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Walk With God Ministries


10 10月

支配権を持つ者     ダッチ・シーツ            2017年10月10日


支配権を持つ者

                                                      ダッチ・シーツ

 

「あなたの世界を支配しているのは一体誰なのか?」

この問いは、 祈る時私たちに与えられている権威を理解するために非常に重要です。ここで、「権威の法則」を祈りに適応する前に、まず「権威とは何か」そして「権威の持つ目的は何であるか」を十分に把握する必要があります。

 「権威」を理解するためには、「誰が支配しているか?」という問いに答えねばなりません。この問いは、世の始めからずっと人間社会のすべての葛藤の中心でした。今も外の世界はあなたを支配しようと毎日攻めてきています。それは仕事や家族、財政、或いは全く別の事かもしれません。いずれにせよ、私たちがまわりの世界に支配されその奴隷となって生きることは、全く神のご計画ではありませんでした。私たちはキリストの統治の下で生活することにより、主のパートナーとして共に地上を治めるように召されているのです。

この法則は「統治」に関するものです。統治とは、「影響を与える、権威を執行する、上位に立つ」という意味です。権威を持って祈るとき、私たちは物事を統治する力でとりなすことができるのです。統治の権威という考えは、聖書全体を通じて表されています。エデンの園以前から、「誰が統治するのか?」という問題が議論されました。ルシファーは、神の上に権威を振るおうとした時この問いを発しました。そしてそれは今日に至るまで、私たちが直面する葛藤、即ち

善か悪か、命が死か、真理か偽りか、というすべての葛藤の発端となってきたのです。

神がサタンに究極的に勝利していることを私たちは知っています。しかし、

私たちが個人的に悪に勝利する機会を、神は今も与えてくださっているのです。それは即ち、私たちが主のパートナーとなって、この地を真理と義で治めることです。私たちはまさに本来その力を与えられて創造されているのであり、イエス・キリストを通してこの世を治める人生を歩むようにと召されているのです。ローマ5:17にある「治めるreign」という言葉は「王や王妃として治める」という意味を持っています。

 

第一ペテロ2:9「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」

私たちは主と共に治めるようにと選ばれました。権威を持って祈ることを学び、統治の力をもってとりなすのは私たちに与えられている責任です。

 

「自分の内なる世界にどれくらいキリストをお招きしているか」という度合いが、私たちが外の世界に対して持つ権威の大きさを決めます。使徒行伝19章でスケワの息子たち(ユダヤ人の祭司長の7人の息子)が、悪霊につかれている者にイエスの権威を行使しようとしました。彼らは「パウロの宣べ伝えているイエスによって」と言いましたが、悪霊は「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と答えました。息子たちはまず自分の人生をイエスに明け渡すこと無しに、キリストの権威を行使しようとしたのです。彼らの祈りは全く効力がありませんでした。

 

同じようにあなたの人生は、あなたとキリストとの関係の度合いを明確に示すバロメーターです。あなたは平安と喜びの内を歩いていますか?それとも、まわりの未信者と同じように、いつもストレスを感じていますか?家族は祝福されていますか? 祈りの生活をしていますか?それとも祈りの力について話すだけですか?

暗やみや絶望を支配する権威は、あなたの霊的DNAの中に入れられています。あなたは、盗み、殺し、滅ぼそうとする敵に勝利しながら、キリストによって豊かな人生を送るように造られているのです。(ヨハネ10:10)サタンは、神から与えられているあなたの任務を妨害するためなら手段を選びません。敵の計画を見破りそれに打ち勝つのは、あなたの責任です。「私は勝利者だ!」とただ口先で言うだけではなく、権威と力の証しが溢れ出る人生を送らねばなりません。

 

あなたを支配しようとするものに対して、自分の権威を行使することを決意するならば、まず、あなたの心の思い、行動、言葉をよく吟味してください。それらが王の息子、娘としてのアイデンティティーを反映しているかどうか、よく吟味してください。

あなたが自分自身の思い、行動、言葉の上に権威を持つならば、まわりの世界(家庭、仕事、財政等)に対するあなたの権威をも主が大いに祝福してくださることにあなたは驚くでしょう。そして、これこそが究極の目的なのですが、今まで夢にも思わなかったレベルで、あなたは主のパートナーとして機能し始め、世界全体に影響を及ぼすような権威を行使し始めることができるのです。主はただあなたをパートナーにするだけではなく、地上における主の目的を達成するために、あなたというパートナーを必要とされていることを是非知っていただきたいと思います。(終り)

 


02 10月

フレッシュなパン     ハイディ・ベイカー       2017年10月2日


フレッシュなパン

 

ハイディ・ベイカー

 

 

ボブ・ジョーンズ師との出会い

 

 私が預言者であるボブ・ジョーンズ師に会った時のことをお話ししたいと思います。

ある時、 ワシントンDCの空港にいた私のところに、私の夫とボビー・コナー師が来て、「これから預言者の家に連れて行くよ。」と言い、私からパスポートを取りあげたのです。私は腹を立てて「預言者の家になんか行きませんよ。うちに帰ります!」と言いました。私のうちというのはモザンビークです。でも彼らは「いや、あなたは預言者の家に行くんだ。」と言うのです。私は「何で、この人たちは私にこんなことをするんだろう。ひどいことだ。私からパスポートを取り上げるなんて、犯罪だ!私はうちに帰って子どもたちにパンを与えなければならないのに!預言者に会う必要などないわ、神の言うことは自分で聞けるから!」と思いました。本当に行きたくなかったのですが、二人は私の言うことなど気にも留めずに私を車に乗せ、郊外のボブの家に連れていったのです。

 

預言者ならば少しはましな家に住んでいるかと思ったのですが、ボブの家は本当に祖末なものでした。彼は紫色で鷲の絵がついている小さすぎるシャツからお腹を出して私たちを迎えてくれました。これが預言者でしょうか!もうちょっとましな格好をしていてもいいではありませんか!

彼は「やあ!あなた達が来るのは分かっていましたよ。」と言いました。(彼はその日に起こることを主から前もって聞く事が多かったのです。)私はボブのことを話に聞いたことはありましたが、会ったことはありませんでした。彼は「まあ、座ってください。」と言うので、私は古ぼけたソファに座りました。ボブは肘掛け椅子に座って話し始めました。私はワシントンDCから二人の男性に誘拐されて、ここまで連れて来られたのですから、きっと素晴らしい預言があるのだろうと少し期待しました。

ところがボブは「神が言われましたよ。あなたはクッキーを食べなさいって。」と言いました!

皆さん、私はその時まで人生の三分の一を断食をして過ごしていたのです。神からフェイバー(特別な厚意)を頂くための手段として私が知っていたのは断食をすることだけだったからです。私は断食を信じていますし、今も断食をします。どうか私がもう断食をしないなんて勘違いをしないでください。でもそれまでの私の断食の仕方は、御父の心を理解していないものでした。ですから神が預言者の口を通して「クッキーを食べなさい。」と言われた言葉は、信じられないくらいにすばらしい響きを持っていました。

まず第一に、モザンビークの私のうちにはクッキーなどありませんでした。クッキーは超贅沢品でした。それは必需品ではありません。空腹のときにまず一番に買うものではありません。クッキーはお菓子です。貧しい人に与えるものではありません。彼らにはパンとかお米や豆を与えます。クッキーを与えるなんて思いもよりません。

ボブが「神があなたにクッキーを食べなさいと言われたよ。」と言ったまさにその時、ドアをノックする人がありました。その人は「やあ、ボブさん、神様があなたのところにクッキーを届けるようにと言われたので、持ってきました。」と言うのです!焼きたてのクッキーでした!ボブは「へへへ...ありがとう。」とそれを受け取り、その人は中に入りもせずに帰っていきました。

その時も私は断食中でした。ボブは「さあ、クッキーをお食べなさい。」とすすめてくれます。私は「これはサタンの誘惑か...」と思いました。「私は断食をしている..このクッキーはカロリーも高いし...」と思い巡らしながら、小声で異言で祈っていました。でもクッキーに抵抗することができませんでした。そして預言者に聞き従うべきだという気持になり、クッキーを取り一口食べました。それはナッツの入ったチョコレートクッキーでまだ暖かかったのです。そして私はベイビーのように泣き始めました。ボブは「もっと食べなさい。」とすすめました。

その時聖霊が私に迫りました。「あなたは孤児ではありません!わたしのフェイバーを得るために飢える必要はありません!わたしのフェイバーはあなたの上にあります。わたしは甘い(sweet)のです。わたしはおいしい(good)のです。常に有り余るだけあるのです。」この言葉はずっと以前に神が私に語ってくださった言葉でした。「わたしが十字架で死んだから、あなたは有り余るほど十分なものを持っているのです。」

ボブは私を見て笑い、「主は言われますよ。もう一つ食べなさいと。」と言いました。私は「主よ、どうしてあなたは私に二つもクッキーを食べるように言われるのですか!」と叫びました。「それは贅沢すぎです。とんでもないことです。この預言者は行き過ぎです。クッキーを二つも食べるなんて...」と。でもボブは「さあ、もう一つ食べなさい。」と言うのです。

私は二つ目のクッキーを食べました。私は泣き崩れました。御父の心がわかったからです。神が私をどのように思っておられるのか、どれほど私を愛しておられるのか、どれほどスイートな方か、どれほどフレッシュでおいしい(good)方かを。

主は私をモザンビークから呼び寄せ、夫とボビーに私を誘拐させ、預言者の家に連れてきてくださるほど親切な方です。そしてクッキー二つで私の人生を変革されました。私はその日完全に変えられ、何百万人もの人に肉の食糧を与えるだけではなく、霊的食物も与えることができるようにしてくださったのです。

あなたは自分が神のものであることを理解せねばなりません。そして神はあなたが想像する以上に善き方であり、麗しい方です。あなたが主を深く知るならば、人に主を分け与えたくなるのです。でも主がどのような方であり自分がどのような者であるかが分からないと、外に出て行くことができません。自分がどなたの者であるかを知るときに、すべてが変わります。

 

カビだらけのパンの話

 

私がモザンビークの家にいたとき、主がはっきり「家の中にパンがありますか?」と聞かれました。私はどこかに袋に入ったパンがあったことを思い出しました。暑い地であり、パンはすぐにカビが生えます。見つけたパンは信じられない状態になっていました。それは虹色のパンでした!青、ピンク、黄色、オレンジ、というあらゆる色のカビで覆われていたのです!暑い家の中に何日も忘れられていて、怪物のように恐ろしいものになっていました。主が「それを教会に持っていきない。」と真面目に言われるのを聞きました。私は「はい。分かりました。」と答えましたが、続けて「何か他のものも持っていってもいいでしょうか?」とお聞きしました。(私と主は友達ですから、このように話をするのです。)主は「いいですよ。」と言われました。そこで、私は友人に電話をして「2千個のパンを買ってきてくれますか?」と頼みました。教会にはいつも二千人くらい集まってきていたのです。その友人は私と22年も一緒に働いていたので、少しも驚かずに「勿論いいですよ。」と言ってくれました。大きなトラックもありました。私たちはいつもそのように人びとに食糧を与えているのです。

 

教会に着くと、主が「さあ、みんなにあのカビだらけのパンを与えなさい」と言われました。私は「わかりました。」と答えました。ここで説明をしたいのですが、普通大勢のお腹のすいた人達にパンを配るときは、みんな興奮して大騒ぎになります。ある人たちは2時間も歩いて教会に来ますから大変お腹が空いています。でも主が「レインボー色のパン」を配れと言われたので、前列の人にそれを渡して「無料です!好きなだけ取ってください!」と言いました。子どもも親もカビだらけのパンを見て驚いて顔をしかめました。みんないつもお腹を空かしている人達です。でも誰もそれを取ろうとはしませんでした。

触るのも嫌だという顔をしていました。でも私は「後ろの方まで全部の人が好きなだけ取れるように回してください!」と言いました。

しばらくしてパンの袋は人びとの間を一巡して、戻ってきました。下に落ちたもの以外は全部残ったままでした。食べた人は誰もいなかったのです。何故でしょうか?それは古いパンで、人びとを病気にするものだったからですね。

いのちがないパンでした。人びとは空腹であったにもかかわらず、そのパンは食べることができないことが分かったのです!そのパンは人びとを満足させませんでした。それは確かに無料でしたが、誰一人として一口も食べた人はいなかったのです。

次に私は新しく買ったパンを見せて、「ここにもっとパンがあります。フレッシュです。今日のパンです。昨日のでも、先週のものでもありません。今日の朝焼いたパンです。どうぞ好きなだけ取ってください。」と言いました。

子どもたちは喜んで声を上げました。母親たちは服やバッグの中に幾つも詰め込みました。「今好きなだけ食べてもいいですよ。」と言うと、みんな食べ始めました。しばらくして「余ったものは前に持ってきてください。」と言うと、不思議なことにパンは余っていて、それは礼拝後に町の飢えている人たちに配ることができました。

 

主は今日この集会に、御臨在をもって私たちを訪れてくださいました。主の臨在というフレッシュなパンを、飢えて死にそうな世界に持ち運んで行くのが、私たちの役目です。今日私は祈りながらどのようなことを皆さんにお話しすればよいか主にお聞きしました。そして主はフレッシュなパンを豊かに与えてくださいました。本当に感謝しています。この真理をどうか決して忘れないでください。古いカビだらけのパンを欲しい人はいないのです。昨日のパンを欲しい人はいません。人びとはフレッシュなパンを必死に求めています。主は私たちがフレッシュなパンを分け与えるように召しておられるのです。

 

第2コリント1:20−22「神の約束はことごとく、この方において『しかり。』となりました。それで私たちは、この方によって、『アーメン。』と言い、神に栄光を帰するのです。私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」

 

神は私たち全員に油を注がれ、私たちに確認の印(持ち主のしるし)を押して、「これはわたしにものだ!」と言ってくださるのです。あなたは神に所有していただきたいですか?あなた方は神の息子、娘です。あなたは王子、王女です。しかし、それと同時に神の奴隷です。「ご主人様、私はあなたの家から出て行きたくありません。一生あなたに仕えたいです。どうか私の耳に穴をあけてください。

私のいのちはもう私のものではありません。」と願う生涯の奴隷となりたいですか?(申命記15:16、17参照)イエスのものとなり、イエスに所有されることほど自由なことはありません。主はあなたに焼き印を押して「わたしはあなたを所有している!あなたを愛している。あなたはわたしの家族だ。」と言われています。もしあなたが主の家族ならば、もうカビの生えたパンなど食べる必要はありません。「パンは足りるだろうか?」と心配する必要もなく、パンを取られないように人と争う必要もありません。神は私たちのために一人子を下さったほどのお方です。

「あなたのためのフレッシュなパンはいつも十分にあるよ。」と言われます。すべて神からの約束は「しかり、アーメン」です。あきらめなければ、必ず勝利するのです。

 

神は私のためにボブ・ジョーンズ師を用い、非常に深くパワフルな真理を教えてくださいました。「クッキーを食べなさい。」と言ってくださったのです。神はケチな方ではありません。あなたのヴィジョンを聞いて「なんてこった。そんな大それたことをわたしに願うなんて。一体どうすればいいんだろう...国をトランスフォームするって!?そんな事は出来るはずないだろう....」と顔をしかめる方ではないのです!ですからどうかイエスを人びとに分け与えてください。それであなたの食べる分がなくなることは絶対にありません。「あの人がもらったら、私の分がなくなる」と考えるのは孤児の霊です。

 

第2コリント2:14「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとってはいのちから出ていのちに至らせるかおりです。」

あなたはキリストの香りです! 拒む人にとっては死の香りであり、信じる人にとってはいのちの香りです。あなたはただ常にキリストの香りであればよいのです。12節には「このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆に語ります。」とあります。どうか大胆であってください。大胆に語り、大胆にフレッシュなパンを人々に分け与えてください。(終り)


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