15 01月
アメリカ政治情勢の混乱は長期化し
これから最悪の事態となる
WWGM 坂 達也
新年2021年に入り、5日には、ジョージア州の上院議員の再選挙が行われました。二人の補欠議員はどちらも民主党員が当選し、その結果上院議員は五〇人対五〇人で拮抗、その場合神任のハリス副大統領が1票を投じられるので、形としては上院も遂に民主党の支配下に入ったことになります。
そして6日には「選挙人」を上下院議会が承認する日でした。その結果、バイデン政権が正式に確立しました。
1月7日の米連邦議事堂襲撃の惨事
トランプ大統領が1月7日、バイデン次期大統領の勝利を公式に認め、円滑な政権移行に協力すると明言しました。しかし民主党は、トランプ大統領が米連邦議事堂襲撃事件を「反乱を扇動」したと称して、11日、トランプ氏に対する弾劾訴追決議案を下院に提出しました。トランプ氏は2019年にも弾劾追訴されているので、今回の追訴で米国史上初の2回弾劾された大統領となります。
1月6日の議事堂襲撃事件が起こったのは、午後から行われる上下院による「選挙人の正式承認」を前にして、午前11時から約一時間半にわたって大統領側につく全国から集まった相当数の支持者を前に、トランプ大統領は、今回の選挙は「民主党に盗まれた」という表現を使って、今回の選挙において民主党主導の元に行われた膨大な選挙違反・不正行為への不満をとうとうと訴えたのです。
トランプ大統領にしてみれば、それは確かに唯一の最も効果的なチャンスでありました。彼は自分に投票した7500万人と言われる国民のためにこそ抗議する責任があるといい、それは間違いなく正当な理由であったと私は思います。
しかし残念なことに、その後は、ほとんど誰も不正選挙が行われたことは口にしないで、暴徒が襲ったことへの責任だけをトランプ大統領一人に押し付けたのです。
余談になりますが、筆者は、第二次大戦後の日本の民主化の険しい歩みを目の当たりに経験しました。吉田茂首相がコップの水をカメラマンに投げつけ、社会党の浅沼委員長が壇上で若者に刺され、三島由紀夫が腹切し、田中角栄の日本列島改造論が日本人に一抹の夢を与えたことを本当に懐かしく思い出します。
私は早稲田大学文学部で学び、そこで学級委員に選ばれました。当時は「スネーク・ダンス」と称する学生デモ活動(合法)が全盛の時代で、何千人もの学生が手を組み合ってワッシヨイ・ワッショイと叫びながら街中をうねり歩く時代でした。早稲田の文学部といえばその運動を煽り組織するアジトと言われましたから、学級委員の私は、よく人に「お前はデモの張本人か」とひやかされました。(但し、私は運動部活に忙しく委員会に出たことはありませんでした。)
従って今回のトランプ大統領の話を聞いた人たちが「抗議集会」として前以て届けてある以上、それなりの規律を守って行えば、合法なデモ活動として認められる方法であったのです。しかし、残念なことに議事堂に雪崩れ込んだ群衆の一部が破壊行為を行ったことは事実で(中には左翼過激派のBLM分子が紛れ込んで破壊行為をした疑いがある。)
これに対しトランプ大統領自身も、規律を守らず暴徒化した群衆がそれなりの罰則を受けることは当然であると宣言しましたが、これも無視されています。
問題は、トランプ大統領を「国賊に値する暴徒を煽った重大な責任者」として非難することによって、民主党主導の大きな選挙不正への責任をすり替ようとしていることにあります。そうであれば、バイデン次期大統領が「私は和解に努力する大統領」であるといくら力んでも、和解に寄与するはずはありません。なぜなら、唯一の和解の道は「大統領選挙制の抜本的改革」にあるからです。
就任後に、バイデン氏が率先して、それを両党で検討しようと提案する以外にはあり得ないと思うのです。しかし、残念ながらばバイデン氏にはその意思は全くないでしょう。今の民主党は、あくまでもトランプ大統領を引きずり落とし、二期目の立候補の可能性を全く無くすることが真の狙いとして、そのための弾劾・impeach を画策しています。それに、今のままの選挙方式を続行すれば圧倒的に有利な立場を築き上げた民主党に対して、今後共和党の勝ち目はほとんど無いに等しいからです。
そこでこの際、私が昨年書いた全ての選挙に関する経緯報告、特に、最新のWWGMの記事を改めてお読みいただきたいと思います。
私はここで、二つの問題点を改めて提起します。その第一は、アメリカの選挙制度には抜本的に問題があること、しかもそれが完全に「憲法違反」していることに国家の最高裁判事を含め、誰もその重大な事実を取り上げていないことです。その主な理由は、最初の憲法は存在しても、前に違反した判例があれば、その判例はその後尊重されるべきという習慣があるからのようです。
日本の皆さん、日本の現行の政治形態が、もし日本国憲法に完全に違反しているとすれば、皆さんはそれを無視しますか?しないと思います。
この問題について現在アメリカでは二人の証人がいますので、ご紹介します。一人は憲法に非常に詳しい「真のジャーナリスト」であるマーク・ラビンMark Levin という方で、彼はLevinTV / BlazeTV に出ています。彼は憲法違反のことも含めて現行のアメリカの選挙制度のどこが悪いかについて、具体的な例を挙げて詳しく指摘していますから、もし疑問をお持ちの方はこの方の放送をお聞きください。
そしてもう一人の方は、私がパートナー会員として属しているモーニングスター教会のリック・ジョイナー師です。ジョイナー師は先週1月10日の礼拝で、現在のアメリカの問題を詳しく取り上げていますので、その重要な部分を私なりに下記に要約してご紹介します。
リック・ジョイナー師のメッセージより(要約)
一)もしアメリカが適正な選挙システムを失うなら、それは共和国としての土台を根本的に失うことになる。事実、今では少なくとも国民の半分は民主党が操っていることを大半の人が認めている。例をいえば、6日に行われた上下院選挙人承認式において、ペンス副大統領は、本来選ばれた選挙人が正しく選ばれたか、どうかを宣言する権威があるのに(今回トランプ大統領がそれを期待した)ペンス氏は、恒例になっている形だけの「選ばれた選挙人全員」を承認宣言した。これは本来権威があるのに、慣習に従わねば攻撃されることを恐れたため。そういう人間は「臆病者Coward」と呼ばれ(リック師は彼をそう叫んだ。)
これは大変重要な犯罪であるのに、今まで誰も取り上げてはいない。ここで、リック師は初めてトランプ大統領に会った時、敵は民主党だけではない、共和党にもいることを警告して、トランプ大統領はうなずいたというエピソードを語った。
二)モーニングスターの元長老をしていた人が、昨年末から今年の初めにかけて主から二度に渡って夢を見せられた。それによれば、新年はクリスチャンの信仰を浄める年であり、特に、使徒四章に書かれているような「奇跡を行う年」となる、という預言を主から受取ったことを発表した。
三)今回は米国民だけでなく世界中の人々が大変なところを通された。特にクリスチャンは常に信仰の訓練のために敢えて試練を通される。しかし、今回トランプ大統領を裏切った人は主を裏切った人と同じである。
トランプ大統領は主にとって最も小さな者であるかもしれないが、彼はできるかぎりの誠実さをもって正しいことをしようとした。それは主であるキリストに仕え、そして盡したことと同じだ。しかし人を裏切るようなことをした人はわたしを裏切ったと同然、そのような人に対しては、ちょうどパウロがペテロを公衆の面前ではっきり責めたのと同じように勇気を持って立ち上がり、言うべきことをいう勇気を持たねばならない。
四)戦いは決して終わった訳ではない。トランプ大統領は二期目を完全に勝ち取っているのである。主が示されたように、今年は奇跡を行う年であることを忘れてはならない。奇跡は主が起こさせる。
それであるのに、多くの共和党議員は既に言い訳がましい態度を取ったり、慣習になびいているが、絶対に妥協してはならない。バイデン・ハリス組は正当に選ばれたのではないことを忘れてはならない。今やアメリカ合衆国憲法は完全にほごにされてしまった。第二の市民戦争は来ると預言されて来たが、今現実に私たちは(国は既に真っ二つに割れて)その只中にいる。憲法を元に戻すには革命が必要である。
五)ツイッター、フェイスブック、グーグル、アマゾンはフリー・スピーチの敵である。しかし私たちは恐れる必要はない。必要であれば聖霊が教えて下さるからだ。
六)オバマ大統領は左寄りであったが、バイデン・ハリス組はもっと左寄りである。彼らが就任して、最初に取り掛かることは、メキシコとの国境にトランプ大統領が苦労して立ち上げた壁を取り崩し、全く自由に出入りさせるという。私はかなり前であったが夢ではっきり見た。それは国境がないので、全く自由に出入りできる。入ってくる大部分の人たちはこちらが歓迎したいような良い人たちだが、中には全くひどい人たちが入り込んで来て大変なことが起こる。特に子供達に悲惨なことが起こり、それがあまりにもひどいので口に出しては絶対に言いたくない。私はこのような夢を二度と見たくない。思い出したくもない。
七)クリスチャンは決してポリテイカルであってはならない。ポリテイックは「党派心・分裂・分派」と書かれているように地獄から来るものであり、神ではなく人間を喜ばせようとする。
ワシントンDCはもはや修復不可能な状態となった。しかし、私たちはアメリカ共和国を何としても元通りに回復させねばならない。私たちは必ずそれを成功裏に実現させる。主がそれを助けて下さるからだ。
八)極限の状態に達したアメリカの国民は、Federal合衆国政府役人に対して「これ以上お前たちのお世話にはならない。」と言い放ち、役人たちは命辛々逃げ出す。国家は数カ所に分割され、一時的に無政府状態に陥る。しかし、ジョイナー師が見たビジョンでは、最初の憲法は厳存しており、心ある在郷軍人たちが中心となって、その憲法に忠実に則って改めて国は再興される。その道程は長いが必ず実現する。(以上でリック・ジョイナー師のメッセージ終わる)
神は私たちの信仰と愛を試されている
ヘブル12:14で、私たちは「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」と教えられています。しかし、真の神聖さは、律法への恐れからではなく「神への愛」を持つことから起こされます。
最初の人間アダムとエバは、罪を犯す前は裸でしたが、本人たちは気付きませんでした。なぜなら、罪を知らない彼らは、内に聖霊が満ち、その結果として外側は輝く光に覆われていたからです。また、真の聖さは、私たちが神を愛するときに実る実であるからです。
さて、今回の選挙における膨大な不正行為に対する訴訟はすべて却下されました。その上、世界はコロナウイルスに襲われました。何故でしょうか?何故、神はそこまで人間を苦しめるのでしょうか?
リック・ジョイナー師は、ご自身もウイルスの苦しみを経験しましたが、昨年のブログで次のように言っています。師は主に「何とかこの世界的なウイルス危機を止めて下さるように」と祈ったそうです。処が主は「その祈りだけはしないように」とはっきり御声が聞こえるな強さで止められたと言います。
そして師は、イザヤ書40:31「主を待ち望む者は・・・」詩篇23:2「主は私を緑の牧場に伏させ・・・」また、ヘブル4、5章、特に4:1「こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っている・・・」を引用して「安息をもって主を待ち望むこと」の大切さーーそれが今回の全世界にまん延する深刻な感染病の大流行(pandemic) を与えた目的であると、主が言われたそうです。
このような pandemic は、確かに私たちに恐れを起こさせます。しかしクリスチャンにとっては、恐れを持つ必要は全くありません。そのことが1ヨハネ4:16−18に次のように書かれていることを思い出して下さい。
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人にうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちがさばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」
ですから主は、今回だけではありません、歴史上、今回に匹敵するような恐ろしい伝染病を人類に何回も与えて来られました。これからも形を変えて与え続けるでしょう。それは特に、私たちクリスチャンが、真に主キリストを愛し、主への絶対の信仰を持つているかどうかを試し、より強い信仰に導くためのテストであり激励であると私は信じて疑いません。
最後に申し上げたいことは、世界が、特にアメリカが、何故今の時代にこのような厳しい試練の中に置かれて苦しまねばならないのか?ーその理由はーーアメリカは主が目的をもって建てられたクリスチャン国であること、そしてトランプ大統領はーー明らかにイスラエルを守る目的と共に、アメリカと世界を守るために主が送った特別の人物であるからです。それ故に、悪魔はトランプ氏を徹底的に憎み、この世が彼を憎むように仕向けて来た(それを主は許して来られた)のです。しかし主が守っておられるので彼はびくともしないでしょう。
もう一度申し上げます。リック師が「戦いは決して終わった訳ではない。トランプ大統領は二期目を完全に勝ち取っている。今年は奇跡を行う年であることを忘れてはならない。」と言ったことを筆者の私は心から確信します。
神は、大々的に選挙不正が行われたことも、バイデン氏の中国との癒着、金銭受理、脱税容疑問題をも、もっとはっきりした形で明るみにあばき出すことはいつでもできるお方です。それだけではない。過去にクリントン夫妻、オバマ大統領・バイデン副大統領時代に行われた一切の悪事を告発させ、この国を粛清することを、主はいよいよこれから行われるでしょう。
神は今まで、敢えて悪魔をなすままにさせ、その悪事がフルに満ちるのを待って来られました。そしてそれがフルに満ちたのです。よって、主はいよいよ動き出されます。早ければ今年から2022年までにトランプ氏が大統領に復帰する可能性は十分にあると信じます。あるいは2024年に再出馬。そのために神が最高裁を動かし「神が与えたアメリカ合衆国憲法」を元の形で忠実に守らせることを開始されると信じます。
大事なことは、主は、これまでの二千年間に蓄積された悪と不正に対する怒りのエネルギーが最大限まで積もった今、それをいよいよ大爆発させようとしておられます。その全ての悪と縛りを駆逐するムーブメントが「第三のアウエークニング」と言えないでしょうか。
聖霊がそのために心あるクリスチャンを集め、整え、神からの召命に呼応する準備をしていると信じます。皆さん、どうぞ立ち上がって下さい。リック師のメッセージは「立ち上げれ! STAND UP!」 と名付けられているように。
クリスチャンの皆様、どうぞ引き続きお祈りください。(終わり)
31 03月
預言の召し
ビル・ジョンソン
預言的で霊的見分けが出来る人たちは「真の預言の油注ぎ」と「疑いをもたらし、自分の意見を通す怒りの霊」とをはっきりと見分けねばなりません。人生の最大のチャレンジの一つは、あなたが愛し仕えている人が持つ怒りと同じ怒りを自分も持ってしまわないようにすることです。それはとても難しいことです。
例えば、あなたが貧しい人を一生懸命助けているならば、金持ちに対して腹を立てないでいるのは困難です。もし裕福な人たちへのミニストリーに召されているならば、きちんと働かない人たちに腹を立てないでいるのは困難です。大学生へのミニストリーをしているならば、保守的政治グループに腹を立てないのは困難です。老人にミニストリーをしているならば、若者に腹を立てないのは困難です。インディアンにミニストリーをしているならば、彼らに不正を行ったものたちに腹を立てないでいるのは困難です。
私たちの働きの実は、私たちがどれだけ人びとを愛し、折りに適った神のことばを与えることができるかによって決まります。
自分の考えを押しつけたり、自分の益になるからではなく、彼らの益のために100%神から受けたことばを語るのです。そして彼らが持つ怒りを自分は持たないことです。歴史上、私達がどれほどこの国のカルチャーに良い影響を及ぼすことができるかは、私たちが「怒り、立腹」という感情をどれほどコントロールできるかにかかっています。これが真理です。(注:自分に死ぬ必要がある)
イザヤ60章は私の人生を変えた大好きな箇所であり、現在の教会のための預言だと思いますが、その一つ前の59章21節は、60章に書かれていることが起こるための舞台を作っています。
「『これは、彼らと結ぶわたしの契約である。』と主は仰せられる。『あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしにことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。』と主は仰せられる。」
「神の御霊が人びとにくだること」と「神のことばが彼らの口にあること」の密接な関係がここでも言われていることに留意してください。神の御霊が私たちに留まっている証拠は、私たちの口から神のことばが発せられることなのです。イエスは「わたしは父の言われることだけを言う。」と言われ
(ヨハネ8:28)、私たちが話すべきことの基準を示されました。地上を歩かれ人の中で、一番すばらしい独自の考えを持っていた人は、多分イエスだったことでしょう。けれども主は自分自身のことばは何も語られなかったのです。
ヨハネの福音書7:18には「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。」とあります。自分から語るとは、御父が語られていることに耳を傾けようとせず、自らのことばを語り、それによって密やかに名を上げようとする行為です。
使徒行伝3を見てみましょう。2章の聖霊の大いなる注ぎの後のことです。24、25節に「また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。あなたがたは預言者たちの子孫です。また神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。」とあります。イザヤ59章はイスラエルに与えられた言葉でしたが、預言的には「贖われた者たち、即ち教会」に対して言われたことばです。そして使徒3:25は明らかに教会へのことばであり「あなたがたは預言者たちの息子、娘です」と明言しているのです。
これは「あなたや、あなたの子孫、あなたのすえのすえの口にわたしのことばを置く」という契約の成就です。神が私たちに御霊をくださり、いずれの世代においても地上に神のことばを宣言し解き放つことが出来るようにされたのです。私たちが受け継いでいる相続財産が何なのかを知ることは重要です。まず神が「私たちがどのような身分の者であるか」と言っておられるかを知らねばなりません。自分の「神にあるアイデンティティー」を知るときに、自分の受けている相続財産を用いることができるのです。それは傲慢でもなく、自己中心でもなく、自分に自信があるということでさえありません。神があなたを「預言者の息子、娘である」と言っておられるのです。それによってあなたは「神の御霊を受け」「神のことばを語る」正当な権利があります。この二つは同じことなのです。
イエスは肉となったことばであり、神の臨在は神のことばと同じです。神の臨在をあなたが感じる時はいつでもそこに神の声がある。そして神の声があるときはそこに臨在があるのです。
イザヤ51:12、13「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。あなたは何者なのか。死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。天を引き延べ、地の基を定め、あなたを造った主を、あなたは忘れ、一日中、絶えず、しいたげる者の憤りをおそれている。」
神は私たちが恐れるとき、やさしく慰めてくださる方ですが、この箇所では「わたしが慰めると言っているのだから、あなたには恐れる権利はない!」と厳しく言われています。あまり聞きたくないことばかもしれませんが、時として神はこう言われるのです。
もし私が内向的になり「どうしよう、こんなことになって私の人生はどうなるのだろう。」とつぶやき始めるならば、私は恐れで一杯になってしまいます。恐れは時として自己中心の表れです。それは天を引き延ばされた方を見失っていることだからです。その方が「わたしが慰める」と言っておられるのです。私たちが恐れるのは神を見失った証拠です。この箇所で神は私たちの「人に対する恐れ」を取り扱っておられます。「人に対する恐れがなくなるように祈ってください」と頼まれるとき、私はもちろん祈りますが、人への恐れに対処するためには「神を恐れること」を知ることが必要です。両方を一度に恐れることはできません。
人を恐れるとき、あなたは「神への恐れ」を「人への恐れ」と取り替えてしまっています。人への恐れを持ってしまったとき、私たちはその罪を告白し、悔い改めねばなりません。それによって人への恐れから解放され自由になるのです。人を恐れることから神を恐れることへの転換は、直ぐにできることです。
15節「わたしは、あなたの神、主であって、海をかき立て、波をとどろかせる。その名は万軍の主。わたしは、わたしのことばをあなたのくちに置き、わたしの手の陰にあなたをかばい、天を引き延べ、地の基を定め、『あなたはわたしの民だ。』とシオンに言う。」
神はご自分が祝福した者たちを守る方です。祝福した者が敵に食い尽くされるのを見放す方ではありません。祝福し、守ってくださる方です。主は「わたしがあなたの口にわたしのことばを置いた、わたしの手の陰であなたをかばう」と言われます。そしてそれを通して「天を引き延べ、地の基を定める」と言われます。これは「天にあるごとく地にもなさせたまえ」という祈りの旧約聖書版です。神は「天を地にもたらすプロセス」とそのための手段を語っておられるのです。一つの世界(天)にある現実をもう一つの世界(地)にもたらす方法であり道具です。それは即ち「わたしがあなたの口にわたしのことばを置いた」とあるように私たちが神のことばを宣言することに他なりません。
モーセは「すべての民が預言者ならよいのに」と祈りました。イエスは、預言者や霊の父祖たちは私たちが見ているものを見たいと切に望んだと言われました。モーセはあなたや私が生きている今という時代、神のすべての民が預言的な油を持つ時代を夢見ていたのです。私たちの預言は第一に自己中心であってはならず、次に人を暴いたり痛めたりするものであってはなりません。それは人のデスティニーを呼び出すためのものです。主を知らない人であっても、私たちの口を通して神がその人の中にある尊い金塊を呼び起こし、その人の人生が変えられてきたことを、私たちはこの数年間に幾度となく見てきました。彼らはそれまで聞かされていた偽りではなく、神の真実のことばを受け取って、方向転換ができたのです。今ここにいる皆さんすべてに対して、神は力強い、ポジティブな正しいことを宣言されています。私たちがそれを聞き、しっかり受け止めたとき、私たちは変ることができるのです。主は私たちが主の御声を聞くようにと召してくださっています。今は「神の声を聞くこと」ほど嘲られていることはありません。しかし私たちは神の御声を聞きながら、それに従って生活するという預言的な生き方ができるのです。それははっきりした大きな御声とか、壁に字があらわれたというものではないかもしれません。しかし、神の臨在、御霊の臨在の中で生きるライフスタイルを始めるとき、あなたは主の思いを思い、主のことばを語り始めるのです。それは頑張って一生懸命に神の御声を聞くというのではありません。実際、私は頑張ると何も聞くことができません。神を聞くことは努力からではなく、降伏することからくるのです。あなたが自分の決意と努力で(即ち肉で)求めるのに疲れたときに、神は語ってくださいます。
エペソ4:29「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」
ここにある「恵み grace」とは神の特別の厚意です。あなたが誰かを励まそうとして口から出したことばを神が承認されるとき、神はその人に恵み、特別の厚意をそそそがれるというのです。
仕事関係の人、或いは近所の人に、何か励ましのことばを語ったり、神がその人の人生にしておられることを告げたり、その人のすぐれた才能を認めたりするとします。そのようにあなたが人の徳を養うことばを口からを出すならば、神はそこに恵みを置き、厚意を置いてくださるのです。
神は「わたしの息子、娘が、わたしからの励ましをこの人に伝えたのだから、わたしは勿論それをバックアップせねばなりません。」といわれるのです。
預言的ライフスタイルとは、常に神の臨在と共に歩み、神の思いを自分の思いにしていくことです。そして人びとの徳を高めることばを口から出す時、神がそのことばのバックアップをしてくださるのです。 (終り)
(以上はジョンソン師が礼拝で語られたメッセージから取りました。)
24 01月
先回も申し上げましたが、最近は日本のメデイヤ(私は日本経済新聞と朝日新聞の
07 01月
2022年の世界情勢と日米の動向
坂 達 也
下記は本日の日本経済新聞の記事ですが、当を得ている記事であると思いますので先ずお読みください。(記事の中での下線は筆者のもの)
2022年の世界で最重要の政治イベントが、11月8日の米中間選挙だ。就任1年を前に支持率の低迷に直面するバイデン大統領だが、挽回の材料が見当たらない。議会での与党·民主党の優位が崩れれば、米国内だけでなく国際情勢のパワーバランスも変化する。「停滞の米国」に我々も身構える必要がある。
1年前の当欄で私は「警戒的な楽観主義」を指摘した。バイデン政権はトランプ前大統領の孤立主義を修正し、新型コロナウイルスの危機も最悪期は過ぎた。経済や雇用は復調し、むしろサプライチェーン(供給網)の圧迫でインフレ圧力が襲う。全体的には21年は回復の年だった。
米国「政治の季節」に突入も
22年はどうか。残念ながら世界情勢は一段と深い不確実性に包まれるのではないか。バイデン氏の滑り出しは良かった。新型コロナのワクチン接種拡大、現金給付策の迅速な決定などが支持を得た。「アメリカ·イズ·バック(米国は戻ってきた)」と欧州との同盟関係を修復し、温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」にも復帰した。
だが21年夏から状況は暗転する。アフガニスタンからの米軍撤収はイスラム主義組織タリバンのアフガン制圧を許し、テロで米兵も死亡した。
経済でも手を焼く。財政支出策を掲げたが、野党の共和党はおろか巨額支出を拒む一握りの民主党議員の反発で風前のともしびだ。さらにガソリン高などインフレ圧力が国民生活を襲う。トランプ時代を脱した米国民は「バイデン氏で本当に大丈夫なのか」と思い始めた。バイデン氏の支持率は発足当初の50%台後半から40%台前半に落ちた。
中間選挙は全下院議員と上院議員の約3分の1を改選する。民主党は下院で過半数を4議席(20年の選挙)上回り、上院は与野党同数(ハリス副大統領の決選票で過半数に)と僅差で優位を保つ。政権の不人気を映し、下院は民主党が過半数を割ると大半の専門家がみる。改選州での共和党勢の引退で民主党に有利だった上院も予断を許さず、両院を失う大敗も起こりうる。
共和党は勢いづく。21年11月のバージニア州知事選で実業家出身のヤンキン候補が、教育という民主党のお株を奪うテーマで無党派層の支持を広げ、民主党の地盤を制した。20年の敗北をいまだ認めないトランプ氏も24年の大統領選挙への出馬を再三におわせ支持者を鼓舞している。
22年は早々から米国が「政治の季節」に突入することを覚悟しなければならない。
中間選挙でバイデン氏の民主党が優位を失えば、法律の制定はほとんど進まない。オバマ政権初期の苦境が重なるが、当時40歳代のオバマ元大統領と比べても79歳と高齢のバイデン氏は不利だ。24年の再選出馬に意欲を示すバイデン氏だが、ハリス副大統領や39歳のブティジェッジ運輸長官などの「世代交代」がささやかれる。
隙を突く中ロ、日本にも重責
世界でも指導力の空白が気になる。トランプ時代に多国間主義を守ったドイツのメルケル首相は在任16年を終えて引退した。フランスのマクロン大統領は春の大統領選挙で再選に臨むが圧勝には遠そうだ。欧州中央銀行(ECB)総裁を務め、20カ国·地域首脳会議(G20サミット)で実務力の高さを示したイタリアのドラギ首相も大統領への「勇退」との見方が出ている。
24年の米大統領選を前にバイデン氏の影響力が低下すれば、気候変動への取り組みや国際協調の路線がトランプ氏や「トランプ的」な共和党の有力者にまたひっくり返される胸騒ぎが現実味を増す。
空白の隙を突くのは長期統治の路線を確保した強権勢力だ。台湾への脅しを続ける中国の習近平(シー·ジンピン)国家主席は今秋の共産党大会で3選を決め、決然と強硬路線を進めるだろう。ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻の構えをちらつかせる。自由主義陣営の苦境をあざ笑うかのようだ。
中ロの双方と隣国関係にあり、しかも米国から最重要の同盟国とみなされる日本の岸田文雄首相は、微妙なバランスのなかで世界の空白を埋める役割を担う。
夏の参院選が控えてはいるが、日本の政権の安定度はほかの先進国に比べてずっと高い。
バイデン氏との協調を重視しつつ、岸田氏はショルツ独首相ら欧州のリーダー、オーストラリアやインドのインド太平洋諸国の首脳との協力を深化させる必要がある。「停滞の米国」に身構え、積極的に行動することが日本の存在感の高さを示す好機となる。(日経新聞の記事終わる)
当面の問題点
1 アメリカ国内の問題
一言で言えば、高齢で、ミス発言の重なるバイデン大統領その人が、息子のハンター·バイデンのウクライナと中国との金銭受取疑惑等もあって、ロシアと中国に完全にナメられていること、それを言えば、カマラ·ハリス副大統領の無能さも完全に曝け出されていることです。彼女は女性であることと共に、黒人と東洋人の血が混じっているという今時アメリカで理想的な「白人を嫌う風潮」の中での「申し分のない」バイデン氏の後継と見られていたのが、やらせてみたら実務的無能さが曝け出され、逆に「お荷物」になっている、その点、トランプ前大統領とは全く違うことです。
2 北朝鮮からの脅威
北朝鮮の大統領·金正恩(キム·ジョン·ウン)は健康上の理由で、目下後継者問題で種々の噂が立っていますが、彼は北朝鮮の強みを発揮すべく、核兵器を開発し、日本近海にしきりに発射実験をしていますが、彼はトランプ氏とは好関係にありました。
3 台湾との関係
ロシアがウクライナに進出しようとしている様に、中国は、既に香港から民主主義勢力を追い出し、次は今にも、台湾攻撃に踏み切ろうとしています。日本にとって、これも非常に深刻な脅威となっていないでしょうか。
4 日本内部の情勢
特に沖縄米軍基地·辺野古の問題は色々と物議があるようですが、上記に挙げた中国からの深刻な脅威は、日本にとって全く他人事ではない、その早急なる解決が絶対に必要です。今年こそは、国家的危機として、日米首脳間で早急に結論を出し、即行動に移すべきであると信じます。(以上です。)
10 12月
私たちのサイトをご覧いただいている愛読者の皆様
最近は、特に2020年1月16日に妻、柚実子が天に召されてからは、私一人で毎週のメッセージの用意ができませず、ほとんど何も書かずに、大変失礼して参りましたことを、先ずは深くお詫び申し上げます。
私自身はその後元気にしておりますが、独り身となって、柚実子とのニューヨーク郊外でのアパート住まいを引き払い、そのアパートから車で20分ぐらいのところにある息子夫婦と二人の孫が住む家に1室部屋をもらい、そこで暮らして来ました。そして、ハワイのホノルルに住む娘夫婦のアパートにも一室私の部屋があり、この間を適時往復しております。
また、今年の9月1日に久しぶりに日本を訪問しました。主な目的は、私の日本での主治医の勧めで、私のヘルニヤ(脱腸)の手術を薦められたからです。手術はうまくいきました。後は故郷の愛知県で家族友人に会うという私用で過ごし、訪ねた教会は福島の蓬莱教会だけでした。そして、この11月12日に羽田からの便でホノルルに帰って来た次第です。
さて、私が wwgm への投稿が書けなかった、もう一つ、最大の理由は、私は昨年から私の3冊目の本の原稿を書くのが精一杯であったことです。
そこで、私がいったい、どんなことを書いているかに、皆様はご興味があると思い、その一端を下記にご紹介させて頂きます。 ついては、この本の最初である「はじめに」を下記の通りご紹介させていただきます。
「はじめに」
全知全能で、しかも誰よりも愛に溢れる「創造者の神」は、私たち人間全員に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。」と言われます。(1テサロニケ5:16−18)
私は聖書に書いてある「ことば」の中で、これ以上の「創造者の神の絶対性を保証する」御ことばはないと断言して憚りません。
しかし、多くの皆さんは言われるでしょう。
ちょっ、ちょっと待って頂戴。お前、ついに気が狂ったのか?
世界中にパンデミックを蔓延させ、世の中をこれ程めちゃめちゃにしておいて
その中で苦しんで生きている私たちに
「いつも喜んで···全てのことに感謝せよ··」
とは一体何という事を言う。
それが万能で愛の神だというのですか?!
皆様は本当にどう思われますか?
私自身、「創造者の神の創造」とは「私の人生の毎日で、何が起こっても、いつも喜んでいられる、そして、起こるすべてのことに、心から感謝できるようになることを「最大のモットー」として、その信仰を本気で信じ、生きようとしていると申し上げられます。
但し、「絶えず祈る」とは、絶えず(ですよ)主イエスと私たちが「切れ目なく親しく会話する状態」(できるようになるのです)ーーこれこそが真のクリスチャンになる最大の目標であり、特典、すなわち、「永遠のいのち」を得て神と共に楽しく永遠に生きるる道であるからです。
何故なら、その神様(父、子、聖霊の三人)は、私たちが真のクリスチャンになれば、私たちの心の中に入って来られ、私たちと共に生きてくださり、毎日いつもイエス様の口から出るみ言葉(ご指示)を受け取れるようになるからです。
実は、私はそのようなキリスト教の創造者の神を皆様にご紹介しようとしてこの本を書き出しました。パンデミックでも大地震でも何でも来い。いや、既に来ているし、もっともっとその災害は続くでしょう。
コロナウイルスのパンデミックは、既に多くの変化をとげ、「変異ウイルスは強毒したウイルス」とまで言われ、それに伴い精神異常者とか自殺者が増えているのが現状です。
しかし、もう一度申し上げます。聖書の上記の短い言葉1テサロニケ5:16−18のみ言葉は、神に信仰を持つ私たちに対して、究極的に喜びに満ちて生きる「永遠の命」を保障してくれているのです。
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さてそこで、本著は、先ず第一部と第二部に大別しました。その分けた第一部は、聖書が「創造者の神」をどのように説明しているかを主なテーマとして書かせていただき、第二部では、主に宇宙物理学者による「量子論·量子工学」を中心とした「科学的考察」がどこまで創造者の神の存在に迫っているかをご紹介致します。(第一部の各章には頭にWを、第二部の各章にはRを付けました。)
そこで「第一部」のW第1章では、主に聖書と聖書学者の言わんとすることを引用しながら「創造者の神」の自己紹介も含め、聖書の説く「創造者の神」をできる限り詳しくご紹介します。
W第2章では、神が世にパンデミックを与えた理由を二人の著名牧師により語ってもらいます。そして思い切った提案を用意しましたのでご期待ください。
そして、W第3章で、なぜ世の中はこんなに悪いのか、御使いと悪魔の創造ーーその理由と目的に触れます。
また、W第4章では、神はなぜ人間だけを、先ず最初に一人の男アダムを造り、その後で、そのアダムのわきから骨を一本取り出して女エバを造った理由を、世界的に有名な女性の宣教団体「アグロー」を率いておられるジェーン·ハンセン·ホイト師が書かれた本を中心にご紹介します。この男と女に関する掲題は、今まであまり取り上げられていないと思いますので、ご期待ください。
そしてW第5章では、創造者の神の創作とは、映画を造るのに似ているーー 天には、この世に生まれて来るすべての人間の一生の毎日に何が起こり、それぞれの登場人物と、どのような会話を交わすかの脚本と台本が綿密に2通り書かれていて、一つは神の望む原作·筋書きと台本、もう一つは、(シナリオとか台本は一切知らされていない)一人一人の人間が、実際に自由勝手に生きる人生の筋書き。天には、この二つが有史以前の初めから用意されていて、その膨大な書庫があるというのです。しかもそれを天に挙げられ実際に見て来た人が3人いて、その方々の具体的な報告をご紹介します。
その後で第二部に移り、主に量子論·量子工学を中心に、科学者の見地から今までに発見された宇宙創造のセオリーと、それが聖書に書かれた「創造者の神の創造」とどのように違うかを、R1ーR5章にわたってご紹介して参ります。
その中のR3章で、乗用車を運転する私の親しい牧師夫妻とその教会の二人のクリスチャン4人が、街中で、傍から信号無視で飛び出して来た大型トラックに横から衝突したにもかかわらず、無傷で通り抜けたというユニークな奇跡的体験をご紹介していますので、ご期待ください。
そこで一つお断りしておきたいことがあります。それは、二つに分けたこと、それに、筆者の私だけではなく、ご紹介する多くの権威者が、それぞれ、聖書の言葉とか強調点の説明をされていますが、結果的に、重複するところが多いことです。(私自身もかなりくどい方です。ごめんなさい。)しかし、それを何度もご覧いただくことによって、その重要度と内容的な理解度が深まる利点があると思いますので、どうぞご了解の上、お読みいただけますようお願い致します。
尚、本書の文章の下に引いてある下線は、すべて著者が強調したい意図をもって引いたものです。 (以上です。)
それでは私の新しい本の題名は未だ付いては’おりませんが、皆様にぜひご期待いただき、お祈り下さるようお願い申し上げます。
WWGM 代表 坂 達也
16 08月
8月3日「今週のことば」
リック·ジョイナー師
私が非常に親しくしている人の中には、その人を見なくても、その人の声を聞いただけで、直ちにその人であることが分かります。同じように、私たちは常に主の御声を聞いて、主と非常に親しい関係になっていれば、主の御声を聞いただけで、直ちにそれが主であることが分かるようにならなければなりません。
私の友人であるフランシス·フランジパンが好んで「私たちはマニュアル(手引書)ではなく、『エマニュエル』(神が私たちと共にいる、という意味)に従うように召されている。」言うように、私たちが、イエスについての単なる原則ではなく、イエスに従う人生の道を歩むためには、この真理を理解しなければなりません。私たちの「真理」は、私たちをご自身との個人的な関係に招いてくださったお方です。
(だからといって) これは、私たちが神の書かれた言葉である聖書への献身と敬意を損なう(軽視する)ものではありません。御言葉であるイエス様が、悪魔の挑戦を受けたときに「聖書にこう書かれている」という言葉に立脚されたのであれば、私たちが聖書を知り、それに立脚する必要があるのは当然のことです。しかし、聖書は、私たちと主ご自身との関係や、主が私たちを導くために遣わされた主の霊との関係に取って代わるものではありません。
聖書が重要であるのと同様に、イエスは、私たちをすべての真理に導くために本(聖書)を送るとは言わず、そのために御霊を送ると言われました。教義は主の書かれた言葉の中で確立されているので、主の書物は重要であり、私たちはできる限りそれを知りたいと思いますが、聖書は聖霊の代わりになるものではありません。聖書であっても、聖霊と一緒に読まなければ、いわゆる “死語 “になってしまいます。同じ言葉でも、聖霊によって読まれると、いのちを与える天のマナとなります。私たちが道を歩むときに必要なものを与えてくれますが、道そのものは私たちが従わなければならない人です。
私たちが人を認識する方法には、主なるものに「顔」と「声」の2つがあります。しかし、手を見てわかる人はどれくらいいるでしょうか。しかし、どれだけのクリスチャンが、神の手、つまり神が自分に与えてくれるもの、あるいは自分にしてくれることだけで神を知っているでしょうか。ヨハネ10章で主は、主の羊は主の声を知っており、主の声を知っているから主に従うのだと説明されました。旧約の下でも、イスラエルは主の戒めに従い、主の声に耳を傾けるように繰り返し言われました。自分たちの生活に様々な指示が与えられていても、主の声を知り、耳を傾けなければなりませんでした。
今日、多くの敬虔なクリスチャンは、聖書があるので、もはや神が私たちに語りかけたり、預言をしたりする必要はないと信じています。もし結婚式の日に、夫が「彼女に期待することをすべて書いた本を書いたから、二度と話をしなくていいよ」と言ってくれたら、花嫁はどんな気持ちになるでしょうか。それはどんな関係なのでしょうか?
このような聖書に反する教えによって、彼らは主ご自身の代わりになったのです。このような人たちは、Ⅱテモテ3:5に書かれているように「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」ということです。
すべての人間関係の質は、その人とのコミュニケーションの質(方法、深さ)によって決まります。
そこで主は、私たちが主の前で正しく生きるための第一の方法として、先ず書いた聖書を「教義」として与えて下さいました。従って、その聖書を尊重すべきなのは当然です。しかし、それだけでは十分ではありません。真に親しい深い関係に入るために主は、マタイ4:4で「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。』と書いてある。」と言われました。その意味は、私たちは、単に過去形の昔「出て来た」言葉だけではなく、現在形の主の口から「出て来る」言葉によって生きなさいと云うことです。
主の御名は現在形の「私はある I am」であり、過去形の「私はあった」や「私はなる」ではありません。生きておられる主を知るためには、現在形で(常に会話しながら)主を知らなければなりません。主は「生ける神」であり、私たちは聖書に書かれているように、主の行動や人間への対処の歴史を知りたいと思いますが、主との関係は継続した現在形でなければなりません。
つまり、私たちは「ナザレのイエス」にも感謝していますが、イエスはもはやナザレのイエスではなく、天地のすべての支配者と支配権の上にある「王の王」です。私たちは今、この方をそのように知らなければならないのです。
[ジョイナー師の後書き] 今年の終わりまで、この「今週のことば」は、私たちがどのようにして主を知り、主とともに歩み、主の声を知り、主の顔を求めるように命じられているかに焦点を当てていきます。(終わり)
31 07月
苦難のさなかをゆくとも
ーー迫害前夜に生きるキリストの弟子
バジレア・シュリンク
クリスチャンの基本は十字架にあります。パンデミックに見舞われている今の時代は、まさに苦難の最中にあり、マザー・バジレアさんは次のように言われます。
「激しい迫害や私たちへの絶え間ない攻撃、憎しみに対して、私たちは自分の力で耐えることはできません。苦難に耐える力は、すべてキリストの内にあるのです。もしキリストと一つになっているなら、私たちは勝利を得、パウロと同じようにこう叫ぶことができます。「何ものをも『私たちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできない。』と。(ロマ書8:39)共に主の力によって圧倒的な勝利を得る者となりましょう。」
その時代をどのように生きるかは、主が言われます。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23−27)
罪に打ち勝つ
「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」(1ペテロ5:8、9)
この世での短い人生では、私たちクリスチャンを待ち受けている試練を克服できるかどうかにすべてがかかっています。苦難と迫害という試練に耐えることができるでしょうか。
その結果が私たちの永遠の運命を決定するでしょう。サタンの狙いは私たちを敗北させ、命の冠を奪い取ることです。サタンの戦略は、私たちの苦しみを恐れる心、卑怯な心、反抗、誤った愛着や人への恐れといった私たちの最も弱いところを攻撃することです。
迫害が臨む時、私たちがどれほど真剣に自分の罪を取り上げ、どの程度罪と戦い、克服できたかが明らかになることでしょう。もし仔細なこの世の出来事や「今日」の喜びや悲しみに心を奪われて「明日」を忘れたなら、私たちはその結果を刈り取ることになります。「明日」には迫害が訪れます。イエスの贖いを信じ、罪に対して真剣に戦うことによって、前もって自らを備えない限り、だれひとり、この試みに耐え抜くことはできません。
聖書は私たちに、絡みつく罪を捨てるように(ヘブル書12:1)命じています。それには戦い無くしては打ち勝つことはできません。
それは私たちが口論好き、支配欲、嫉妬、身勝手、不誠実、欲望を満たしたいといった自分中心の罪をそのままにしておかず、それらを心から憎むときだけに打ち勝てるのです。・・・
すなわち、キリスト教の知識を知ることよりは、キリストの弟子として生きることが大切です。神の御心とは何でしょうか。それは私たちが聖なる者となることであるのです。(1テサロニケ4:3)
キリストの苦難にあずかる特権
「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」(ピリピ1:29)
クリスチャンに対する大きな迫害が近づいています。恐らくその規模は今までになかったほどのものであり、だれをも恐怖に陥れることでしょう。洗脳、強制収容所、投獄、精神病院、拷問、殉教が脳裏に浮かびます。しかし、この苦難はすばらしい秘密があり、その他の苦悩とは全く違ったところがあります。それは「キリストのための苦しみ」であるということです。
私たちが苦しむのは、ある概念のためでも、あるいは大衆によって偶像化された罪深く、死すべき人間のためでもありません。また私たちは、民衆を惑わし、恐怖政治すら行う支配者のために苦しむのではありません。何千という人たちがそのような指導者に従い、どのような犠牲おもいとわず、命すら惜しいとは思わずに尽くしてきました。そして結局は自分たちがだまされていたことに気がつくのです。
しかし、クリスチャンである私たちは迫害が訪れても、イエス・キリストのために苦しみ、命すら投げ出す特権が与えられています。イエスはいと高き主であり、賛美を受けるにふさわしく、威厳をもって統べ治められる方です。
このようにして使徒パウロはイエスのために苦しむように召されました。御国のために「選ばれた器」であったパウロについて主が語られました。「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」(使徒行伝9:16)
初代の殉教者に限らず、現代の殉教者もイエスを信じるだけでなく、主のために苦しむことがどんなにすばらしい名誉であるか気づいています。パウロはイエスのために苦しむことは恵みであり、特権であると考えていました。(フィリピ1:29)殉教者は、大抵この世のものではない喜びに満たされていました。なぜなら、彼らの心はイエスへの愛に燃え、御名のために辱められ、苦しみに遭うことを名誉に思う気持ちに圧倒されたのです。彼らにとってイエスの御名は、あらゆる栄光と力、知恵と美、そして計り知れない愛以外の何ものでもありませんでした。それは常に彼らの心に優しく響く愛の御名であったのです。
イエスが彼らにとって最も大切なはじめの愛であったからこそ、近年の殉教者は、かっての殉教者がそうであったようにイエスのために喜んで苦しみ、すべてを神に献げることができたのです。迫害が始まる以前から彼らは、いやしめ、屈辱、失望、窮乏、誤解、侮辱、拒絶、自己否定、犠牲そして最終的には十字架というイエスの道を選んだのです。イエスを愛する人々は、以前から真の弟子としてイエスと同じ道を歩むことを選択し、迫害が訪れる時までには備えられていました。彼らは苦しみによって試された者であり、イエスへの愛に燃えていました。自分の十字架をイエスと共に負えば負うほど、彼らはイエスに強く結びつけられ、イエスへの愛はいっそう強く燃え上がったのです。
イエスはこの上なく私たちを愛し、私たちが御自分の愛にこたえるのを待っておられます。私たちが主を愛し、主の歩まれた道を選び、自らの十字架を負って御自分に従うよう、主は呼びかけておられます。(続く)
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