Archive for 7月, 2020:
30 07月
「究極の戦い」
リック・ジョイナー師
私たちの歴史のほとんどを通して、アメリカは地球上で最もポジティブで先見の明のある国と考えられていました。ところが、2019年に発表された調査では アメリカは地球上で最もネガティブな国であると宣言されたのです。 私たちに何が起こったのか?このシニシズム ( 懐疑的態度、冷笑的態度を持つ人) の疫病はどこから来て、これは私たちの未来にとって何を意味するのでしょうか?
事実上、すべての心理学的研究によれば、最も創造的で生産的な人々とは、人生に対して前向きな見通しを持っている人々であると結論づけています。彼らはまた、最も幸福である傾向があり、一方「否定的な見通しを持つ人」は、「影響力が高く、創造的で、最も生産的な人々」の中にはほとんどいないのです。
アメリカ人がこのようなネガティブでシニカルな人々になってしまったのは、心の問題です。イエスは、私たちの言葉は、私たちの心の中にあるものを明らかにすると言われました(マタイ12:34、ルカ6:45参照)。今日のアメリカの三大情報源であるメディア、教育、娯楽に目を向けると、アメリカについての圧倒的で極端な皮肉が表現されており、それに教化された新興世代がいます。(注:1)
これはどのようにして起こったのでしょうか?それは、自由と民主的政府に対して、最も容赦のない敵の一つであるマルクス主義による忍耐強く容赦のない戦略から、意図的に達成されたのです。マルクス主義は、その設立当初から、その第一の目標はアメリカ共和国の破壊であり、アメリカが滅びれば、他のすべての民主的な政府もすぐにそれに追随すると宣言していました。
ユダヤ人が何世紀にもわたる経験から学んだように、誰かが自分たちを破壊したいと言ってきたら、その人たちのことを真剣に受け止めなければならない。マルクス主義者は、アメリカを滅ぼすという目標を公然と掲げていますが、それはアメリカこそが、彼らの世界征服の主要な障害と考えているからです。これは次の二本柱の戦略ーー 1)継続的な戦争と「警察の行動」による外部からの絶え間ない圧力を掛ける、2)私たちを今まで支え、強くしてくれた「宗教的・道徳的な基盤」を内側から破壊すること、によってでした。
マルクス主義者は、アメリカを乗っ取るためには露骨で恥も外聞も無い「45のゴール」を実行する戦略を取って来ました。これらは、メディア、公の教育、娯楽産業に潜入することによって達成されるとし、これらを通して、彼らは私たちの自由と道徳の柱を崩壊するまで侵食する、その後に、政府は簡単に自分たちの手に落ちると信じているのです。現在では、これら45の目標のうち44の目標が達成されたか、あるいは間も無く達成されると彼らは考えています。
ソ連崩壊とともに、マルクス主義は死んだとほぼ全世界で信じられていて、そのため、その継続的な脅威に私たちは油断して来たのです。マルクス主義の首都はロシアから中国に移り、その戦略と戦術は、中国の伝統的な忍耐と古代の知恵を反映するように調整し、彼らは戦略をより長期的なものに調整したのです。すなわち、アメリカと直接対決する代わりに、中国はテロリストや不正国家のような代替品を使って、アメリカを終わりのない高額な戦争に引きずり込むと同時に、メディア、教育、娯楽を通じた彼らのプロパガンダは、私たちを内部崩壊させようとしているのです。
マルクス主義者は、政府を転覆させる戦略には実に巧妙で、たとえその政府を運営することで恐ろしく無能であることが証明されているとしても、説得力があることが証明されて来ました。それは「見えない敵を倒すことはできない」という、基本的な軍事教義によってです。 ソ連崩壊後、アメリカの指導者たちがマルクス主義はもはや脅威ではないと思い込んだ後、マルクス主義者はさらに致命的な敵に成長したのです。
この新戦略は、新世代のマルクス主義者の工作員の多くが、自分たちがマルクス主義者の真の目的に乗せられていることも知らずに、実際にはマルクス主義的なアジェンダを推進しているほど、巧妙で効果的なものとなっています。マルクス主義を知っていると称する人の多くが、その理解度が非常に浅く、ほとんどのマルクス主義者の工作員は、レーニンが “有用な(だが)まぬけ “と表現したように、真のマルクス主義者の指導者たちは、自分たちが何をしているのかを理解してもらいたいのではなく、ただ自分たちのやることに従ってさえくれれば良いと願っていると述べています。
最近のアメリカでの政治情勢と、特に若い人たちの考えが、マルクス主義の真の恐ろしさを知らずに、彼らの対米戦略に乗せられていることを理解することが非常に重要になって来ていますから、ここで、マルクス主義の基本と、なぜマルクス主義がアメリカ共和国の基盤となる自由と対立するのかを検証していきます。
原則その1:アメリカ共和国は個人の自由の上に成り立っている。マルクス主義は全体主義的な統制の上に成り立っている。
アメリカ共和国は、ユダヤ教/キリスト教の考え方に基づいて設立されました。彼らはまた、真の宗教、真の道徳、真の誠実さは、押し付けられるものではなく、心から生まれるものでなければならないと信じていました。罪を犯さないように人々を刑務所に入れることはできても、罪は心の中に残っています。
アメリカ共和国は、「政府は国民のために存在し、その逆ではないという信念」に基づいて建てられた、歴史上初めての国家でありました。したがって、政府の職に着く人の第一の忠誠心は、人民の意志を実行することであり、その逆ではなく、人民に支配されることでありました。そのため、政府のあらゆる役職に着く人は、国民のこの自由を守るために制定された憲法を忠実に守ることで、国民のこの自由を守ることを誓う必要がありました。
このため、アメリカでは、個人の創造性とその表現することに、前例のない多様性と創造性に火をつけ、尊敬されていました。これは、知識のほぼすべての分野だけでなく、生活や文化のほぼすべての面で大きな進歩をもたらしたのです。
これとは対照的に、マルクスをはじめとするマルクス主義を形成する指導者たちは、神への信仰を国家への信仰と依存に置き換えることを提唱した無神論者であったのです。したがってマルクス主義の基本的信条は、人民は国家のために存在しており、国家への完全かつ揺るぎない服従だけが求められているということであるのです。
したがって個人主義的な表現のいかなる形態も、マルクス主義者にとっては、すべての行動と思想を究極的かつ完全に制御する必要性に対する脅威とみなされたのです。これが、マルクス主義者の政府が、個人的な表現や創造性のいかなる形態も、「西洋の腐敗」の証拠として非難する理由であり、この理由から、マルクス主義政府の内部プロパガンダの主な目的は、個人主義的な思考のいかなる形態に対しても、嫌悪感や恐怖心を抱かせることでした。
「・・・主の御霊があるところには、自由がある」(Ⅱコリント3:17)
「キリストは、自由を得させるために、私たちを開放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」
ガラテヤ5:1
専制主義や無政府状態の極端な状態を避けるための…希望の唯一の拠り所は、人々の道徳の上になければならず…宗教は道徳の唯一の堅固な基盤であり、道徳は自由な政府を支える唯一の可能性を持っている。 ー アメリカ建国に寄与した当時のモーリス知事の言葉
アメリカは健康な体のようなもので、その抵抗力は三重になっている。その愛国心、道徳心、霊的信仰心です。もし私たちがこの3つの領域を弱体化させることができれば、アメリカは内側から崩壊してしまうでしょう。(ジョセフ・スターリンに寄与する考えかた)
訳者からのノート
坂 達 也
注1)昨日のリック・ジョイナー師のブログ( Rant )を見て大変驚きました。なぜならコロナウイルスの特効薬と言われる40年前にマラリヤ用に開発され特許も切れた薬がコロナウイルスに効くと言うので、トランプ大統領が発表したところ、途端に、その薬は効かない、あるいはもっとテストせねばならないと、デモクラットから民主党、メデイヤが猛然と反対し始め、それに加わったのが前オバマ大統領とタイアップして大儲けしたアメリカのビッグ・ファーマと言われる大手薬剤会社群です。確かにこの薬が本当に効くことが分かれば、大統領選挙はトランプ氏に有利になるし、今回コロナのために開発中のいくつかの特効薬とワクチンで大きく儲ける企みがなくなることからデモクラットとそれに結託するメデイヤと製薬業界が、よってたかって猛反対し始めたのです。ナイジェリアから来たホワイト・コート(医師)の一群がそのマラリヤの薬がコロナウイルスにどれ程効くかをアメリカに来て発表したものですから今本当に喧々轟々です。(続く)
17 07月
「終末の時」とは誰も未だ経験していない
坂 達 也
(前回のメッセージに続く)最後に申し上げたいことがあります。
旧約・新約聖書を通して「終末の預言」は非常に多くされています。しかし、人間の
歴史上、その終わりの時にどんなことが起こるかは、誰も経験していないことに、私た
ちは気がつく必要があることです。それは前に引用しましたが、主が植えた本物の良い麦と、悪魔が植えた毒麦のどちらも完全に熟すとどうなるのかの問題です。
先ず、神が植えた「良い麦」が完熟すると、その実は「愛、喜び、平安、寛容(忍耐)、親切、善意、誠実(信仰の満ちた faithfulness ), 柔和、自制」が満ち溢れれます。(ガラテヤ5:22)そして、最高の霊的覚醒と、未曾有の大リバイバルが起こり、地上における霊的弟子訓練が完了します。
一方悪魔が植えた毒麦が完熟すると、世の中はかって見たことが無いほど悪くなる。
それは「不品行、汚れ、好色(姦淫、わいせつ)偶像礼拝、魔術、敵意(憎しみ)争
い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興」等であるとガラテヤ書
5:20に書いてある通りです。
特に明らかな現象は、神と悪魔は全く相容れないのですから、あらゆることにおいて
「分裂・分派」が起きるのは当然です。現在のアメリカは、まさに政治からメデイヤ、
民衆も完全に二つに割れています。そして世界は、二つの陣営、アメリカを中心とする
親米国・親イスラエルに敵対する中国、ロシヤ、イラン等の共産・社会主義の過激派の国々が、最後にアメリカとイスラエルに攻め込む計画を着々と計画しています。そして前述のごとく、その兆候は今既に歴然として目に見えています。
次に、神は「愛」と言われますが、本当にそうであることが明らかになります。聖書
には「あなたの敵を愛しなさい」と書かれていますが、私たちは本当に敵を愛している
でしょうか?それがどういうことか理解しているでしょうか?
神は、現在のイラン・アラブ諸国の祖先であるイシュマエルに対しても、父であるアブラハムに、イシュマエルを祝福し、大いなる国民にすることを約束しました。真に愛の神は、イシュマエルの末裔が、後にご自分の国、最愛のイスラエルと敵対する宿敵になることが分かっていてもそうしたのです。
それを言えば、神は、元々自分の子にするために造った人間を、生まれる前から全員
、罪人になるのを覚悟し、全ての人間が罪人となるのを許しました。全知全能の創造主の神がどうして敢えてそうしたのでしょうか?
その理由はロマ書11章に書かれています。特に32節で「神は、すべての人をあわ
れもうとして、すべての人を不従順(罪)のうちに閉じ込められたからです。」と書か
れています。つまり神は最初からこの世を一旦悪魔に手渡したのです。ですからパウロ
は、ロマ書12:2で「だからこの世と調子を合わせてはいけない」と教えます。つい
ては、ロマ書12章を、霊の訓練を受けて完熟した人間の姿であることにご留意してじ
っくりお読みいただきたいと思います。
ロマ書12:3−21「・・・だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量に応じて、慎み深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵に従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまず分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、帰って身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それはこう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」
私はパウロの上記の言葉をタイプしながら、こんなに貴重なことばはないと感激しました。これを表にして壁に貼って毎日眺めて暮らしたいと思いました。
そしてパウロは、ロマ書の11:36、37で「神の知恵と知識との富は、何と底知れず深く、そのさばきは、何と知り尽くしがたく・・だれが主のみこころを知ったのですか。誰が主のご計画にあずかったのですか。・・」と言い、次節で「すべてのことが、神から発し、神によってなり、神に至るからです。どうかこの神に、栄光がとこしえにありますように。」と書いています。ハレルヤ!
そのことが、また、ガラテヤ書2:20で次のように説明されています。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや、私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
イエスキリストだけが唯一の完全に完成された人間です。そのイエスを信じてイエスに自分の人生を生きてもらう人間だけが「永遠の命」でキリストとともに永遠に生きるのですから、神の愛と福音は何とすばらしい「知らせ」ではありませんか。(終わり)
11 07月
ション・ボルツ師の預言について ーー
パンデミックがなぜ終わらないのか
WWGM 坂 達也
私は、3月3日のWWGMメッセージでボルツ師の預言をご紹介しました。その中心テーマは、折からの新型コロナウイルスのパンデミックが間もなく終焉するという神からのことばをボルツ師が聞いたという良い知らせでした。ところがそれ以来、既に三ヶ月以上経つのに、実際には「終焉に向かうどころか益々世界中に広がっているではないか」という疑問を持たれた方が多いと思います。その結果として、彼が「偽預言者」であるという声も聞かれます。
そこで私は、ボルツ師自身が四月以降に何と言っているかを知りたいと思い、彼のミニストリーのユーチューブ画像を一、二見てみました。私は彼の書いた本も持っていますし、彼のミニストリーから送られて来る毎週のレポートをこの一年以上見て来ました。
そこで、彼の録画を見て気がついたことは、ボルツ師自身が、神が彼に言われた預言が未だに実現していないことに正直に驚いていることです。そして彼が最近聞いた「主よりの言葉」を次のように説明しています。
「私たちが神に向かって叫ぶなら、神は状況を好転させ、この問題の流れを変えて下さる。現在私たちは、ロックダウンと解放のさまざまな段階にあります。多くのクリスチャンが祈るために集まり、大規模な祈りの努力をして来ました。私は好転がもっと早く起こると思っていました。しかし、現在の状況は神のご計画ではなく、神は依然として私たちのために流れを変えるおつもりであり、それは人々の考えていることとはまったく異なるものとなるであろうと、主が再び言われるのを聞きました。」
ボルツ師は続けて「このような悲劇の最中においても、素晴らしいことが起こっています。クリスチャンとしての私たちには、次のような約束があるからです。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる・・・」 (ローマ8:28)
つまり、神はいつも悲劇を勝利に変え、悪でさえも私たちのために用いられるお方であるということです。今神は、私たちクリスチャンが、私も含めて、この際自らを「リセット、再定義、再調整」する絶好の機会として、私たちに与えて下さっているというのです。私たち一人一人が、主より預言的な言葉を受け取るとき、私たちは自分ができることを地球上で行う任務があるのです。あなたが召されていることのために、私たち預言的指導者は、そのための空間と境界線を守る必要があります。この時期、神があなたに語りかけることに耳を傾けてください。神はご自分の性質から寛大にあなたに与えたいと願っておられます。」と付け加えています。
新約の教会に必要な「預言的ミニストリー」
イエス・キリストが現れた新約の教会では、旧約の時代と違って「預言的ミニストリー」がオプションとしてではなく「絶対に必要」であるのです。
その良い例が、イエスご自身が一人の女性に井戸端で語ったことが町中に広がりました。
ですから使徒パウロは1コリント14:1で「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」と言い、また、ガラテヤ書5:6で「・・・愛によって働く信仰だけが大事なのです。」と言っています。ここで気が付かねばならないことは、どちらも愛が強調されていることです。
終末の時代には預言が増え、同時に、敵による偽預言者も増す
使徒2:17−18には「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。」 それはよくご存知の通り「あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。・・・すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。・・・」
この聖句は、終末になると、ドラマチックな程、預言、夢、幻が増えることを示しています。なぜなら、私たちがクリスチャンになるときに聖霊が宿り、その聖霊を通して主イエスが毎日私たち個人に語られるようになるからです。そのことはマタイ4:4で「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」と書かれている通りです。
しかし一方で、それに対抗する、敵からの偽預言と偽預言者が増えるのです。これは、モーセとファラオの魔術師が競ったように、初めからの神のご計画であり、このことは麦と毒麦の例え(マタイ13:24−42)によって一層よく理解できます。
このたとえ話の中で、神は毒麦を抜くのを辞めさせました。その意味は、神は真の預言的訓練のために敢えて本物と偽物どちらをも、終末の時代に完熟するまで混成させておく。その目的は、本物と偽物を識別する訓練をさせるためであったのです。どちらも成熟した時、片方は麦の中身である実が成熟して重くなり、穂である頭が下がりますが、偽の毒麦の方は実がないので上を向いてふんぞり返っているところから明らかな識別ができます。
つまり良い麦とはクリスチャンの私たちです。その私たちが、熱心に求めることによって、色々な形での夢、幻、啓示による「啓示の預言」が頻繁に起こるようになるのですが、重要なことは、霊的訓練の成熟によってのみ、私たちは毎日聞く主の「御声」に従って実際に生きるようになることです。これが終わりの時に良い麦の成熟した姿です。
加えて重要な事は、私たちは神の真の心の内を知るように訓練されているのですから、それは「心の目で見る」霊的訓練であって「肉の目で見る」のとは全く違うことです。
私たちクリスチャンが「心の目で見る」時に、真っ先に言える事は「神はあくまで愛と永遠の命で生きる方」ですから、そこに見えるものは、全面を覆う「愛」が滲み出ていることと同時に、その人は「永遠の命」から見た見方・ビジョンで生きていなければならないことです。そうであれば、霊的に熟した人間が「最終的に到達するところは、その人が神によって初めから与えられている destiny ともいうべき、最終的にその人がなる、到達すべき「神に似た性質と姿」になっていなければなりません。
その例はアブラハムにあります。彼は遠い将来に目を向けそこに「神が建てている都市」を見て、そのビジョンこそが、あたかも現実であるかのように信じてその信仰で生きたのです。そのことをイエスご自身が次のように証しています。「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て喜んだのです。」(ヨハネ8:56)
そのようなアブラハムであったからこそ、メシヤのタイプであると言われる我が子イサクを生贄として差し出せと命令されても驚かず、ヘブル書11:19にあるように「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。」これが成熟した人間が最終的に到達する姿・ビジョンであるのです。アブラハムは一時的な現世に生きるのではなく、永遠の時を踏まえて生きたのです。
この信仰に立つ生き方が、成熟した「預言的な人たち」の基本的な生き方であり、従ってそのような人は、その時々だけではなく、高次元の「最終的に神から召された時」を現実として住む人でなければなりません。
最後の時代の「教会」は、「彼が信じた神は死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方で、望み得ないときに望みを抱いて信じました。それは「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。・・・神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」(ロマ書4:17ー21)
つまり、預言とは、神の将来の計画と目的を現実としてとらえる人たちであることがこれで分かります。
預言者には自分の預言の間違いが許されないのか
イエス・キリストはマタイ24章で、終末の時代に起こる多くの事を預言していますが、その中で11節において「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」と言っています。その偽預言者は教会の外の人も多くいますが、クリスチャンの教会の中にもいます。
そこで、私がご紹介したショーン・ボルツ師のコロナ・ウイルスに対する預言は、彼が言うように間も無く終焉するどころか、益々ひどくなっているとしてその預言は間違っていると言われれば、私はそれを否定しません。そうであれば、彼は偽預言者なのでしょうか。
リック・ジョイナー師は、旧約聖書で有名な預言者サムエルですら、容貌や背丈を見て判断した見間違いを主が諫めた事実(1サムエル記16章)を指摘し、今は未だ終末の完熟の実りの時に入っていないので、多くの著名な預言をする人たちでも、自分も含めて、このような間違いをしない預言者は一人もいないと言いきっています。
さて、私はショーン・ボルツ師の書いた本「Translating GOD」(2015年発行)を読んでわかったことは、彼が私の尊敬するボブ・ジョーンズ師とか、ビル・ジョンソン師夫妻、ピーター・ワグナー師、ランデイー・クラーク師、ジェームス・ゴール師、ボビー・コナー師、ランス・ウオルナー師、ジェッフ・ジェンセン師、ステイシー・キャンボル師、等々と言う預言のミニストリーのそうそうたる人たちの信任を得ている、将来有望な若手の、但し、未だ完熟途上の「預言的ミニストリーの指導者一人」であることです。
彼自身が著書の中で「ゴールである啓示の目的は非常に単純です。神が見るものを見、神が聞くものを聞き、神がおっしゃていることを語り、神が愛するように人を愛することです。啓示が与えられるのは、永遠の世界にある神の心をこの世に表すためなのです。」と書いていることに私は注目しました。従って私は、彼の求めるものは先ず「愛」そのものであること、そして「父なる神、キリスト、聖霊」を心から愛し、恐れ(畏敬)てはいても、この世のものを恐れない「全き愛は恐れを締め出す」(1ヨハネ4:18)信仰に立つ預言的ミニストリーの指導者の一人であると信じますから、私は今回彼の預言が必ずしも「当たっていない」としても、決して「偽預言者」ではないと確信をもって申し上げられます。
民数記21:9との比較
そこで私は、聖書に書かれている厳密にはパンデミックとは言えないにしても毒蛇(悪魔)が荒野でイスラエルの民を襲い、その毒で多くの人を死なせた恐るべきパンデミックに匹敵する災害を起こさせた(神が許された)お話しである民数記21:6ー9と現在世界を蔓延しているコロナウイルス被害を比較してみたいと思います。
21:6−9にこう書かれています。「神が民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人が死んだ。民はモーセのところに来て、私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか・・・主に祈って下さいと、申し出たのでモーセは祈った。すると主は「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。それを仰ぎ見れば、生きる。」と告げ、その通りになったお話しが、十字架に付けられたイエス・キリストを見上げることに通じ(以上の話がヨハネ3:14に書かれています)そして3:16で「神は、実に、そのひとり子をお与えになった程に、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という代表的な救いの信仰に結びつけられるとすれば、今回のコロナウイルスのパンデミックも同じ目的を持っていると考えられないでしょうか。
そうであるなら、今のパンデミックが世界中を蔓延していることは、神のご意志であり、折から最後の大リバイバルが始まろうとしていることを後押ししていると考えてよいと私は信じます。
すなわち、私はこのように見るのです。終末の時代に入った今は、良いことにおいては、最後の大収穫である、大リバイバルが起こされる時、それと並行して霊的な覚醒、御国の弟子訓練においても大きな成果を見る時であると同時に、悪魔の業においても、その悪の成熟が頂点に達する時であり、御国の戦士であるクリスチャンが最終的な悪と対決する時である。それが、最終的に神が裁決する「悪魔に対する終末の裁きの時」に移行する時であることです。
従ってこの伝染病のパンデミックが終焉するどころか、これが更に世界的な数々の大災害ー例えば今日本から中国に発展している記録的豪雨による大被害、それに世界各地で連鎖して起こるとされる前代未聞の大地震、天体異変、そして世界的な飢饉、また、人間同士、国同士の世界的大戦争に発展する要素と気配が既に濃厚であることです。
と言う事は預言的に言えば、ボルツ師が見せられた時点は、コロナが発祥したばかりの中国の武漢での伝染現象に限っての預言であり、しかもそれは、その武漢での状況が、一時的に収まったかに見えた時点でした。このコロナウイルスは、中国政府が意図的に武漢にある研究室で作らせ、それが計画的にか、あるいはたまたまアクシデントとして外部に漏れて広がったにしても、このウイルスを世界に流布させるのは当初から中国の意図であったと、アメリカの内密情報で大統領府と軍部は確証を得ており、当時リック・ジョイナー師もしきりにそのことを言っていました。アメリカでは、中国が何としても世界制覇を目指し、着々とその軍備計画を進めて来ていて、いずれアメリカに挑戦する計画であることは目に見えていると言われて来ました。
その後、各地、各大陸に物凄いスピードで急速に伝染が進んでおります。このパンデミックが、今では世界的経済破壊に繋がる深刻な事態に発展していて、それが特にアメリカでは政治的、ポリテイカルに扱われていることに大きな問題があることが明らかです。(続く)
03 07月
天国であなたがどのような人になるかは
地上での過ごし方によって決まる
坂 達 也
エノクは最初に神と共に歩んだ人
エノクについては創世記5:21ー24に「エノクは65年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、300年神と共に歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は365年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が取られたので、彼はいなくなった。」と書かれています。そしてヘブル書11:5に「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」と書かれ、彼の信仰が神に喜ばれていたことがわかります。 エノクはノアと共に「キリストと共に歩んだ人間」であることが聖書に書かれていますが、この「神と共に歩むようになる」ことが私たちクリスチャンの最終目標であり、地上における霊的訓練終了の卒業証書であることをエノクが実証しています。そのようなエノクは、今天でどのような人になっているでしょうか。
エノクと聞けば、しばしば天に行かれるリック・ジョイナー師が、そのエノクに天で会った時のお話を思い出します。生きたまま天に挙げられた人は他に預言者のエリヤがいますが、ジョイナー師は天で先ずエリヤに会いました。以下は私たちがWWGMで2014年5月1日のブログでご紹介した時の記事です。
エリヤとエノク
ジョイナー師はエリヤによく会います。それは預言的経験の中ですから、実際のエリヤに会ったのか、霊的な経験だったのかはわかりません。エリヤはもうすぐこの世に来ます。それはエリヤの霊がキリストのからだに来るということです。
しかし、エリヤが私に「あなたはエノクに会うべきだ」と何回も言うのです。エリヤは「私とエノクは死を経験しませんでした。それは、終末の時の最後の神のムーブメントのときにキリストのからだに大きな霊的分与をするためです。あなたはエノクに会わねばなりません。」と言いました。私も会いたいと思っていました。なぜならエノクはこの終末の時代に現れる力ある者たちについて預言しているからです。
そして私はついにエノクに会うことができました。彼は私が想像していた人物とは全く違いました! エノクは私が今まで会った人の中で比べ物にならない程最もハッピーな人だったのです。いつも一緒にいたいと思うような人でした。彼が持っている喜びは信じられないほどでした。彼は地上に暗やみが広がっていた時代に生きていました。ネフィルムもいたし、人の悪が増大した時代であったにも拘わらず、エノクは最高にハッピーで喜びに満ちていたのです。
エノクと会ったすぐ後で、私はまたエリヤに出くわしました。彼は私に「エノクと会ってどう思いましたか?」と聞きました。「彼は、私が会った中で一番ハッピーな人でした。驚きました。」と私が答えると、エリヤは「何か質問がありますか?」というので、「ええ。あります。どうしてあなたはエリヤのようにハッピーじゃないのですか?あなたはずっと天国にいたのに、どうしてもっとハッピーじゃないのですか?」とぶしつけな質問をしてしまいました。どうしても聞きたかったのです。
エリヤは答えてくれました。その答えは私に非常な衝撃を与えました。「どうしてか話しましょう。あなたが地上で生活する間に、天国に行ってからあなたが永遠にどのような人になるかが決められるのです。天国に行けば、あなたの苦しみ、悲しみ、嘆きはすべて取り去られます。私もエノクのようにハッピーになることは可能でした。でも私は地上にいる時、暗やみの方にばかり焦点を当てていました。『私だけが残って他は誰も主を信じる者はいない』というように悲観的になった事が多かったのです。私はもっとエノクのようになることもできたのです。そしてあなたもそうなれるのです。
エノクはどんなに地上が暗くても神と共に歩き、神に焦点を当てていました。彼の中で神はどんどん大きくなって、まわりの様々な問題や状況はどんどん小さくなりました。主の臨在の中では喜びが満ちるのです。」エノクは主の臨在の中で喜びの頂点に達したのだと思います。だから天に上げられたのではないでしょうか。そして今も喜びに満ちているのです。
勿論、私たちは天国に行けば皆ハッピーです。天国で一番ハッピーでない人でも、地上で一番ハッピーな人よりもっとハッピーです。それは確かです。でも私たちは今、地上で自分の永遠の性格を決めているのです。エリヤは言いました。
「あなたの信仰を増し加えるために一日も無駄にしてはいけません。神の喜び、神の平安へと成長できる時を無駄にしないでください。聖霊の実は育てられてだんだんに大きくなるものです。私は多くの日を無駄にしました。私も今のチャンスを逃したくありません.主の喜びが、これまでよりはるかに大きくやって来ようとしています。私たちには考えられないような喜びに満たされハッピーになるのです。主を間もなくお迎えしようとしているのですから当然ではありませんか。主の臨在の中で私たちはハッピーになるのです。いいえ、ハッピー以上のものー「喜び」です。ですからあなたがこの世で霊的訓練のために通される試煉を無駄にしないで下さい。 一日も無駄にしないでください。私たちは今、永遠に自分がどのような者になるかを決めているからです。
もしこれが本当であるなら、私たちクリスチャンが、最終的に永遠の世界で「どのような者になる」=「達するか」は、私たちが「現世でどのように生きるか」で決まってくると言うのであれば、その意味は、私たち個人がそれぞれ育てる聖霊の実に「個人差」ができる、そしてその個人差は永遠についてまわる「変わらない」と言うことになります。考えてみるとこれは大変な意味を持っていると思います。天の御国で最も近しく主なる王に仕える人、また、花婿に最も近く、愛し愛される人になりたいと思いませんか。しかし永遠の序列は、一人一人個人が「この世をどのように生きるか」で決まるのです。
聖霊の実は「愛、喜び、平安・・・」
ガラテヤ書5:22には9つの聖霊の実が書かれています。その真っ先に挙げられているのは「愛」であり、次が「喜び」そして「平安」「寛容(忍耐)」と続きます。この世で私たちクリスチャンが霊的訓練を受けることによって聖霊の実が育てられるのであれば、「喜び」以上に「愛」こそが真っ先に育て上げられることこそが、私たちクリスチャンにとっての最大の目標であるはずです。
なぜなら、「神は愛」であり、私たちは「イエスに似た者」に成ることが問われるからです。それは創世記1:27で「神は・・人をご自分のかたち(イメージ)に(似た者になるように)創造された。」とあり、また、ガラテヤ3:27で「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」そして、コロサイ3:14では「これらすべての上に、愛を着けなさい。」と書かれている通りです。
そこで私が思い出すのは、2014年に最終的に天に帰られた預言者のボブ・ジョーンズ師が、一度サタンに殺されて、天の門まで来て、救われた人たちの列に並んでいた時、門で迎える主イエスは誰もに唯一つの質問をされました。それは「あなたは地上で愛することを学びましたか」と言う質問でした。
これを見ても、私たち人間が全てのことに「愛」を基とし、「愛によって働く信仰」を持つことがいかに重要であるかを物語っていないでしょうか。
それにしても「終末の時」は本当に迫って来ました。終末とは聖書マタイ13:36-43の「毒麦の喩え」に出てくるように、すべて神からの本物の麦と悪魔からの偽物の毒麦が合い混じり合って育ち=それが神の始めからのご計画であることにご注意下さい=どちらも成熟する終末の時点で、神はまず毒麦だけを集めて火に放り込んで燃やすのです。一方、本物の麦は実が最高に熟し、重くなって穂の頭が下がりますが、偽物は実りがないだけでなく、毒になると言うのです。
これはクリスチャンとは「預言的でなければならない」ことに結び付けて考えることにあてはめられます。すなわち、クリスチャンは一人一人が誰でも神の御声を聞く訓練を受けながら「本物の預言者からの預言を聞くこと」によって神の御心を知り、それを実行することを学びます。しかし同時に、神が悪魔に毒麦という偽預言を送らせてクリスチャンを惑わすことを許すので、私たちが偽物に惑わされない訓練をもさせて下さるのです。これは霊的成長にとって非常に大事な訓練です。
その終末には、その訓練の間を縫って一大霊的アウエイクニングと最後の大リバイバルが、並行して起こるのです。そして今、既にその時に入っていることを私も実感し始めました。既に世界中がパンでミックスだけではない、色々な艱難が起こり、その上人と人が、神側と悪魔側の二つに別れて戦う様相が政治的にアメリカで進んでいるだけではありません。世界的に見ても、国と国、主義と主義による終末の大戦争に発展する様相が既にかなり濃厚になって来ました。(終わり)