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Walk With God Ministries


28 05月

尊ぶことの重要性 マイケル・バン・ヴリメン        2018年 5月28日


尊ぶことの重要性

 

マイケル・バン・ヴリメン

 

 

神の御国で尊ぶこと

 

 私が神の御国で「敬い尊ぶこと」が持つ重要性について学び始めたのは数年前のことでした。それまでは、クリスチャンとして人生で何を尊ぶべきかについてはあまり考えたことはありませんでした。尊ぶことに関する聖句で思い浮かんだのは、出エジプト20:12とエペソ6:2−3くらいでしたが、そこには父と母とを敬うべきことが書かれていました。

 

ある時から私は神の国について更に深く考察を始め、クリスチャンとして真に生きる道を教えている牧師たちの説教をもっと聞くようになりました。するとそこには尊ぶことに関する教えが非常に多いことに私は気付きました。

 

私はネビル・ジョンソンやブルース・アレンの説教を聞きましたが、彼らは自分が敬い尊ぶことがそのまま自分の人生にも現れてくることや、自分が尊ぶことを私たちは自然に追い求めるようになることを教えていました。私はまたジャスティン・アブラハムの説教も聞きましたが、彼は尊ぶことを通していのちが流れ出ること、そして尊ぶことが天国の通貨であることを教えてくれました。ローマ13:7には「敬わなければならない人を敬いなさい。」とあります。

 

聖書には尊ぶことに関する 箇所は多くあり、尊ぶことが主にとってどれほど重要なことであるかを示しています。それに関して神の御こころをよく表しているのは1サムエル2:30です。

 

「それゆえ、—イスラエルの神、主の御告げだーあなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、—主の御告げだー絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶものを尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。」

 

私たちは自分が価値を認めるものを尊ぶ

 

私たちは、自分が価値を認めないものを尊んだり理解しようとはしません。単純なことです。伴侶や子どもという神からの贈り物を、私たちがもし尊ぶならば、彼らとの時間を多く持ちもっとその贈り物を理解しようとするでしょう。

 

尊ぶことは、私たちのこころや願いを表し、それは目に見えるかたちで表面に現れるものです。それは誰の目にも明らかになります。それは私たちの主との関係においても同じです。私たちが主との関係に価値を置き尊ぶならば、主の御こころを理解したいと願うでしょうし、主と時間を共に過ごすことでしょう。確かに命は尊ぶことから流れ出ると私は思います。

 

数年前のことですが、 私たち夫婦に主がなされた一つの事に関して私は少しばかり悩み苦しんでいました。それは、私たちの家でパワフルな神の超自然的現象が起り始めたのですが、私にはそれを受け入れる用意が出来ていなかったので、しばらくの間悩み続けることになったのです。それは妻のゴーダナが2011年11月11日に主からパワフルな霊の分与(インパーテーション)を受けたのが始まりでした。

その日から妻は祈ったりとりなしをするとき、必ず霊の領域に引き入れられるようになったのですが、私は全くそれについていけませんでした。この事を通して私はあることに気付かされました。それは超自然的癒しや奇蹟をテレビ等で見る時は、「本当にすばらしい!よかった!」と興奮して喜べるのですが、それが自分の家の中で家族しかいないときに起こると、それを受け入れるのには調整期間が必要であるということです。

 

ですから神の力が妻に臨み部屋の中で天使たちが動いていても、私はそれをほんの微かにしか感じることができませんでした。私は「これはおかしい!私にも天使がはっきりと見えてもいいはずなのに、見えない!」と思いました。そしてその不満を主に2年近くもぶつけていました。「主よ、なぜ私には霊的に起こっていることが見えないのですか?」と。

 

「わたしのしていることに参加しなさい。」

 

ある日、寝室に入って行くと妻が祈っており、部屋は神の臨在で満ち天使たちが動いているのを感じました。私は思わず叫びました。「姿を見せてください!私は彼女の夫なんですから!」私がそう言うや否や、輝く青い閃光が部屋にさし込み、私と犬とはびっくりして飛び上がりました。しかしそれでも天使たちは私には姿を現しませんでした。

 

その日の夜、主が私に語られました。というよりは、主は今までも語られていたのに私が聞く耳を持っていなかった、と言うべきかもしれません。主は言われました。「わたしはあなたに見せることはできません。わたしがあなたの妻にしていることをあなたは尊んでいないからです。奇跡的なしるしや癒しを通して、すべてはわたしの業であることをあなたに証明しましたが、あなたはまだ疑っています。彼女が祈るときに見るものをあなたも見たいのならば、あなたも彼女と一緒にとりなし、わたしがしていることに参加しなさい。そうすればあなたにも見せてあげましょう。」

 

これは私が主に願うものを受け取るための重要な鍵となるレッスンでした。私は神に仕える人々が力ある超自然的な業をなすときに、いつもそれを理解し認めることができるわけではありません。しかしそのような時にも、主を信頼し、彼らの人生で主がされておられる業を尊ぶことを私は学びました。そして主はそのような私を祝福してくださいました。

 

自分が尊ぶことが自分の人生にそのまま現れてくるのです。それは確かです。御父は喜んで私たちに御国をくださいます。ですから御国で尊ばれることを敬い尊んでください。(終り)


21 05月

神が与えてくださる仲間 ランス・ウオルナウ 2018年5月21日


神が与えてくださる仲間

 

ランス・ウオルナウ

 

人々はいろいろな問題に遭遇すると、指針を求めて神の御声を聞きたいと願いますが、それは簡単なことではありません。しかし私はその鍵の一つになることを見出しました。それは私がワシントンDCでアメリカや世界の政治的動向に注目しているクリスチャンたちと交わりをしていた時に与えられた啓示でした。

 

その時私たちは、一人ひとり自分が見たことや感じたこと、自分の考え等を分かち合っていたのですが、その時皆がある事実に気づいたのです。それはあなたが一緒にいるべき人達(right people)と話をしているならば、神の御霊がその会話の中に介入され、自分が話している内容をもっと明確に鮮明にしてくださるということです。自分一人で会話をすることはできません。あなたは一緒にいるべき人たち(right people)と共にいる必要があるのです。

 

一人ひとりが自分の思っていることを分ちあっている時、聖霊が私たちの内側からそれをさらに鮮明にし、聖霊が何を考えておられるかを皆が分かるようにしてくださるということを皆が感じました。しかしあなたが共にいるべきではない人々(wrong people)の中で話すならば、その会話から神の御こころを見出す霊的環境に入ることはできません。なぜならばあなたは彼らに対して自分の考えを説明し理解してもらい説得するので精一杯になってしまうからです。しかしもしあなたが共にいるべき人達(right people)の中にいるならば、聖霊があなたの言葉に同意することを示してくださる時にはそれが分かるようになります。それは人々があなたの意見になんでも同意するということではなく、彼らがあなたの霊的波長を聖霊の御声に敏感になるように助けてくれるからです。それによってあなたが「これはもしかして神からかもしれない」と感じていた考えやアイデアを分かち合うときに、それが確かに神からであったとあなたがはっきりと感じ取ることが出来るようになるのです。

 

イエスはヨハネ16:12、13で「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導きいれます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」と言われました。あなたの内におられる聖霊は、主があなたにいろいろな手段(思い、アイデア、ささやき)で示されていたことを聞いてそれをあなたに話してくださるのです。

 

私たちの周りにはいろいろな雑音(ニュース、人の意見、自分の魂の声など)が溢れていますが、その中でも神の御霊はあなたに語っておられるのです。この箇所で「御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し」とあるように、御霊は「聞いて語る」のです。あなたが他の人々と「心を一つにして」共に集い話し合うとき、あなたの内にいる聖霊はそれを聞いておられ、あなたが話すときに聖霊が共に話してくださるのです。聖霊は神の御こころをあなたの言葉に吹き込んでくださるので、あなたは話しながら自分の口から出る言葉によって神の御こころがはっきりとわかるのです。そして神があなたの人生でされていたことや、あなたの進んでいる方向が神の望まれていることであると確認させてくださいます。それはあなたが話している霊的環境が正しい仲間によって整えられているときに起こるのです。

 

使徒行伝4章でペテロとヨハネが時の権力者たちと対峙したとき、この真理が現れています。(アメリカや世界中のクリスチャンは今このような状況に置かれています。あなたが御霊によって動けば動くほど、宗教的組織や、報道関係、政治的な権力から圧力をかけられます。神のメッセージを伝えるものたちへの迫害がますます顕著になってきています。世界が、羊とやぎ、麦と毒麦、善と悪とにますます鮮明に区分されてきています。)

 

23節に「釈放されたふたりは、仲間のところに行き」とありますが、これが鍵です。神が与えられ深い関係を築いた仲間のところに行くとき、自分の進むべき方向が示され、そのための力が与えられるのです。そして彼らは「祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告し」、これを聞いた人々はみな「心を一つにして」神に向かって声をあげました。ここに鍵があります。

 

「心を一つにして in one accord」というのはクリスチャンならだれでもいいということではありません。さまざまな偏見やあなたとは異なる考えを持っている人は、たとえクリスチャンであってもあなたが神から聞く霊的環境をつくりだすことはできません。ですからあなたと同じ神からの使命、任務を受けているクリスチャンである必要があります。

 

使徒16の6節ではパウロがアジアで御ことばを語ることを聖霊が禁じており、次の7節ではビテニヤのほうに行くことをイエスの御霊が許されなかったとあります。

神は二つの扉を閉じられたのです。(パウロは宣教に出かけることを恐れてはいませんでした。しかしそこに住む人々に福音を聞く用意ができていないならば、神はその道を閉ざされるのです。あなたの手に神からの福音というギフトがあっても、人々に受け取る用意がないならば、そのギフトを無駄にすることになります。)そして9節に「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください。』と懇願するのであった。」とあり、10節には「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだと(私たちは)確信したからである。」とあります。幻を見たのはパウロでしたが、心を一つにしていた仲間の一行(パウロ、シラス、テモテ、ルカ)はそれが神の御こころであることを共に確信したのです。

 

もしあなたが神に「共に働くべき仲間を与えてください」と祈っているならば、それは一人でも二人でもいいのです。大勢である必要は全くありません。2、3人の人が共に語りあうとき、そこに主もいてくださり、そのグループの進むべき道が鮮明に確認、確証されるのです。自分の思いを口から出すとき、あなたの内なる聖霊がそれを聞き、あなたの言葉を用いて語り、それによって皆に神から確証が与えられます。

 

皆さんの中には今神から「開かれた扉」を与えられている人がいると思います。あなたが思ってもいなかった所や、ある扉が開くのを待っていたときに、違う扉が開くかもしれません。そのときにあなたが間違った人達(wrong people)に話すならば、その扉は閉ざされてしまうのです。自分自身が抱く疑いや迷いがそのような人々から増幅されて自分にかえされてくるからです。時として敵はあなたに「今はそれをするタイミングではない」とささやきます。私たちはその敵の言葉に同意一致してしまい、開いた扉に入って行かないのです。ですから正しい人々(right people)に話すことがとても大切です。

 

次に大切なのは恵みの中を歩くことです。パウロは2テモテ2:1で「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。Be strong in the grace that is in Christ Jesus.」と言っています。これはグラハム・クック師のから教えられたことですが、恵みは普通「受ける価値がないのに与えられる恩恵」と説明されますが、聖書はイエスが「恵みとまことに満ちていた」と言っています。イエスは恵みを受ける価値があるお方でしたから、「恵みは受ける価値のない者に与えられるもの」という定義はおかしいのです。そうではなく、恵みとは、神が望まれる自分になるために与えられる力です。私たちが恵みによって強くなるとは、神が自分を見られているように自分を見ることであり、そうなるための力を与える恵みの中(神の臨在の中)で生きることです。神はあなたが完成した姿、新しい創造物のあなたを見ておられます。あなたが神と同じようにその完成した自分の姿が真のリアリティーであると知れば知るほど、あなたは恵みによって強くされます。そして前進し向上していく自分を認め、自分の召しに確信を持つことができるのです。

 

もしあなたが間違った人々に神から与えられたアイデアを話すならば、彼らは自分の心や思いにあることに焦点を当てるためにあなたの話を逸らしてしまいます。しかし少人数の正しい人たちに話すならば、彼らはあなたが恵みを受けるためのスペースをつくり、それによってあなたのアイデアは更に研ぎすまされ、知恵が与えられ、内なる聖霊からの確認が得られるのです。

 

今は皆さんが「仲間のところに行き」「心を一つにして」神に向かって声を上げる時です!

 

使徒行伝4:31「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」(終り)


15 05月

エルサレムの平和のために祈ろう        坂  達 也       2018年5月15日


エルサレムの平和のために祈ろう
                 坂  達 也
5月14日は、イスラエル建国70周年に当たる特別の記念日でした。
その日のお昼頃でしたが、イスラエルの首都エルサレムで、アメリカの大使館がテルアビブからエルサレムに正式に移された記念式典が行われました。私はその実況中継を見てクリスチャンの一人として大変感動を受けました。
式典で最も称えられたことは、トランプ大統領の勇気ある決断力でした。トランプ氏はご存知の通り選挙でそれを公約し、昨年12月に大統領として正式にそれを実行する事を世界に公表しました。しかし、それを受けて世界(特にアラブ系諸国)は猛然と反発して参りましたが、それを敢えて押し切って、遂にエルサレムにアメリカ大使館の移動が実現に至った記念すべき日でした。
本件は過去において、1995年にアメリカ議会がイスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移すことを承認したにもかかわらず、最近の歴代3大統領はそれを実行しなかった経緯がありますから、この事がどれ程大きな勇気と決断を要するものであったかがこの式典を通してうかがわれ、大きな感銘を受けた次第です。
しかもこれに先立ち、トランプ大統領はイスラエルの最大の政敵であるイランとの核に関する六カ国合意契約を破棄する事を宣言していましたから、この式典と時を同じくして、パレスチナ自治区ガザで数万人規模の激しいデモが発生し、それを企画したハマスのテロリストに対してイスラエル防衛軍(IDF)が報復したため多大な死傷者が出たことは、十分予期された事件であったと思います。
 イスラエルとエルサレムの歴史は非常に複雑です。第二次大戦が終了し、イスラエルが独立国家として正式に1948年に誕生して以来70年が経った訳ですが、その首都は聖書的に言えば間違いなくエルサレムです。そして、このエルサレムこそは将来イエス・キリストが帰って来て、世界を統治する御国の永遠の首都となる場所であることは、クリスチャンの皆様はよくご存知です。
一方、歴史的政治的な立場からすれば、イスラエルは1967年の第3次中東戦争で、ユダヤ教やイスラム教、キリスト教の聖地が集中する旧市街を含む東エルサレムを占領。その後は併合したエルサレムを「不可分の首都」と位置づけてきました。但し、国際的な承認は得られていません。
これに対して、東エルサレムを将来に独立する際の首都とするパレスチナ側は当然ながら反発しました。1993年のイスラエルとパレスチナの「2国家共存」を目指すオスロ合意では、今後の交渉でエルサレムがどちらに帰属するかを決めるとしていました。そのため今回の米国の動きに、パレスチナ側は猛反発した訳ですが、これによって中東和平交渉の再開は一段と難しくなってきたことは否めません。そして、その理由がお互いに宗教的な事情が絡む以上、和解の余地はほぼ考えられない最悪の事態に立ち至った状態にあります。
一方アメリカにおいても、トランプ大統領の立場は苦しいものがあります。それはアメリカには宗教の自由が許されている以上、大統領が一宗教の立場を取ることは許されないからです。従って中間選挙をこの秋に迎えるアメリカは、国内の政治闘争による紛糾がますます深まると予想されます。しかし私たちクリスチャンの立場からすれば、トランプ大統領が取った今回の行動は、明らかに彼自身が正真正銘のクリスチャン信仰の持ち主であることを証明したと言えます。
ユダヤ教徒とクリスチャンの立場
ご存知の通り、詩篇122:6ー9には、こう書かれています。
「『エルサレムの平和のために祈れ。『おまえを愛する人々が栄えるように。
おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。』
私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。『おまえのうちに平和があるように。』
 私たちの神【主】の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。』」
ナタネヤーフ首相は昨日の演説で、イスラエルの首都はエルサレムであるが、そのエルサレムにおいて、戦いではなく、平和を望む、と言っていましたので、おそらく彼は上記の聖句を踏まえた「両者が平和裡に共存する」可能性を追求する用意はあると言っているのではないかと思います。しかし、パレスチナ側はあくまでエルサレムを自分の領土と主張すると思われ、そこには妥協の余地はほとんどないと言えます。
また、創世記12:3では、イスラエル建国の父アブラハムに対してあなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」と明言され、それには異邦人の私たちも含まれていますから、真にキリストの神を信じる者であれば、イスラエルに反対する立場は取れないはずです。
さてそこで、私は日本とイスラエルの関係を憂慮します。一応今までは友好的に推移して来たようですが、最近日本国首相が、アラブ側に気を使ってか、日本は大使館をテルアビブからエルサレムに移動はしないと明言しました。しかし私たちクリスチャンとしては、日本が「羊の国」になるためには、名実共にイスラエルを完全にサポートする立場を明白に宣言する日が一日も早く来る事を願って止みません。
世界情勢は完全に終末の時代に入っている
つい先日アメリカは、イスラエルの東北側の隣国のシリヤを攻撃し、その背後にいるロシヤを刺激しました。その後にイスラエルとアメリカを目の敵にする東側の大国イランとの条約破棄を宣言したのです。これでイスラエルを取りまくアラブ諸国陣営と後ろ盾のロシヤに対抗して、イスラエルとそれを後押しするアメリカが対峙するという世界を分けての二大体制ーーこれはまさに聖書が預言する最後の時代に起こる「決戦体制」が出来上がりつつあると言えないでしょうか。
一方、アジヤでは中国が後押しする北朝鮮とアメリカが後押しする韓国、日本、台湾の体制が不気味な様相を呈しています。すなわち、ここでも二大勢力の対決ができつつあり、もしかすると黙示録8章9章の預言が当てはまり、戦争が勃発するだけでなく、更に激化して10章の預言に続く可能性があるようにも思えます。これらの章は、明らかに核戦争の様相に当てはまるとも考えられます。
正直なところ、私は中国が北朝鮮を簡単にアメリカ側に手離すとは考えられません。その点、北朝鮮問題の解決が今後難しくなる可能性が十分あり得るという気がします。但し、このように申し上げても私は世の終わりがすぐ来ると言っているのではありません。
むしろ、私が申し上げたいことは、終末のリバイバルと霊的アウェークニングは、前にも申し上げた通り、イザヤ書60章に書かれているように見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている」という暗闇の最も暗い最中に(2節)起こるのではないかと言うことです。であればこれから世界中がますます暗くなります。しかしその時に「あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの光のうちに歩み王たちはあなたの輝きに照らされて歩む」と書かれている3節はリバイバルが来る時の様子ではないでしょうか。
 いよいよ世の中は未だかってない真っ暗な暗闇の中を通る時となるーーその時こそ、そのために主に整えられた私たち御国の精鋭が、主の良い御使いに助けられ、最後の大収穫に参加する一方で、世界の多くの国を主の御国となるように導く仕事に就く時であると信じます。
そのために私たちは、今こそ主に似た、へりくだって主にのみ仕える者にならねばならない、それはマタイの5章にある山上の垂訓の教えーー「心の貧しい者」「柔和な者」「義に飢え乾く」「あわれみ深い者」「心の聖い者」にならねばならないと思う次第です。(終り)

07 05月

今週は神の御声がよりはっきり聞こえる時 ー その大きなシフトが来る ラナ・ヴァウサー 2018年5月8日


今週は神の御声がよりはっきり聞こえる時 ー

               その大きなシフトが来る

 

ラナ・ヴァウサー

 

 

今週はあなたが主の御声を更にはっきりと聞く週になることをあなたの上に預言いたします。あなたが主の御こころを更にはっきりと聞き、預言の意味を更に明確に聞きとる週になることを預言します。

 

私は一つのヴィジョンを見ました。イエスに近づいている者たちの頭に主がヘッドフォーンをつけ、それによって他の音を遮断し、主が言われていることにもっと集中できるようになるというビジョンでした。

 

主はこのヴィジョンを通して教えてくださいました。あなたが主から鮮明に聞くのを邪魔していた「雑音」は、今週あなたが御声を強く求めるならば、ついに消されて聞こえなくなり、あなたはイエスとイエスが言われていることに聖霊のちからによってもっと集中することができるようになることです。

その意味は、今週あなたは「新しい音」を聞く週になるということです。あなたは主の胸の鼓動の「新しい音」を聞く(聞ける)ようになり、主の啓示の新しい音、主に解放され道を示される新しい音を聞くでしょう。

 

サムエルのように御声に驚かされる

 

 

「そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように『サムエル。サムエル。』と呼ばれた。サムエルは、『お話しください。しもべは聞いております。』と申しあげた。」 1サムエル3:10

 

今私のこころにはこの聖書箇所がずっとあります。今週、神の御声に驚かされる心の準備をしてください。予期しない方法で神があなたに呼びかけるのを聞く備えをしてください。あなたが今まで経験したことのない方法で主が話しかけるのを見る備えをし、それが起こった時には「主よ、あなたですか?」と言ってじっと耳を澄ませてください。

 

今まで霊が渦を巻いて、混乱や妨害が起こっていました。しかしあなたが今週強く求めるならば、主の御声を鮮明に聞き、あなたが主に火打石のように決意の顔を向けて(イザヤ50:7参照)力を得るための更なるブレークスルーが起こるであろうことを、主が私に示してくださいました。

今週、新しい音、主の胸の鼓動とそのリズムをもっと正確に聞き取るための備えをしてください。

 

私は「聖霊が音を取り囲む中に踏み込むために準備をしなさい!!」と主が言われるのを聞きました。

 

主はあなたが聞くことを増し加え、あなたのダイアルを合わせて天の波長に合わせ、主のこころのリズムに一致するようにされます。もっと聞くことが今週あなたには可能にされているのです。ぜひ受け取ってください!

 

今週、聞く事に大きなシフトが起ります。注意深く自分が立つべき位置を定め、「聖霊に囲まれた音」の中に踏み込む用意をしてください。そして御霊において起こっていることや、聖霊が今生み出し実現しようとしているものの音をもっとはっきりと聞く備えをしてください。

 

今週、多くの方にとって、あなたが主から聞くことが、主の聖なるパズルの沢山の部分が一緒になって(理解できる)形となること、そしてさらに偉大なブレークスルーがおこること、そして物事の意味がはっきりと分かるようになることです。

そのためにはみなさん、ぜひ秘密の場所に入り、主に「聖霊のヘッドフォーン」をあなたの耳につけていただいて、あなたがはっきりと聞こえるようになってください。(終り)