WWGM

Walk With God Ministries


20 02月

神の優先順位 (その1)     マイク・ビクル           2017年2月20日


神の優先順位 (その1)

 

マイク・ビクル

 

今アメリカの人々の中にある大きな怒りの感情について話したいと思います。警戒すべき速度で怒りが増し加わっています。そのことに入る前に、神の大きなご計画をまず見てみたいと思います。今起こっていることに注意を奪われて、神のご計画を見失う危険があるからです。

 

神はキリストの花嫁を麗しく飾るご計画を持っておられます。神はその目的を真剣に情熱的に考えておられます。キリストは完全に成熟した麗しい花嫁のところに戻ってこられるのです。黙示録19:7には「小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」とあります。これは天でのことではなく、主が帰ってこられるときに地上にいる人々が成熟して麗しさの中を歩んでいることを示しています。今の教会の現状を見ると、その姿とはあまりにもかけ離れているので、「主よ、今から婚姻の時までに何が起こるのでしょうか?」と私たちは尋ねたくなります。教会が劇的に変えられる必要があるわけです。

 

主は花嫁を必ずそのように整えると約束されていて、その作業が遅れていると焦っておられるわけでもありません。主はすべてを把握しておられ、計画がちゃんと進んでいると言われます。

ダビデは詩編149で、最高に栄光に満ちた宣言をしています。4節に「主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。」とあります。ダビデは当時「神は民を愛している the Lord takes pleasure in His people」と宣言した最初の人でした。彼は更に「救いをもって貧しい者を飾られる。He will beautify the humble with salvation.」と言っています。ですから神に麗しく飾っていただくには貧しいこと、即ち「へりくだり」が必要条件なのです。

 

現在のアメリカには明らかに問題があり、特に人々が両極に分かれお互いに憎しみに満ちた怒りの言葉を投げかけ合ってています。アメリカ中がこの怒りの応酬に巻き込まれています。そしてあなたがどちらの候補者に投票したとしても、この問題はどの政党にもどの政治的リーダーにも解決できるものではありません。これは明らかに主イエスにしか解決できないことです。主が教会の目を覚ましリバイブさせたいと考えておられるのは間違いのないことです。主は今の時代の教会に「へりくだり」が起って教会が麗しくなることを望んでおられます。

 

ある人達は「神が教会をリバイブすること」と、「神がアメリカを回復すること」とを同じことのように混同しています。確かに少しは重なる部分はありますが、この二つは違うことなのです。人々は私に「あなたは希望があると思いますか?」と訊くので、私は「何に対する希望ですか?」と訊き返します。「神がアメリカを回復させてくださるか、神が教会にリバイバルを起こしてくださるか、ということです。」と彼らは言います。しかし、この二つは必ずしも同じではありません。

 

神の一番の優先順位は、キリストの花嫁の目を覚ますことです。「アメリカが強くなる」と聞くと、人々は経済が豊かになり、軍隊が強くなり、暴力がおさまり、というようなことを考えます。そのようなことは起こるかもしれませんし、起こらないかもしれません。しかし教会がリバイブされることは、私は確信をもって保証します。教会がリバイブされたとき、それがアメリカ社会にどのような影響を与えられるかを、私は予測できません。しかしアメリカ社会を変えることは、神の一番の優先順位ではないのです。

 

今アメリカには「新しい標準的なこと(ニューノーム)」が現れていることに私たちは気づかねばなりません。怒り、憎しみ、党派心をむき出しにして語るのが当たり前になっているのです。これほどのことはアメリカ史上ありませんでした。数年前にこのような話し方をしたらそのままではすまず、必ず処罰を受けました。しかし今は、酷い憎しみに満ちた言葉を聞くと、それを喜び称賛する人達が必ずいるのです。それは政党にかかわらず、クリスチャン、ノンクリスチャンにかかわらずにそうなのです。

 

この「新しい標準」は共和党と民主党の大統領候補選びから始まり、両党の候補者の討論へと進んでいきました。その中でどんどんとその傾向は深まり、それが当たり前になって行ったのです。そしてハリウッドの俳優や歌手にも広がっていきました。このようなことはアメリカでは初めてですし、他の国でもこのようなことはないのではないかと思います。しかし、この「新しい標準」は神の御国の「標準」では決してないのです。神は「わたしの民はそのような言葉は使わない。」と言われます。「新しい標準」の持つ問題点は、それから完全に逃れることは誰にもできないことです。左翼でも右翼でも、クリスチャンでもノンクリスチャンでも大勢がそのような言葉の応酬に巻き込まれていき、それを受け入れて喜ぶ人たちがいるのです。

 

他の大勢の人はそのような事に巻き込まれたくないと考えています。しかしながら、社会全体に不安や心配、恐れの空気があり、いろいろな声が聞こえてきますし、怒りを持っている人たちを全部避けることはできません。このことは国としてとても危険です。人が恐れを持ったり、非常に不安になる時は間違った判断をしてしまうからです。しかしイエスもマタイ24章などではっきり言われていますが、これから敵の攻撃はますます増大するのです。今私たちはエスカレートしていく攻撃、不法の時代の入口にいます。10年前と較べても今はひどくなっていますが、それでもこの傾向はまだ始まったばかりなのです。

 

今でも十分にひどいと思うでしょうが、これからの時代に較べればまだまだなのです。ですから主は今私たちを訓練しているのです。『新しい標準』に合わせてはいけません。怒りの霊の口調に合わせてはいけません。へりくだりを訓練するよい機会としてください。不当な扱いを受けた時は、柔和を訓練する機会としてください。家庭の中、会社等で自分の意見が通らないとき、自分を抑えることを訓練してください。箴言16:32に「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」とあります。エレミヤ12:5に「あなたは徒歩の人たちと走っても疲れるのに、どうして騎馬の人と競争できよう。」とあります。これは「まだそれほど時代が悪くない時に疲れていては、もっと厳しい時代になったときにあなたは立ち行かないでしょう。」という意味です。

 

このことをしっかり把握する必要があるのは、これが御国の発展のためにすばらしい機会となるからです。それは、エスカレートしている激しい怒りの風潮の中で、御国の民が柔和でへりくだった態度を示すならば、非常に特出(とくしゅつ)し人々を感銘させるのです。うわべや口先だけではなく、真のへりくだりをもってあなたを不当に扱ったり反対する人に対して優しく対応するならば、大きな影響を与えることができます。増大する怒りや攻撃の闇が広がるとき、真理の光は更に輝きを増すと主は言われるのです。

私たちは家庭の中では自分の肉的な部分を出しやすいものですが、そうではなくそこを訓練の場としてください。夫婦や親子関係の中で主に喜ばれるへりくだりの土壌をつちかってください。それは子どもたちを将来のために整えることにもなります。(続く)


15 02月

暗礁に乗り上げるかに見えるトランプ大統領(一) 坂  達 也 2017年2月15日


暗礁に乗り上げるかに見えるトランプ大統領(一)

 

                  坂  達 也

 

 

 今アメリカはトランプ大統領の行政が始まって未だ三週間が経ったばかりですが、早くもその行手を遮るかのような、少なくとも二つの大きな難艱が立ちふさがるという緊急事態に発展しております。

 

その一つはトランプ大統領がモスレム7カ国からの移民を一時的に中止するというエグゼクティブ・オーダー(大統領命令)を発令したのに対し、シアトルの一地方裁判官がそれを中止させ、その上、管轄のサンフランシスコにある連邦巡回裁判所がその中止に同意するという事態が起こったことです。

 

ご存知の通り、アメリカ国憲法 Constitution では厳格な「三権分立制度」が規定されております。三権とは、国民を代表する立法府としての連邦議会 Congress と、行政府とその長としての大統領、それに司法国家として独立した司法府(連邦最高裁判所とその下部組織)です。国民は連邦議会議員と大統領を選挙で選出し、司法裁判官は立法府連邦議会が任命権をもっています。

 大統領は外国との交渉において、あるいは国の安全が問われるような事態においては、大統領権限で緊急な軍の発動(最終的には連邦議会の承認が必要)とか外国からの移民を一時的にストップすることが出来ることが明確に規定されており、今迄でもオバマ大統領を含む多くの大統領が移民を一時的に差し止めた例が幾例もあります。従って今回の一地方巡回裁判所が大統領発令を阻止する権限は全くない、すなわち裁判官としては越権行為を行ったと考えられます。

 

 それがなぜこのような事態になったかといえば、一つの理由は裁判官が、入国する移民のビサには各種の種類があり、その広い範囲のすべての移民をストップしなくてもよいのではないかという判断により「物言いを」つけたからであると憶測されています。しかしその裏には、今はトランプ大統領のすることなすことすべてに反感を持つ多数の国民がおり、多くのリベラルなメディアがそれに火を付け、加えてestabulishment といわれる国会議員(特に民主党)自体もその風潮に不和雷同していること明白な事実としてあります。

言ってみれば、この10年間程世界中で流行した言葉に politically correct 「政治的に正しい」という言葉がありますが、まさにその風潮に裁判官までが乗った現象であると受け取れます。

三権分立制度は国の政治が健全に運営されるために必要な制度ですが、歴史上最も古くから「民主主義共和国」として栄え世界に模範を示して来た立法国アメリカにおいてすら、法が正しく施行されているかどうかをチェックする「厳然たる裁判官」自体が「政治的に正しい」ことになびき、合法的な大統領命令にすら反対するという、まさに「お前もか」という由々しき事態になってしまっています。

大統領命令が却下されたことで現実にテロの画策者たちがアメリカに流入するのを防ぐことができないという、国家として最も危険な状態にあります。それを大統領は憂えて、ただちに次の手段としての緊急対策を講ずると言ってから既に5日程経っていますが、未だに代案が出されていません。

 

 そんな中で、上記に加え、もう一つの大きな事件が起こったのです。それは最近議会で承認されたばかりのフリン国家安全保障担当の米大統領補佐官(閣僚級)が13日、突然辞任した事件です。この事件の内容については日本の新聞で既に報道されていますので、ここでは省かせていただきます。

 しかしお伝えしておかなければならないことは、この事件を機に「待ってました」とばかりに、劣勢になりかかっていたリベラルの「メディヤ」と「民主党」が一斉に大攻勢に出て来て、アメリカは今や蜂の巣を突っついたような、一見収拾ががつかないように見える混乱状態にあることです。

 

 

聖書が伝える終末の兆候そのものになって来た

 

 イエスの弟子たちが「世の終わりが来る前兆」を訊ねたとき(マタイ24:3)イエスは多くの具体的な兆しを4−12節で示しましたが、その最後の12節で「不法 Lawlessness がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなる。」と答えられ、その直後に「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に述べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終りの日が来ます。」と述べられました。

 憲法を尊重する立法民主主義共和国であるアメリカが、特にオバマ政権になって大統領自身が憲法違反とか越権行為を平気で犯したことがきっかけとなり、今回の司法官の越権行為という法を無視する「不法」に繫がってはびこり、それが急速に国民全体に「愛が冷える」ことに発展しつつあると私には思えます。

 

それに関して、パウロが、1コリント13章の冒頭で「愛がないなら・・・どうなるか」についての警告が思い起こされます。

 

 異言でいくら話しても「愛がないなら」やかましいどらに過ぎない、

 あらゆる奥義、知識、たとえ山をも動かす信仰があっても「愛がないなら」何の値打ちもない、

 どんなに慈善行為をしても「愛がないなら」何の役にも立たない、

 愛は寛容(忍耐)親切、ねたまず、自慢せず、礼儀に反せず、自分の利益を

 求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばず真理を喜ぶ、

 すべてを我慢し、信じ、期待し、耐え忍ぶ。(以上、筆者が聖書を要約して書く)

 

この「愛がない」傾向は今のアメリカで顕著に見られます。しかし、それ以上に世界にも急速に広がりつつあるように見受けられますがいかがでしょうか。

 

クリスチャンは政治に関係してよいのか

 

ここで一つ申し上げたいことは、私たちクリスチャンが「一国の政治のことに首をつっこんでとやかく言うのはおかしい」という批判がよく聞かれることです。クリスチャンは聖書の話をしていればよい、という人がもし日本にもいるとすれば、それは「宗教の霊」に完全にやられている人としか言えないと私には思えてなりません。そのような方は、今アメリカのみならず世界で起こっていることが「聖書的でない」とでも言われるのでしょうか。私たちクリスチャンは主である王の「御国の民」であり「この地に御国を来たらす」目的で主に仕えているとすれば、それは広義の意味で、政治活動そのものではないのでしょうか。

 

アメリカにはリック・ジョイナー師に代表されるような「国のために立てられた神の使徒」が存在し、預言的に主からの意向を受けて、それを国民と世界に伝え、主のご計画を実行するのを助けることに命がけで仕える「御国の使徒職」がいることを既に私は機会がある毎にお伝えして来ました。そのリック師はよく人から「あなたはいつ福音にもどるのか、なぜ政治のことにこれ程までに関わるのか」と聞かれるそうですが、師は明確に神からそのような召しを受けているからやっているまでで、神からの命令が変われば、喜んで牧師の召しに返ると言っています。

そしてこのところ連日フェイス・ブックで、国の一大事に関することやクリスチャンとして彼が憂うことを心から叫んでいます。その一大事とは、上記の二つに加えることになりますが、今アメリカで最も必要なことの一つが、昨年急死した最高裁判事アントニオ・スカリヤ氏の後を継ぐ判事に、聖書的に正しい立場を厳守する人(スカリオ氏はそうであった)を緊急に選ばねばならないことです。

なぜならリベラルと保守派の判事が現在4人対4人で拮抗しているからです。その人選のためにトランプ大統領はニール・ゴーサッチという人を既に指名し、これから上院での審査に入るところです。これに対し、共和党は大統領選にも出馬していた最も保守的なクルーズ氏を含むほとんどの議員がこのゴーサッチ氏を「これ以上よい候補者はいない」と称える中で、実はリック・ジョイナー師は、このゴーサッチ氏に一抹の懸念を持っていることを始めから語っておりました。その主な理由は彼が所属しているキリスト教会がリベラルな教会であるからと私は理解していますが、このゴーサッチ氏が、今回の移民を一時中止するリベラルな裁判官の判決をトランプ大統領が批判したことに対して不満の意を漏らしたのです。

大統領が持つ正統な権限により大統領が移民に関する行政発令をしたことを一裁判官が却下するという越権行為に対して、抗議の意味で、正当な異議・不満を大統領が表明したことに対し、最高裁判事の候補者たる人が、気軽に大統領を批判するようなコメントをしたこと自体が最高裁判事がすべきことではないと、ゴーサッチ氏の「軽率な政治的発言」を憂えたのです。

事実この大統領命令を却下した9th 巡回裁判所は、過去において、その判決の80%が上告された際にひっくり返されたというお粗末な記録を持つ全くリベラルな裁判所であることが今回分かりました。

すなわち、アメリカという国のお目付役である司法機関が、法が正しく施行されたかどうかよりも、自分たちの「政治的に正しい」私的な意見を優先するという、極端にリベラルになりさがってしまっていることが今回露見されたとリック師は言うのです。

このような事実を今回目の当たりに見て、私は主が「不法 Lawlessness がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなる。」といわれる終末の最後の時代に入っていることを今回ひしひしと感じている次第です。事実アメリカの社会は今どんどん「愛は冷たくなる」一方に進んでいるように見えます。(続く)


06 02月

トランプ大統領      ジョナサン・カーン牧師           2017年2月6日


トランプ大統領

 

ジョナサン・カーン牧師

   (大統領就任式当日の朝の祈祷会でのメッセージ抜粋)

 

 

神の選ばれる器

 

ドナルド・トランプ氏はクリスチャンとして生活してこなかったので、その事を危惧するクリスチャンが沢山おります。神を知らなかったり、或いは神と共に歩いて来なかった人を、神はご自分の目的達成のために用いることが出来るのでしょうか?

イザヤ45章にペルシャのクロス王への主の言葉が書かれています。

「主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。『わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。...それはわたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。』」

 

又、主は預言者エリシャにエフーをイスラエルの王として油注ぐように言いました。エフーは神を知らず、気性の激しい男でした。しかし神は彼を選び、彼をご自分の器として用いました。それはイスラエルを揺り動かし、アハブとイザベルの王朝とバール祭司たちの邪悪な統治を終らせるためでした。

 

神はこのような者たちをご自分の器として、御国と御民のために今までも用いてこられたのです。今私たちはドナルド・トランプ氏が神の目的のための器として、自分の人生を完全に主に明け渡せるようにと祈らねばなりません。

 

今回の大統領選挙は、世論調査会社はその結果を信じられませんでしたし、専門家もどうしてそうなったのかを説明できませんでした。けれどもこの逆転劇が起こった理由があるのです。トランプ候補にはとても勝ち目がないと見える中で、神の民たちは、アメリカ中、そして世界中で大小様々のプレーヤーグループを結成し、祈ったのです。

すべての専門家や世論調査会社が見落としていたのは何だったのでしょうか?その質問の答えは3千年前にすでに書かれていたことでした。

「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」2歴代誌7:14

 

トランプ大統領へ

 

あなたはもうすぐ大統領就任の宣誓をし、世界でもっとも権力のある地位につこうとしていますが、王たちを王座に即かせるのも、退かせるのも全能の神であることを、常にしっかり胸に刻んでおいてください。

あなたの権威は人からではなくすべての王の王であられる神から来るのです。ですから、あなたの人生を神の権威に従わせるならば、あなたは神の権威によって国を導いていくことができます。

義を行ない、憐れみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩いてください。

今まであなたの人生は自分の意志を行うための器でした。しかし今からは神の意志と目的のための器とならねばなりません。神の御後を慕い、神の義を求め、神の御声の導きに従ってください。

神の道を高く上げてください。そうすればあなたも高く上げられるでしょう。神の言葉を守るならば、あなたも守られます。すべての名にまさって神の名を尊ぶならば、あなたの名も尊ばれるでしょう。

あなたの主なる神を心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして愛してください。そうするならば、あなたは起きて、光を放ち、主の栄光があなたの上に輝くでしょう。

 

あわれみの窓と神の召し

 

神の民の皆様に申し上げます。古代イスラエルが神から離れて裁きを受けたことを私たちは知っています。しかし古代においてさえも神はご自分の国に対して憐れみの窓の猶予を与えてくださいました。そして神は私たちが神に戻るために恵みの窓、執行猶予の期間を与えてくださいました。私たちはそれをどのように取り扱ったらよいのでしょうか?

 

もし私たちが 人間や私たちの力、プライド、偉大さに信頼を寄せるならば、イザヤ9:10に記録されているような古代イスラエルの犯した間違いを繰り返すことになるでしょう。それは大惨事を引き起こしかねません。アメリカは再び偉大になれます。しかしそれは自分の偉大さに信頼したり、自分の力に拠り頼むことによって達成されるのではありません。アメリカが再び偉大になる唯一の道は、アメリカをもともと初めに偉大にされた神にアメリカが立ち返ることです。それ無しには、何の偉大さも希望もありません。

答えは政府でも軍隊でも経済でもありません。答えは神であり、唯一の道はリバイバルです。そしてリバイバルが起こるためには、悔い改めがなければなりません。悔い改めなくしてリバイバルはあり得ないからです。そしてその悔い改めは神の民から始まらねばなりません。「わたしの名を呼び求めているわたしの民が、、、、」とある通りです。

 

私たちがワシントンDCに来たのは政府機関との関係を求め深めるためではなく、聖霊との関係を深めるために来たのです。私たちは人の能力に信頼を置くために来たのではなく、全能の神の力、即ちリバイバルのための神の力を呼び求めるためにきたのです。

私たちはこの恵みの窓を与えられているのですから、それを無駄にしてはなりません。しかも日が射す昼間のうちに働かねばなりません。今日は大統領就任式です。私たちは単に世界中の人が見守る新大統領就任式に参加するため以上に、このアメリカの新大統領を立て、そしてこの大統領に与えている重大な「神の目的の就任式」に参加するためにここに集まったのです。

 

神の御前での宣言

 

ですから、今日この地から、この国のすべての神の子に、神の名によって集まるすべての教会と集会に対して「私たちは本日から、熱烈なる情熱をもってリバイバルのために祈り、リバイバルのために働き、リバイバルのために悔い改め、リバイバルのために自らへりくだり、リバイバルのために主の御顔を慕い求め、リバイバルのために悪い道から立ち返り、リバイバルのために福音を宣言し、神の力によりリバイバルのうちに人生を生きる」と!

その私たちには二つの道しか残されてはいません。それはリバイバルが起こるか、神の裁きがくだるか、そのどちらかです。答えはリバイバルでなければなりませんが、それが祝福のうちに起こるか、或いは国が揺すぶられて起こるかのどちらであったとしても、絶対にリバイバルを来させねばならないのです!

 

今私たちはアブラハム、イサク、ヤコブの神、モーセの神、エリヤの神、預言者たちの神、メシアの神、紅海を分けた神、復活の神、全能の主権者なるイスラエルの神の御座の前に進み出ます。

この大統領就任式の日を、この国全体を神の霊が行き巡る「新しい日」の就任式としてください。

私たちは神に叫びます。「憐れんでください!この地を憐れんでください!どうかあなたの御目を再びこの『山の上にある町』アメリカに留めて憐れんでください。この国に再びあなたの力を現してください。あなたの民にその力が注がれますように。あなたの教会に注がれますように。アメリカ中心部に、コーストに、ここワシントンDCに、ホワイトハウスに、議会に、そして私たちに注いでください。どうかこの国にリバイバルを起こしてください。失われた魂が救われますように。そして救われている者がリバイブされますように。どんなことが必要であったとしても、この地にリバイバルを起こしてください!」

 

不可能を可能にされる神

 

それは可能でしょうか? 神にとって不可能なことは無いと私たちは宣言いたします。神に出来るでしょうか? 私たちは答えます、「はい、神は出来ます」と。なぜならば私たちの神はイスラエルの神だからです。イスラエルは存続するはずのなかった国です。3千年以上の間、地獄の全勢力がイスラエルの子らを地上から消し去ろうとしてきたのです。

パロは彼らを滅ぼそうとしました。アッシリアは埋没させようとしました。バビロンは踏みつけようとしました。ローマは歴史の記録から消し去ろうとしました。ナチは全滅させようとしました。ソ連は排除しようとしました。そしてテロリストたちは抹殺しようとしています。

しかし、パロはいなくなり、アッシリアはなくなり、バビロンは陥落し、ローマは滅び、ナチは滅ぼされ、ソ連は崩れました。そしてテロリスト達もいなくなるでしょう。

ある者は戦車を拠り頼み、ある者は王を信頼する。しかし私たちは私たちの神、主の御名、私たちが救われるべき唯一の御名に信頼します。私たちはイェシュア・ハ・マシア、メシアなるイエスの御名に拠り頼みます。

 

神の御名が高く上げられますように。アメリカという「山の上にある町」が再び生ける神の栄光の臨在で輝きますように。すべての名にまさる神、イェシュア・ハ・マシア、メシアなるイエス、王の王、主の主、世の光、イスラエルの栄光、そしてアメリカ合衆国の唯一の希望である方の名によって祈ります。神よ、どうか助けてください。アーメン(終り)

 訳者注:ジョナサン・カーン師はユダヤ人で、アメリカのニュージャージー州で牧会しておられる方です。