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Walk With God Ministries

25 7月

リバイバルは始まったばかりです リック・ジョイナー 7月25日


リバイバルは始まったばかりです

リック・ジョイナー

先日の日曜礼拝で、出席者に対して次の質問のアンケートをとりました。
1.リバイバルを通してイエスを信じた人は?
2.クルセードや伝道集会を通してイエスを信じた人は?
3.クリスチャン・テレビを通してイエスを信じた人は?
4.友達や親戚の証を通してイエスを信じた人は?

その時の礼拝には千名ほどがおりましたが、結果は次のようなものでした。
1.3人
2.7,8人
3.4,5人
4.その他の全員

私はこれまでも同じ質問を多くのクリスチャンの集会、教会、カンファレンスでしてきたのですが、結果は基本的にこれと同じでした。
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この結果からまず初めに引き出せる結論は、一番効果的な伝道の力は活気のある教会が持っているということです。教会が励まされ元気になると、みんなが自分の信仰を友人や親戚に証しするようになります。そして、これこそすべての伝道方法の中でも飛びぬけて効果的なものなのです。


「新しく人が救われてこないならば、それは真のリバイバルとは呼べない」と多くのクリスチャンが言っているのを私は知っています。また社会に影響を与えてトランスフォーメーションを起こさないならば、それは真のリバイバルではないとも言われます。私もこの意見に同意するものです。しかし、真のリバイバルかどうかを本当に正しく判断するためには、長期間に亘っての成果を見てゆく必要があるのです。

もしリバイバルが教会をリバイブするだけだとしても、それはすばらしいことです。リバイバルを伝道集会にするよりも、教会がリバイブされたほうが多くの魂が救われることになるでしょう。同じように、第二次霊的大覚醒のときのようにリバイバルを政治的な働きにするよりも(第二時霊的大覚醒のときはそれが南北戦争へと進展していきました)塩気をとりもどした塩によって社会はもっと大きな影響を受け変革されるでしょう。


リバイバルに本来の役目を果たさせることによって、政治的にも社会的にも大きな影響を与えることができるのです。勿論、民主主義社会の中で私たちは機会を与えられているのですから、政治的にも参加するべきです。これはクリスチャンの権利というよりはむしろ義務です。しかしながら、リバイバルは直接的な政治行動のために与えられているのではなく、間接的に都市、州、あるいは国を神の義へと正していくものです。


「リバイバル 」という言葉は「リバイブ」から来ていますが、それは教会に再びいのちを与えるとか、あるいは、死んでいる教会を甦らせることを意味します。これはいろいろなレベルで起こります。眠っている教会の目を覚まさせることや、全くいのちが無いけれど霊的ライフサポートによってかろうじて生かされている教会を甦らせることまであります。一つの教会で起こるかもしれませんし、その地区の教会全体、しいては世界的なキリストのからだに影響を及ぼすこともあります。


リバイバルが来るときはそれが本当に必要とされていたのであり、それは私たちの必要を満たすために神が与えてくださる恵みです。私たちはそれを大喜びで受け取り、その波にうまく乗ってできるだけ遠くまで行くべきです。しかしながら、それが神のムーブメントの最終的なものではなく、むしろ始まりであることを、常に心に留めておかねばなりません。教会がリバイブされたならば、それからすべき仕事が沢山あるのです。そして教会が果たすべき仕事をキチンとするならば、もう再びリバイブされる必要はないはずです。
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リバイバルが送られる目的が教会をリバイブするという性質上、それは人生で最も私たちをわくわくさせる、エクサイティングなものの一つです。この理由で、多くの者がリバイバルの雰囲気の虜になって、そこから離れたくなくなってしまいます。それは理解できることではありますが、私たちが本当に成熟するためには、ある時点でそこから離れることが、普通、必要とされます。

私たちが求めるべきことはリバイバルの雰囲気ではなく、神に近づくことです。リバイバルの雰囲気とは、主の臨在に加えて大勢の人から出る偉大なエネルギーです。これはリバイバルにとって正当なことですが、人間的な興奮も伝染するものだということを認識していなければなりません。クリスチャンたちが再びエキサイトするのを見るのは大変すばらしいのですが、このエキサイトメントはそれで終わるのではなく、生活の中で神の御心に従うという実を結んでいかねばなりません。

歴史上最も偉大な神のムーブメントで永続的な実を残したものの中には、リバイバルを出発点としていず、今のリバイバルの定義にはあてはまらない経過をたどったものがあることを、私たちは忘れてはなりません。その一つはモラビアンでしょう。彼らはおそらく教会史上のどのムーブメントより永続的な実を残し、キリストのからだと社会全体に最も広く影響を与えました。

確かに彼らは「モラビアン・ペンテコステ」と呼ばれるものを経験し、聖霊が「ペンテコステの日」のように彼らの上に降りました。しかし、彼らは世界で最も困難な場所で骨を折って常に働き、その実は当時の他のムーブメントと比べればほんのわずかなものでしたが、それを蒔いたのです。そして、彼らが蒔いた種は、過去数百年にわたり、第一と第二の大覚醒、近代のいくつかのミッション、偉大な祈りのムーブメント、そして現在に至るまで様々なものを生み出してきたのです。全く多くの実ではありませんか!


ヴァンス・ハヴナー師(1901-1986)はリバイバルをデパートの大セールにたとえました。大セールは広く宣伝され興奮を呼びますが、これがデパートの通常の商売ではありません。通常の商売は毎日の忠実な商品の商いです。それと同じように、リバイバルは教会の中で最も報道されエクサイティングなことであり必要なことですが、それは教会の働きの中の小さな部分でしかありません。大セールはやがて終わりますが、デパートがなくなるわけではありません。リバイバルが過ぎていくとき、リバイバルによって生まれたモーメンタムは失わないで、私たちも同じように日常の仕事に戻らねばならないのです。


それはともかく現在私たちはリバイバルを迎えていて、しかもそれは始まったばかりですし、このリバイバルのピークを見るのはずっと先のことになるでしょう。私が信頼している預言者たちの言葉によると、このリバイバルは三年続くといいます。それはリバイバルとしては長い期間と言えます。しかし、リバイバルが終息 しても、すべてが終了するわけではありません。もし私たちがその次の段階にうまく移行できれば、神の御業は止まらずにもっと高くもっと深く変化しながら進んでいきます。絶えず変化していくのは、幼児が成熟した大人になるまで絶えず変わっていかねばならないのとちょうど同じです。


高い軌道にのる

この移行が知恵と戦略をもって遂行されるならば、私たちはリバイバルが終息するときに後ろ髪を引かれるような思いはなく、むしろ新しい何かにむかって進むという期待感を持つと思います。この移行の過渡期を知恵と戦略を持って進むためには、まずリバイバルを中途半端に終わらせてしまうのではなく、リバイバルがそのすべての任務を成し終えるのを許さねばなりません。

何年も前のことですが、夢やヴィジョンや御ことばを通して、私たちのミニストリーは発射されたロケットに喩えられてきました。この喩えは正確なもので、ミニストリーが辿ってきた各段階を通じて非常に私たちの役に立ったことが証明されました。そしてこの喩えが今キリストのからだ全体に訪れていることにも適応すると思います。

ロケットの発射直後と同じように、ロケットが次の段階に切り替わる所に到達するためには「ブースター」の燃料はすべて燃やされねばなりません。リバイバルは単に最初の段階かもしれませんが、私たちが召されている軌道に乗るためにはその段階が途中で止められたり、次の段階に時期尚早に火がつけられたりしてはいけないのです。


もし最初の段階、即ち教会を生き返らせ励ます段階がその目標を達成するならば、次の段階、即ち失われた魂の救いは、今その第二段階を早急に始めてしまうよりもずっと大きな成果があるでしょう。現在、多分そしてこれから 2,3年の間は、この教会を励ますことが私たちにできる最も重要な仕事でしょう。もう一度申しますが、世界で一番効果的で力ある伝道は、勇気づけられた元気な教会なのですから。

私たちはサタンからの圧迫を受けて悩みがあったり病気だったりすると、力を奮い立たせることは困難です。ですから今日教会のために癒しや奇跡、開放が強調されるのは大変重要なことなのです。やがて時が来れば教会は癒され、私たちは次の段階に進むことができるでしょう。そして癒された者たちが今度は失われた魂の癒し手になるでしょう。

それと同じように、ロケットの第二段階は、私たちが召されている軌道に届くための第三段階に移行する前に、完全に燃やされねばなりません。第三段階とは社会のトランスフォーメーションです。この段階に正確な速度と高度で入ることは大変重要です。これが今起こっていることの最大の目的だからです。

黙示録にある終わりのラッパ、あるいは神のメッセージは「われわれの神は王となられ、すべ治められる。」(黙示録19:6参照)、即ち、御国の福音です。この福音は一世紀以来語られていませんが、主が再臨されるまでに世界中で語られねばならないことです。教会はこの福音を語り、しかも御国の力を持って実際に生活している立場から語るために、いま調えられているのです。つまり主の道を備えるために備えられているのです。

主は来られます。主は地上に主の御国を建てられ、御心が天で行われるように地でも行われることを実現されるのです。イザヤ40章にあるように、主の道を整えるとは、大路、ハイウェイを作ることです。神のハイウェイは「higher way より高い道」であり、主に到達する道です。このハイウェイや御国の福音のついてはいずれ詳しく述べたいと思いますが、今は神がしておられることを理解し、その恩恵を十分に受けることが大切です。

すでに述べたように、早まって第一段階を放棄して、ロケットが必要なスピードと高度に達する前に第二段階を点火しようとすると、目指す目標に達することは不可能になります。これは第二段階から第三段階への移行に関しても同じことが言えます。多くの人が第二と第三段階のために調えられていますから、彼らが早く自分の仕事をしたいと思うのは無理もありません。しかし、彼らも、そしてまた教会も、そのときが来るまでは本当にはまだ整えられてはいないのです。

現在神の第一段階の働きの火が燃え続けていますから、このロケットはより速くより高く飛んでいくことが期待できます。より高いとはもっと偉大な奇跡という意味であり、より速くとは奇跡がもっと速く起こるということです。私たちが横に逸れずに進んで行き目指す軌道に到達するならば、これからの教会はこのような奇跡が起こるのが普通のこととなるでしょう。

揺り動かし

私は宇宙飛行士を何人か知っていますが、皆がロケット発射のときのすさまじい揺れについて話してくれます。初めての人はひどい振動でロケットがばらばらになってしまうと感じるかもしれません。現在起こっていることは、ある大いなることが打ち上げられたのであり、全教会が揺り動かされることが予測されます。それは教会がばらばらになってしまうのではないかと多くが疑念するほどです。そんなことにはなりませんが、私たちにはこの揺り動かしが必要なのです。ヘブル12章で言われているように、すべて揺り動かされるものは揺り動かされて、神からのものだけが残るのです。神からのものは揺り動かされた後にも必ず残ることは確かです。

発射されたロケットの喩えを使えば、現在の神の動きは発射台を離れたか離れないかというところで、第一段階が終了するまでにはまだ長い道のりがあります。揺り動かしは更に激しくなり、第一段階の期間中続くでしょう。第一ブースターが燃え尽きるころには、揺れは少し納まるでしょうが、私たちが目指す軌道についに到達するまではなくならないでしょう。


多くの揺り動かしは迫害の故ですが、そのほとんどは宗教的な人々からのものです。歴史を見ると、新しく始まった神のムーブメントに対する迫害は、その一つ前に起こったムーブメントのリーダーたちから起こされます。この大いなる悲劇は過去のリーダーによって達成された多くの実(それは彼らが迫害する新しいムーブメントに備える助けもしたのですが)を疑いもなく帳消しにしてしまいます。この悲劇は往々にして避けることができません。それは堕落の前にプライドが来るからであり、神に大きく用いられた器がプライドという最も恐ろしい罠を逃れることはほとんど不可能なのです。プライドは容易に嫉妬心を抱くものです。イエスが十字架につけられたのは嫉妬心故だと書かれています。(マルコ15:10)一番小さな者にするのは主

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