してあて、その上で丸くなって眠っている姿が脳裏から消えませんでした。私は主に叫びました。それは、特別の守りを取りさると主が告げられてから9年後のことでした。
「主よ、あなたの守りはまったく無くなってしまったのですか?」と私は主に叫びました。それから数日後に、主への問いかけに対するドラマティックな答えを私はいただくことができたのです。
7人の医療関係の働き人がカンボディアとの境界線にそってタイ側をワゴン車に乗って次の任務地へと走っていました。突然、黒装束のゲリラたちが道に踊り出てきて、機関銃で車に銃弾を浴びせてきました。明らかに境界線あたりで戦っている徒党の一群と彼らを見間違えたようでした。私たちのメンバーは車の床に伏してじっとしていましたが、窓という窓はすべて壊され車体も蜂の巣のようになりました。伏しているみんなのすぐそばを銃弾が音をたてていくつも飛んでいきました。
やがてすべてが静かになったので、みんなが車からそっと出て調べてみると、怪我をしたのは一人だけで、それも頭を銃弾がほんの軽くかすっただけでした。みんなは自分たちの車を見て驚きました。車体は穴だらけで、座席はすべて弾でずたずたにされ、エンジンも壊れていました。それなのに、彼らは全員無事だったのです。私がこの報告を聞いたとき、それは主が「ローレン、ほら、わかっただろう。ワイワムの人たちはまだ私の守りの中にいるんだよ。」と言われているように感じました。
ヘブル人への手紙の11章は偉大な信仰の章です。そこには命を得る信仰、紅海を分ける信仰、富を投げ出す信仰、エリコの城壁を崩す信仰、ライオンの口をふさぐ信仰等を持っていた人たちのことが書かれています。また偉大な信仰をもって死に面した人たちのこと、即ち、石打に