14 3月
ウイリアム・ブランハムのミニストリー ポール・キース・デイビス 3月14日
ウイリアム・ブランハムのミニストリー
ポール・キース・デイビス
1930年代の初めに、新しいタイプのミニストリーの霊的リーダーとして、一人の画期的な預言者が現れました。彼の名はウイリアム・ブランハムというバプテストの牧師で、ケンタッキー州の山の中で育った素朴で学歴もない人でした。しかしすばらしいことには、神はこの謙虚な男に、初代教会以来なかったような啓示と超自然的な力を与えられたのです。彼のミニストリーの中では奇跡や癒しが起こるばかりでなく、 未来の出来事を驚くべき正確さで預言することができました。それらの出来事は、今では歴史的事実となって記されています。
一連の伝道集会を行ったあと、1933年6月11日にブランハムは回心者のために洗礼式を行ないました。およそ4千人の人びとがオハイオ川の土手に立ち洗礼式を見守っていました。ブランハムが17人目の人に洗礼を授けていた時に、天から琥珀色の光がくるくると舞い降りて来て、ブランハムの上にとどまりました。そこにいた人たち全員がその超自然的なしるしを見ました。目撃者の中には、恐れて逃げ出した人も沢山いましたが、 他の人たちは膝まづいて主を礼拝したのです。彼らは神が真に尋常ではない事をしておられることを悟りました。
この経験により、神はブランハムの人生とミニストリーに先駆者として使命を与えたのでした。「彼はイエスの花嫁として後に出現する人びとのしるし、あるいは、原型であった」とも言えると思います。 これは自らも言っていることですが、彼は終末の時代に主が計画しておられる 新たなものの先ぶれだったのです。というのは、このように超自然的な出来事は、終末における人生やミニストリーには日常茶飯事となるからです。
多くの報道機関が洗礼式での出来事を取り上げ、アメリカとカナダで広く報道されました。ある見出しは「不思議な光がオハイオ川で洗礼式をしていたバブテストの牧師に現れる」と書かれました。ジェファーソンビル新聞の夕刊は、「不思議な星が洗礼をしている牧師の上に現れる」という小見出しをつけました。この出来事が真に意味するところは理解しない人たちも多かったかもしれませんが、それが実際に起こった事実であることは、すべての人が認めました。
大勢の前で現れたこの神の強い力を示す出来事には、天からのある目的があったのです。天がなすことは、目的もなくただ起こることはなく、神の口や手からでる言葉やわざは、むなしく帰ることはありません。今世代の教会のための御国のメッセージが、先の世代に送られたのです。ですから、私たちはそれを完成し成就する責任があるのです。「生けるみことばなるお方」はご自分の花嫁の中にとどまることを願っておられます。イエスは再び人となられ、主の御国と贖いの力とを現されたいのです。
超自然の初期モデル
オハイオ川でのエピソードがそれだけで終わったのならば、私たちは神の力はすごいと感心し、そしてもうその事を忘れてしまってもいいでしょう。しかし、神はこの先駆者の人生にこの後も更に多くのみ業を顕されました。
ブランハムのミニストリーの初期に、彼自身どう理解していいのかわからない超自然的な出来事を彼は何度も経験しました。彼も彼のまわりでミニストリーをしている人たちも、神からの啓示的領域を理解できませんでした。彼らの疑問に少しばかり光を与えてくれたのは聖書だけでした。 当時、神の超自然的領域を経験した者はほとんどなく、残念なことに、 ほとんどのクリスチャンはそのようなことは聖書の中では起こったけれども、今は起こらないと信じていたのです。トランス(夢うつつ)とかヴィジョンという言葉はほとんど口にされませんでした。
第一次世界大戦が終わった数年は、特に困難でした。図書館はあまり利用できませんでしたし、キリスト教関係の資料を手に入れるのも困難でした。ケンタッキーの山間で極貧の中に育ったブランハムには、神の超自然的力が教会の歴史を通してどのように顕れたかを研究するすべは当然ながらありませんでした。それにも拘らず、御霊は将来起こることを彼に語られました。彼は御霊が語られたことを周りの人たちに話しました。そして人びとが驚いたことには、それらの出来事は彼が話した通りに起こりました。又、驚くべき癒しも頻繁に起こりました。
ブランハムが、自分は神から超自然的領域を委ねられたのだという確信とその目的をブランハムがはっきりと理解したのは、1946年5月7日に天使が彼に訪れたときでした。その時この聖なる牧師は、自分が経験している霊的な出来事を理解しようと必死でした。自分が経験するヴィジョンやトランスが神からのものなのか、それとも敵からのものかをはっきりさせようと決意していました。彼は主を深く愛していたので、偽りや 惑わしに自分を委ねることはとても出来なかったのです。
ブランハムはインディアナ州の田舎の森に入りました。食べ物も電気もありませんでした。彼はただ主の前にへりくだりと真摯な心でじっとしていたのです。そして主はご自分のしもべにすばらしい方法で答えてくださいました。一人の天使がブランハムのところに遣わされ、顔と顔を合わせて彼の人生と召しについて語ってくれたのです。この天からのメッセンジャーは、霊的悟りと神からの召命を彼に与えました。
召命
40年代末と50年代にわたって彼はしばしば公の場でこの出来事の証をしたのですが、それによればその夜、数時間の祈りの後、超自然的なことが起こりました。琥珀色やエメラルド色の炎の星のような光が天から現れ、彼の周りを照らしました。それは13年前にオハイオ川で現れたのと同じでした。その時彼のほうに向かって歩いてくる足音が聞こえ、光の中に誰かが立つのが見えました。
聖書の中にあるのと同じように天使が挨拶をしました。「恐れることはありません。私は全能の神の御前から遣わされました。」ブランハムの言葉によれば、その天使は背丈1.8メートル、体重90キロほどでした。オリーブ色の顔、黒っぽい髪は肩のところまであり、白くて長い衣を着ていました。天使の挨拶を聞いた途端、その声は彼が青年の頃やミニストリーの初期によく聞いた声と同じであることがわかりました。
教会史上、神によって定められた転機が来ました。新しい世代に天の超自然的な領域を教え、神の司令を達成するメッセンジャーを主は捜し求めておられたのです。 そして、ブランハムのへりくだりと献身に天が目を止められたことは明らかであり、彼がめ ざましく用いられる扉が開かれたのでした。この世の基が築かれる前から主が計画されていたことがブランハムのために動き始め、彼の人生の目的が成就される時がきたのです。
天使はブランハムに、彼が世界中で神の癒しのメッセージをするために召されていることを告げます。天使は、彼が人びとに信じさせることができるならば彼の祈りを妨げものは何もない、たとえそれが癌であろうとも、と約束しました。ブランハムは彼の世代に、そして私たちの世代に、天の啓示的領域を紹介したのです。これらのしるしと奇跡は、神の超自然的な力への私たちの信仰を生み出す土台となりました。
著しい超自然的力の分与がこのときに起こりました。この分与が行われたしるしとして、彼にはモーセのように二つの賜物が与えられるであろうと天使は告げました。ブランハムが左手で彼の前に立つ人の右手を握ると、その人の身体の状態が示される、これが一つ目の霊的賜物でした。この賜物で彼は病気や悪霊、死に至るような病を啓示的に判明することが出来ました。
ブランハムが正確に人びとの病気や状態を預言するので、それを聞いた人たちの中で神への信仰が高められ、それによって驚くべき癒しや奇跡が起こるのでした。神からの召命を受けた後、最初に彼が行った癒しの集会は、1946年6月14日にミズリー州セントルイスで行われました。即座に創造的奇跡や著しい癒しのわざが膨大なスケールで起こり、神学者たちは教会史上今までになかった出来事であるとそれを評しました。ゴードン・リンゼイがかつて述べたように「癒すのが困難な事例は一つもなかった」のです。どのように重い疾患でも、主がそこにいて癒してくださったのです。
天使はブランハムに、 彼が最初の賜物をへりくだりをもって用いるならば、神は2番目の賜物をくださると約束しました。次の賜物は、人の心の思いや秘密を知ることで、それによって人びとがもっと深いレベルの信仰へと進むように助けることができることでした。
イエスがサマリヤの井戸で女に出会った時にされたように、人の人生や個人的な秘密を告げることは、その人の中に信仰を呼び起こします。人びとは恥や不信仰を克服して、天の啓示的領域に入ってくることができたのです。彼らの応答は今の世代のための預言的モデルなのです。
聖書には、み言葉は生きていて、力があり、心の思いや願いを判別するとあります。(ヘブル4:12参照)見分けの賜物は、単なる「知識の言葉」よりもずっと深く神の奥義に入っていくことができます。それは魂と霊とを分ける膜を主が取り除かれ、すべてのことが露にされるからです。
ブランハムが啓示的見分けの賜物によって機能しているときには、人びとの前に立ち、超自然な洞察力によって、彼らの名前、病気、生い立ち、住所、祈りや願いなど、主だけがご存知であるはずの秘密を告げることができました。そしてそれは人びとのうちに主に期待する強い信仰を起こさせたと、彼の集会に出席していた人たちは証言しています。このような天国からの油注ぎのある場所では、どのようなことでも可能であると、人びとは信じられたのです。
天使はブランハムとの長い会話の中で、沢山のことを話してくれました。ブランハムのミニストリーは、教会史上かつてなかったスケールで神の異なる領域を示しました。その土台となったものは、キリストとの一致であり、主が主の民の中に生きておられ、主が地上におられたときと同じ働きを彼らを通してされたということです。
ゴードン・リンジー(Christ for the Nationsの創始者)は、ブランハムの霊的経験について次のように書いています。「ウイリアム・ブランハムが経験した天使の訪れにより、世界に響き渡ったリバイバルのうねりは確実に高まり、それはまだ続いているのです。」
リバイバルの火を付ける
天使との邂逅によって、ブランハムは啓示と力の更に深い油注ぎを受け、直接、又間接的に何百万人もの人に影響を与え、世界規模のリバイバルを巻き起こしました。何十万という人たちが非常に重い病や死に至る病から彼や彼の後に従った人びとのミニストリーによって奇跡的に癒されました。
当然のことながら、神はその偉大な宝を土の器(人間)の中に入れられるのです。すべての人と同じく(イエス・キリストを除いて)ブランハムも間違いや過ちを犯しました。そうではあっても、彼の啓示的預言は全く正確であり、非常に大切な天の啓示でした。それを過去のものとしないで、その洞察力と知恵を適切に用いて、今日に適応していくことが重要です。私たちは注意深く神のご計画の設計図を明らかにして行かねばなりません。
ブランハムのミニストリーには、神の御臨在がありました。「生けるみことばなる方」が人びとの心の思いを深い鋭さで見分けて、それをブランハムを通して伝えました。彼は個人やグループのための天のご計画と目標をかいま見ることを許されたのです。彼のミニストリーは、現在「生けるみことば」を具現するクリスチャンの様々な働きを予見した先駆的モデルでした。これから起こってくるしるしと不思議は花嫁のリバイバルを解き放ち、それはヨハネ14:12にある「もっと大きなわざ」という言葉によって表されるでしょう。
悟り(理解)を得る
神が過去に施してくださった慈しみについて話すのは常にすばらしいことです。しかし、神がブランハムの世代をどのように取り扱われたのかを理解するのは、そう簡単ではありません。天の真理のための土台は築かれました。私たちはこのようなタイプのミニストリーが今の世代に持つ重要性を悟らねばなりません。これらの出来事はただのリバイバルというよりはもっと深いものであり、即ち終末のミニストリーが開始されたことを示していました。それは聖書で預言されている終末の「定められた世代」を指しています。モーセの時のように、これらのしるしは人びとが信じるために与えられたのです。
神はご自分のパズルの一片一片を多くのクリスチャンに与えられていますが、それらと共にこの敬虔な男に与えられたすばらしいヴィジョンを再び熟考するべき時がきました。ダニエルがエレミヤの預言を調べたように、私たちも彼らの超自然的な経験を深く思考して、それを過去のものとしてだけではなく、今の時代にどのように適応するべきなのかを引き出さねばなりません。また過去の間違いから学び、そこから神の種を抽出し、それを私たちの正直で真摯な心の土壌に蒔き直さねばなりません。
私たちが神から与えられているものを受け取る時がきました。ヨエルの預言にある「