07 08月
神からの教えを受け入れる大切さ
スチィーブ・ポーター
「誠実さは、人生がばらばらにならないようにまとめる接着剤です。私たちは常に誠実さを堅く保つように努力せねばなりません。富を失っても、あなたは何も失いません。健康を失うと、何かが失われます。しかし人格を失うと、あなたはすべてを失います。ビリー・グラハム」
心の奥底で私たちの霊は、 「もっと真摯で深いクリスチャン生活を送りたい」と願っています。このような願いを持つ霊は、大いなる富や珍しい宝石、
或いは素晴らしく偉大な能力よりもっと尊く価値があるのです。それは「教えを受け入れる霊 teachable spirit」です。
指示や教訓を尊ぶ
常に更なる深みを目指したいと願う勇士は、教えを喜んで受け入れます。アブラハムの人生を学ぶならば、彼がなぜあれほどまで祝福されたかが明白です。彼は何よりも教えを尊び、神の戒めを喜んで守りました。それはただ「喜んで聞く」だけではありません。「知恵を得たい願望」が「安楽への願望」より大きくなったとき、私たちは「教えを受け入れる」心を持つことができます。
私たちは教えを喜んで受けいれる心を持っているでしょうか? 主から、また人々から知恵を受け取る謙虚さがあるでしょうか?
時として私たちは教えを受け取る心を失い、健全なアドバイスを拒否してしまいます。
このような時私たちは、ルールに従うよりルールを曲げることを望んでいるのです。しかし、それは決して私たちを祝福の場所へとは導かず、むしろ人生を破壊してしまいます。聖書に「高ぶりは破滅に先立つ」とあるように、私たちは危険な場所で孤立してしまうのです。
私はナアマンのことを思い出します。彼は肉体を蝕む癩病が癒されるのを願いましたが、神のメッセンジャーにヨルダン川に行って7回身を洗うようにと言われたとき、怒ってそこを去りました。確かにそれは一見奇妙で馬鹿げた指示であり、ナアマンの肉の思いには意味をなしませんでした。自分の地にはもっと良い川があるのに、どうしてヨルダンで身体を洗わねばならないのでしょうか?
しかし、彼の本当の問題はヨルダン川ではありませんでした。指示に従い癒されるために必要な謙虚さを、彼のプライドが阻んだのです。最終的に彼の癩病は癒されましたが、それは彼が知恵の言葉に耳を傾け、心を変えて謙虚になり、油注がれた神の人のシンプルで明瞭な指示に従ったからでした。
肉を十字架につける
同じように、私たちも深い信仰生活を送るためには、肉を十字架につけ、たとえそれが自分の考えとは違うときでも謙虚に従う必要があることを悟らねばなりません。そのためには御ことばを求め、聞き、学ぶことを常に追い求めていく姿勢が大切です。謙虚になると私たちはプライドをはぎ取られ、心が柔くなります。そして教えを受け入れるようになり、自分のしたい事を一人で勝手にするよりも、神への親密さを慕い求めるようになります。
教えを受け入れるようになるにはプロセスが必要です。私たちは教えを素直に受け入れる者でしょうか? 学んでいるでしょうか?
たとえ辛くても自分の人格や誠実さを一番大切に守っていきたいと強く望んでいるでしょうか。
箴言8:32「子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守るものは。」
主に近づいて聖霊のかすかな細い声に耳を傾ける者を神は祝福されます。しばしば私たちは聞くことを拒否し、主の御声、主の警告、そして主からのはっきりした危険信号さえも無視します。もし主に聞いていないなら、私たちは学んでいません。もし学んでいないならば、成長していないのです。このサイクルは決して止まることがありません。ですから今私たちが立ち止まり、「見張り、待ち、聞き、従うこと」を始めなければ、祝福は決してやってきません。
箴言8:34−35で、神は私たちに「見張り、待ち、そして主を
見いだせ」と教えておられます。これらはすべて私たちが毎日実践すべき「行動を表す動詞」であることに留意してください。実際、私たちは主が教えたいと願っておられる事に、いつも油断なく注意を払っているべきです。そしてそれにただ気がつくだけでなく、熱心に知恵と真理を捜し求めねばなりません。エレミヤ29:13に「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」とある通りです。
神の御声を聞くことを学ぶ
ホセア4:6「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。」
「聞くこと」は神にとって非常に重大なことです!聖書には「もし私たちが神のおしえを退け、知恵を無視するならば、神は私たちを祭司(神の御国の代表者)にはされない」と書かれているのです。私は「神が誰か役に立つ者を捜しておられる時、見過されたくはない!」と願います。私は「神の御心の真ん中のいる」以外のことは何も望みません。
箴言8:32−36「子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守る者は。訓戒を聞いて知恵を得よ。これを無視してはならない。幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、わたしの戸口の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。わたしを見失う者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。」
聖書は神に聞く重要さを強調していて、この短い箇所にも三度「聞く」という言葉が出てきます。
エゼキエル3:7にはイスラエルの民は「鉄面皮で心がかたくなである」とありますが、もし私たちが神に聞かないという悪癖をつけてしまったならば、この言葉は私たちに直接当てはまるのです。 (終り)
30 07月
40週の厳しい労苦は今終る
ダグ・アディソン
今週は多くの人にとって転機となる非常にエクサイティングな時です。今から40週間前に、あなたの一年のデスティニーが明らかにされましたが、それが今週産み出されるのです!
仮庵の祭りの最終日はホシャナ・ラバー(Hoshana Rabbah)と呼ばれ、神がこれから一年のあなたのデスティニーを明らかにする日です。今私たちはモーセの律法のもとにはありませんが、私たちのデスティニーを解き放つとき、神はユダヤ暦に従って働かれます。
ユダヤ暦の新年(ロシュ・ハシャナ)に、主は私たちを吟味し始めます。それから10日後の贖罪の日(ヨム・キッパー)に、新しい年のデスティニーが決められますが、それが最終的に啓示されるのは仮庵の祭りの最後、ホシャナ・ラバーの日であり、それは2017年10月11日でした。
私に関して言えば、すべてのことがその日から上向きになりました。戦略的な啓示を沢山受けましたし、更に深い主との出会いを体験するようになりました。しかしそれと同時に、かつてないほどの激しい霊的戦いも起こるようになりました。戦いの間、私は自分に与えられていた預言の言葉をしっかり握りしめていなければなりませんでした。数ヶ月の間、次から次へと戦いをせねばならず、それは終りそうもないように思えました。
新しいものを産み出す
赤ちゃんは通常40週間、胎の中で育ちます。2018年7月18日が私たちの昇進とデスティニーが啓示されてから、即ちホシャナ・ラバーから丁度40週目に当たりました。主が私に、「あなたのこれまでの40週間の労苦は、新しいものを産み出すためにあったのだ」と語ってくださいました。
これから起きようといているリバイバルをもたらすためには同じように 出産の困難なプロセスを要するのです。
イエスを妊っていたマリアとバプテスマのヨハネを妊っていたエリサべツの出会いは、生れ出ようとする神のムーブメントの表れでした。エリサべツがマリアと胎の中のイエスに会ったとき、彼女の胎内でヨハネが喜び踊りました。(ルカ1:41)
その時マリアの口から自然に主への讃美がほとばしり出ました。その讃美に目を留めるようにと主が私を促されました。マリアの言葉は現在社会で起こっていることをあらわしています。
ルカ1:52「(主は)権力のある者を王位から引き降ろされます。低いものを高く引き上げ(られます。)」
2017年10月以来40週の間、私たちは厳しい労苦をしてきました。主はその労苦を、権力者や敵を王位から引き降ろすために用いられました。へりくだって主を求め続けた者たちは、今高く引き上げられようとしています。
声の回復
バプテスマのヨハネの父であるザカリヤはエリサべツが子を妊っている間、声を失っていました。(ルカ1章)これは私たちが経験していることの預言的なしるしでした。私たちはこの世に対する声を失い、まわりにいる多くの人から拒絶されました。しかし私たちが天からの主の新しい歌をしっかり受け取るので、主がこの状況を変えようとしておられます。マリアとザカリヤは即興の(スポンテニアスな)歌を歌い、それが霊的環境をシフトさせたのです。
即興的(スポンテニアス)な歌は天を開く
今、スポンテニアスな歌や祈りに大きく油が注がれています。もしあなたがこの40週間、困難や労苦を通って来たのならば、今は即興的な歌と祈りを内から涌き上がらせ声に出す時です。それは霊的環境をシフトさせます。
励まされてください!あなたの経験した困難な時は無駄ではありませんでした。私たちは苦しみと忍耐を通ることによって、霊的な驚くべき新しい事をまさに産みだそうとしているのです。
あなたの上に主が天を開こうとされていますから、その備えをしてください。夢、ヴィジョン、超自然的な出会いや深い知恵、啓示が増加わってくるのを、見逃さないように注意深く見ていてください。(終り)
23 07月
神の御声を聞く道
アダム・ウイッテンバーグ(IHOPカンサス)
あなたは神の御声を聞きたいですか?あなたの人生に対する神の御心を悟り、もっと確実に御心の真ん中を歩みたいですか?
打ち破りを切に求めていますか?そのための簡単な(しかし、同時に非常に難しい)第一歩がこれです:主に降伏して明け渡すことです!
降伏する力
私たちが神の御声を聞いて御心に従うのを阻むのは、多くの場合、自分自身の思いや意志です。実のところ私たちは、心の奥底に物事に関する自分自身のプランを 持っているのです。
例えば、どんな職業につくか、誰と交際するか、誰と結婚するか、自分のミニストリーはどれほど進展するべきか、等です。そして自分の考えを本当にはあきらめたくないのです。神は私たちに話すことができないのではありません。実際のところ神は度々語られます。しかし私たちはそれが自分の期待したものと違うので聞き逃してしまうのです。「私のこのプランがなりますように。」という思いにしがみついているからです。
イエスは完璧な模範
私たちが神に降伏し明け渡すための力を必要とするのはそのためです。「信仰の創始者であり、完成者である」イエスは、私たちのためにゲッセマネの園で模範を示してくださいました。(ヘブル12:2)
裏切りや責め苦、そして十字架上での酷い死を目前にして、主は御父に苦悩の叫びをあげられました。
マタイ26:39「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」
イエスは自分が願うことに関して正直でした。自分の感情や願いを隠しませんでした。しかし次に主は驚くべきことを言われたのです。「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください。」
私たちは皆この言葉から学ぶことができます。時として自分の願いが神の御こころと一致することがあり、その場合は自分の願いがかなえられますが、いつもそうではありません。しかしまた、私たちが自分で何かを願う時、それは絶対神からの思いではないと考えるのも間違いです。なぜならば私たちの抱く願いの多くは、もともと神が私たちに与えたものだからです。しかしそのような場合にも、その願いと自分自身をまず神に明け渡さねばなりません。
自己を否定することは解放
マタイ10:39「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」
イエスは、「自分のいのちを得ようとする者は神と福音のためにそれを失わねばならない」と言われました。私たちも自分に死ぬことによって(即ち自己中心な願望を捨てることによって) 神がキリストをよみがえらせたように、私たちもよみがえらせていただくのです。霊的によみがえり変革されるならば、私たちは主が導かれるならどこにでも主と共に行くことができる心の解放を得るのです。
それは、私たちの霊が神の言葉に素直に従えるようになるので、神は私たちを楽々と導くことができます。私たちが神に服従すればするほど、神は私たちにもっと簡単に話せるようになります。聖書には馬や驢馬のようであってはならないと言っています。
詩編32:8「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。あなたがたは、悟りのない馬や驢馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。」
あなたの選択
どのくらい神を信頼するかは、私たち各自に任されています。私たちが主に信頼すればするほど、たとえ厳しい状況の中でも主に拠り頼むことができるようになっていきます。
これは終末の時代において特に重要なことです。神の指令の中には、私たちには奇異に思えることもあるでしょうし、この世が進む方向に逆行することもあるでしょう。しかしもし昔の歌にあるように「より頼みて従うならば」、私たちは星のように輝くのです。(ダニエル12:3)しかしもし自分のアイデアや知恵に固執するならば、災難や試煉、そして時には死にさえ直面するかもしれません。
箴言14:12「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」
実践する
ではどうすれば明け渡して降伏できるのでしょうか?ただ実行するのです!それはまずあなたの決意から始まります。私たちはイエスがゲッセマネでされたように祈ることができます。「父よ、できますならば、どうか(ーあなたの願いをここに入れるー)、しかし私の願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と。
私たちが天の父を心から信頼し始めるならば、服従の思いが自然に流れ出します。御父はすべてを知っておられ、愛そのものであられ、常に私たちに最高のものを与えたいと思っておられるのです。私たちは自分の恐れ、肉の思い、利己的願望を捨て、自分に対する神の完全な御こころを喜んで受け取ることができるようになるのです。
箴言3:5−6「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
このようにするならば、私たちはもっと主と同じように考え、主が感じることを感じ、主が知っておられることをもっと知り、主がされることをするようになるでしょう。それは、ローマ8:6に「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」とあるように、私たちは死に至る肉の思いではなく、いのちと平安をもたらす霊的思いを持つ者となるからです。
私たちは「父よ、私の思いではなく、あなたの御国がきますように。御こころが天でなるように地でもなりますように。」と明け渡し降伏して祈ろうではありませんか。
主はあなたに何を明け渡すように言われていますか?(終り)
16 07月
最初に救われた者への油注ぎ
ジェニファー・イーヴァス
私はメッセージを頼まれたときは、いつでもその集会に合わせて十分に準備をするようにしています。祈りを重ね、御ことばを調べ、とりなしのチームに背後のサポートを頼みます。最近ニューヨークのブロンクス地方に行ったときも、そこに集まる牧師たちや他の様々な出席者たちのためのメッセージを準備をしました。ところがそこに向かう機上で、
私ははっきりと聖霊の臨在を感じ、御声を聞いたのです。主は私の心に「過渡的な者たち transitional people」と一言語られたのですが、私はそれが意味するところをすぐに理解しました。
「過渡的な者」とは、家族の中で一番最初にクリスチャンになった人のことです。聖書の中にはそのような人が沢山出てきます。
バプテスマのヨハネや初代教会の使徒、信者らです。最初に救われたということは、その人は過渡的な橋渡しの役目を担うことになります。ほとんどの場合、橋渡しは家族の中で果たす役目であり、家族を古い生き方から新しい生き方へと導くものです。
あなたは自分の家系を主のもとに取り戻し、霊的祝福を取り戻すのです。家族で最初のクリスチャンとして、あなたは非常にユニークなチャレンジに直面することになります。何世代にも渡ってサタンがあなたの家系の中に築いた要塞を打ち壊し、イエスを「家族の中で一番強い者」と成すためには、激しい霊的戦いをせねばならないのです。
主は家族の方向転換のために力をくださる
エゼキエル3:9「わたしはあなたの額を、火打石より堅い金剛石のようにする。彼らは反逆の家だから、彼らを恐れるな。彼らの顔にひるむな。」
これは、反抗的なイスラエルを取り扱うために主が預言者エゼキエルを選ばれ、彼に指示を与えておられる箇所です。あなたは預言者ではないかもしれませんが、ある意味において、あなたは「家族のための預言者」なのです。
最初に救われて橋渡しをする者として、あなたは主の言葉と教えを家族に伝え、
真の道を指し示すのです。義なる生き方をあなたの後に続く子ども、孫、ひ孫にまで教える声となるのです。
主は、あなたに神の頑固なしぶとさを与え、以前慣れ親しんでいた「破滅への道」へ引き戻そうとするプレッシャーに耐える力をくださいます。家族の中に主の道を備えるとき(それはあなたの一生涯を要する仕事ですが)、家族を方向転換させるために受けるプレッシャーによってあなたは遂にはダイアモンドに変えられるのです。
あなたは灯台の光、希望の輝く声になるでしょう。聖霊が言っておられます。「未来のあなたの家系はあなたの光を指差して『私もあなたのようになりたい。』と言うでしょう。」
あなたを見るとき、神は過去と未来 を含む家系全体を見られる
聖書には長くて少しばかり退屈な系図があるのを御存知でしょうか。例えば「アダム、セツ、エノシュ、ケナン、マハラルエル、エレデ、、、、ハムの子孫は、クシュ、ミツライム、プテ、カナン。」(1歴代誌1:1−2、8)という具合にです。このようなリストは聖書の中に幾つか書かれていますが、それは神は私たちを一個人として見るのではなく、過去と未来を含む家系全体として見ておられるという大切なメッセージなのです。
これが「もし家族の一人が救われたならば、全家族が神の救いのご計画の中に入れられる」という約束の土台となっている原則なのだと思います。使徒行伝16:31に「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』と言った。」とあります。神は家族の上に特別の賜物と召しを与えられたのです。それはそれぞれの家系に神が与えられる祝福です。
1歴代誌12:32「イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。」
ここに知恵と悟りのあるリーダーの賜物を持っていた一族を見ることができます。それはただ個人としてではなく、一族全体が地上での任務を受けていたことがお分かりでしょうか?
ある家系は音楽や芸術であり、また 政治、五役、教育、ビジネス等の家系があります。
それぞれの家族には家族全体の任務があり、果たすべき御国の目的を成就するために神から祝福と油注ぎを受けているのです。家族がその任務を遂行しようと決意するとき、油が注がれ始め、すべてのくびきをうち砕くのです。
主は何世代にも渡る家系の祝福を回復されています!主は家族を彼らに与えられている任務へと引き戻しています!
これらの多くの任務は呪いの下に埋められてしまっていました。家族の呪いは、家族が主に背を向けたときに始まりました。
神への反逆は常に結果を伴い、その結果は子ども、そしてその子へと及びます。しかしながら、家族をその任務に引き戻すには橋渡しをする過渡的な人物が必要なのです。これは言うのは簡単ですが、行うのは非常に困難なことです。
過渡的な人は往々にして戦闘的です。それは家系のすべての呪い、 悪霊、
弱さに対して自分一人で戦わねばならず、新たな伝統を打ち立てるためにすべての困難に一人で立ち向かってきたからです。
家族の罪を告白し破れ口に立つ
過渡的な人は家族の悔い改めにかかわります。彼らは破れ口に立ち、イエスの御名によってすべての呪いを打ち破ります。
2歴代誌7:14「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」
もしまだこの祈りをしていないならば、今日天の御父と共に時を過ごし、あなたの家族が神に対して犯した知る限りの罪を悔い改めてください。彼らが犯したすべての罪を知ることはできないでしょう。しかし家族のための悔い改めのプロセスを始めるときにはそれで十分です。
あなたは訝しく思われるかもしれません。「どうして私が他の人の罪のために悔い改める必要があるのでしょうか?それは一体どんな役に立つのですか?」と。聖書の中には、自分の家族、町、地域が過去と現在に犯した罪を自らが悔い改めて、彼らを罪のサイクル、偽りの信心、他の神々と結んだ契約等から解放している例が沢山書かれています。
あなたは家族のための預言者
例えば、モーセは金の子牛を拝んだイスラエルの民の罪のために悔い改めました。ダニエルはペルシャとギリシャの悪魔の権威から人々が解放されるように悔い改め、その結果彼らは解放されました。新約では、最初のクリスチャン殉教者であるステパノは、最後まで自分を迫害した者たちのために悔い改めました。後にサウロがイエスと運命的な出会いをしたのは、ステパノの悔い改めがあったからだと言われています。
家族の過去と現在の罪を、まず祈りで、そして聖霊の助けによる実際的な行動を通して自分が責任を取るとき、まだ救われていない家族の上に天が開かれ、
聖霊による罪の示しに対して彼らが心を開くようになるのです。
この時点であなたは家族からの反発を最も激しく受けることになります。それは彼らが罪の責めを感じ始めるからです。あなたはそれに決して腹を立てないで、ただ熱烈に祈り、決して腹を立てず、彼らを愛し通す決意をせねばなりません。
もしあなたがキリストの贖いによって、どのような呪いから解放されたのかがはっきり分からないならば、聖書に書かれているリストを見てください。
のろいは最早あなたのものではありません。(ガラテヤ3:13、申命記28参照)
病気、長患い、疫病、早世、無力感、破滅、狂気、困惑、盲目、貧困、消耗、負債、旱魃、敗北、弱さ、低い身分、危険、家庭崩壊、不妊、孤独
宣言せよ
過渡的な者として、「更に偉大なこと」のために宣言してください。
ヨブ22:28「あなたが事を決めると (decree a thing 事を宣言すると)、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。」
ここで「事を決める(decree a thing)」に使われているdecreeという言葉のヘブル語はgazarで「命令する」という意味であり、それはただ事が成就するように命令するだけではなく、同時に何かが分離し切り取られることを命じる言葉です。
この宣言によって神の光が すべての道に輝くという力強い約束が与えられています。それは即ち、この宣言は暗闇の王国からのすべての攻撃を切り取り破壊するということです。
次のように声を出して宣言しようではありませんか。
・「私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:15)
・「私は神を愛し神の戒めを守る。故に私の家族への神の祝福は千代に及ぶ。」(申命記7:9)
・「私の息子、娘は繁栄する。彼らは主からの夢を見、幻を見る。」(使徒行伝
2:17)
「私の家族はますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛される。」(ルカ2:52)
・私の家系のすべての祝福が現され機能する。祝福、賜物、能力、霊的賜物は一つも失われない。
・現在と未来のわたしのすべての家族は救われ、聖霊に満たされ、心から主に仕える。
・家族の中の男性に対して宣言する。彼らは主に仕える。女性に対して宣言する。彼女らは主に仕える。すべての子ども、孫、ひ孫等々に対して宣言する。彼らは主に仕える。
・聖霊が私の家族を司る霊であり、イエスの御名が私たちのとりでであることを宣言する。(以上が宣言)
過渡的な者としてあなたは打ち破りと方向転換の油注ぎを聖霊から受けています。あなたには多くの恵みが注がれています!(終り)
09 07月
るつぼの中で精錬されよ
シンディー・ジェコブス
今多くの人が、まるでずっと圧力釜かるつぼ(激しい試練)の中に入れられているかのように感じています。主は言われます。「わたしの子よ、あなたはそこから純金となって出て来る、今は精錬の時です。今わたしは人々に訊ねています。『わたしの御国のために困難な仕事をあなたの人生で選び取ってくれますか?
ただ 自分とほんの数人の面倒を見ながらなんとかやっていくだけの低い地を歩くのではなく、高い地に喜んで行ってくれますか。 』と。
小さな人生で満足するな
「国家をわたしに求めなさい。大きなことを求めなさい。ちっぽけな人生を送ることで満足してはいけません。わたしはあなたが大きな人生を送ることを望んでいます。あなたのために計画があるからです。わたしはあなたのためのデスティニーを持っているのです!」
「わたしはあなたが更に高いレベルへと自ら進んでステップアップすることを望んでいます。今は低い地ではなく、もっと高い地に上る時です。
自分がしたいことを選ぶ自由をわたしはあなたに与えます。しかしあなた一人では最高を成し遂げることはできないでしょう。あなたは『わたしの良い計画(
My good will)』や『わたしが容認する計画(My acceptable will)』はできるかもしれません。しかし、わたしがあなたの人生のために決めてある『完全な計画(the perfect will)』には到達できないのです。」と主は言われます。
「もしあなたが徒歩の人たちと走っても疲れるのに、どうして騎馬の人と競走ができよう。平穏な地で安心して過ごしているのに、ヨルダンの洪水の時どう過ごせよう」(エレミヤ12:5)と主が言われます。
今のるつぼの困難なシーズンに、わたしの目はあまねく全地を見渡しています。わたしの目は、わたしが用いることが出来る者、信頼できる者、困難な状況を変えるように頼める者を捜しています。わたしは今の世代のエレミヤ達に油を注ごうとしています。しかし精神的強さが必要です。勇気が必要です。今持っている以上のものが不可欠なのです。
主の臨在の中に留まる決意
「今はわたしの中に入り込む時です。」と主は言われます。「今は必要な時にわたしの臨在の中に潜り込まねばならない。わたしと共に時を過ごし、わたしと親密になり、臨在の中に留まる者となる決意をする時です。なぜならば、岩の裂け目に入りわたしの手で覆われなければ、出来るはずのことも出来なくなる者が大勢いるからです。
「るつぼの中で精錬される時も、泣き言を言ったり自分を憐れんではならない。」と主は言われます。「あなたから燃え落ちるのは藁や草や籾だけだとわたしは約束しているからです。永遠に存続するものは燃えません。敵の攻撃の火が襲ってくる時、知りなさい。ーあなたが正しい道を歩んで来たからこそ、攻撃の火がやってきたことを。
その火をチャレンジとして受け取りなさい。立ち上がり宣言しなさい。『私のうちにはより偉大な方がおられる。攻撃に私は負けない。私は克服する。人生のチャンピオンになる。私は勝利へと召されている。私は凱旋へと召されている。』と。」
もっと高い地に上って来なさい
主はあなたに言われるでしょう。「わたしのところに上って来なさい。もっと高い地に上がって来なさい。低い地に留まるな。そこは雑草が生い茂り敵の妨害があるところだ。サタンはあなたがそこに留まるのを望んでいる。わたしのいる御座の部屋に上ってきなさい。天のわたしのところに上ってきなさい。来てわたしのそばに座りなさい、わたしの息子、娘よ。」
そうすれば、あなたは高い場所から敵の妨害を見下ろすことができる。妨害は一時的なものに過ぎなく、永遠のものではない。あなたは永遠のものだ。あなたはこの世の事象に支配されるものとして造られてはいない。あなたは勝利者になるように召されている。」
「わたしは今あなたに慰めの油をとき放っている。この言葉を聞いている今もすでに慰めの力が注がれている。わたしはすべての慰めの神である。わたしはよい羊飼いである。わたしはあなたを愛する神である。わたしはあなたを緑の牧場、いこいの水のほとりに導く。わたしはあなたが『私の杯はあふれています。私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。』と言える地へと導く。あなたはわたしの家にやがては住むであろう。」
しかし主は言われるでしょう。「わたしは『良い忠実なしもべよ。』と言いたい。『そうだ、あなたはわたしが願ったすべてのことを成し遂げた。』とあなたに言いたいのだ。るつぼの時に意気消沈してはならない。あなたは純金としてそこから出てくるのだから。」と。(終り)
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