20 3月
チャック・ピアースとダッチ・シーツの対談 2009年3月20日
チャック・ピアースとダッチ・シーツの対談
(対談場所:エライジャ・リスト社、時:2008年12月)
この両師は、それぞれ独立した教会を持つアメリカでも有数な預言的な指導者ですが、六年程前に主の召命を受けてアメリカ全50州を二人で3年間かけて廻り、各州が持つそれぞれの目的と召命を明らかにしつつ預言的とりなしと宣言をして歩くという大変画期的且つ重要な任務を果たしました。その後、二人の親密な関係が持続される中で、昨年2008年はチャックは外に出て世界の国々を廻る一方、ダッチはアメリカに留まり、アメリカの国の使徒的・預言的管理人の一人として重要な霊的責任を果たすと言う、それぞれ離れ離れに活躍して来ましたが、そのような二人が昨年末に会って対談する時に、使徒としてのダッチと、預言者としてのチャックが絶妙に響き合うセナジーが生まれ、まさに聖書的な使徒と預言者が共に働く姿のモデル―そこには主からの権威と力が解き放たれる―を見ることが出来ます。そのことはこの会談で二人共十分に認め合っていました。この会談を全部訳せばかなり長くなるため、今回は私が下記の通り要約してまとめてみました。(坂 達也)
この対談ではチャックが司会者としてダッチに聞くと言う形を取っておりますが、メイン・テーマは、ダッチ・シーツが昨年3ヶ月間、教会において一切の活動を中止し、ワーシップのみに徹するという異例な召命を受け、それを忠実に実行したことでした。
ダッチ「昨年のはじめに、私たちは今『神の義の基本に帰る』ことをしなければならない、と言うことを神に示されました。それは、私たちが霊的により高いレベルに入って、神の新しいことを受けるためには、その前にしなければならないことであったと思います。
ある預言者が訪ねて来て、3ヶ月の間、24/7のワーシップだけ(祈りなさいとも言われなかった)をしなさいと私に語った時、実の処、私は信じられませんでした。第一自分の教会はメガチャーチではなく6-700人ぐらいの教会なので、経済的にも人的にもとても出来ないと思ったのです。しかし日曜日に私がそのことを会衆に話した処、4人の女性がそれが神からの召命であることをはっきりと理解し、彼らは礼拝の後からワーシップをはじめ、夜には他の人たちも加わって翌日も終日、火曜日の午後3時半までの二日半の間休まずに続けた後にそこで一旦中断しました。そしてその夜の集会に再び皆が集まった時に気が付いたことは、火曜日の昼過ぎまで本当に手で触れるほど濃厚にあった主の臨在がなくなっていたのです。そこでその夜全員で4時間主に祈りました。すると主が『わたしは24/7のワーシップをしなさいと言ったはず、だから火曜日午後に教会堂から人が去った時にわたしも去った』と言われたのです。それを聞いて私は24/7で行うのが神の御心であることをはっきりと知って決意し、それを一同が同意した時に主の臨在が戻って来ました。」
チャック「昨年私は、何か新しいことが始まると言う強い期待を持っていました。ダッチが私に連絡して来て24/7のワーシップに入る話を聞いた時、とっさに、これこそ主が2008年の新しいシーズンに入るためにしなければならない新しいことであることが理解できました。
私の教会においては、主に示されてナイト・ワッチ(見張り番)をして来ました。それは教会が一定期間、先ず夜の6時から3時間全員で祈り、しばらくして、次の期間には9時から真夜中の12時まで、その次は真夜中からの3時まで、そして次に3時から6時までと言うように、昔の夜番が3時間交代で城壁を見廻った形式で、教会がナイトワッチをしたのです。これは今までの惰性でやって来た教会形式(生活)からブレイクアウトし、抜け出す目的がありました。ブレイクアウトと言えば、アメリカの学校が何故春休み休暇を取るようになったかの経緯を説明します。それは春になると水疱瘡が流行し、その病を阻止するために学校を一時期休校して流行病の勢いを止める必要があったためでした。それと同じように、今の教会はあまりにもマルタ的になってしまい、何でも自分で考えて忙しくやり過ぎる、そのマルタ的流行病が世界の教会に蔓延し、それを止める必要があるのです。」
ダッチ「私たちは24/7のワーシップを決意をした後、総ての教会の行事予定を変更し、90日間、説教もティーチングも祈祷会も一切しないでワーシップのみに徹するための段取りを整えました。これは言うのはやさしいのですが、実行は本当に過激的な決断と強い意志が必要でした。」
チヤック「それが出来たのは、あなたが何よりも神の臨在を求めたいと言う強いデザイヤーがあったからでしょう。それこそ基本中の基本です。
私たち教会は今まであまりにもルーテインなやり方に慣れ過ぎてしまっていて、突然尋常でない神の命令が来て、今までやって来た総てを横に置いて飛び込むと言うようなこと事態が、過激的信仰を必要とする全く新しい経験ではないでしょうか。」
ダッチ「私は元々ワーシッパーですが、それでも本当に総てを捨ててワーシップだけに没頭するためには、私自身が先ず神の臨在に浸って準備される必要がありました。主は、私個人が先ずサバチカル(休暇)を取り一切の活動から退き、肉的霊的に準備するように言われ、それを実行しました。(ダッチは今までに3ヶ月ものサバチカルを取ったことはなかったと言っています。)
自分自身の3ヶ月の準備の最後には、私はもう何もいらない、主と共にいられればそれだけでよい、と言う思いになりました。その後に教会として3ヶ月のワーシップに入ったのですが、それをやり遂げた時、私自身全くリフレッシュされ、新たな油注ぎと新しいマントをいただきました。ちょうどそれは自分たちの身体に肉が付いて古い着物が着れなくなり、新しい洋服が必要となるように、新しく肥った(霊的に)身体に新しいマントを着て、次のシーズンでよりウエイトの重い地位に着くことに例えられます。」
チャック「あなたは3ヶ月のワーシップをやり遂げた後、大変霊的に強くされたことがよく分かりました。それは使徒的使命、アメリカの国のためであったと思います。」
ダッチ「私たちが新しい将来に向かって前進するに当たって(2008年)、何故一度立ち止まって過去を振り返る必要があるかを次のように示されたのです。それはイザヤ書46:10にある、神は「終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ」とあるその『終わりの事』とは英語でEND、ヘブル語でakh•ar•eeth、こ