10 11月
本当のイエス
フランシス・フランジペイン
嵐? 幽霊? それともイエス?
イエスは常にあなたの信仰を完全なものにしようとしておられることを忘れないでください。(ヘブル12:2)本物のイエスならば、 あなたがいつか「不可能なもの」と正面から向き合い、不可能を可能とする神の力を信じることを必ず求められるに違いありません。
主が弟子たちにガリラヤ湖を渡らせた日のことを考えてみましょう。真夜中になったとき、主は水の上を歩いて弟子たちのところに来られました。(マタイ14:22−33参照)湖には強い向かい風が吹き荒れていて、舟は荒波に悩まされていました。勿論イエスは穏やかな日を待って水の上を歩いてもよかったのです。あるいは、超自然的に向こう岸まで瞬時で行くこともできました。でも違います。主はその時、ある目的をもって弟子のところに来られたのです。それは弟子たちに信仰について教えるためでした。
嵐は非常に激しかったことに注目してください。イエスは弟子たちに「水の上を歩くための基礎知識」という授業はしませんでしたし、水たまりの上での練習とか、湖が凍る冬まで待つこともされませんでした。
静かな海の上を歩くより荒波の上を歩く方がずっと困難なことは勿論です。それだけではなく、主は昼間ではなく真っ暗な夜に来られました。イエスは湖の真中に、嵐の最中の、しかも真夜中に、水の上の歩き方を教えるために弟子たちのもとに来られたのです。
イエスのなされる信仰のレッスンは決してやさしくはないのです!ここに描かれているのは本当にリアルなイエスがリアルな弟子たちを取り扱っておられる姿です。その時弟子たちの身体は疲れ果て、心は恐れに満ちていました。
真っ暗な荒波の上を歩いて来る姿を見た時、弟子たちの恐れは恐怖へと変わりました。彼らは「幽霊だ!」と叫びました。イエスは舟に近づき、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました。
あなたが激しい嵐の中にいるとき、イエスが「わたしだ。It is I. 」と言われるなら、それは信仰への呼びかけであり信仰への招きです。主が「しっかりしなさい。Take courage.」と言われるのは、行動への促しであり招きです。なぜならば本当の信仰は名詞ではなく動詞だからです。真の信仰は必ずある時点で「勇気」を必要とします。
ペテロは「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」と言いました。この言葉は実際のところ、とてもすばらしい言葉です。これによって真のイエスの理解が深まると同時に、ペテロとイエスの関係をもうかがい知ることができます。
ペテロはイエスと出会って以来、主が弟子たちに不可能なことを要求するのをずっと見てきました。即ち、病人を癒し、一人分の食糧で群衆を養い、死人をよみがえらせるというようなことです。ペテロはイエスが奇蹟をされるのを繰り返し見てきました。そして 主は、ペテロが目撃した奇蹟を ペテロ自身が行えるように何度も彼に力を与えてこられたのです。
嵐の夜、ペテロは素晴らしい識別力を発揮しました。これも又、私たちが特記すべきことです。「もしこれが本当に自分の知っているイエスならば、直ぐに不可能なことを私に命じられるに違いない」とペテロは考えました。そしてその通り、イエスはペテロに「来なさい。」と命じられたのです。
実際のところ、ペテロは水の上を歩いたのではありません。 彼が一歩踏み出したのは、「来なさい。」という主の御ことばの上を歩いたからです。「不可能なこと」を成し遂げる力は、キリストの御ことばに従う中にあることをペテロは学んでいました。彼はこの超自然的なリアリティーの上に立ったのです。
お分かりでしょうか、信仰とは「イエス・キリストの命令の確かさを信頼すること」に他なりません。水の上に一歩を踏み出したとき、ペテロは何か特別な力を感じたと思いますか?
彼が感じたのはただ嵐だけだったと私は思います。興奮で鳥肌が立つとか、栄光で身震いするとかは無かったと思います。ただ主の御ことばへの従順があっただけです。
波しぶきを顔に受けながら、ペテロは揺れ動く舟の縁に座り、荒れ狂う水の上に足を伸ばし、風と雨を通してイエスを見つめました。そして荒れ狂う海の上に下りて真っすぐに立ったのです。
パシャ!一歩進みました。パシャ!一歩、又一歩と彼はイエスのそばまで歩きました。これは決してほんの短い歩みではありませんでした。
誰でも水の上を確かに最初の一歩は歩けます。二歩目からが難しいのです。ペテロは波に気を取られるまで歩いたのです。そしてイエスから目を離してしまい沈み始めました。勿論、主は彼を助けました。そして二人が舟に乗ったとき、風はやみました。
私たちは 主が「ペテロ、やったね!」と言われるのを聞きたいような気がします。ペテロも「水の上を少し歩いた」という実績を誉めてもらうことを期待したかもしれません。でも違いますね、イエスはやさしく彼をたしなめて「なぜ疑ったのか?」と言われたのです。
キリストはペテロの内に何か素晴らしいことが起り始めていることを見て、それが宗教的プライドや自己憐憫で汚されることをよしとされませんでした。私たちの多くは、何か神のために善き業をする度に栄誉のメダルが欲しいのです。しかし主は、私たちやペテロが自分の功績を(特にそれが始まったばかりの時には)記念する碑を建てることを許されないのです。
この奇蹟がアメリカの誰かによってなされたのであれば、2週間もたたないうちに「水の上を歩いた記念日」とかTシャツやツアーが出来ていたことでしょう。しかしイエスはご自分の弟子にはそのようなことは一切許されませんでした。主はペテロの中に素晴らしいものが現われ始めたのをご覧になりました。しかし主が求められたのは、弟子たちがご自分に似る者となる事だけだったのです。
忘れないでください。神のゴールは私たちがキリストのようになることです。本物のイエスであるならば不可能な事をするようにと私たちを招いてくださるのです。神と共に歩むとは、私たちが今までしたことのないことに召されることです。あなたはイエスがあなたの前を(恐らく何らかの嵐の中を)歩いて行かれるのを見るでしょう。その後について行くならば、あなたは変革され、あなたの周りの世界に影響を与える奇蹟が始まるのです。
祈り:主よ、今まで超自然的な人生を求めることなく、安全な人生だけを求めていたことをどうかお赦しください。もっとあなたを求めます。私が馴れ親しんだ舟(何も変ったことは起こらない日常的な世界)から私を呼び出してください。主よ、失われた人々に手を差し伸べるために、どうか私の信仰を増し加え、あなたと共に「神の可能性」という水の上に立つことが出来るようにしてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン (終り)
31 10月
2019年秋の日本旅行を終えて
坂 達 也
天に召されたヘンリー・グルーバー師
私たちは、今回の日本旅行がヘンリー・グルーバー師を天に見送る最後の旅行となるかもしれないことを主から示され危惧しつつ祈っておりました。そして、私たちの旅行中10月10日に師の昇天がご家族により告示されたのですが、その悲しいニュースを図らずも師が格別に愛された日本の地で、日本の教会の皆様と共に祈りつつ迎えることができたことは主の格別のお計らいであったと主に心から感謝し、グルーバー夫妻(ジュデス夫人は昨年昇天されました。)という貴重な器を24年間、最も必要な日本のためにお遣わし下さったことに対し心から、主に栄光を捧げます。
実は、師が9月20日にホノルルで、森 章先生の信徒の方お二人が結婚する司式を森先生と共にされるという予定を聞いて、その前日に私たちWWGMの年次総会(ヘンリー師は私たちのミニストリーの役員の一人)をホノルルで開き、その足で日本に参る予定でおりました。しかし残念なことにヘンリー師の体調が回復せずそれは実現しませんでした。それで私たち夫婦はホノルルに寄らずに直接ニューヨークから東京に向かい、19日に到着しました。そして沖縄に21日に行く予定でしたが、折からの台風17号に2日間足止めされ、23日に沖縄本島を訪れました。こうして5年ぶりに訪れた沖縄でしたが、そこで訪れた5つの教会は、すべてヘンリー師の祈りの歩行の実践と教えの恩恵を受けた教会でした。
なかでも、金武バプテスト教会の、今では天に召された横田盛永先生は、私たち夫婦がグルーバー夫妻を伴って最初に訪ねた愛知県豊田市にある安田由久師ご夫妻の「泉の森祈祷院」の開所式に際しての日本最初の集会に、北は北海道から南は沖縄まで全国から主が集められた40名程の一人でした。泉の森祈祷院の開所式は、師が昇天された日からちょうど24年前の1995年10月10日でした。そして、その翌年東京の集会に来られたサレム宮里教会の島袋英子先生のお招きにより、グルーバー師夫妻は1997年に初めて沖縄に来られて以来、今年の2月まで毎年のように沖縄を訪問されるようになりました。
今回、訪れた金武バプテスト教会(横田聖子牧師)はグルーバー師の指導による「地の呪い」を取り去る長年の「祈りの歩行」の成果が見事に実った地区の一つです。
最初に訪ねた頃の金武の町は、駐留米軍基地の真ん前にあり、バーやキャフェが立ち並ぶ歓楽街で不祥事が多発していました。その歓楽街が、まるで奇跡を見るように消えて無くなり、今では子供が安心して遊べる美しい緑地公園へと変えられたのです。そして、今回訪ねて再び驚いたことに、この地区の環境整備は益々行き届き、その中にあって、この金武バプテスト教会も地区に必要な真新しい立派な保育園の建設を終え、今や100名以上の子供達が楽しく集っている姿を見ることができました。
その他今回私たちは、益々霊的に発展充実されているセンター世の光教会(原田満珠美牧師)、ヘブンズ・チャーチ(松田愛枝牧師)、サレム宮里教会(伊覇房子牧師)等を訪問しました。
それに、ジョイ・チャペル(大城節子牧師)では、50台の駐車場付きで100余名を収容できるノアの方舟を彷彿とさせる斬新なデザインの美しい教会堂を建て、既に聖日礼拝者が100名に倍増しているというお話でした。
沖縄は古くからユタ等の多くの霊媒師(シャーマン)の活動が盛んです。皆様ご存知の通りヘンリー師は世界中の悪霊に呪われた土地とか、特に無実の血が流された土地を聖めて開放する仕事をされて来られましたので、特に沖縄では、上記の地区とか教会だけでなく、ほぼ沖縄全域を恐らく40以上の教会を通して祈りの歩行をされて来られたと思います。
師の日本での働きは沖縄だけではありません。北海道を含む本土全域と小さな島々をも訪ねておられ、私たちは最初の約十年間の通訳を担当して悠に100以上の教会を回っていますから(複数回は数えず)、私たちの後を受け継いでいただいた森 章先生が後の14年間に、ヘンリー師と共に全国各地を廻られた新たな教会数は恐らく100以上(多くの教会は複数回廻られた)でしょうから、併せて200以上の教会とその地域を廻られたことになります。
それに加え、ジュデス夫人のオートハープによるミニストリーに私の家内の柚実子が同伴し、特に中部地方を中心に10教会程回っていることも付記させていただきます。
又、グルーバー師夫妻は祈りの歩行だけでなく、各地の教会での福音のメッセージと共に、特にヘンリー師は「個人預言と祈り」を必ずと言ってよい程各教会でされましたので、その恩恵を受けられた方も多いと思います。
そして、私たちの旅行の後半になって、ヘンリー師の容態が悪化した様子を逐次報告を受け、多くの人々は「もう一度だけでも日本に」と熱い祈りを捧げました。しかし、師は地上での任務を完了され、13人のお子さんたちと多くの孫、曾孫に囲まれて天への帰路に着かれました。
私たちの見た日本
今回私たちが訪れた地区は、本土では、西は奈良県から東北は青森県までですが、折から三度の台風と大雨による甚大な被害の報道を連日目の当たりに見て過ごしました。これは昨年襲った関西、九州地区への大きな水害と相まって、日本列島は今だかって経験したことがなかった河川決壊・土砂崩れ等による水害を見たのですが、今の日本の状態を一言でいえば、人間の知恵だけでは何事もうまく行かないと言うことではないでしょうか。
日本の政治を見ればそれは一目瞭然です。国内だけでなく、隣国との関係も今までにない深刻な亀裂状態から抜け出せず、今ほど神の知恵と力が必要な時はないことを改めて深く考えさせられました。
と言うより、そう見せているのは神ご自身のご計画であることに気が付きました。なぜなら、神はクリスチャンである私たちにこそ、そのことに目覚めて欲しいからです。
そこで詩篇119を見て見たいと思います。
125−126節「私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください。そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。今こそ主がことをなさる時です。」
130節「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」=これは創世記のはじめに出てくる「光」を指してはいないでしょうか?
131ー136節「私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。御名を愛する者たちのためにあなたが決めておられるように、私に御顔を向け、私をあわれんでください。あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。私を人のしいたげから贖い出し、私があなたの戒めを守れるようにしてください。御顔をあなたのしもべの上に照り輝かし、あなたのおきてを教えてください。私の目から涙が川のように流れます。・・・」
143節「苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは、私の喜びです。あなたのさとしは、とこしえに義です。」
149、151−52節「あなたの恵みによって私の声を聞いてください。主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。・・・主よ。あなたは私に近くおられます。あなたの仰せはことごとくまことです。私は昔から、あなたのあかしで知っています。あなたはとこしえからこれを定めておられることを。」
171ー176節「私のくちびるに讃美がわきあふれるようにしてください。・・・私はあなたの救いを慕っています。主よ。あなたのみおしえは私の喜びです。・・・私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。」
ホセア書10:12
「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。(いばらの中に種を撒くな。良い地に蒔け。=マタイ13:22、23)
今が、主を求める時だ。ついに主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」
最後に申し上げます。今回各地を回り、そこには多くの希望を持って耐え抜いておられる人を見ました。日本は確かに今、イザヤ書60:2に書かれている「見よ。闇が地をおおい 暗闇が諸国の民をおおっている。」状態にあります。「しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光が現れる。」その主が間もなくやって来る気配を感じました。(終わり)
25 10月
神の娘たちの新しい出発
ラナ・ヴァウサー(Lana Vawser Ministries)
解放と啓示
最近私は、主が「神の娘たちよ、今はあなたの新しい出発の時です。」と言われるのを聞きました。これを聞いて私は、主が主の娘たち、即ち皆さん方を励ましておられるのを強く感じました。皆さんの上に新しい始まりを宣言する天からの声が、私を取り囲みました!シフトが起こることが宣言され、偉大なる解放と啓示が起こっています。
今は神の娘たちの人生の新しいシーズンであり、「解放と啓示が急速に明確になっている」と主が言われました。
あなたを縛っていた鎖を神は今解き放っているのです。神はあなたを閉鎖的にしていた考え方を取り去っています。神はあなたを窒息させていた抑圧を取り去っています。神はあなたを混乱に陥れていた絶望と落胆の旋風を取り去っています。
主は今「新しい始まり」がどのようなものであるかを啓示されています。あなたは自分のアイデンティティーに関するフレッシュな啓示を受け取ります。あなたの召しがはっきりわかるようになってきます。神の御霊があなたの人生に、そしてあなたの人生を通して働いておられるのを、あなたはもっとはっきりと分かるようになってきます。
あなたは神の御声を聞き、主の言われることを確信するシーズンに入っています。
以前は敵が主の言葉を曲げて混乱させるので、あなたはふらふらとよろめいていました。しかし、今あなたははっきりと主の御声を聞き、
確信と平安を持つようになりました。あなたは神の御声を聞ける確信が絶対必要です。なぜならば、それは主があなたを遣わそうとしている場所で必要だからです。
あなたが新しく主から与えられる仕事、新しい扉、主と共にする冒険や事業のためにそれが必要なのです。あなたがただ主の声だけを土台とし、主の声によって強くされることを主ははっきり確認される必要があるのです。神の娘たちに対して非常に厳しいブートキャンプ(新兵訓練)とウエイトトレーニングが、様々な方法で行われています。主はそれによって神の娘たちの霊的信仰の筋肉を鍛え上げているのです。周りの困難な状況や敵からの攻撃の言葉を押しやり、神の御言葉だけに立つことが出来るように、主はあなたの信仰の筋肉を強化しているのです。
主は娘たちが主の御声をはっきり聞き、それを
確信できるように強化訓練されています。それは現代の「エステルたち」が腹の中に主の言葉の火を持って、都市や国に出て行き、そこの文化習慣に影響を与えて造り変え、神の御国を拡大するためです。
新しいストーリーを書く
私は主が言われるのを聞きました。「あなたは新しいストーリー、物語を書いているのです。」私たちの行く道が変っていきます。一つの物語が終り、次の物語が始まります。主はこの新しい時代にあなたのために非常に多くの神からのサプライズ(突然の贈り物)を用意されています。そのために備えるのは神の娘に与えられている責任です。今「主よ、私はどのように備えをすればいいのでしょうか?神よ、何が私にとって備えとなるのでしょうか?
主よ、どうか私に備えをさせてください。」と祈り願うことが、今、
緊急に必要です。神の娘たちのランプに十分な油があることがきわめて重要です。(マタイ25:1−13)
栄光の王が来ようとしています。(詩編24:7−9)神の重要なタイミングが今、娘たちに来ています。娘たちが自分のアイデンティティーを見出し、神から相続すべきものを知って受け取り、社会への影響力を増す時なのです。
あなたのために備えられている新しいストーリーを恐れないでください。それは神があなたの人生に、そしてあなたの人生を通して作られる歴史を証人として見るストーリーであり、今までとは違うことが起りはじめるのです。今、多くの事がここにかかっています。主と共に秘密の部屋に入り、主を喜び、主を知り、主にだけあなたの愛を捧げ、主の導きに従うことが極めて重要です。
配線しなおされ、求められる(Rewired and Required)
私はイエスが主の娘たちの脳を直しているヴィジョンを見ました。主は最高の名外科医のように見えました。主は私を見上げて微笑み、「神が配線しなおす時がきました。」と言われました。すると直ぐに私は
、 娘たちの人生の中にある「主の御言葉や主の思い(1コリント2:16)とは一致しない思考パターン」と「思いの中にある敵の要塞」を主が表面に浮かび上がらせていると強く感じました。
主はこれらの習性的思考パターンをいろいろな方法で表面に浮かび上がらせておられました。それは次から次へどんどん現われてきました。それがあなたに起こったとき、どうかパニックになったり落ち込んだりしないでください。主は、あなたが悪い思考パターンに同調していたことを悔い改め、それらとの契約を破棄し、聖霊に主の真理を訊ねるようにと浮かび上がらせておられるのです。このプロセスでは、大々的な配線のし直しが起こっています。それは癒し、解放、自由、昇格を生み出すための新しい配線です。
次に主は「必要とされる 」という言葉を示されました。再びエステルのヴィジョンが目の前に現われ、主が「娘たちは必要とされます」と言うのが聞こえました。皆さんは主に召し出されるのです。
この新しい時に、 神の御手で備えられた特別な場所で、あなたの口は神の知恵で満たされ、一人、或いは100人とか何百人に向かって、神が遣わされるところならどこででも、あなたは用いられるようになります。今こそあなたが必要とされる所に行き、神が備えられたすべてに携わるときなのです。今がその時です。(エステル4:14)
あなたは心の奥底の戦いを経験し苦悩することもありました。しかし主はあなたの心を一新する深い訓練を通して、苦しみ、葛藤を打ち破っておられます。あなたは信仰によって生き、より高いレベルのリアリティーに生き、上に登っていくのです。
神の知恵を願ってください。(ヤコブ1:5)そうすればあなたは知恵で満たされ、天からの知恵、見識、方向性と天の計画で溢れるようになります。シフトの時が来ました!
あなたの新しい出発が始まりました! 解放と啓示が起こるのをよく見ていてください!
(終り)
14 10月
神との関係をレベルアップする(その2)
グラハム・クック
もしあなたが御国の実力者になりたいならば、イエスがあなたにとってどれほどの方かという深みを知らねばなりません。神の愛を本当に理解する時、あなたは高みに上るのです。神は今、「キリストが私たちにとってどういうお方か」という私たちの土台を強固なものとし、イエスの中に私たちがさらに深く入るようにと招いておられるのだと私は思います。
これからあなたのデボーションの時のために、あなたと神の関係のために預言をしたいと思います。どうかこれをいつも見て、どのように祈ればいいのかを学んでください。これをあなたの祈りのノートに書き留めて祈ってください。
あなたのための神のことば
わたしはあなたを永遠の愛で愛しました。そして慈しみと愛をもってあなたを私の臨在へと引き寄せました。わたしはあなたをわたしの息子イエスの中に入れ、わたしがイエスを扱うのと同じようにあなたを扱えるようにしました。イエスはわたしの愛する子であり、あなたも又彼の中にあって、神に愛されている者です。
あなたのうちに信仰を生まれさせたのは、わたしの愛です。あなたが困難な状況の中で、恐れや不安を抱かずに立つことができるのは、わたしの喜びがあるからです。わたしの威厳ある力があなたを勝利させるのです。「わたしはある」というものがあなたに信仰を与え、情熱を与え、勝利させるのです。わたしの計画はあなたに王のような威厳のある心と思いを与えることです。
わたしたちは(父、子、聖霊)、非常に強い期待をもってあなたを見守っています。わたしたちはあなたがキリストのうちにあって、キリストのようなることを学んでいることを大変喜んでいます。あなたがわたしたちのうちにあって今の新しいシーズンにどのような者になるかを、大きな期待をもって見守っています。
わたしたちはあなたのキリストにある旅路に深く関与しています。ですから、あなたがわたしたちから最大の厚意(フェイバー)を受けて生き、あなたのために整えてある溢れるばかりの豊かさを享受し、主のうちに住む許可をわたしたちは与えます。あなたが成長していく姿にわたしたちが心を奪われているように、あなたも人生を100%生きてください。わたしたちがあなたのためにしているすべての事にあなたが注意を払う許可を与えます。わたしたちがあなたのフォーカスであり、あなたの情熱であり、あなたの人脈です。あなたが今まで経験したことがないほど楽しみ、物事をよく見て、成長する許可を与えます。
あなたはこの人生の中でわたしたちと同じようになるのです。あなたの「新しい人」には、この世でイエスが生きたように生きることを一番の目的とする許可が与えられています。
あなたに与えたすべての約束は「しかり、アーメン」を携えています。あなたは2倍の祝福と厚意を神から受け、有利な立場に立っているのです。わたしたちはあなたが御国で何倍もの力を持つ人になって欲しいのです。ですから、わたしたちは言います。「わたしたちのところにきて、わたしたちと共にあなたの座に着きなさい。わたしたちがあなたのために整えたすべてのことにおいて、安息し、信頼し、感謝することを学びなさい。」
わたしたちは忠実さを好みます。ですからあなたが何よりもわたしたちの言葉を信頼することを求めます。あなたが「それは必ず起こる」と期待して生きるように今訓練しています。わたしたちは、あなたの人生で起こるすべての状況、出来事を用いてあなたを訓練し、啓発し、昇格させ、昇進させて、あなたが今まで以上にキリストの内に、そして御国に来るようにします。そしてキリストにあって、最早この世に束縛されることなく、荘厳な御国へと解き放たれることを宣言します。
わたしたちは、神の偉大さがあなたの新しい基準(普通のこと)になる許可を与えます。その代り、わたしたちは一つの事をあなたに求めます。あなたに対するわたしたちの忠実さを信頼し、どのような状況にあっても信仰を告白することです。なぜなら信仰の告白は、わたしたちと同じように見、考え、話すための力をあなたに与えるからです。それによってあなたが新しい人となり、わたしたちのようになるための力が与えられるからです。
あなたは将来をつねに喜びをもって期待し待ち望みます。あなたはすべての状況は好転すると予期し、すべての状況をわたしたちの尊厳のある目を通して見ます。それによってあなたの心は新しくされ、すべての事を御国の中の出来事に一変させることができます。
あなたは、御国の知恵と啓示の霊を与えられ、何ものにも阻まれない固い真理を掴むので、 イエスが真にあなたの道、あなたの真理、あなたの命となります。
わたしたちの輝く愛からあなたを引き離す告発や辱めはありません。却って、わたしたちとの交わりが与える力を放つ確信に満ちた大胆さが、あなたがそれを最も必要とする時のために育まれています。
あなたはわたしたちの中にいます。わたしたちは変ることがありません。わたしたちは永遠に真実であり、不変です。あなたがどれほど成功しても、又どれほど失敗しても、わたしたちは全く変ることはありません。ですから、あなたがどのような状況にあっても、わたしたちはあなたのそばにいてあなたを助けます。わたしたちはあなたに誠実であり、忠実であり続けます。
ですからわたしたちに対してあなたも同じように誠実で忠実であるように、あなたが自分を訓練する番です。あなたはわたしたちの内にあり、わたしたちは常に喜んでいるのですから、あなたも心配したり、恐れたり、不安になったり、くじけたりしないように訓練するのです。
わたしたちはいつもハッピーです。あなたに話す言葉はすべて、わたしたちの喜びがあなたのうちにあり、満ちあふれるためのものです。
わたしたちは大胆です。わたしたちは絶対的に自信があり、喜ばしい確信をもって語ります。わたしたちは二心ではありません。キリストにあってすべては「しかり、アーメン」なのです。わたしたちが赤信号に変えるまでは、あなたの前の信号は青なのです。ですから「今はその時でしょうか?」と聞くべきではありません。わたしたちは勿論、「そうです、今はその時です。」と答えるでしょう。なぜならば、あなたが前進するべき時はすでに過ぎているからです。
ですからあなたは今追いつかねばなりません。わたしたちは「あなたのタイミングは、今だ!」と言います。今日がそうです。今がその時であり、「しかり、アーメン」の時です。青信号ですから走ってください。
あなたが直面するすべての場所に、わたしたちはあなたの先に行っています。
わたしたちはそこにあるすべての問題を知っています。わたしたちはそこに必要なものを今置いていますから、あなたがその場所に着く時には、そこで必要なものをすぐ受けることができます。
ですから、あなたが今の地点で 必要なものはすでにわたしたちによって調えられているのです。「それをあなたは見つけます。」と宣言します。あなたは「ここに何があるのですか?
この事態のためにあなたはすでに何をしてくださったのですか? ここにすでに備えられたものは何ですか?
この問題を感謝します。ここにあなたが与えた可能性は何ですか?」とわたしたちに訊かねばなりません。すべての問題のすぐ横には必ず可能性がおかれていることをあなたに知ってほしいのです。
あなたは解決が伴わない問題に出会うことは決してないのです。すべての問題は必ず解決が用意されていて、わたしたちはあなたがそれを見つけるように助けます。それを見つけて掴み、使って、解決するのです。あなたは御国の住人であり、それが御国のやり方だからです。
「この世で霊的に生きる」というのは、この世に生きていても「この世の者」になってはいけないということです。あなたは御国の者になってください。もし、この世が野球をしているとするならば、御国ではもっと激しいアメリカン•フットボールをしています。誰かが怪我をします。けれどもイエスは地獄よりも頑丈です。あなたがイエスを信じ期待するならば、それはあなたの見方、考え方、話し方、行動
、信じ方を強固なものにしていくのです。
わたしたちの意図は、わたしたちとの交わりを通してあなたが強くなることです。わたしたちが許可していることとパワフルに出会ってほしいのです。あなたにすでに与えられているわたしたちとの人生を実践し喜ぶならば、あなたにはすべてが許可されているのです。
あなたをわたしたちの姿にするために意図しているのは、あなたがわたしたちと同じようないのちを持つことです。ですから、愛する者よ、立ち上がり、固く立つようにとわたしたちはあなたを召します。
過去は最早過ぎ去ったと宣言します。今は新しい日であり、新しい日にはすべてのものが新しくなるのです。あなたは、過去の失敗、間違い、誤解をもう捨て去ります。
あなたがわたしたちのところに来なかったのは不信仰の故でしたが、もうそれを捨てなさい。あなたは様々な状況をただ耐えるだけではなく、すべての状況を楽しむことを学ぶのです。わたしたちが発見の旅にあなたを就かせたからです。旅の途上、即ち、すべての状況、問題、人間関係の中に、あなたは贈り物を発見します。
天国はただ物をずっと貯蔵しておく倉庫ではないことを知ってください。天国の倉庫に貯えられたものは地上に下りて来なければなりません。
教会に「昇格」という贈り物が下りてくるならば、町の人々はみんな救われてきて、すべての人は神の厚意と祝福と豊かさを受けるようになるのです。天からの贈り物が、家族や地域社会に下りてくる必要があります。この地の人々が希望と期待を持つためには、
皆さんが祝福されていることを彼らが見る必要があるのです。
わたしたちはそのために働いているのです。どうかわたしたちのパートナーになってください。あなたは今までなかったほど力強くなります。あなたのために多くのことが用意されています。あなたが内なるキリストとの関係を強めるならば、最高の祝福が約束されているのです。あなたの用意が整ったならばいつでも始めましょう。わたしたちの用意は整っていますから。
(終り)
07 10月
神との関係をレベルアップする(その1)
グラハム・クック
今日は、私たちが主との関係をもっと深めることが主の御計画だということをお話したいと思います。それは私たちが今混迷の時代に生きているからです。世界で今混乱していない国は一つもありません。この無秩序な混乱に対して私たちは、イエスとの関係をもっと深めて立ち向うことが不可欠です。まず、今はエレミヤ31:3の時であると思います。
エレミヤ31:3「主は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。(I have loved you with an
everlasting love.)それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。(I have drawn you with
unfailing kindness. わたしは絶えることのない優しさであなたを引き寄せてきた。)』」
この聖句をよく読んで、次のように自分に問うことが大切だと思います。即ち、「私は本当に主に引き寄せられた所にいるだろうか?
引き寄せられることを自分に許しているだろうか? 私の人生に、又私の状況の中に永遠の神の愛を期待し待ち望んでいるだろうか?」と問うのです。
あなたの周りに問題はなくなりませんね。それは様々に形をかえてやってくるのです。状況や問題がやさしくなることはありませんから、私たちが成長し変ってゆかねばなりません。そうなるためには、自分の内におられるキリストがどのような方であり、神が私たちのためにどのような方になってくださるのかを、まず自分の人生の土台に据えねばなりません。
どのような事態、問題の中でも、私が神に好んでする質問は「この問題の中で、あなたは私のためにどのような方になってくださるのですか?」というものです。私たち一人ひとりに対する神の第一の目標は、私たちが神を大好きになることだからです。あなたの人生の状況や問題を用いて、私たちがどうしたら神のようになれるかを、神は教えようとしておられます。それが「御国における関係の学び Relational Learning in the Kingdom」と呼ばれるものです。
神は私たちを救助するためではなく、私たちを元気づけ、回復させ、私たちが問題の下敷きになって押しつぶされるのではなく、その上で生きるようにしてくださるために神はいてくださるのです。
イザヤ63:7にはこう書かれています。
「私は、主の恵みと、主のくすしいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。」
私たちはこの場所から生きるのです。即ち、完全に期待し、信じて待ち望む場所です。私たちに対する神の御思いが、そのまま私たちの思いになるのです。神があなたをどれほど愛しておられるかを知るとき、あなたはどれほど信じ期待してよいかを知るのです。
もしあなたに娘がいるならば、そのことが理解できると思います。私の娘はそばに来て、「あのね、お父さんは私をすごく愛しているよね。」と言います。私は「まあね。」と答えます。娘は「私をすごく愛しているのはお父さんの様子をみればわかるわ。」と言うので、私はまた、「まあね。」と言います。私は娘が何をねだるのかを待っています。娘は父親にねだることができることを知っているのです。でもそれがあまり高価なものである時は、買ってやることができない時もあります。娘が肉の父親である私にねだることができるように、天の父にもねだることができる事を、私は娘に教えました。そして天の父のほうが勿論、私よりもっとよくしてくださるのです。だから娘は私に期待するように、天の父に期待していいのです。
今娘は私が持っている会社の一つを経営していますが、私にお金をねだったように、御父を信じて期待しています。それは素晴らしいことだと私は思うのです。自分がどれほど相手に愛されているかを知るとき、その人との
関係が築けるのだと思います。自分はその人からどれほど厚意を得ているかを知るならば、その厚意を用いることができます。
神は私たちに願ってほしくないものもあります。神がすでに与えておられるものを私たちが更に願うことを、神はしてほしくないのです。考えてみてください。あなたが神に願ったのに、何も起こらなかったことが何度ありましたか?
それは神が「あなたが願っていることは、キリストにあってあなたはすでに持っています。 すでに与えているものを『下さい』と頼んではいけません。
あなたが持っているわたしとの関係を調べてみてください。その関係がどう改善されるべきかを知り、その関係に入ってください。」と言われるのです。
私たちは今日、そのような神との関係に入りたいと思います。私たちには果たすべき任務や召しがあり、それを果たすためには、
神との関係を今よりも深め強めなければなりません。これは皆さんを批判しているのではなく、神との関係はどんどんと深く強いものになる可能性があるということです。私たちは更に深いレベルでイエスからすべてを受け取ることができるのです。
神は私たちを情熱的に愛しておられ、それが私たちの内にも熱心さを生み出します。神が私に関わってくださる方法が私は大好きです。私はそれを探検するのが好きなのです。イエスは大きな国ですからね。私たちは彼がどのような方なのか、「キリストの内にある」とはどういうことなのか、「キリストを内に持つ」とはどういうことなのかを探求せねばなりません。
そのような領域をあなたは掴み取らねばなりません。あなたは その領域、
約束の地を今すでに受けているのです。約束の地とは、即ち、「あなたの内にキリストがおられ、キリストの内にあなたがいる」ことです。そして私たちはその領域を探求せねばなりません。ただ個人や家族としてだけではなく、地域社会としても探求するのです。私たちは今までとは違うレベルで祈り始め、必要からではなく、必ず答えられると予期して祈り始めねばなりません。
もしあなたが預言の言葉を受けているならば、それを祈りの中に組み込むことが必要です。もし神からの約束を頂いているのなら(約束は天国の通貨です)、その約束をあなたの思考や物の見方、言葉、祈り、讃美の中に組み込むことによって、あなたがそれに取り囲まれるようになることを神は望んでおられます。
あなたは約束を掴み、用いて、その上に立つのです。約束はその許可証です。聖書の言葉も許可証です。預言も許可証です。それは神が「そうだ!」と言っておられることなのです。
神が何年も前にすでにくださっている物を願うことを止めてください。ずっと以前に預言の言葉を受けているならば、その言葉を奥の方から一番前に出してください。
ずっと以前にその預言を受けた時、それはあなたにとっては耳慣れない言葉であり理解が出来なかったのですが、今のあなたにとっては、まさにそれは「今この時のための言葉」かもしれません。今はその預言が解き放たれる時です。神が必ずよくしてくださると期待し予期することによって、今は問題だとしか思えないことを、可能性として捉えることができるようになります。
もしあなたに問題があるならば、それと共に神は必ずそれを解決する可能性も用意されるのです。あなたがキリストにあり、キリストがあなたにあるならば、すべてのことは可能なのです。即ちすべての問題は可能性に変えられ、あなたは期待と確信をもって神に近づくことができるのです。
私は「Brilliant Perspectives」「Brilliant TV」「Brilliant Book
House」という3つの会社を経営していますが、スタッフには「私は、あなたたちを『問題』を取り扱うためにではなく、『可能性』について話し合うために雇ったんですよ。問題を可能性に変えるために皆さんに給料を払います。私のところには、問題についてではなく可能性について話すために来てください。神は可能性の神であり、私たちは御国の住人であり、御国では違う法則が適応されるのです。この世では艱難がありますが、御国では別のものを与えられるのです。
ですから、あなたはどの立ち位置から生きるのか、どなたの内に生きるのか、そして人生の土台は何かを決めねばなりません。個人的に、また家族、教会のキリストにある霊の土台がもっと強められる必要があります。
それによって私たちはただ期待するだけではなく、必ず良いことが起こると予期する生き方をすることができるのです。
今の混沌とした世界で、私たちは混沌の中の問題を見るのではなく、天にある可能性を見るのです。
私たちは今「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(コロサイ3:2)」という時に生きていて、そのレベルまで上る必要があるのです。そしてそうさせてくれるのが、期待、約束、預言、御言葉なのであり、クリスチャンに与えられた特権以下ではなく、それより上のレベルへ私たちを上げてくれるのです。
自分が神に愛されていると知り、神のあなたへの情熱は愛に根ざしていると知ることは不可欠です。神はあなたに情熱的であり、それは神があなたの中にいるキリストに情熱的であるからなのです。神はあなたの中にキリストを与えて、神がイエスを愛するのと同じようにあなたを愛することができるようにされたのです。
ヨハネ17:23−26でイエスは「わたしたち(御父とイエス)が一つであるように、彼らも一つであるように。あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛するように。」と言われました。これこそがあなたがキリストのうちにある意味であり、これによりあなたがどれほど愛されているかを知ることができるのです。
あなたの人生の中でその愛を強めるために、神がどれほどつくしてくださったか、そしてあなたはその神の愛を知る故に、神にねだってもいいのです。
娘は私に愛されていることを知っていたので、それをいい事にしてつけこんだのです。それは娘への愛の故に私が許したからです。
そして神は私より何百万倍も大きい方であることを娘に知って欲しかったのです。それは娘の霊的学びのために本当に大切な事でした。娘は今そのような生き方を実践しています。
私たちは、イエスの慈しみと厚意をもっと高いレベルで
知ることがとても大切です。私たちは、神がどれほど自分を愛し助けくださる方であるかに感動することなしに、山を動かすことはできません。預言や約束を成就させるために神のパートナーとなりたいならば、イエスとの関係を今の生ぬるいままにしていてはいけないのです。
集会に来たら自分がレベルアップされると考えるのを止めねばなりません。レベルアップはあなたと神との関係によってなされるのです。怠惰であってはなりません。
私も怠惰なときがありました。自分は霊的に怠惰で、誰かのミニストリーに助けてもらっていました。でもイエスとの関係を深めることは、自分でしか出来ません。みんなそれは分かっていますね。何もしないで関係を深めることはできません。イエスが私たちと一生懸命に関係を持とうとしておられるのに、どうして私たちは努力をしないのでしょうか。神はそのような私たちが変るように助けたいと思っています。(続く)