04 4月
預言的ワーシップ(1.) ローレン・サンフォード 4月4日
預言的ワーシップ(1.)
ローレン・サンフォード
ワーシップはただ歌を歌えばいいというものでは決してありません。ワーシップとは、神と人間との間で行われる大きな取引とも言うべきもので、愛し合う両者の間で情熱的に愛と力を受け取ったり渡したりする(ギブ&テイクする)素晴らしい交歓です。今日のキリストのからだである教会の多くが、ワーシップをただ説教を聞くためのウォーム・アップに過ぎないかのように取り扱っているのはなんという悲劇でしょうか! 多くの教会が、全体の礼拝を一時間以内におさめたいので、長い説教の前に2つくらい歌を歌うだけでワーシップをしたことにしてしまっています。なんと勿体ないことでしょうか!
本来、ワーシップとは神の御前で個人的に主と交わるものであり、それだけで十分完全なものであり、そこにずっととどまり続け、味わいひたるものなのです。私は自分の説教の価値を低いとみなしたり、それをおろそかにすることは決してありませんが、実際に教会の中でワーシップがしめる位置は、少なくとも御ことばの説教と同じだけの重要さがあると信じます。事実、ワーシップは説教と同じほど考え方や思想を伝える力を持っているのです。
ワーシップには少なくとも二つのレベルがあります。一つのレベルは、神との親密な交わりの時であり、自分を捧げ主を崇めるものです。もう一つのワーシップのレベルは、力強い預言的なもので、人々の人生を変える力を持っているものです。実際のところ、私たちが今生きている時代は預言的な要素のあるワーシップを求めていると思います。本当の預言的ワーシップが教会に起こり、周りの社会にも強い影響を及ぼすスタイルで力あるワーシップがなされなければ、今のままでは社会を変革していくリバイバルは起こらないのではないかと思います。
第一歴代誌25:1「ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。…」
ダビデと軍隊の将軍たちは、預言的ワーシップをさせるために、その能力のある人々を選び任務につかせました。 祭司ではなく、ダビデと軍隊の将軍たちが音楽に合わせて預言をする音楽家を任命したのです。軍隊の将軍たちが、何故ワーシップのための組織つくりに関与するのか、いぶかしく思われるのではないでしょうか。しかし彼らの考えていたワーシップは普通のものとは全く違いました。それは預言的ワーシップだったのです。
将軍たちがワーシップのために音楽家たちを任命したのは、明らかにそれを軍の戦略的行動として捕らえていたからです。それは戦争に勝利するためには不可欠なものでした。彼らは、肉の目で見える戦いと、霊的領域での目に見えない戦いとは実に同一の戦いであり、一つの戦いの両面であると考えていました。目に見える戦い、戦闘、攻撃は、単に霊的領域での真の戦いの反映に過ぎないと、彼らは信じていたに違いないのです。
もしこれが本当ならば、私たちも目に見える世界で戦いに勝つためには、まず霊の戦いを絶対にしなければならないことを理解する必要があります。戦いがどこでなされようとも、また、それが何のための戦いであろうとも、これが真理であるはずです。目に見える世界で何かを達成しようと思うならば、まず、それは霊の領域で祈りによって達成されねばならないのです。ダビデは敵を克服するためには、まず、霊的に敵を打ち負かす必要があることを知っており、そのために預言的ワーシップをする者たちを任命したのです。
もしあなたが主の用意してくださった新しい仕事を見つけたいならば、どうぞ探してください。しかし、それはすでに達成されたと霊で感じるまでワーシップをし、祈り通してからでなければなりません。主があなたに与えてくださる結婚相手をどうぞ見つけに出かけてください。しかし、実際に探し始めるのは、ワーシップと祈りによって霊で事を成し遂げ、あなたの行く道に邪魔物がなくなってからでなければなりません。神がすでに何かを成し遂げてくださったという平安をまず見つけて、それから神がしてくださったことを自分のものとするために出かけて行きなさい。
あなたは不正な雇い主と談判をする必要があるかもしれません。しかし、まず、霊的に何かがすでに達成されたとか、何かが動き始めたと感じて平安を得るまではワーシップし祈り通してください。あなたは神の御前で正しい安息の場所に行き着くでしょう。その安息と勝利の場所に行き着くことは、預言的ワーシップの一つの働きであり、 物事を霊の世界でリアルなものとし、目に見える世界でそれが実現するようにするのです。
ある人たちは毎日つらい環境で仕事をしています。そこではあまりやさしくない人やあまり正直でない人が権威のある地位についています。また、ある人たちは、結婚生活に問題があり葛藤しています。また、ある人たちは子供たちを非行から守るために毎日戦っています。また、ある人たちは、神が自分の町にリバイバルを起し教会の目を覚まし、人々を救ってくださるようにと願っています。
これらの状況はすべて戦いを意味しています。祈りは戦いに勝利するための一つの武器です。信仰に固く立つこと(エペソ6章)も大事なことの一つです。悪霊を叱責することは多分最も小さな仕事でしょう。しかし、今までで分かった(またこれからもそうだと思いますが)霊的戦いの最も効果的な形は預言的ワーシップなのです。私たちがまことのワーシップの中で主の栄光を称え、主が私たちを御臨在に引き寄せてくださるとき、誰も想像も出来ないほどの計り知れない力が流れ出します。そして、その中には敵は宿ることができません。 いかなる状況の中においても、又、どのような問題に面したとしても、主の民がそのとき主を礼拝し崇めることを心に定めるならば、それは戦いが実際に始まる前に敵の陣地に巡航ミサイルを撃ち込んで敵の力を砕くようなものです。それ故にダビデの軍隊は霊的な戦いに勝つためにワーシップをする礼拝者を任命し、勝利を得たのです。これはまさに戦略的な作戦でした。
私たちの人生に問題が起こり戦いが始まったときに、「教会に出かけてワーシップをするのをやめて家にいよう」と、私たちがまず衝動的に思うのは、考えてみれば当然ではありませんか?しかしそれは敵がささやく声なのです。人々と一緒にワーシップをすることから遠ざかるのは、まんまと敵の手に落ちるということです。なせならば、あなたが敵の声に従ってワーシップをしな