11 8月
終末において花嫁が持つ刈入れのための油注ぎ ポール・キース・デイビス 8月11日
終末において花嫁が持つ刈入れのための油注ぎ その1
ポール・キース・デイビス
約束されたメシヤに関する重要な預言の一つがイザヤ11:1-2にあります。この箇所は、人類に新しい時代を開くメシアに宿る油注ぎを、次のように預言的に告げています。
イザヤ11:1-2 「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。 その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」
神の「七つの霊」という概念はすばらしい奥義であり、地上における主の御霊の働きをよく説明しています。それは三位一体という神の真理と矛盾するものではなく、神の御霊のご性質(特徴)と能力の全部を表している完璧なる表現です。主の御霊は、知恵と啓示、思慮と力、主を知る知識と主を恐れる知識を持っているのではなく、ご自身がそれらの力そのものなのです。
黙示録には「神の七つの霊」という言葉が4箇所に出てきます。この言葉は二つのギリシャ語から成っています。
Hepta 七つ、七重、七倍より成る
Pnewmata 霊、息、風の複数形、人や物体の単数形としても使われる
聖霊が持つ七つの面は、聖霊の特徴(ご性質)を明確にする助けになります。「主の霊」という言葉は聖霊が誰であるかを表し、知恵、啓示、思慮、力、神の知識、神を畏敬する恐れは聖霊が何であるかを表現しています。
黙示録4:5は次のように書かれています。「御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。」
「玉座からいなずま、様々な声、雷が起こった。また玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。」
主イエスのミニストリー
四つの福音書を調べれば、私たちの完全な模範であられる主を通して神の御霊がこれらの力をどのように使われたかをはっきり見ることができます。しかしそれだけではありません!驚くべきことに、主イエスは、父がご自分を遣わされたように、主が私たちを遣わされると預言されたのです。更に、私たちは主がされたのと同じ業をなし、主が父のもとに上られる故にそれ以上の大きな業をすることを、主は強調されました。そして私たちがこの任務を成し遂げるためには、神の七つの霊の油注ぎのすべてを(フルに)いただくことが不可欠なのです。
キリストの花嫁とは、「主の骨の骨、肉の肉」となるものです。からだは頭につながっているべきものです。この終わりのときに私たちは主のミニストリーを完全に遂行し、多くの肢体を持つキリストのからだとして大収穫をもたらすのです。黙示録5:6で、主は七つの角と七つの目(七つの神の霊)を持つほふられた小羊として描かれています。
「さらに私は、御座・・そこには、四つの生き物がいる。・・と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。」(黙示5:6)
七つの霊は主の啓示(七つの目)と力(七つの角)のすべて(100%)を代表し、主が地上でのご計画を達成するために不可欠でした。教会が主と同じわざをしてヨハネ14:12のみ言葉を成就するためには、これと同じ霊の現れが教会の上に留まらねばなりません。主は聖霊と火のバプテスマを授けると約束されましたが、神の七つの霊は火として表されます。
聖化と整えられること
神の七つの霊の油注ぎのすべてをフルに受けるのは、大変大きな責任を意味します。このようにパワフルな霊的力を受けるためには、多くの祈りと準備がまずされねばなりません。そしてこの御霊のマントルを受けたあとは、御霊の導きに完全に忠実に従うことが極めて重要です。終末の油注ぎを受けられるように花嫁を整えるのは、五役者の責任でしょう。使徒、預言者、伝道者、牧師、教師は次のことのために与えられるのです。
エペソ4:12-14 「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、」
私たちの前には私たちが見習うべき霊的な先駆者が大勢いました。彼らは主の油注ぎを豊かに(フルに)受け霊的な成熟を遂げた霊的型です。その一人であるジョン・G・レイクは20世紀の信仰の使徒といわれています。彼は魂の救いと奇跡的な癒しや解放で大きな成果をあげたのですが、その後、9ヶ月の断食と祈りのシーズンを経験し、それによってより深い神との関係に進んだと言っています。そこで彼はキリストの満ち満ちた様を発見し、それによって彼はもっともっと高い啓示と力の領域に押し出され入ったのでした。彼の人生の終わりの数十年のミニストリーにはそのことがはっきり現れていました。
彼が神に全面的に服従をし、彼のいう「キリストの人」(Christ-man)となるまでの過程は、メッセージの中で鮮明に語られています。神の七つの霊は、完全に整えられた人には今でも現実にその人のものとなるのです。そのために喜んで代価を払い、迫害に耐えて成熟し、キリストの身丈にまで成長する人は、今までの教会の中ではほんのわずかの例外的な存在でしかありませんでした。しかしこれからの世代には、このような「神を心から畏れる者の群れ」が起こされるでしょう。志のある者はすべてこの群れに参加するように招かれているのです。
神の組み合わせ
神の七つの霊は二つずつの組になって働きます。知恵の霊と悟りの霊、思慮(カウンセル、助言)の霊と力の霊、神を知る霊と神を畏れる霊は、それぞれ二つずつ組となり、調和して共に働きます。そしてそれらすべての霊は、主の霊の顕れから流れ出ているのです。
御霊の賜物は、それが必要とされるときに、御心のままに振り当てられ分与されます。私たちが賜物を持っているのではなく、必要に応じて賜物が現わされるのです。九つの御霊の賜物はすべて、聖霊に満たされたクリスチャンの内で働くことができます。しかし、神の七つの霊は、明らかにそれより量的に大きな御霊の現れであり、成長し(マチュア)聖化さられたクリスチャンを神の深い奥義や力