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Walk With God Ministries

11 07月

痛みの祝福     ブライアン・ジョンソン            2016年7月11日


痛みの祝福

 

ブライアン・ジョンソン(ベテルチャーチ・ワーシップリ—ダー)

 

ダン・ポッター師の奥さんがワーシップについて教えに来てくださった時にこう言われました。

「『I will give you all my worship(主よ、私のすべてのワーシップをあなたに捧げます)』という歌がありますが、実際のところ『I will give you some of my worship(わたしのワーシップの一部をあなたに捧げます)』と歌うべきでしょうね。」

確かに私たちの日常のワーシップを表すには、その方が正確な言い方ではないでしょうか。100%のワーシップをしているとは言いがたいです。しかし、本当に徹底的に打ち砕かれた時、私たちは100%全面的に神の恵みだけで生かされていることがわかるのです。自分では何もできないことを知るのです。それは本当にパワフルな瞬間です。今日はその事をお話したいと思います。

 

今日教会のキャシーさんが私が小さかった頃のことを話してくれましたが、一つのことが私によい意味で衝撃を与えました。

「ブライアンが2歳の頃、 頭をドアにぶつけて転びました。でも彼は痛さを感じなかったかのように立ち上がり、親指をしゃぶりながらお気に入りのブランケットをもって歩いていきました。」

小さい時のことはあまり憶えていないのですが、その小さなブランケットは今でも持っています。もうかなりすり切れていますが、くまのプーさんの黄色いブランケットです。

でもこれを聞いた時、私はあることがわかったのです。人生の大部分、私は自分の「痛み」を丁度そのように処理してきたのです。「痛み」の対処法は人それぞれ違いますが、私は非常な痛みを感じたとき、それを心の奥にしまい込んで「私は大丈夫」と言ってきました。それは昔ながらのアメリカ男性の典型ですね、いつも「俺は大丈夫さ」と言うのです。しかし現実は大丈夫ではなくて、痛みを抑えてしまい込んでいたのです。痛みを感じたとき、それに対してどのように反応すればよいかも私はわからなかったのです。痛みをもっている本当の自分に面と向かうのを避けていたのです。そのように人生を過ごしていたのですが、2015年の7月に遂に行き詰まってしまいました。

 

私たちは何としてでも人生の痛みを出来るだけ経験しなくて済むように努めますが、痛みと決定的に直面した時、多くの場合、自分のデスティニーを発見するのです。すべての慰め、言い訳がなくなった時、あなたは痛みと向き合わねばなりません。」仕事を終えて家に帰ったとき、あなたは何をしますか? ビールを飲みますか、テレビでスポーツを見ますか? 沢山食べますか? そのようなことがすべて取り去られてもあなたは十分幸せで満足ですか? それらのことは別に罪ではありません。でも「スポーツを見る」ことも罪になり得るのです。それがあなたがきちんと向き合わねばならない問題から気を逸らし紛らわせるものになっているならばです。私は今までの人生、ずっとそのようにしてきました。アメリカの文化は、男ならタフであるべきであり、痛みを感じていることを認めてはいけないというのです。しかし私たちは神によって痛みを感じるように創られており、その痛みは父なる神のもとに置くべきなのです。イエスはすべての痛みを感じられましたが、それをすべて御父の足元に置かれました。そして次の働きへと出て行かれたのです。

 

ここに風船がありますが、これをあなたのこころだと考えてください。もし痛みや恐れ、他のあらゆる感情をこころに溜め込むと、風船は膨らんでいきます。私たちは御父の下にいき、それをすべて吐き出さねばなりません。しかし、そうしないでずっとそのまま溜め込んでいる人がいます。「私は大丈夫,私は大丈夫」と言い続けるのです。私がそうでした。自分のこころに何が起っているのかわからなかったのです。そして風船はどんどんと膨らんでいき、ある日突然破裂するのです。そしてそれは100倍もすさまじい破裂となります。許せない思いや、苦々しさ、痛みの重荷は自分では決して背負いきれないのです。世界中で一番強い人にも無理なのです。いつか破裂します。そして私にそれが起りました。

 

去年の7月のことです。CDの仕事が一段落したところでしたが、様々な問題を経験し大きなストレスを抱えていた時でした。息子と外でトカゲを取っていたのですが、 なんとなく変な感じが身体にしました。私はあまりエモーショナルではないのですが、なにかこころにおかしな感覚がありました。自分が自分でないような気持でした。それで息子と家に帰り妻に話ました。私は小さいとき時々パニック症状が起り、そのときはヨシャパテのように神をワーシップすることでアタックから解放されました。それでその時も私は外で一時間ほど歩きながらワーシップしました。しかしこの時はまったく様子が違っていました。自分は気が狂うに違いないという思いがあり、身体も震え胸が苦しく息ができませんでした。家にもどりワーシップ音楽をかけて何時間も歩き回りました。私はナーバスブレイクダウン(神経衰弱)を起こしていたのですが、自分では何なのかわかりませんでした。両親や友人達が駆けつけてくれました。

 

自分の意志ではどうにもならない、自分の力ではどうしてもそこから抜け出すことができない状態です。まったくコントロールがきかないのです。永遠に苦しみが続くように感じて死にたいと思うのです。心臓の鼓動が激しく「もう駄目だ、もう無理だ、これ以上無理だ。」と言っていたのを憶えています。救急車が到着し、私は酸素マスクをつけらえて病院に運ばれました。神だけにしか答えがないというような状況に追い込まれたときは、それは偉大なギフトだと思ってください。痛みがあまりにも深く、神だけが答えであると感じるとき、それはすばらしいギフトだと思ってください。どんな麻薬でもそのような痛みを無感覚にすることはできません。

 

「信仰とは、神さえいてくださればそれで十分であるという内なる確信である。」という言葉があります。聖書の中で救い主を求めた人はすべて、自分の必要を認識した人でした。金持ちでも貧乏人でも、パリサイ人でも異邦人でも、自分には救い主が必要だと心から知った人はイエスのもとに来ました。多くの人は自分の罪を知り自分が穢れているのでイエスの元に来て赦しを受けます。けれどもそれは第一段階にすぎません。次にあなたは走って主についていき、主を見上げねばなりません。その時にあなたは決定的に変えられるのです。あなたが主を見るからです。

 

ナーバスブレイクダウンの期間、私は多くの深い痛みを経験しました。私は震えていました。家の中で子どもたちが騒ぐ時に、いたたまれずに外に出ました。些細なことでも神経にさわり耐えることができませんでした。働くこともできませんでした。私に少しでもストレスを与えるようなことは誰も話せませんでした。庭の芝生がのびているのを見るだけでパニックの発作が起きました。ある時少しでも癒されるかと思い、妻とナパの方に出かけました。けれどもそれは地獄のような旅になりました。毎晩私の胸は死ぬほど苦しくなり発作が起りました。でもそれが私の人生の重要なターニングポイントだったと思います。帰り道の車の中で、私は呼吸が早くなりまた発作を起こしそうになっていた時、妻が人を赦すプロセスに導いてくれました。私の中にそのような必要があることを私は知りませんでした。車の中に神が共にいてくださるようでした。

 

長い苦しいドライブの後家に戻りました。私の苦しみ、痛みはますます激しく、「この苦しみを感じなくてすむならば何でもします」と私は泣いて叫んだことを憶えています。そしてその時、私は神と正しい関係に入ったのです。私は小さい時から神を信じていましたし、神から離れたこともありません、犯罪を犯したこともありません。これまでずっとクリスチャンで神を愛していました。でもこの時、神との関係が正しくなったのです。そして私は日夜、聖書を読み続けるようになりました。それから5ヶ月の間毎晩ワーシップソングを聞きました。それはすばらしい神との交わりであり、私は「癒されてもこのような主との交わりを失いたくはない」と思いました。私の親しい友人であるダーリン・チェックさんも癌と戦っていたときの神との親密な関係を失いたくないと言っていました。私はずっと教会で育ちましたし、神を知っていました。でもこのときの親密さは特別でした。

私は聖書を読み、特に福音書の中のイエスの人生を読みました。何か教会で話さねばならないからとか、何かを得ようとか、何か曲が与えられないかとかいう目的で読むのではなく、ただ主と共に時間を過ごし主を知り友情を深めたのです。あたかも一人孤島にいて唯主と交わるためだけに生きていたようでした。そのように打ち砕かれることのすばらしさはそこにあります。

 

イエスは重大な出来事の前には、必ず御父のところで時を過ごされました。そして力を得たのです。それが私たちが歩むべき人生のパターンです。祈りの課題とか嘆願を持たずに、ただ主のもとに行き親密な時を過ごすことがすばらしいのです。それを繰り返し行うことが大切です。御国のことは食べれば食べるほどもっと食べたくなります。あなたが本当に必死であれば、早朝に起きることもできるのです。

1サムエル30:6に「ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」とありますが、私たちも主から力を受けることを学ばないでクリスチャン生活を続けることはできません。

 

ジョージ・ミューラーはこう言っています。「毎日私がするべき偉大な仕事は、神のもとに行き、私の魂に喜びを受けることである。」

朝のデボーションは私が生きるために不可欠なものとなりました。人生で私が持っていたすべての疑問の答えは神との秘密の場所に隠されていました。私たちは啓示を受けよう、答えを得ようとしますが、その方法が間違っていると思います。それを得る唯一の道は神と親しい関係になることです。それを得るために近づくのではなく、神と友達となるために近づくのです。神の声を聞く人はそのような関係を持っている人達です。

 

聖書に関しても私はシンプルな事しかできませんでしたから、毎日一節だけ選んで、その日一日それを生活の中で実践するように務めました。幼稚園児がするようなことですが、実行すると非常にパワフルでした。皆さんにもお勧めしたいです。ずっと教会生活をしていると、聖書を読む時、そこから深い真理や新しい啓示を受け取りたいと思います。でも実際は家族に対して忍耐ができなかったりするわけです。

ペテロがイエスを否んだ前日に、自分は決してイエスを見捨てないと自信をもって断言したように、私たちも「自分は神をこころから情熱的に愛している!」と自信を持ちます。でも実際それは自分の情熱に確信を持っているのであって、その幻想にしがみついているだけなのです。自分が真に打ち砕かれて「恵みだけ」が自分を支えていることを本当に知らねばなりません。

 

人は自分の賜物や成功、功績で人々から称賛されたいと思います。私も「こんな歌を作った、こんなCDを出した」と思っていたのですが、突然私の風船は破裂したのです。人との会話もうまく出来ず、のびた芝生を見るだけでパニックを起こしたのです。神が喜ばれるのは神にだけ頼り切る信仰です。私たちの賜物、成功、功績はもともと神が与えてくださったものですから、神はすでにご存知です。神は私たちが完全に神に拠り頼むときに感動されるのです。

 

私の父(ビル・ジョンソン)はすばらしいです。病気になり手術を受け今回復していますが、彼は今まで自分が説教してきた真理を毎日生きています。どのような状況にあっても神に絶対的無限の信頼をよせているのです。そのようなシーズンの父を見られるのは本当にうれしいです。

 あなたは人の賛辞、又は批判で揺り動かされることなく、ただ神が永遠の価値観から見た評価だけをしっかりと心にとめて生活すればよいのです。人からの賛辞はうれしいことですが、それだけを拠り所にするならば、あなたは上がったり下がったりの情緒不安定な人生を送ることになります。神への確信は私たちにバックボーンを与えてくれます。すべての事は100%神の恵みであることを知り、神に100%信頼し、100%のワーシップを捧げて生きようではありませんか。(終り)


04 07月

暗雲深く立ちこめるアメリカを主は変えられる      坂   達  也   2016年7月4日


暗雲深く立ちこめるアメリカを主は変えられる

 

                坂   達  也

 

 本日七月四日、私たちはアメリカの独立記念日を迎えております。正直に申し上げて私は、このアメリカの最も重要な祝日を、これ程迄に変わり果てた姿のアメリカで迎えたことは未だかってありません。この世の中に「クリスチャン国」が存在するとすればそれはアメリカでありましょう。しかしその姿は、廃退の末に僅かの残り火だけが残った「残骸」でしかないように見えます。

 その中にあって私を励ましてくれたのが下記の預言です。このオーストラリヤの預言者はアメリカのために主が用意された方であると信じ、前から注目して来た預言者です。ご高覧いただき、ぜひアメリカのためにお祈り下さい。

 

 

アメリカは一日にして変わることができるか

 

 ラナ・ヴァウザー(オーストラリヤ・ブリズベーン市)

 

六月の末のことですが、私が主と時間を過ごしていたとき、主の臨在が私の上を重く覆いました。そして主が神の民に呼びかける声を聞きました。主は一つの問いかけをしておられました。それは神の民にもっと高いところへ、もっと有利な地点へ、もっとよく見え、よく聞こえる地点へ、そしてもっと希望のあるレベルへと上るように、という呼びかけでした。主が神の民に「私の名によってアメリカは一日にして変えられることがあろうか?」と問うておられるのを私は聞きました。主は同じ質問を何度も何度もされました。私はどうして主が繰り返し同じ質問をするのか訝しく思いましたが、主が次のように言われているのを感じました。

「今は『もっと高いレベルの希望』持つ時!今はもっと高いレベルの希望へと移行する時!今はあなたの見る目と聞く耳の感度を上げてより高いいのちのしるし(兆候)をわたしから受け取る時だ!今はもっと高くわたしと同じ視点からものを見る時!わたしはアメリカ合衆国のこころに再びいのちを与えるべく、わたしの民に希望と信仰と(決意の)宣言を分ち与えようとしている。今がその時!今こそアメリカの国がわたしのいのちで生き還る時だ。」

このヴィジョンの中で、私は、神の民がアメリカ合衆国のためにもっと深いとりなしの祈りへと入っていくのを見たのです。人々が主のこころと出会って触れられ、それによって アメリカのデスティニーに関する彼らの思い込みや予想が打ち破られて行くのが見えました。

そして主が再び語られるのを私は聞きました。「造り変えられるために必要な揺り動かしをわたしは今許している。わたしは改革をもたらすためにアメリカとアメリカに住むわたしの民を今揺り動かしている。あなたはもっと高い有利な地点に上り、今のアメリカを覆う暗やみの向こう側を見る必要がある。このシーズン、わたしはわたしの民であるあなたのところに夜訪れて、アメリカに対するわたしの思いと計画を教える。わたしのこころにあるアメリカのデスティニーをあなたに教えるであろう。」

「わたしの民よ、わたしはあなたの内に再びいのちを吹き込もうとしている。それであなたは、アメリカの国のこころの内に再びいのちを語ることができるようにする。わたしは今のアメリカが向かっている滅びの運命の鎖を断ち切り、アメリカの上に横たわる疑いと絶望を打ち破り、あなたがアメリカに再びいのちを語ることができるようにしている。」

「恐れの鎖がアメリカを覆うが、わたしの民よ、あなたが立ち上がるとき、わたしの愛の炎がアメリカ中に燃え上がり、最大の暗やみの中でもわたしの愛が動き、整え、鎖を打ち破り、解放と癒しと希望をもたらすのをあなたは見るであろう。」「今、アメリカには恐れと混乱というしるしが付けられている。しかし、わたしの麗しいアメリカよ、あなたはわたしの愛の火と明るい目とデスティニーのしるしが付けられるようになるであろう!アメリカよ、わたしはあなたに命じる「いのちを受けよ、生き返れ、そしてあなたのデスティニーの本当の姿を見よ! わたしの民よ、わたしと共に命令せよ、わたしと共に宣告せよ!」

 

アメリカのために歌え!

 

次に私はイエスがアメリカの中心に立っておられるのを見ました。主は指揮者のように音楽を指揮していました。アメリカに向かって歌うようにと主が主の民に指示されているのだという感覚に私はつつまれました。国に暗やみが増し加わるのを人々が見た時、特にもっと大声でアメリカのために賛美とワーシップを歌うようにと主は招いていました。神の民がアメリカのために天国の歌を歌いワーシップをしていると、戦いの天使たちがアメリカに解き放たれ、解放、癒し、希望、自由を運んでくるのが見えました。

その時私は幾つもの新しい歌が打ち破りの油注ぎを受けている国中のワーシップ・リーダー達にダウンロードされるのを見ました。これらの歌が書かれて、国中で預言的な歌がアメリカに向かって歌われている時、私は辺り一面に詩編24:9を聞きました。「門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王がはいって来られる。」

これらの歌が国中で、アメリカ自身に向かって歌われているとき、幾つかの門が目を覚まして歓喜し始めました!デスティニーへの扉が大きく開き、栄光の王を招き入れる用意が整っているところに、王は未だかって見たこともないような形で輝かしいアメリカに入って来られようとしています。その王は国を覆う暗やみよりも遥かに大きく、その輝かしい栄光が現れようとしています。神の民は両手を上げて栄光の中にまさに出現しようとする王の王を礼拝しています!

 

希望の預言者たち、あなたへこれから新たにより広い領域の預言が与えられる

 

主がアメリカ中に希望を告げる預言者を立ち上げておられるのを私は見ました。主が彼らを大きな影響力のある位置に配置され、彼らの周りに沢山の新しい扉が開かれていました。預言者たちのためにすばらしい場所が与えられ、彼らは新しい視野をもって働いていました。アメリカの希望の預言者たちには、視野が増大し、預言の啓示と戦略が増し加わります。

彼らが神の戦略と天の解決法を解き放つとき、影響力を持つ人々がイエスに出会い始めるのを私は見ました。多くの人が不可能だと言って来た奇蹟的変化が即時に起るのを私は見ました。多くの人が決して起らないと言っていたことをイエスがされ始めようとする中で私は御霊による興奮で包まれました。 「彼らがイエスを信じることなど殆どありえない」と人々が思っていた影響力のある人たちが、突然イエスと出会い救われます。それは革新的で物事を変革させる奇跡的な方向転換であり、御国の拡大です。

 

私は又、希望の預言者たちがキリストのからだに新たな戦略、天の解決法、アメリカに関する神の御心からの言葉を宣言するのを見ました。私は神の民がアメリカに対する希望の分与を受け取り、毎日の生活の中で活性化され覚醒されるのを見ました。彼らは自分が影響力を持つ領域に出て行き、希望、いのち、励ましとイエスの愛を解き放つので、そのときリバイバルが起り始めます。そして食料品店から、コーヒーショップ、会社、政府、学校、芸術やエンタテイメントの分野に至る迄、リバイバルが起るのを私は見ました。いたるところで「いのち」が炸裂していました!クリスチャンの心の励ましと啓示の堤防が決壊してアメリカ中に溢れ出し、そこから主の慈しみと愛が宣言されていました。

主があなたの中に生きておられるゆえに、あなたがどれほど主にあってパワフルであるかを、主は今アメリカのクリスチャンに目覚めさせています。あなたはいのちを語り、霊的空気を変え、奇蹟を起こす力を持っているのです。あなたを通して主が奇蹟を起こされようとする場所に自らを配置してください!神のこころを聞いてください!まわりで何が起っていようと、どんなに暗やみが深くあろうと、いのちを宣言してください。今はあなたが起きて光を放つ時(イザヤ60:1)であるのです。そしてアメリカが造り直され変革されるのを見てください。(終り)


27 06月

モーセと小羊の歌  フランシス・フランジペイン       2016年6月27日


モーセと小羊の歌

 

フランシス・フランジペイン

 

この世で音楽ほど私たちを霊的領域に容易に近づけるものは恐らく他にはないと思います。音楽は霊的領域への橋渡しする媒体であり、目に見えない時間と空間の扉を通り抜けて人の魂を運んでいくことができます。 自分にとって特別な昔の歌を聞いて、突然ある出来事の喜びや悲しみの思いで胸が一杯になるのを誰もが経験していると思います。或いは、ベートーベンの「歓喜の歌」やヘンデルの「メサイア」を聞いて、魂が音楽の翼にのって天国の入口までも引き上げられるのを経験しない人はいないのではないでしょうか。

その反対に、まるでトロイの木馬のようにサタンからの隠された軍隊を西洋に密かに持ち来んだのは1960年代の音楽でした。私たちはその歌を歌い、その結果、反抗、魔術、麻薬、不品行が私たちの考えに密かに忍び込み、私たちのモラルの水準を襲撃し低下させたのです。今日、悪魔的な音楽は西洋への影響をほしいままにしており、有名なロック・ミュージシャンたちは大胆にサタン崇拝をし、地獄の音楽に酔う若者でスタジアムを一杯にしています。

 

終末の時代

 

聖書の預言は、終末に近づいている今、音楽がますます礼拝の表現として用いられることを明らかに示しています。人類は両極のグループに分けられます。即ち、神の礼拝者として小羊に従う者たちと、悪魔についてサタン崇拝をする者たちです。(黙示録9:20、13:8etc.)

現在すでにこの両極性は現れています。ハードロックのコンサートは全く悪魔的で、完全に堕落しており、実際にサタン崇拝の表現になっています。それと同時にクリスチャン・ミュージックは音楽界で実に最も成長しているジャンルになっています。今日、アメリカでは普通のテレビ局でワーシップCDのコマーシャルが流れていて、スタジアム一杯の人々が神を心からワーシップしている姿が映し出されています。

 主は終末におけるワーシップの重要性だけではなく、私たちが正しいワーシップができるように救われた者たちの歌が持つべきテーマをも教えておられます!実際、私たちの心を満たしている歌が何かを調べれば、私たちが聖書に示されているパターンと霊的に一致しているかどうかを見分けることができます。ですから黙示録5:9、10を見て、私たちの歌を「小羊に従う者たちの歌」と較べてみましょう。

 

「彼らは、新しい歌を歌って言った。『あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。』」

 

まず第一に、贖われた者たちは「新しい歌」を歌いました。真のワーシップは古くさかったり新鮮味がなかったりはしないのです。それはいつも新鮮で、いつも生きていて、いつも私たちの毎日の生活に表される神のすばらしい愛から生まれる出るものです。次に11−14節を見れば

「また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。『ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、賛美を受けるにふさわしい方です。』また私は、天と地と、地の下と海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。」とあるように、彼らは小羊の血によって贖われたことによってのみ神への道を得たことを知っていました。そして彼らは圧倒され自然に心から溢れ出る深い神の御子への感謝のことばで礼拝したのでした。

この箇所の歌のテーマは、たとえ完全にはそのように歩んでいないとしても、ほとんどのクリスチャンが慣れ親しんでいるものです。程度の差こそあれ、私たちはキリストへの賛美の歌を心に抱いています。しかし驚くべきことに、この聖書箇所によれば、終末に生きる贖われた者たちの世界観は、今日私たちの殆どが信じているものとは著しく異なります。

ヨハネは贖われた者の一人として私たちに語っていますが、彼らのゴールは天国で永遠に住むことではなく「地上で(キリストと共に)治めること」なのです。これは多くのクリスチャンが教えられていることと全く反対ではありませんか。私たちは「主よ、天国に連れていってください。」と祈ります。しかし贖われた者たちと24人の長老、そして天使の軍勢は「主よ、地上に天国をもたらしてください! あなたの御国が天にあるように地上に来ますように。」と歌っているのです。祈りの心をこめて考えてみてください。贖われた者たちは「地上で治めこと」に焦点をあてているのです。又、ヨハネが終末の聖徒たちを「私たちの神の祭司」と呼んでいることも考慮してみてください。「御国の祭司」の主たる任務は、旧約の祭司がその型を示している通り「とりなし」です。キリストと共に治める者たちは「とりなし手」であるのです。彼らは人類の罪のために神にいけにえを捧げ、万能の主の慈しみに賛美のいけにえを捧げるのです。祭司である彼らの人生は、彼らがとりなす人々や国々と堅く結ばれているのです。

しかし御国の祭司たちは助けが必要な人達と結ばれてはいますが、盲目なナショナリズムや個人的な文化的・民族的偏見に縛られてはいません。彼らは人々に欠けている点を明確に見ますが、それをただ容認したり、或いは裁いたりするのではなく祭司としてとりなすのです。彼らは、単なる批評家であることから抜け出して「御国と祭司」という上の位に即いたのです。

更に、彼らは「すべての部族、国語、民族、国民」の中から来ています。ですから彼らの心の歌に私たちはもう一つの側面を見出すことができます。即ち、彼らはキリストによって一つにされた人々であり、一致し和解することを決意しています。彼らは新しく造られた者たちであり、この世においては敵対していた時もありましたが、御国においては一つとなったのです。

 

ユニークなあなたの歌

 

贖われた者のミュージックやワーシップを満たすものが他にもあります。黙示録14:3に「彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし、地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。」とあります。

この箇所は神に選ばれた者たちについての記述ですが、これを適用すれば、私たちにも、他に誰も学ぶことのできない、私たち一人ひとりの歌があると言うことです。それは私たち一人ひとりの心から出るユニークな賛美の歌であり、自分の贖いを語る個人的な歌です。

愛する皆さん、あなただけが学び、あなただけが歌える歌があるのです。各節は神がして下さった奇蹟で満ちているでしょう。このワーシップはすばらしい御父の救いの力ある恵みの証しであり、私たちの神の体験から立ち上る麗しい香りです。あなたはこのような歌を歌っていますか? これこそあなたが生きる理由であり、あなただけにしか歌えない歌なのです。

 

すべての国々の人々が来る

 

しかしあと一つ私たちが学ぶべきテーマがあり、そのメッセージは黙示録15:3、4に書かれています。

「彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。

『あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。主よ。だれかあなたを恐れず、御名を誉めたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。』」

 

愛する皆さん、この言葉の中には非常に多くの事が含まれていますので、ここですべてを語ることはできません。しかし選ばれた者たちには伴っている神の働きがあるのです。即ちそれは、偉大で驚くべき力が現れること、そして、正しいさばき、これが明らかにされたのです。「弱々しい終末の教会」としか見えない人たちに申し上げます。これ等の神の働きが来て国々を揺り動かし、「国々の人たち」は「来てひれ伏す」のです。

もし私たちが「 終末の贖なわれた者たち」を満たすワーシップと同じワーシップをすることができるならば、私たちは「国々が神のもとに来るヴィジョン」を得るに違いありません。愛する皆さん、キリストに従う者たちはモーセと主について歌うだけではありません。彼らはまさにモーセの心を満たした歌そのものを歌うのであり、それは小羊ご自身が歌っておられる歌であり、それは国々が神のもとに来る歌であるのです。

ミリヤムは「(主は)馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた(出エジプト15:21)」と歌いました。しかしモーセは違う歌を歌っていました。私たちがイエスのことを歌うのは確かに適切なことです。しかし人類の罪のために神がいけにえとされた小羊は違う歌を歌うのです。モーセとイエスの心を満たしていたヴィジョンを見て下さい。それは「すべての国々が来て神の御前にひれ伏す」ことです。

愛する皆さん、キリストに似る者となるとは、私たちの心の中に主の心が持つ価値観と基準を移し入れることです。主の歌を所有することです。イエスがなされたすべてにおいて、「主の前におかれた喜び」とは国々の大いなる収穫でした。モーセが成し遂げたすべてにおいて、彼の目は「約束の地」を越えて「約束の全世界」が完全に神に回復される事を常に見ていたのです。ですから、私たちもこれと同じ全世界のヴィジョンを持とうではありませんか。そうです、そしてこう自分に問いましょう。「私たちの心を満たす音楽は、贖われた者のために神が与えておられる音楽と一致しているだろうか? 私たちはモーセと小羊の歌を歌っているだろうか?」と。(終り)


20 06月

アメリカにリバイバルの火が遂に燃え上がり始めた           坂   達  也


 アメリカにリバイバルの火が

         遂に燃え上がり始めた      2016年6月20日

 

             坂   達  也

 

 北米では、いよいよリバイバルの兆しがあちらこちらで起き始めています。そこで今回は実際にリバイバルの火が燃え始めた一つの例をご報告させていただきます。

 去る四月九日、ロスアンジェルスで行われた「ザ・コール」の集会に集まった七万人の人々がリバイバルを呼び求めて叫んだその翌日、同じアメリカで何百マイルも離れたウエスト・バージニア州の僅か五百人という小さな炭坑の町に神は聖霊の風を送られました。その Delbarton という町の The Regional Church of God 教会のミッチェル・バイアス牧師は「私たちはこの日が来るのを何年も祈り続けて来た」と語ります。彼の教会ではその日教会員が集まって祈りの集会を持ち、そこでザ・コールの実況放送を見ていたのです。しかしそこに集まった人々の誰一人としてその翌日から始まることを予測した人はおりませんでした。

 ミッチェル牧師は、翌日の四月十日ー十三日の四日間を教会の「春のリバイバル集会」と名付けた特別集会とし、そのために以前からテネシー州の三十一歳のエバンジェリストであるマット・ハートレー師を招いておりました。その最初の日は日曜日でしたので朝と夕に礼拝が行われ、それは大変すばらしい集会となりました。翌日は隣町のクリスチャン・スクールのチャペルで話し、これも大変な盛会でした。そして十二日は近くの高校の「祈りのクラブ」に招かれてメッセージしました。そのクラブの会合には通常三十ー四十人位集まるのが、その日は何と四百五十人の生徒が集まり、これはその高校の半数以上の生徒数でした。

 ハートレー師はそこでゴスペルを、しかもテーマとしては人気のない「罪」に対するハードなメッセージを語ったのでした。最後に師が「招き」をしたところ百五十人がそれに応えて前に出て来ました。会場は異常な興奮につつまれ、若い観衆は泣き叫び、明らかに神のなす業に力強く触れられました。二日後にもう一度同じ場所で集会が開かれ、そこに又四百五十人が集まり、百五十人が救われました。

 一方ミッチェル師の教会では最初の日以来、毎晩リバイバル集会が開かれ、集まる人々は日ごと多くなりました。この教会では主のリバイバルの激しいムーブメントを望んでは来ましたが、このようなことが起こるとは予期しませんでした。高校の集まりで救われた人たちもこの夜の集会に合流するようになり、「神がリバイバルの火に油を注ぎ始めた」といううわさが広がりました。

 土曜日はエバンジェリストたちに一日休養を与えようと決めていたのが、学生たちの強い希望で、近くのスタジアムを借り、そこに二十五の高校から二千五百から三千人の生徒が集まり、ハートレイー師の力強い説教に呼応して、多くの人が導かれたのです。*次の日曜日はかってなかった程の多くの人が教会の礼拝に参加しました。それ以降、月曜日からの夜の集会では教会では収容しきれない程の人が集まり、火曜日の夜から、場所はウイリアムソン・フィールドハウスに移され、その時点からは多くの教会が参加し始め、単に若者たちの集まりが、一般人の集会に膨らんで行きました。五週間後にはもっと大きな場所に移されリバイバルの火はローガン・カウンテイー(郡)全域に広がり、やがて州全体に広がろうとしています。

 ミッチェル師は、リバイバルがこんな小さな州ーテレビの天気予報ではいつも他の州の名は言われても、ウエストバージニア州の名は出てこない程ー小さな州の小さな町で始まったことに驚きを隠し得ず「この州は神によって隠された町」と呼んでいます。師は1998年に同じ州のある町で祈りの会に参加した時主が預言され、「あなたの(州の)小さなことを恥じてはならない。ウエストバージニアよ、わたしは終りの日迄あなたを隠す。もっとわたしを求めるならわたしは示そう。」と言われ、ミカ書5章の最初にある「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。」を引用されたと言います。

 ミッチェル師は聖霊の風が吹き続けることを望み、次にように語っています。

 

「このリバイバルを起こしているのは私たちではない。主が望まれることを主がなされますように。私たちはこのことを既に何年も祈って来ました。この州はリンカーン大統領が南北戦争の際に大統領権限で州に指定したアメリカで唯一の州であり、当時の州民は人間が人間を所有することを信ぜず、奴隷制度に反対したのです。又、この州のウイリアムソン市は何兆ドルの価値ある石炭が埋蔵される地区の中心部に当たる場所です。神が石炭を造られ、ここに置かれたのです。

 一九〇四年から五年にかけて神はイギリスのウエールズ地方の炭坑の町に大きなリバイバルを送られました。今ここに住む私たちの家は、山あいの石炭が貯蔵された谷間が見える場所にあり、山から美しい水が流れて来て私たちの谷間を潤してくれます。私たちは石炭のすすとか塵が家具の上に落ちるのを厭いません。主は、どのような理由からか、もう一度私たちここの住民を地球の奥深くにある石炭を掘る仕事に就かせながら微笑みをかけて下さっています。他の多くの地域では仕事がないこの厳しい時代に、私たちは神からの風を日々感じ、霊が充たされ、この上ない喜びの中で、多くの人が神の御国に入るのを見ながら過ごせる祝福を下さっているのです。」

 その後このリバイバルの火は続いているとリック・ジョイナー師は先週報告し、又、ペリー・ストーン師もそれを確認しています。

 

 これに続いて、最近私が下記の預言的メッセージを読んだとき、私たちが耐え忍び待ち望んで来た「時が遂に来た!」ことに強く同感の念に打たれましたので、それをご紹介します。

 

 

今こそすべてを取り戻す時

 

ネリー・バランドウィッチ

 

先日教会に出掛ける前に、主が「今が時です。」と言われるのを私は聞きました。この言葉は多くの預言者を通して以前から語られて来たことを私は知らないわけではありません。しかし、今回は私にとって今迄とは違った特別のものでした。それは主から流れる蜜のように直接ダウンロードされてきて、「今が時だ」と私は心からわかったのです。主ご自身が今の言葉、即ちカイロスの言葉を啓示され、本当に今が時であることを私は悟りました。

主の預言の言葉「今は時です!」主は言われました。

今は時です。今は「あなたがもっと得る時」です。今まであなたは敵の策略でうそと偽りの中に抑えられて来ました。しかし今はそうではないのです。「わたしはある」という偉大な方が道をつくる」と言われます。それはあなたにとっての紅海(出エジプト14:21)に道を開くものであり、今迄の最大の障碍や問題は最早あなたを阻むことは出来ないのです。わたしがそれらすべてを用いてあなたをデスティニーに向かって強く進ませるからです。今あなたを止めるものは何もありません! あなたへのわたしの愛があなたを覆います。あなたがずっと暖めていた夢、今まで生まれそうで生まれなかったものが、今生れ出ます。栄光が来ます。それは、わたしがあなたに約束したものを実現するために、あなたの信仰と共に必要なわたしの愛の栄光であるのです。

 

この栄光の領域はどれほど価値のあるものなのでしょうか?この領域に入るための入口は今までも、そして今こそ、あなたの「勝利する霊 overcoming spirit 」であり、それは時としてあなたにあきらめたいと思わせても、それを手にすることができなかった霊です。あなたの中にはまだ信仰の一しずくが残っていました。わたしがあなたに与えたその信仰が働いていました。確かにあなたは阻められていました。しかし今、わたしは「今が時だ」と言うのです。あなたが「勝利する霊の波」に乗るからです。波は非常に大きく、あなたはその波の中でどのように進み動けばよいのかを学んできたのです。その波の戦士として。

あなたは自分の頭の思いからの猛攻撃 の中で勝利しました。あなたはこの世の世俗的な生活の中で勝利しました。あなたは人から拒絶される中で勝利しました。あなたを迫害した者の裏切りの中で勝利しました。あなたは暗やみの中で勝利しました。あなたが望んだものとは全く反対のものしか見えなかった時にあなたは勝利しました。あなたは移り変わり transition の回廊で勝利しました! そしてわたしはあなたのためにマナを隠してあります(黙示2:17)。そのマナは今まであなたが経験しなかった方法であなたを支え続けるでしょう。

 

さあ、わたしの愛する者よ、今が時です!あなたは今まであなたの霊的感覚をわたしの願いの波長に合わせるように訓練され精錬されてきました。わたしはあなたに大きな夢を与えました。又わたしの民に大いなる心と豊かな霊を与えました。今用意が整ったのです。わたしは「船出の時だ」と言います。今が時です。わたしが「今は時だ」という時、扉は開きます!わたしが「今は時だ」という時、計画に必要なすべてものは正しい位置に整列するのです。

 

あなたは今出て行き勝利するのです。あなたは征服し、あなたが出て行き追い求めるとき、あなたは増し加わり勝ち取るでしょう。わたしが共にいてわたしの言葉があなたの内にあるからです! あなたは「すべてを失った」と思いました。しかしこの言葉を握りしめなさい。ダビデはアマレク人が盗んだものをすべて取り戻しました。今日あなたはわたしがあなたに与えた夢を取り戻すのです。あなたはわたしがあなたにずーっと語ってきたことが現実となるのを見るからです。もはや行き詰まったり退いたりすることはありません。今が時です!今はあなたの申命記1:11です。わたしは約束した通り、あなたを千倍に祝福します!」(終り)


13 06月

神は私たちを置き去りにはしない         グラハム・クック   2016年6月13日


 

神は私たちを置き去りにはしない

 

グラハム・クック

 

神が私たちの人生の中にどのように関わられるかをよく理解する時、私たちの人生は変革されます。それは「神が私たちのうちで何をしておられるか」又「私たちを通して何をしておられるか」を見ることができるようになるからです。そしてこの二つを混同することもなくなり、私たちは神の臨在に中で時を過ごし、啓示、導き、愛を受け取ることができるようになります。

しかし、これは普通すぐに経験できることではありません。「神を待ち望む」には忍耐が必要です。それはすべての事には最適で完全なタイミングがあるからです。伝道者の書3:1は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と告げています。

 

私たちは自分が願っていた、あるいは予期していたよりも物事に時間が掛かるとき、神を疑いたくなる衝動に駆られる時がありますが、これに対しては抵抗しなければなりません。時として私たちは「何も起らない」とつぶやいたり「ここは自分がいるべき所ではないのかも・・」と思ったりします。

 

しかし自分がいらいら焦れば焦る程、逆に神は物事を遅らせるということに気がつきました。それはやかんで湯を沸かしているようなものです。私たちが急いでいる時程、神はゆっくり沸かせられます。ですから私たちは、自分の周りで起っている状況の中にではなく、キリストの内に生きていることを忘れないようにすることが大切です。主が私たちの安息であり平安です。私たちの状況から平安を得ようとしても巧くいきません。なぜならば平安は頭からではなく、心からくるものだからです。平安は状況の中から生まれるのではなく、主との関係の中で生まれるのです。

 

心からの感謝と喜びが平安と安息を生み出します。なぜなら心からの感謝はすべての否定的でマイナスなものに打勝つからです。頭で喜ぶことは一時的な気休めにしかなりませんが、心からの喜びは私たちのライフスタイルを変えます。

感謝はありふれて起こることではありません。感謝とは主の喜びを経験することによって私たちが解放されて喜ぶことです。喜びこそ天国の持つ霊的環境であり、私たちの内なる霊的環境を永久的に変えるものです。

 

喜びは神そのものです。ですから私たちが喜ぶのは、神というお方の本質に私たちが応答することです。私たちは喜びの中に住まうことができます。それは神が喜びの中に住んでおられるからです。平安と安息とは、私たちの内なる命から生まれ出て私たちのライフスタイルとなるべきものです。どうか神のご性質の中に時々訪れるのではなく、神の内に住んでください。神の内に住まい留まるならば、神はあなたの内に住んでくださいます。(ヨハネ15:1-11参照)平安と安息は神の内に住まう結果であり、それは私たちクリスチャンが受け継ぐべき資産の一部です。私たちが神を相続し、神は私たちが受け継ぐ私たちの資産なのです。

 

神は、私たちが信仰によってこの真理に更に深く進み続けることを望んでおられます。私たちは霊的成熟の道を歩むようにと召されているのです。ですから私たちは、神を待ち望むことをもっと理解するように成長してゆかねばなりません。神は私たちの想像をはるかに越えた多くのすばらしいものを用意していてくださるのです。それは、第一コリント2:9に「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことにないもの。神を愛する者のために、神が備えてくださったものは、みなそうである。」とある通りです。

 

しかし神のギフトを受け取るために、私たちは神の中に住まねばなりません。神がキリストの中に私たちのために用意してくださっている場所に入らねばならないのです。私たちのすべての集会 gatherings の目的は、私たち一人ひとりがすべてイエスとの関係の中に確立されることです。 キリストの中にどのように住まい、 又留まるかを聖霊に聞くのは一人ひとり私たち個人の責任です。その時に、安息が訪れるのです。(終り)


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