Archive for 7月, 2015:
27 07月
リバイバルについて
リック・ジョイナー
霊的覚醒とリバイバルの違い
霊的覚醒(アウェイクニング)とリバイバルは違うものです。霊的覚醒がアメリカで起ったとき、それは何十年も続きました。その中で大学が創設され、国中で非常に大きな霊的促進が起りました。
リバイバルというのは期間が短いものです。一年も続けば驚きです。リバイバルの果たすべき任務は短期間で達成されるので、ずっと続く必要はないのです。リバイバルは私たちに力を与え、アドレナリンの注射のように活気を与えてくれます。それはとてもエクサイティングです。
しかし、キリストのからだを本当に建て上げる業の99パーセントは、神の民による毎日の忠実な奉仕、活動によるものです。それは神が召されたそれぞれの立場におけるたゆみない日々の活動です。私はリバイバルを愛していますし、リバイバルに関して研究もし、本にも書きました。そして実際に2度ほどリバイバルを体験して非常に祝福されました。それは本当の神のムーブメントでしたが長くは続きませんでした。リバイバルは私たちを疲れ果てさせます。すばらしいことなのですが、みんな疲れたのです。勿論,疲れないように集会に行くのを少しは止めようとするのですが、あまりにも毎日すばらしい事が起るので、行かずにはおれません。又リーダーならばいろいろなミーティングも必要ですから、行かないでおくことなど出来なくなります。
テキサス州にリバイバルが起る
テキサス州で間もなくリバイバルが起ると私は信じています。そしてテキサスから国中によいものが流れ出していくでしょう。テキサス州で最近洪水がありましたが、それは霊的な洪水の前ぶれです。普通来るはずもない地点まで洪水が押し寄せて来ましたが、聖霊もそのようにされるのです。ですからテキサス州の方々は備えをしてください。
暗やみとリバイバル
アメリカや世界、特に西洋においてモラルの低下や霊的荒廃が起っていますが、私たちはそれを見て気を落としてはなりません。確かに荒廃は急速に広がっています。しかし、歴史上最も偉大なリバイバルはみなそのような時代に起ったのです。それは主が最も偉大な預言者たちをイスラエルが最も暗黒だった時に送られたのに似ています。神はアメリカを本当にすばやく方向転換させることがお出来になるのです。必ず神はそうしてくださると私は信じています。
実のところ、私が1987年から発してきた警告は、あまりにも急激に極端な左(リベラル)から極端な右(コンサーバティブ)に変ることなのです。正しい道は真ん中にあります。政治的にも霊的にもアメリカは変わるでしょう。主はアメリカを決してこのままに放ってはおかれません。
次のリバイバルが起ろうとしています。私たちはそれに備えねばなりません。ブラウンズビルとペンサコーラでリバイバルが起りましたが、それはとても長く続きました。リバイバルがそのように長く続くのは普通ないことですが、その理由はリーダーたちに備えがあったからです。彼らは預言的にリバイバルが起ることを見せられたので、そのために準備をしました。ですから実際にリババルが起ったとき、普通よりずっと長く続けることが出来たのでした。
キューバのリバイバル
私は2009年にキューバの夢を見ましたが、それはキューバの経済がとても発展している夢でした。そして人々は神を愛し、みなが興奮して神の話をしていました。そこにはとても純粋な神への愛がありました。普通リバイバルには様々な人が集まってきて、リバイバルを自分の野心のために用いるとか、自分のミニストリーを建て上げるために用いるとかするものです。とてもすばらしい人たちも来ますが、良くない人たちも大勢群がってきて、混乱するものです。しかし私が夢で見たキューバのリバイバルはそうではありませんでした。すべてが純粋ですばらしいものでした。人々の心は神への情熱で燃えていました。
その夢を見て以来、神がキューバについて様々なことを教えてくださいました。このリバイバルはキューバ全体に広がり、国が変革されること、そしてやがてロシアにリバイバルを持ち運び、それは教会時代の最大のリバイバルになるであろうと教えてくださいました。キューバの不動産が世界で最も価値が上がり、又安全な地になり、知恵と識別力のあるリーダーを神が立てられます。
大宣教命令は個人に対してだけではなく、一つの国家を弟子にすることに対しても発せられています。私たちアメリカがキューバに教えることは沢山あります。私たちの成功や又失敗の経験を通して教えるのです。今私たちのミニストリーではキューバに近いフロリダにスペイン語の聖書やCD、DVD等を沢山用意しています。
ボイコットという手段
最近、ビリーグラハム伝道協会とサマリタン・パースが、今まで使っていたウエルス・ファーゴ銀行の口座を閉めたというニュースがありました。この銀行が、クリスチャンや従来の家族のあり方に反対する広告を流しているのを遺憾に思ったフランクリン・グラハム師が、そのように指示を出したのです。彼らのミニストリーがしていることと全く反対の姿勢をとっている銀行に、お金を預けておくことはできないという理由です。
私たちにはそのような自由がありますし、そのようにすべきです。
グラハム師がアメリカのクリスチャンに向けてこの銀行をボイコットするように呼びかけたという報道は誤りです。しかし私はここで大胆になって皆さんにボイコットを呼びかけたいと思います。今は、クリスチャンが聖書の真理や基本的なモラル貶め、私たちの信仰を攻撃するようなビジネスをボイコットする時だと思います。今はキリスト教を正面から攻撃するビジネスも現れているのです。
現在クリスチャンはどのビジネスが反キリスト教的な立場をとっているかをあまり知りません。多くの牧師たちもあまり何も言いません。しかしクリスチャンが現実に目を覚まして一致すれば大きな力となるのです。今はそのような自分の立場をはっきりさせる時であると信じます。
ある人たちはクリスチャンはボイコットなどするべきではない、片方の頬も向けるべきだ、と言います。しかし主が言われたのは、こういう事に関してではないのです。今私たちはこの時代の流れを変えねばなりません。基本的な自由を奪われるようなことがあってはなりません。「方向を変えなければ、現在向かっている終点に行き着く」という言葉があります。今この国が向かっているのは、途方もない崩壊、途方もない暴力、途方もない全体主義、専制国家であり、それは今まで地上に無かったほど酷いものになる可能性があります。テクノロジーの進化により、全体主義のコントロールが非常にやりやすくなっているからです。私たちがそこに向かっていることを私は確信しています。
ですから問題はこのまま終点まで行くのか、それとも今方向転換をするのか、ということです。一人のクリスチャンが勇気をもって立ち上がるならば、多くの人々は応援して共に立ち上がるのです。今は勇気あるリーダーが教会に少ないのです。先日私は、ワシントンで政治家たちとのミーティングに出席した際に、彼らは「教会がもっと勇気ある言動をしてくれたら、私たちはもっと勇気を与えられる。」と言いました。私は本当に恥ずかしく思いました。今という時、教会が沈黙していて、政治家だけを責めることはできません。
クリスチャンに敵対するグループは、彼らの意見、要求を通すためにボイコットを頻繁に行い、成功しています。私たちもその武器を使わない手はありません。10%の教会がもし一致団結してボイコットをすれば、その成果は非常に大きいと信じます。多くのことが方向転換を素早くしていくでしょう。
今はボイコットを始める時です。あなたはその用意が出来ていますか?
今までより少し遠くまで買い物に行かねばならないとか、少し値段が高いとか、考えますか?
あなたの便利さは、基本的な真理や正義よりも大切なことですか?
今軍隊では聖句を机の上に飾ることは禁じられていますが、イスラム教の人が頭にターバンを巻くのは許されています。すべてが反クリスチャンの方向に向かっています。過去2年間にもの凄いスピードでショッキングなことが起っています。今こそ私たちは目を覚まし、立ち上がるべき時だと私は信じます。(終り)
20 07月
神のプロジェクト
ドリス・チャップマン
私たちすべての人生には、私たちが「人に恵みを施すことを促進させてくれる人たち」(Grace Growers)がいます。それは取り扱いにくい人たちで、私たちが愛と恵みを人に施すことを具体的に学ばせるために、愛なる御父の御計画によって意図的に私たちの人生の中に送り込まれる人たちです。グラハム・クックのクラスでは彼らを頭文字を取ってGGと呼んでいます。
この考え方は本当にすばらしいと思います。往々にして私たちは、職場においても、又家族や親戚であっても、このような人は避けた方がいいと考えがちです。しかしそのような人を一度は避け得たとしても、場所や状況が異うにせよ、私たちは同じような人に、しかももっと厄介な状態で出会うことになるのです。一体なぜそんなことになるのでしょうか!
それは、私たちが変革されて一段上のレベルまで、愛と恵みで人に接するように成長するまで、ずっとそのような人との出会いは続くのです。
本当に、ある種類の厄介者が送られて来なくなると、別の種類の人たちが来るようになるのは不思議な位です。私たちにはそれ程恵みの成長を促してくれる人たちが必要なのですね。そうして下さることこそ主の恵みと愛です。
しかしながら、中には「Grace Growers 恵みの成長を促す人」の範囲を越えた人たちもいます。彼らは、あなたが愛と恵みをもって長い間祈り、必要あればその人たちと和解しようと努め、愛をもって熱心に追い求めてきた人です。しかし、あなたの誠意ある努力にもかかわらず、その人からの答えは常に「No いいえ」であり、その人との間には壁が立ち塞がり、あなたは拒絶された痛みを抱えることになる場合があります。
このような時には、私たちはもう一つ上のクラスに進まねばならないことが分かったのです。私はこういう人を「神のプロジェクト」と呼びます。それは家族か友達か、又は職場の人かもしれませんが、「どうしてもあなたとは関わりたくない、又関わることができない」という人がいるのです。あなたが彼の前にどんなにすばらしい宝物を投げ出しても、彼は何かの言い訳を用いて受け取ることを断ります。彼を助けたいと願うあなたの思いは、いつも「放っといてくれ!」という怒りの言葉や、時として悪口で踏みにじられるのです。
時には、これらの人たちを「神のプロジェクト」から恵みをもって解放し、自分の手から離すことが必要な場合がやってきます。
私たちには「自分には限界があること」と「神には無限の可能性があること」を認識するべき場合があるのです。もしかすると、自分の手からその人を解放することが恵みを施すことになるケースもあるのです。
そのような人を手離すためには本当に大きな恵みが必要です。私は知っています。私の家族や友達を解放したことが喜びと変わったことがありました。彼らは私とは全く関わりたくなかったし、私ももう十分に彼らに注ぎ込んだのです。もうこれ以上は無理だ、十分だ、という時があります。それ以上その関係を続けるとそれはあなたから生命力を吸い取ってしまいかねません。
私たちは自分の召しを遂行するとき、知恵を用いるようにと言われています。人に対して私たちは恵み深くあるように召されていますが、それと同時に、神に信頼し結果を神に委ねるようにとも言われています。その人からあなたの手を離すことが、あなたの出来る最も愛のある恵み深いことである場合もあるのです。それではあなたはその人のために祈るのを止めるのでしょうか?そんなことはありません。愛するのを止めるということでしょうか?違います。
イエスはイスカリオテのユダに3年の間、ご自分を注ぎ込まれ愛されましたが、最後にはユダがしたいことをするようにと手を離されました。それは即ち今まで経験しなかった「信頼」という領域にあなたが踏み込むことです。神だけにしか取り扱えない人たちがいるのです。そしてあなたがその人を愛していると思うよりも、神は確実にもっとその人を愛している場合があるのです。
「神のプロジェクト」になるのがあなた自身の子どもであるとき、それは苦痛を伴いますが、子どもから手を離して「神のプロジェクト」として神に委ねる時、それが神を信頼する栄光のプロセスとなる場合があります。私たちは自分だけが子どものための答えを持っていると思い込むのを止めて、時に愛なる御父に彼らを委ねることも必要なのです。私たちが掴んでいたものを放して、神に差し上げるとき、すばらしいことが起ります。
まず第一に、私たちは本当に求めている人に宝を注ぎ込み、神に栄光を与えることが出来るようになります。第二にストレスとフラストレーションがなくなり、私たちは責任から解放されます。(本当は初めから自分の責任ではない場合もあります。)それはあなたの足から塵を払い落とすことであるかもしれません。あなたはその人を持ち運ぶべきではない場合もあるからです。
「あなたの恵みを成長させてくれる厄介な人 Grace Grower」を「神のプロジェクト God’s Project」のカテゴリーへと移す適切な用意があなたに出来ている場合、あなたがその人を解放することに、神があなたに喜びを与え、あなたは祝福されるでしょう。そして、彼を又ある時点であなたのもとに戻されるかもしれません。その時あなたは再び恵みの位置に戻れるように備えをしていてください。でもそれまでは神の平安が豊かにあなたの上にありますように。(終り)
13 07月
礼拝している人を測れ
フランシス・フランジペン
黙示録11:1、2「それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。『立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。』」
この箇所が究極的に意味していることは他にもあるかもしれませんが、神の御霊が礼拝する者を測っておられると言っているのは確かです。天に宝を持ち、神殿の内庭に住む者たちを御霊は注意深く調べておられるのです
考えてみて下さい。恐れ、プレッシャー、トラウマに満ちているこの世界において私たちの唯一の避け所は神の生ける臨在の中です。私たちは、単に「神についての宗教」を受け入れて、それが即ち神の臨在の中に生きることであるなどと思ってはなりません。
私たちが本当に神の臨在の中に住もうと思うならば、他の何にも増して、ある一つの事が大切です。即ち、私たちが真の神の礼拝者になることです。
真の礼拝
イエスは「真の礼拝者」とは、父なる神を「霊とまことによって」礼拝する者であると教えられました。言葉を変えれば、真の礼拝者の神への礼拝は、困難な状況の中にあっても全くそれに左右されずに溢れ流れ出るということです。実際、御父はご自分をそのように礼拝する者たちを今地上に捜し求めておられるのです。
神の優先順序をよく考えてみてください。神は私たちが奇蹟を起こす者とか、偉大な使徒や預言者になることを求めてはおられないのです。
私たちがリーダーとしての技術を磨くとか、教会運営をうまくすることではなく、もっとそれ以上のものを求めておられます。主は何を求めておられるのでしょうか?
主は本当に心から主を求め礼拝する者たちを求めておられるのです。
神を心から礼拝するという意味の「真の礼拝」は私たちを真のクリスチャンにしてくれます。
もし私たちが神への礼拝を真のものとするならば、私たちの聖書研究や祈りや様々な奉仕など、何であってもそれらは真のものとなります。実際、礼拝する心は、他の霊的活動を正しいものとし、実を結ばせます。御ことばを学ぶ前に先ず心から神を礼拝するならば、御ことばは私たちの魂にもっと深く浸透するでしょう。そして私たちの実はもっと甘くもっと確立したものとなるでしょう。もし私たちが祈りの言葉を口に出す前に、神を礼拝し誉め称えるならば、私たちのとりなしは、心からの信頼と期待にふくらむ信仰の翼に乗って天に昇って行くことでしょう。
真の礼拝は、私たちの霊的活動がただの日課とか宗教、又プライドになってしまうことから私たちを救ってくれます。真の礼拝は自分のことを完全に忘れて、神の深みへと私たちを連れていってくれます。実際、礼拝は変革された人生の証しです。外面的には喜びの涙であったり、驚嘆の沈黙で表されるでしょう。又、神への絶えざる感謝が流れ出たり、また夜には歌が与えられたりするでしょう。表現はどうであれ、真の礼拝は神への真摯な愛慕、崇拝です。
しかし、もしも「礼拝」が自分とは無関係なことのように思えたり、ただ機械的になっていたり、言葉を空しく感じるのであれば、それは私たちが「外の庭」での礼拝にとどまっているからです。おわかりでしょうか。私たちが神に近づけば近づくほど、私たちはもっと変革されるのです。そして私たちの変革が大きいほど、私たちはもっと完全に主を礼拝できるようになるのです。
祈り「主よ、どうか私の人生の中に深く立ち入り、私を変革してくだるというあなたの約束を成就してください。私の唇に賛美をつくり、あなたを霊とまことをもって心から礼拝できるように助けてください。」(終り)
フランシス・フランジペン師の著書 「I Will Be Found by You 私たちは主によって見いだされる」より
07 07月
夜明け前が最も暗い
ラナ・ヴォウサー(オーストラリア、ブリスベンに住む預言者)
「神の民よ、希望を失ってはいけない。!あなたがたの最もすばらしい時が来たのだから。」と主は言われます。
アメリカ合衆国を心から愛し大切に思う者の一人として、私は他の多くのクリスチャンと共に、アメリカの最高裁が新たな「結婚」の定義を採決した事を深く嘆いておりました。
アメリカの多くの人たちが持ったであろう「失望、悲しみ、疑問、理解に苦しむ気持、混乱、自分たちの声が聞かれなかった無念さ」を私は感じ取りました。多くの人は、自分が同意もせず信じてもいないことが決定され、又その結果として起る事態を考えて悲しみ落胆していました。
しかし、私が主の御前でこのことを思い巡らしていた時、私の心に次のことばが溢れてきました。「夜明け前が常に最も暗いように、大いなる勝利が来る前に最も深い闇が来る。」
そして私は、最高裁の結論を大いなる闇と感じている多くの神の民に、アメリカにはまだ希望があることを伝え励まさねばならないという思いを強く与えられました。彼らにとってこれは多くの点で「敗北」と見えるかもしれませんが、神はアメリカを見放されたのではないのです。すると再び私の心にある言葉が溢れました。それは、主が数ヶ月前に私に与えてくださった言葉ですが「アメリカにはまだゴールド(金)があるではないか。」というものでした。
聖書の真理に反する立場を取り、神が定められ結婚の定義を捨てた国においてさえも、結婚を定義されたのは神であり裁判所ではないのです。勿論私たちには「蒔いた種は刈り取る」という霊の法則があります。しかし、私は「希望を失ってはならない、諦めてはならない。」と人々に言っておられる神の御こころを強く感じました。
「もう駄目だ」と思う時も、どうか希望を失わないでください。このように失望落胆する状況の中にあっても、どうかアメリカのために戦い続けてくださるようにと、私はアメリカの皆さんを励ましたいのです。アメリカが神から与えられているデスティニーを全うするように宣言してください。あなたが今見ているのは混乱ですが、アメリカにある「ゴールド」を呼び起こしてください。アメリカにはまだゴールドがあり、主はアメリカのために偉大なデスティニーを備えておられます。
もっと偉大な勝利
「多くの者は敵が勝利したと考えている。しかし、わたしはそれよりもっと偉大な勝利を神の民にために計画している。」と主が言われていると私は感じました。
私は霊で自分が非常に大きなアメリカの地図の上に立っているのを見ました。どの地域も混乱に満ちていました。すべての物の上と下とがひっくり返され、混沌としていました。そして神の民はまわりで起っている混沌を眺め、希望を失い、アメリカはもう破滅だと言っていました。
(でも、どうか暗やみに同調しないでください。 あなたの言葉を暗やみに合わせないでください。)
すると突然、地図の中で神の民が通るべき幾つかの道に火が燃え始めました。人々がそれらの道を歩き始めたとき、道の両側にいた天使の軍勢が大声で歌い始めたのです。
「アメリカ合衆国よ、勝利の歌声を聞け!これが真の勝利だ。アメリカ合衆国よ、勝利の歌声を聞け!これが真の勝利だ。」
今はアメリカの教会の最高の時
突然、私の存在のすべての中から次の御ことばが鳴り響きました。
「わたしはアメリカ合衆国に今軍隊を立ち上がらせている。彼らは目で見る事で揺らぐことはなく、決してあきらめない者たちだ。アメリカの暗黒の真ただ中にわたしは「わたしの教会」を立ち上がらせる。今はアメリカの神の民にとって最も偉大な時なのだ。わたしの民がわたしと親密に交わる時、わたしは今までなかったほどに彼らが輝く位置につかせる。」
「アメリカは更なる暗やみにおおわれるが、わたしの教会はかつて無かったほどに立ち上がり、光を放つ(イザヤ60:1)。そしてアメリカに真の勝利とは何かを表す。それは目に見える勝利によって動くのではない、わたしにあって強く立つことにより、保証される勝利につぐ勝利を信じて動くわたしの軍隊である。」
「アメリカの教会よ、今はあなたの最高の時 FINEST HOUR!今こそ立ち上がる時だ。わたしの力とわたしの愛が最大に表される。希望を失ってはならない。何故ならば、暗やみの中にこそあなたは最高の時を見出すからだ。夜明け前が常に一番暗い。栄光の息子、娘たちの夜が明けようとしている。彼らは真の勝利をアメリカに示すのだ。」
アメリカの皆さん、私はあなたを友と呼びます。あなたの国を愛しています。あなたと共に立ちます。あなたと共に戦います。あなたと共に信じます。目に見えることで気を落とさないで、希望を持ってください。アメリカの教会にとって今は最高の時なのですから。あなたが主の御そば近くに留まるならば、あなたは今までよりもっと明るく輝くのです。アメリカにあるゴールドを呼び出してください。アメリカには神からのデスティニーがあり、まだゴールドがあるのです。どうか皆さんは神から与えられている権威とデスティニーの中を歩み、真の勝利を表してください。今皆さんの目の前にある暗やみは、あなたが神の光と栄光をかつて無かったほどに輝かせるすばらしいチャンスです。
今は立ち上がる時です!私も皆さんと共に立ちます!(終)
Lana Vawser
Email: lanavawser@gmail.com
Website: lanavawser.com
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Lana Vawser is married to Kevin, and they are living in Brisbane,
Australia with their two sons. Lana and Kevin’s heart is to see the
Body of Christ develop deep intimacy with Jesus and actively hear His
voice each day. They have a heart to see people free and walking in
all that Jesus has purchased for them as they carry Christ into their
world each day. Lana is an active member of the Australian Prophetic
Council and releases prophetic words for the Body of Christ and over
the nations through both the pulpit and the internet. Lana preaches
regularly and ministers prophetically calling people into a constant
pursuit of His heart and hearing His voice for themselves and others.