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08 05月

世の終わりの宣教とは何か ー  それは マルコによる大宣教命令       坂 達 也


世の終わりの宣教とは何か ー

         それは マルコによる大宣教命令              

 

                  坂 達 也

 

 私たちは今、世の終わりが近づいた「御国の時代」に生かされております。

 

 マルコによる福音書の最後のところで、よみがえった主イエスが十一人の弟子たちに現れ「『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。『信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。・・・』」(マルコ16:15−16)と言われました。これがマタイ福音書の末尾にある主の「大宣教命令」と同じであることは疑いの余地がありません。

 しかしマルコでは、この命令に続いて「『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』主イエスは彼らにこう話された後、天に上げられて、神の右の座に着かれた。そこで彼らは出て行って、至る所で福音を述べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」(マルコ16:17−20)と書かれています。

 

 ここで気が付くことは、通常私たちが未信者に紹介する救世主キリストによる「救いの福音」とは、上記の15−16節だけで、多くの場合、それでお終い、後に続く17−18節「『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』 の部分を省いてしまうことです。もしそうであれば、15−16節だけが、あたかもキリスト教の最終目的であるかのような印象を与えないでしょうか。しかし一世紀の使徒たちは、イエスにいわれた通り、イエスがなさる業を忠実に見習って超自然の力を用いたパワーフルな福音を実行に移しました。

 マタイ10:7で、イエスが十二弟子を弟子訓練の一環として宣教旅行に出されたときに「『天の御国が近づいた。』と述べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病をきよめ、悪霊を追い出しなさい。・・」と言われました。これは前述のマルコの大宣教命令と同じ内容です。

 そして今は、それと同じ福音をたずさえて私たちが出て行く時です。そこで改めて「天の御国の時代とその福音」とは何かを、その原点にもどって考察してみたいと思います。

 宣教旅行に出る人を例えてみれば、それは行商人のようなものです。私たちの売り歩く「商品」は「イエス・キリスト」とその「天国」です。普通、ある商品を売る時に一番効果的な方法は、その商品の効能をくどくどと説明するよりも、その良さを実演して見せることではないでしょうか。そうであるなら私たちクリスチャンも、人の見ている前で「病人を直し、死人を生き返らせ、らい病をきよめ、悪霊を追い出す」ことを実演して見せれば、黒山のように人が集まって来ないでしょうか。それがイエスご自身のやり方でした。主は私たちに今それをしなさいと言われています。そのようにして集まった人々に、イエスとその御国の話を説けば、説得力が抜群に出ることに間違いありません。

 もう一つの効果的な方法は預言の賜物を用いることです。そのよい例は「知識のことば word of knowlege」の活用です。ご存知の方も多いと思いますが、ショーン・ボルツ師という方が、全く面識のない人に向かって、その人の家族の状況とか、普通誰も知るはずがない情報を言い当てます。当てられた人は大変驚きます。それと同じように、もしあなたが知らない人に向かって「今あなたはこういう大きな問題にぶつかって困っていますね」とか「あなたは自殺しようとしている」あるいは、その人の誰にもいえない罪を犯している内容を言い当てれば、その人はショックを受けてがぜん聞く耳が出て来るはずです。その時にすかさず「それを救う救い主」として「イエス・キリスト」を売り込めば「買ってくれる確立」は非常に高くなると思いませんか。

 それに反してイエスの弟子であるはずの私たちが「天の御国の福音」を実践して見せずに、聖書の神学的理屈だけを「救いの福音」として長々と説こうとすれば、セールスの実につながりません。私もいやと言う程そういう失敗をして来ましたことを認めます。

 「救いの福音」と「御国の福音」とは同じであるようですが、実は明確に区別して認識すべきであると思うのです。すなわち、キリストが説かれるメッセージの最終目的は、キリストによる「天の御国の福音」であって、「救いの福音」はあくまでその一部、あるいは入口に過ぎないということです。

 

 バプテズマのヨハネは「悔い改めにふさわしい実を結べ。」と叫びましたが(マタイ三:8)その実とは、単にキリストを信じて死後に天国に行けることだけを指しているのではありません。それだけしかいえないならば、他の多くの宗教も「死後の極楽浄土行き」等の空約束とあまり変わりありませんから説得力に欠けます。なぜなら、それが事実かどうかは死んでみなければ分からないからです。

 ですから今の時代に生きる私たちは、キリストの名において、この世で天国と同じ状態を実現してみせるべく「病人を癒し、死人を生き返らせ、悪霊を追い出す」ことによって、私たち自身の過去の間違いを悔い改め、その悔い改めにふさわしい実を結ぶ宣教をすることを提案させていただきたいと思うのです。その意味で、もし私たち現代のキリスト教会が「天国をこの世で実証できない」のであれば、キリストとかバプテズマのヨハネが罵倒した当時のユダヤの「宗教家」とあまり変わりはないと私は危惧するのです。

 

 もう一つ私たちが悔い改めねばならないことがあります。それはバプテズマのヨハネが「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方(イエスキリスト)は、わたしよりも優れておられる。その方が、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(マタイ3:11新共同訳)と言ったように、「聖霊と火」の洗礼があるにもかかわらず、それを受けようとしないクリスチャンが未だ大勢存在していることです。多くのクリスチャンが「それはキリスト教の教義解釈の問題であり、私たちの教派はそれを信じないので行いません」と言うだけでは済まされないと思います。私は聖霊のバプテスマを受けることがどれ程御国のミニストリーに「必要欠くべからざること」であるかがこれからの時代で証明されると信じます。

 

 ビル・ジョンソン師は次にように言っています。「救いの福音は、人々を救いに導いて天国に行かせることに焦点を置きますが、御国の福音は、人々の生き様、住む街々、国々を抜本的にトランスフォーム(変革)することに焦点を置きます。そのために御国に神(イエス)ご自身が(王として)君臨します。それは天の御国の現実をこの地にもたらすためです。私たちクリスチャンは天国に行くのが最終的なデスティニーですが、その前に、この地に神の御国をもたらすために王から与えられた仕事(asignment)をしなければなりません。従って王から命令された仕事をすることと、天に行くデスティニーを混同しないようにしてください。」(2017年3月号カリズマ誌に載ったビルジョンソン師のメッセージより)

 勿論、こう言われるのはジョンソン師だけではありません。今では多くの終末の使徒と預言者たちがそれを強調するようになりました。

 

神の御国をこの世で立ち上げるのは私たち

 

 「神の御国とは何か」を突き詰めれば、それはイエス・キリストが王である神の王国です。この王は、宇宙とそこに存在するすべての被造物を造った創造者として、そのすべてを永遠に統治する全知全能の絶対君主である方です。そして重要なことは、その王は現在、天の御座におられる父の右に座しておられ、未だこの地には帰って来ておられない不在の王であることです。しかし主は地上に神の王国を立て上げる仕事をクリスチャンの私たちに委ねられているのですから、私たちの責任は非常に大きいのです。王は設計者として上から建設現場にいる私たちに毎日細かい指示を出しておられます。しかし、もし私たちが王の指示をよく聞けないとすれば、主のしもべとして本当によい仕事ができるでしょうか。主は私たちが常に主の忠実なしもべであることを期待し、「わずかなものに忠実であったからあなたにたくさんのものを任せよう。」とおっしゃる王です。

 

 私たちは、一地域教会に属する信徒としてその運営さえできていればよいのではありません。王国であれば、王国の経営に必要な政治・経済・教育からあらゆる分野での組織作りをし、適切なリーダーを立て、その下でたずさわる有用で忠実な働き人を育てて配置しなければなりません。従って、私たちが主からの命令と指示を注意深く聞く能力を持つことは絶対に不可欠です。まして私たちは「キリストの花嫁」ですから、主人のキリストと親密なコミュニケーションができていて当然です。

 

霊の目で主を見つめることの大切さ

 

 そのために必要なことは、先ず、私たちが霊的な「見る眼」と「聞く耳」を持ち、超能力の源である霊の領域に目を向けることではないでしょうか。そのために次の聖句をご覧下さい。

 「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」(マタイ6:22ー23)

 この御ことばは、私たちが霊的なものに目を向けることがどれほど重要であるかを強調しています。又、2コリント3:18もそうです。

 

 「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」

 特にこの聖句は「主を見上げる」ことによって、主の「霊的な栄光の光」が見上げる人の目を通して身体に入って来ることを学ぶことができます。そして、その人の内部が栄光から栄光へと主と同じ姿に霊的に変えられるという大変重要な目の働きを教えてくれます。

 重要なことは、私たちは肉の目を通して、霊の世界も見ることができることです。それは主がエリシャの要請に応えて、エリシャの召使いの目を通して霊の世界に起こっていることを彼に見せました。(二列王記6:17)これによって人間は、肉の世界と霊の世界の両方を見ることができることが分かります。

 又、私たちは幻とか夢をよく見ますが、これも目で見る、あるいは「心の目」で見るのであると思います。そしてもう一つ重要な聖句があります。それはヨハネ5:19、20です。

 「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。・・・」

 この御ことばが意味するところは、主を見つめていると「主がなさっておられること(御心)が見えるようになる」ということであると私は信じます。

 そうであれば、私たちは願望と信仰を持った「熱い目」で、極力多くの時間を「主を見上げる」ことに費やすことが、私たちの霊性を高めるためにどれ程大切であるかがご理解いただけるのではないでしょうか。

 

どうしたら霊の世界が見えるようになるのか

 

 結論から先に申し上げれば、それは訓練と経験を積むしかないということです。弟子訓練ということばがありますが、その英語は discipleship であり、その動詞のdiscipline は「訓練・しつけ」を意味します。そうであれば弟子訓練とは、学校に行って「頭の知識」だけを詰め込むことではなく、むしろスポーツ選手のように毎日血の出るような激しい「訓練と実地経験」を積み重ねることが必要です。さうでなければ本当に「自分のもの」にはなりません。多くの人は途中で諦めてしまいます。

 オリンピック選手になるには毎日人の二倍三倍のたゆまぬ訓練をする必要があります。有名なピアニストであり続けるには一日五時間の練習を欠かすことはできないそうです。バレリーナもそうです。それと同じように、普通のクリスチャンであっても信仰の訓練を重ねれば、誰でも超能力に到達できるのです。

 

 霊的訓練の最たるものは、40日間水も飲まない断食を行ったモーセに見られるのではないでしょうか。しかも彼はそれを二度続けて行ったのです。

 驚くべきことに、これ程長い間、水も飲まずに顔と顔をつき合わせて神を見つめたモーセはその断食では死にませんでした。これは、主の御前に出ている限り死も不可能もないことを証明していないでしょうか。彼がその直後に山を下ったとき、民はモーセの顔があまりにも眩しく輝いているので顔に覆いを掛けてくれるよう頼んだ程でした。

 これは私たちの霊的成熟の究極の目標が「神なる主と常に顔と顔を会わせて」いつも主のなさりたいことが「見える」「聞ける」親しい関係に入ることであることを示していると思います。そうなれば、私たちは毎日、主と親しくコミュニケーションすることによって、主から託された仕事の指示を忠実に実行できるようになります。そうすれば主は喜ばれ、アモス3:7にあるように「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」つまり、私たちが最愛の妻とか最も親しい友人には何でも話したい、話さずにはおられないのと同じように、主は信頼できるお気に入りのクリスチャンには何でも語ってくださるようになると思います。

 皆さんの中には既に神との関係で「主のお気に入り favorite」になられた方が大勢おられると思います。それは牧師とか教会のリーダーでなくても、クリスチャンなら誰でも、主と個人的に親しい intimacy の関係に入れますし、そのような人はみな立派な「主のお気に入り」です。私も長年主との関係がそうなるように務めて来ましたが、やっと最近、主の御声がよく聞こえるようになって来ました。私は文章を書くのが仕事ですが、筆の進みが遅いのでいつも苦労しています。ところが最近、よく主を礼拝したり、主を見上げる時間を長く過ごしたような日の翌朝は、私がお願いする前に、主は待ちきれなかったかのように、私が書くべきことをどんどんと語ってくださいます。

 

主から個人的に弟子訓練を受ける

 

 一世紀のキリストの直弟子たちは、何もかも捨てて主の家に住み込み、毎日主と向き合って暮らすという、本当にうらやましいような弟子訓練を受けました。しかし考えてみて下さい。私たちも彼らと同じ状況の中で、今でも主から直接毎日訓練が受けられるのです。それは主が聖霊を通して私たちの中に既に住んでおられるからです。御存知のように、私たちも天にある主の右座が私たちの座るべき席であり、そこにはいつでも行くように招かれているのです。キャット・カーというご婦人はつい先日、ジョイナー師のカンファレンスに招かれていましたが、彼女は毎日のように、時には一日二度も天の御座に行くそうです。

 そして、前述の2コリント3:18のところでご紹介したように、いつでも「主を見上げて主を見つめる」ことによって主の前に出られるのです。私は今のところそれ以外の方法を知りません。しかしモーセがシナイ山上で主に向き合って主とお話したのですから、私たちもできないはずはありません。ですから私たちも同じように、個人的に主と向き合い、見えるようになる迄、とにかく主を見上げるしかないというのが私の今迄の経験から学んだことです。そして、主は「信じる者にはどんなことでも出来る。」(マルコ九:二三)と保証しておられるのですから、それを続けていれば霊の世界が見えて来る、聞こえて来ると、私は信仰で信じて実行しています。そして希望の光が見え始めて来ています。

 

 とは言っても、これは確かに大変なチャレンジです。しかし聖書が説く「強い信仰」「真の愛」「自分の十字架を担ぐこと」等はどれをとっても楽にできるものは一つもないではありませんか。みな、とてつもなく激しく、執拗で諦めない強い意志と情熱を要求します。それはまさにマタイ11:12に「バプテストのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく・・攻める者たちがそれを奪い取っています。」と書かれている通りです。

 

 主と親しくなって「見る、聞く」という基本ができるようになれば、後の超能力の訓練については、どうすれば得られるかを直接主にお聞きください。それはまさに「信仰の訓練」です。主は必ず皆さんのデスティニーに適ったよい方法を教えてくださいます。

 最後に申し上げたいことは、単に外国から超能力を会得した使徒や預言者たちを呼んでのカンファレンスに出て話を聞いたり、祈ってもらうだけでは、主と個人的に親しくなれるとは限らないということです。今神は、私たちが誰かを通して預言を受けるよりも、自からが神と親しくなり、神から直接預言を受けることを何よりも望んでおられると思います。 (終り)


01 05月

ダッチ・シーツ師からのメッセージ       シーツ師の4月29日付けフェイス・ブックより


ダッチ・シーツ師からのメッセージ

 

        2017年4月29日付けフェイス・ブックより

 

 私は数週間前になりますが、主から非常にはっきりしたお言葉で次のようなメッセージをいただきました。「用意をしなさい。悪霊の激しい攻撃が今現れようとしているから。」その後、その通りのことが目の前で起こり始めています。

 敵の怒りが、アメリカの上に、特に政府機関とか大学とかにおいても大きな抗議集会が起こっております。それは世界的にも起こり始めました。、シリヤとか、北朝鮮、それがエスカレートしています。敵は怒りに燃えているのです。

 なぜなら敵は、私たちクリスチャンがここ数十年もとりなし祈って来た結果として、今数々のブレーキスルーを経験していることにいらだっていて、彼らは私たちに対して不安と恐れをいだいているのです。一つの例が、最高裁判事にゴーサッチ氏が選ばれたことです。しかし主は、私たちは敵を恐れる必要は全くない、そう伝えなさい、恐れてはならない、私たちがすべきことはしっかり祈りに集中することであるといわれました。

そして、アメリカ政府のリーダーたち、特にトランプ大統領、議会、また、外交関係の矢面に立っているリーダーのために祈ること、今面しているシリヤ、ロシヤ、中東、アイシス等に関する緊迫した情勢、特に北朝鮮に関して私は戦争が起こるとは考えていませんが、しかしその一方決して油断が許されない状態であること。そして主はいわれました、独裁者による今の北朝鮮政権は退けねばならない、それを真剣に祈りなさい。それは独裁者自身が自からを退けるような事態になる、中国が介入してそうなることを助ける、あるいは北朝鮮自身の内部でクーデターが起こることも考えられ、とにかく、私たちはこの独裁者が馬鹿げた行動に走って核戦争を起こすことのないように祈る必要があります。又トランプ大統領とかアメリカの軍部が賢明でない行動を取らないようにも祈るべきです。そして最も重要なことは、神が介入されてすべてが守られ導かれることを祈らねばならないと思います。

今のシーズン、神の御心は民を救うハーベストを起こすことにあり、また、北と南が統一されることにあると信じます。従って韓国とか日本が北朝鮮によって一掃されることは決してないと信じます。そして主が、韓国と日本を守られることを信じます。日本と言えば私は何年も前から日本に大きなリバイバルが起きることを(預言し)確信してきました。ですから非常事態になることを恐れないでください。そしてお祈りを続けてください。今はハーベストのシーズンです。アーメン。(終り)


01 05月

中国のリバイバル      ユージン・バック(バック・ツー・エルサレム)        2017年5月1日


中国のリバイバル

 

ユージン・バック(バック・ツー・エルサレム Back To Jerusalem )

 

中国は今、世界最大のリバイバルを経験しています。毎日2万8千人から3万人の人がイエス・キリストを救い主として信じて救われています。そう言うと人々は「そのようなことが、そんなに長く続くはずがないでしょう。」と言います。でもこの現象は20年ほども続いているのです。世界は中国でこのようなリバイバルが起こっていることにやっと気がついたところですが、それは世界中に影響を及ぼしています。というのは、中国は世界的に見て、経済的にも軍事的にも大きな存在となってきているからです。

「中国のリバイバルが他の国で起こっているものと違う点はなんですか?なぜこのように大きなリバイバルがこのように長期間起こっているのですか?」と私は牧師たちに聞きました。

私のまわりにいる牧師の殆どは、非常に素朴な農民出身の人達です。一人の牧師が最近彼の伝記を出版しましたが、1千万人の教会を牧している人です。私は「どのようにして1千万人の教会を立て上げたのですか?その方法がわかれば、本にして多くの人の助けになると思います。」と言いました。

彼は、「私たちは祈りました。それから迫害されましたね。」と答えました。私は「それから?」と聞くと、彼は「それだけだと思います。」と言うのです。私は「私が知りたいのは、どんなシステム、どんなプログラム、どんな訓練方法を用いたのですか、ということです。」と更に聞きました。彼はそれには答えずに彼が受けた迫害について話し出しました。私がそれまで持っていた考え方では理解できない領域でした。私たちは何かの方式で教会を成長させることはできないのです。成功している教会の真似をして達成することではないのです。

 

私は中国のリバイバルについて研究し始めたとき、本当に驚かされ、また同時に混乱しました。それについてお話する前に聖書を開きたいと思います。

第一サムエル17:38、39「サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着させた。頭には青銅のかぶとをかぶらせ、身にはよろいを着けさせた。ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。慣れていなかったからである。それから、ダビデはサウルに言った。『こんなものを着けていては、歩くこともできません。慣れていないからです。』ダビデはそれを脱ぎ、、」

私は中国に行ったとき、この箇所を思い出しました。中国のカルチャーは万事が非常に異なり、私には理解できませんでした。その中で私に「中国人を変えて、私と同じようにしたい」という思いが涌き上がってきました。少し中国人らしくなくなって私のようになる人を造りあげたかったのです。私は自分のよろいを脱いでそれを中国人に着せたかったのです。「自分はそのよろいでうまく行ったから、中国人もうまく行くに違いない」と考えたわけです。しかし、神は一人ひとりにユニークな戦い方を与えておられることを私は知るようになりました。

 

リバイバルの秘訣を牧師に聞いたとき返ってきた答えは、アメリカの教会で育った私の頭では理解できないものでした。でも神は私たちがいくら考えても絶対に理解できない大きな方であり、リバイバルのためには幾つもの道を備えておられる方なのです。

中国のキリスト教の歴史は長いですが、ほんの100年さかのぼると、ボクサー・リベリオン(反乱)というものがありました。アメリカやヨーロッパからの圧制者がアヘンをインドから中国に持ち込み、多くの中国人をアヘン中毒にしましたが、それに対して中国の国内からボクサーと呼ばれた人達が立ちあがり、外国人を追放しました。これに関しては歴史を調べればわかるのですが、人々が見落としていることがあります。それはボクサー・リベリオンが起こったとき、歴史上最多の数百人にも上る宣教師が殺害されたのです。この反乱は、すべての西欧の影響を追放し撲滅するというものでしたが、それだけではありませんでした。中国内でクリスチャンの数が増えてきたことに脅威を抱いた敵がいたのです。ボクサーと呼ばれた人達は悪霊が自分に取り付くように祈りました。それによって弾にあたっても死なないようになると信じていたからです。そして彼らが戦ったとき、悪霊は彼らが一つのグループに標的を当てるように指示したのです。クリスチャンです。彼らはキリスト教宣教師の家族を捜しだし、市中に連れてきて集団で殺害しました。数百人の宣教師が家族と共に惨殺されました。そして中国人でクリスチャンになった人達も同時に殺されました。中国からすべてのクリスチャンを抹殺するのが彼らの計画だったのです。少なくとも10万人の中国人クリスチャンが殺害されました。

それによってクリスチャンは根絶やしにされたかに思われたのですが、それと同じ1901年にカンサス州トピカの教会で、アグネス・オズモンドという婦人が、北米で始めて異言を語り始めました。3日間、彼女は英語を話すことができず、異言で中国語だけを話したのです。中国で多くのクリスチャンが惨殺されていたのと同じ時に世界で何かが起り始めたのです。それは誰にも説明ができないことです。

1904年にはウエールズ・リバイバル、1906年にはアズサストリート・リバイバルが起り、そしてそこから宣教師が送り出されました。そして殺害された宣教師の数を越える多くの宣教師が中国に派遣されました。何千人もの宣教師が船で中国に渡り、福音を語ったのです。

 

これを知ったとき、私は次の箇所を思いました。

第一サムエル21:9「祭司は言った。『あなたがエラの谷で打ち殺したペリシテ人ゴリヤテの剣が、ご覧なさい、エポデのうしろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。』ダビデは言った。『それは何よりです。(There is none like it. それに優るものはありません。)私にください。)』

敵がダビデを殺そうとして用いた剣が、今ダビデの武器となったのです。中国の教会を滅ぼそうとして遣わされたものが、キリストに栄光を与えるものとして用いられたのです。

 

アメリカやヨーロッパから中国に派遣された宣教師たちが、今中国で起こっているリバイバルのルーツなのです。私たちは先に遣わされた宣教師の肩の上に立っているのです。そして、現在の宣教師たちは、恵みを中国だけに留めておこうとは考えていません。彼らは福音を「10/40の窓」に運んでいます。それは2つの壁(中国の万里の長城とエルサレムの嘆きの壁)の間の国々のことです。この地域に世界人口の三分の二が住んでいます。世界で福音を聞いたことのない人達の十分の九が住んでいます。しかしこの地域の宣教のためにつぎ込まれているお金は非常に少ないのです。この地域が激しい暴動の中にあるのも不思議ではありません。中国のクリスチャンは「このような時のために」10/40の窓に福音を届けるために立てられていると信じています。

中国人はシルクロードを通って各地に行った歴史を持っています。今彼らはその道を用いて福音を持ち運んでいます。少なくとも10万人の宣教師がいろいろな国に送られていて、私はその働きを助けています。シルクロードは危険を伴っています。今中国のクリスチャンは大きな迫害にあっています。一時、ある地域では迫害は少なくなりましたが、最近は又大きくなってきています。中国だけではなく世界で迫害が激しくなっており、2016年には世界で少なくとも9万人が殉教していますが、これは現代では最大の数です。10/40の窓におけるクリスチャン迫害も大きくなっています。

 

現在の習近平主席は中国でのクリスチャンの影響力が強まっていることを警戒し、教会を迫害し始めました。去年の5月のことですが、政府は私の同労者である牧師の教会を破壊せよと命令しました。牧師夫妻は教会の前に立ち、ブルドーザーが会堂に進むのを阻止しようとしました。戸惑うブルドーザーのドライバーに対し、政府役人は牧師夫妻をそのまま生き埋めにするように命じました。夫の方は自分の上に被せられた土を除いて脱出することができましたが、妻はそのまま殉教したのです。しかし、その地域の伝道の熱意はますます強くなりました。

 

「I Stand With Christ」という本が1千万のメンバーを持つ教会の牧師によって昨年出版されましたが、私は彼に「どうしてあなたの教会はこれほど大きくなったのですか?」と質問しました。彼の答えは次のようなものでした。「最初は私の家族だけで聖書研究をしていました。私は逮捕され投獄されましたが、釈放されて家に帰ると新しい人々で家は一杯になっていました。私はまた逮捕されましたが、釈放されて帰ると村全体がクリスチャンになっていました。私はまた逮捕されましたが、釈放されて帰ると教会はまた大きくなっていたのです。ですから私が言えるのは、教会を大きくするためには牧師を牢屋に入れろということです。」(笑)

中国のクリスチャンを滅ぼすために敵がしたことが教会を爆発的に成長させたのです。習主席が去年「クリスチャンをコントロールせねばならない。」と言ったことにより、国内の迫害が激しくなっています。ところがどうでしょう、2016年に彼は「One Belt, One Road」という政策をそれまでより推進し始め、シルクロード上の国々との経済的関係を深めました。宣教師たちは勿論宣教師としては行けませんから、会社社長とかビジネスマンのビサでイラン、イラク、サウジアラビアに出かけています。中国政府は図らずも彼らの後押しをしてくれたのです。

 

私の家族は5代前にドイツから来ましたが、もっとさかのぼればイラクから来たのです。聖書の言葉を真実とするならば、私たちは皆イラク出身です。中国のクリスチャンは「私はイラク人です。」と言い始めました。彼らは外見はまったくイラク人には見えませんが、「私はイラク人です。私は福音をイラクに届けねばならないのです。」と言っています。そして私たちはイラクに行き、400人の学校を作りました。ISISから暴行をうけた少女たちの擁護をする施設も作り、中国人たちがお世話をしています。学校では中国人が英語を教えています。もし皆さんがイラクに行きジャッキー・チェンのような英語を話す人に出会ったら、彼らが誰から英語を習ったか分かります。(笑)

私たちは聖書をどのようにしてイラクの人々に届けられるかを考えました。手の平に入る非常に小型のEバイバルを開発しました。これは7年間チャージしなくても読み続けられるバイブルです。これをどのようにイラク人に手に渡すかを考えました。そしてドローンでこれを軍隊の上に飛ばして、そこから落下させることにしました。そしてそのために更に小さなコインほどの聖書を開発しました。手の上で揺すると聖書がホログラムとして出てくるのです。創世記から黙示録まで全部です。私も実物を見るまで信じられませんでした。電池もいらず、チャージも必要ではありません。

聖書が禁止されている場所にでも運ぶことができます。見つかってもそれが聖書であるとは、誰もわかりません。これが今中国の教会が失われた魂のためにしていることです。私たちの世代に世界のすべての人々に聖書を届けることが可能だと私は信じます。そして王の王なる方をお迎えすることが出来るのです。私はイラクから香港経由でアメリカに来ましたが、出発した時間より一時間前に到着しました。今私たちは素早く福音を広められる技術をもつ時代に住んでいるのです。迫害が迫ってきている今、後退するべき時ではなく、前進する時です。人類の歴史上、最も遠くに、最も素早く、最も深く進んでいける時なのです。(終り)


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