27 3月
主の軍隊の召集 リック・ジョイナー 2008年3月27日
主の軍隊の召集
リック・ジョイナー
人々を集める「動員の油注ぎ」について考えてみるとき、動員する数と油注ぎがどのような関係にあるかをも理解せねばなりません。バプテスマのヨハネの油注ぎは、ユダヤ全土から人を集め、主のための備えをさせるものでした。しかし、ほとんどの者は初めから大勢の人を集める能力をもっているわけではありません。ヨハネのミニストリーも、多分最初はそれほど大規模なものではなかったことでしょう。多くの場合、大きな権威を与えられる前に、まず小さなことに忠実であることを私たちは学ばなければならないのです。
世界的に見て非常に大きい教会やミニストリー、又ムーブメントも、初めはすべて12人くらいが集まって祈ることから始まりました。もし、私たちに動員の油注ぎがあるとしても、それは多分非常に小さなグループから始まるでしょう。小さなグループの時にどれだけ忠実であるかによって、主が私たちにどれだけ権威をもっと与えてくださるかが決まると思います。そして、多分それは少しずつ増えていくと思います。私が「思います」というのは、あくまで主がすべての主権を握っておられるのであり、いつもそうされるとは限らないからですが、普通、主はそのようにされます。
いつの時代においても、小グループを集める油注ぎのある人、あるいは数百人とか数千人、又はそれ以上を動員する油注ぎを受けている人たちがいます。自分たちにとっても、また他の人に関しても、それが真理であることを悟るならば、多くの人たちがフラストレーションから守られ、又、人々を動員するどころか散らしてしまうような失敗を犯すこともなくなるでしょう。神があなたを300人の牧師として召しておられるならば、あなたが様々な手段で教会をもっと大きくしようとしても、いろんなことが起きて、結局あなたは300人の牧師に戻るでしょう。その反対もあります。あなたが5000人の教会の牧師として神から召されているならば、教会の分裂やその他の問題が起こって、一時、教会が小さくなったとしても、また5000人に戻ることでしょう。
ですから、もし私たちがリーダーとして召されているのであれば、主は何のために自分を召されたのかを理解し、自分が置かれた場所で満足し、そこで最善を尽くすように決意する必要があります。小さいことに忠実であるならば、定められた時に主はより大きな権威を私たちに与えてくださいます。私たちは自分で自分を昇進させるのではなく、主が昇進させてくださるのでなければならないことをはっきりと知るべきです。神が与えられたのではない影響力を自分の力で得るとすれば、必ず問題を引き起こします。そのようなことは知恵のある者ならば何としても避けたいと思うはずです。ポイントは主に従順であるということです。役に立たない将軍であるよりも、才気ある有能な中尉である方がずっといいのです。
私たちのミニストリー(モーニングスター・ミニストリーズ)の仕事の一つは、色々なカンファレンスを開催することですが、それにもこの真理が当てはまることを学びました。私たちが開催するカンファレンスの多くは、クリスチャンをあるミニストリーのために調えたり、御霊の賜物を分与したりするものです。私たちはカンファレンスを宣伝する方法を知っていますし、確かに以前は何千人もの参加者がありました。しかし、聖徒たちを整えるためのカンファレンスは、小規模の方がよいということが分かったのです。私たちのゴールはただ沢山の人を集めることではなくて、参加した全員が変えられ、強い影響を受け、カンファレンスが終わるときには、以前よりもっとキリストの力強い働き人、メッセンジャーとなって遣わされていくということです。それと異なる種類のカンファレンス、特にキリストのからだの交わりやミッションや伝道への思いを促進させるためのカンファレンスの場合は、大きいほどよいのです。
このことをお話している一番の理由は、クリスチャンのリーダー達が今まで犯してきた悲惨ないくつかの間違いについて、共に考えてみたいからです。その一つは、神が定めてはおられない目的のために、神の民を何度も何度も動員してきたことです。第二は、正しい目的のためではあるけれども、間違った霊でクリスチャンを動員してきたことです。第三は、敵の要塞を砕くために人々を訓練し、調え、教育するために動員するのではなくて、動員すること自体を目的としてしまったことです。このような間違いはすべて、人々に多くの幻滅をもたらし、落胆させました。落胆とは勇気をなくすことですが、勇気こそすべて勝利する軍隊にとって、もっとも大切なエネルギーの源となるものです。
動員の効果的な方法を知っていれば、大勢の人を集めるのはそんなに困難なことではありません。ですから、私はずっと前から、教会やミッション、ミニストリーがただ大きいからという理由で感銘を受けることはなくなりました。本当の問題はその実です。大きなグループだけれど人々は世話がやけ、力がなく、その働きは小さなグループより少ないということもあるのです。私たちが人々を動員したいと願う理由は、福音のための効果的な力を立て上げ、神の御国を伝えるためでなければなりません。
集まって来た人たちを効果的に備え、調え、導くことが出来る人にこそ、私たちは従っていくべきです。大きなグループや教会でもこのようにしているところもありますが、それは稀です。使徒行伝19章32節に、自分たちが何のために集まったのか分からない人たちが混乱していることが書かれています。はっきりした目的もなく集まることは、大抵の場合、人々を混乱に落としいれます。
教会のヴィジョン
アメリカのクリスチャンの半数以上が、どの教会にも所属せず礼拝に出席していないと推定されています。これは悲劇的なことです。しかし、彼らを教会の生きた交わりに連れ戻そうとする前に、現在の教会の状態を見てみる必要があるのではないでしょうか。もし半数以上のクリスチャンが所属したい教会を見つけられないとすれば、もしかして半数以上の教会がキリストによって与えられた基本的な命令から、なぜか離れてしまっているという可能性はないでしょうか? クリスチャンが教会の交わりから離れてしまう理由は沢山ありますし、その中で正当性のあるものはほとんどないかもしれません。しかし、多くの教会がキリストをもはや真のリーダーとして立ててはいないこと、そして、人々にはそれがちゃんと判ることも私たちは認めねばなりません。
神の民を集めることは重要です。