25 1月
荒れ果てた「ゆずりの地」(相続財産)を回復する ポール/キース/デイビス 1月25日
荒れ果てた「ゆずりの地」(相続財産)を回復する(1)
ポール/キース/デイビス
新しい年への啓示を願っていたときに私に与えられたものは、新たな預言的約束ではなく、すでに与えられている約束を達成せよという主からの訓戒でした。
確かに私たちに一番必要なのは、今の世に対する新しい約束ではなく、すでに与えられている預言の言葉が実現することです。今までに多くの言葉が語られましたが、成就したものはほとんどありません。しかし、それが変ろうとするシーズンに今や入ろうとしています。
エゼキエル12:22−23に次にように書かれています。
「人の子よ。あなたがたがイスラエルの地について、『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』と言っているあのことわざは、どういうことなのか。それゆえ、神である主はこう仰せられると言え。『わたしは、あのことわざをやめさせる。それで、彼らはイスラエルでは、もうくり返してそれを言わなくなる。かえって、その日は近づき、すべての幻は実現する。』と彼らに告げよ。」
今年目指すべき目標を主に求めたとき、これからのシーズンに成就すべき事柄として、過去にすでに与えられ用意されているいくつかの啓示的メッセージが、はっきり示されました。その多くのものは、 ゆずりの地(相続財産)を回復することと、先人によって導入されたけれどもその時代には十分には用いられなかった偉大な「マントル」に関することでした。
12月(2008年)に私たちのミニストリー(white Dove Ministries)は「癒しの声の回復」というカンファレンスを行いました。ゲストスピーカーはリック・ジョイナー、ビル・ジョンソン、それにトム・デイビスでした。最近のもっとも重要なカンファレンスの一つだったと思います。
かつてわが国に訪れた啓示と力のマントルを回復する力が、今の私たちに整えられた故に、このテーマが強調されたのだと思います。1940年代、50年代に訪れた「癒しの声」のリバイバルは、教会史上最高のものの一つでしたが、残念ながらそれは失われてしまいました。預言者イザヤが当時叫んだ問いは、今も我々に問いかけられているのです。「誰が破れ口に立って『返せ!』と言うのか?」と。
「これは、かすめ奪われ、略奪された民のことであって、若い男たちはみな、わなにかかり、獄屋に閉じ込められた。彼らはかすめ奪われたが、助け出す者もなく、奪い取られても、それを返せと言う者もない。あなたがたのうち、だれが、これに耳を傾け、だれが、後々のために注意して聞くだろうか。」イザヤ42:22−23
本年の前半、私たちはこの召しを達成するために大きく前進するという預言的約束をにぎって、これを強調していくつもりです。
この目標に向かい共に協調して進んでいける人が数人でもいるならば、来年の今頃にははっきりした進歩が見られるはずです。人間的には2009年はテストと試練の年になるでしょうが、同時に神の民のレムナントがきよい心と正しい動機で主を求めて前進する年ともなるでしょう。
荒廃したゆずりの地を回復する
興味深いことに、先の時代の目覚ましい出来事の多くは、荒れ地で起こりました。1960年代に数多くの主の訪れや啓示がアリゾナの砂漠でおこり、それらは現在私たちが直面している状況に直接適用できるものでした。
私たちには荒野のシーズンが少し残されていますが、義人にとっては、実は非常にすばらしい時なのです。荒れ果てたゆずりの地を回復するようにと私たちを整えるために新しい指令が出されたのです。それはイザヤ49:8が文字通り成就される時になるのです。
「主はこう仰せられる。『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。』」
主は我々の手を取り我々を見守り、民の契約となり国々の光となって地を回復し、荒れ果てたゆずりの地を人々が相続できるように、私たちを整えていてくださったのです。
完成への踏み石
この一年で我々が約束の地を完全に勝ち取るでしょうという預言ができるなら本当にすばらしいでしょうが、そうではなく、今年は準備期間が完了し、ヨルダン川を渡る命令を受けとるシーズンであるという方が正確でしょう。ヨシュアも川のこちら側で次のリーダーになる指令を受けたのです。
これからのシーズンには、多くの人が、先人のマントルを着ることをゆるされて任務の指令を受けるでしょう。現在、先の時代の偉大な御霊のアウトポアリングにおいてリーダーとなった霊的な父や母を敬うことが強調されています。彼らは多大な困難を乗り越えてその時代に神の御国を顕したパイオニアたちです。
確かに彼らの中には間違いを犯して失敗した人もいましたが、彼らが土台を築いてくれた故に、私たちは次の大きなアウトポアリングを打ち上げることができるのです。
我々のミニストリーでは、A.A.アレン、アレクサンダードーウイ、ジョンGレイク、ウイリアムブランハム等の癒しのリバイバリストを敬う重要性を強調しています。
この人たちの中には20世紀に最も汚名を着せられた人もいましたが、人々の魂の救いと奇跡のために非常に目覚ましく用いられた人たちです。我々の敵は、先人の欠点や弱さを極端に強調することによって、彼らの証しを効果的に台無しにすることに成功しました。
しかしそれでも、主は彼らのパイオニアとしてのよい働きを認識する人々を用意されました。そして未完成の命令を前進させるように私たちを準備されたのです。
代価を支払う
霊的賜物はカリバリの十字架で贖われた超自然的な恵みの結果です。しかしながら、個人の霊的成長はそれぞれが自分で高価な値で主から買わねばなりません。
「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」黙示録3:18
我々が栄光から栄光へと進んでいくことは常に主の御心でした。しかし残念なことに、教会は、歴史的に見てそれを果たす責任をとって来ませんでした。子どもたちは親がいた場所よりも 高いレベルから出発するべきです。それが聖書全体を通じての伝統と遺産の原則です。
「善良な人は子孫にゆずりの地を残す。罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。」箴言13:22
私たちは再 び ゆずりの地が荒れ果てているのを認めて、今の世代が所有できるようにする機会を与えられています。私たちの前の時代に紹介された 啓示と力のマントルは私たちも手に入れることができます。私たちはどのような代価を払っても神にあるこの場所に到達する必要があるのです。この啓示の重要な点は、この目的のために私たちの前に備えられた「開かれた扉」があることを強調することです。
これからのシーズンにこのマントルを分与するために主の御霊がある人たちを訪れることを、主はいくつかの啓示を通してはっきりと現されました。間もなくリーダーとなる人々の多くは、今は人に知られていない人たちです。しかし彼らは天では知られており、大切な啓示と力を受けるために用意されているのです。
ですから、この預言的約束は、私たちがこのゆずりの地のために必死で戦うようにさせるためのものです。私たちは、エリヤの上にあった油注ぎをエリシャがつかんで受けたように、主の御霊の注ぎを私たちが受けるべくしっかりと主の御前に立つことが肝要です。
最近私は荒れ果てたゆずりの地に関する啓示を主からいただきました。その幻の中で、私は自分が砂漠地帯の山がある場所にいて、大きな価値のある宝を見つけようとして考古学的な発掘をしていました。
すると、昔のリーダーたちによって始められたもので、今日完成すべき啓示が書かれている多くの古い本を掘り出しました。私はこれらの本が金銀よりも価値のあるものと考えました。古いものや比較的新しいものもありましたが、私はそれらを完成することによってすべての私たちがすべき仕事、役目、約束が完成されることが分かりました。
この啓示は、先の世代の人たちによって始められた仕事を私たちが受け継ぐ機会と責任について語っています。ヨシュアがモーセの仕事を完成させたように、私たちも成就されていない約束の完成を担うのです。
恵みと真理が主の栄光を呼び覚ます
砂漠は恵みとまことによって主の訪れと分与が確立されるところです。
「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。神よ。あなたが天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。」詩編57:7−11
私たちに今与えられている機会は、荒野の経験の最後の部分を私たちが喜んで受ける事によって、次に来ることに対して私たちが完全に整えられることです。シェキナの栄光は会見の幕屋の上にくだり、モーセは神と顔と顔を合わせて長時間会うという特権を与えられました。
イスラエルはまだ約束の地には入らず荒野にとどまっていましたが、そこで約束の地を勝ち取るための備えをしていました。今日もそれと同じなのです。これからのシーズンは正しい人たちの間に神と神の栄光が顕れる時となるでしょう。
義人たちが栄光を受けるでしょう。神の栄光のしるしが人々の上にとどまり、彼らは父の御国で太陽のように輝くでしょう。(続く)
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