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Walk With God Ministries


20 02月

批判をとりなしに代える  リック・ジョイナー         2012年2月21日


批判をとりなしに代える

 

リック・ジョイナー

 

どうして、今クリスチャンの間に光がもっと照り輝いてこないのでしょうか。

どうして癒しがもっと起こらないのでしょうか。祈りが聞かれないのでしょうか

今日私がお話しすることが最も大きな理由だと思います。

 

神の御座の前に絶えず行われているミニストリーが2つあります。一つはとりなしのミニストリーです。ヘブル7:25に「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」とあります。主は今も私たちのためにとりなしをしてくださっています。主は仲介者です。

 

そして、絶えず行われている二つ目のミニストリーは、罪を告発する悪のミニストリーです。サタンは「兄弟たちの告発者」と呼ばれています。サタンの一番の策略は兄弟同士を告発させ合うことです。サタンはこれを「日夜」していると書かれています。(黙示録12:10)サタンは天国から落とされましたから、どうやって日夜兄弟を御座の前で告発できるのでしょうか。それは、サタンが御座に行ける者たち(クリスチャン)を用いることによってできるのです。

 

とりなしをされる主のミニストリーよりも、「兄弟たちの告発者」の側に私たちがより一致協力していることがあるのではないかと私は思うのです。私たちはそこから解放される必要があります。

 

私たちの人生を他の何よりも画期的に変革することが出来る一番のことは、批判をとりなしに代えることです。これは、神が人々の間違っているところ、罪を見るな、と言っておられるのではありませんが、罪を見たときに私たちがそれをどのように扱うべきかをはっきりと教えておられます。

批判をするのが私たちの取るべき方法ではありません。非難、告発するのが私たちの取るべき道ではありません。 誰かに対する批判を私たちが始めたのではないにしても、もしそれを広めるならば、 その批判を言い始めた人と同じ責任を私たちは問われるのです。

 

誰かを批判をする人は一見賢いように見えます。 自分はその人より良い人間だと言っているようなものです。しかし、実はその人は一番おろかなことをしているのです。ある人の子供を批判するとすれば、 本当は誰を批判しているのでしょうか。その子供の親です。それでは、私たちが神の子供を批判するならば、私たちは一体何と言っていることになるのでしょうか。「主よ、あなたはご自分の子供たちを上手に育ててはおられませんね。私が望む標準に達していません。 」と言っていることになるのです。私たちは神が私たちに下さったリーダーを批判します。神は高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みを与えてくださいます。他人を批判することは、私たちに出来る最も高慢な行為だと思います。

 

主は何と言っておられますか。主はこの事に関して非常に明確に教えておられます。マタイ18章ですが、最初の部分は、人のつまずきの石に絶対にならないように気をつけなさいということが書かれています。小さい者をつまずかせるくらいなら、生まれて来なかった方が良い、とまで主は言われています。そして次にどうのようにすればつまずきの石にならないかを教えておられます。

 

15節ですが、「もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。」と書かれています。そしてもしその人が聞き入れないならば、他の人も連れて行きなさい、と書かれています。これは、あなたがいろんな人の所に行って、兄弟の罪を全部ぶちまけ、一緒に言ってくれる人を探すということではありません。それはゴシップ、うわさ話をするということです。それはつまずきの石になるということです。そうではなく、神はあなたを一人の人のところに導き、罪を犯した兄弟をどうしたら回復することができるかを話に行くのです。どのようにしたら彼を取り戻すことができるかを話すのです。

 

イエスはこの世の罪を見たときに私たちを罪に定めませんでした。私たちを滅ぼされませんでした。主は私たちのためにご自分の命を投げ出して死んでくださいました。

私たちも主がされたように応答するとき、(主はいつもとりなしをしておられます)私たちも、どのようにすればこの人を助けられるのか、と考えるべきなのです。この人を助けるために、私はどのように命を投げ出せばいいのだろうか、と考えるのです。あなたはとりなし手となるのです。とりなしをするというのは祈リ以上のもの、祈りを越えたものです。

 

それでもその人が悔い改めないのならば、私たちはその人を教会の前に出すかもしれませんが、あくまでも、その目的はその人を回復させるためのものです。その人が本当に自分の罪を悔い改めるためです。

パウロもそのようにしました。コリント人への手紙で、罪を犯している人を取り除かねばならないといいましたが、しかしその人が悔い改めたならば、彼を受け入れなさい、彼は兄弟なのですから、と言っています。

 

ですから、私たちがある人の罪を取り扱う場合、どのようなスピリットで行うかが、とても重要です。もしあなたが その人を回復させたいという正しいスピリットを持たないならば、行ってはいけません。私たちの中に傷ついた心、怒りがあるならば駄目なのです。ベルゼブルとはハエという意味ですが、サタンは「ハエの王」と呼ばれます。ヴィジョンの中にハエが出てくるときは、それはほとんどいつも「偽り、嘘」を表しています。傷口があるときには、嘘(ハエ)がたかるのです。そして炎症を起させ、いやされないようにします。完治していない傷があるならば、祭司になることはできません。旧約聖書に書かれているように、かさぶたのある者は祭司になれません。ですから、もし私たちに傷があるならば、いやされる必要があります。自分の中に何かいやされていない部分があるならば、まずそれをいやさねばなりません。あなたの中の怒りをなくし、完全に赦さねばなりません。あなた自身が真にいやされて、それからその人を助けにいかねばなりません。その人を傷つけるためではなく、助けるために行くのです。

 

イザヤ59:9−12

そのとき、あなたが叫ぶと、主は答え「わたしはここにいる。」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりをのぞき、飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、闇の中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたの古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。

 

聖書の最初の3章(創世記1−3)と最後の3章(黙示録20−22)を読んでみてください。完全につながる一つの話になります。その中間にあるものは、すべて神の回復の話なのです。贖い、和解、回復です。イザヤ11章には「狼は子羊とともに宿り....」と書かれています。神は創造されたパラダイスにこの地を再びしてくださるのです。ですから、私たちも同じようにすべての人が回復に向かうように扱わねばならないのです。私たち全員が今、回復へのプロセスを辿っているのです。それは何か大きな失敗をしたとか、大きな罪を犯したとかいう人だけではありません。私たちすべてがそのプロセスを通っているのです。古い自分を捨て去り、新しくされた者として生きようとしています。

 

ガラテヤ6:1

兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。

 

神の友となるためには、何事に対しても、誰に対しても、どうすればそれを助け回復させることができるかといる思いで向かうことです。これが私たちに与えられた神からの最高の召しだと思います。(終り)

 

(このメッセージは2012年2月5日モーニングスター日曜礼拝の説教の抜粋要約です。)


11 02月

ACPEによる2012年への主の言葉                2012年1月6日


ACPEによる2012年への主の言葉

2012年1月6日

 

ACPE( The Apostolic Council of Prophetic Elders) は昨年11月末に2012年に対する主のことばを求めて会議を開きました。これは1999年から毎年続けられていることですが、現在世界中が揺り動かされているので、これまでで最も厳粛な会議となりました。世界の多くの預言者は、アメリカは2012年に改革に向かうためには大きくシフトされる必要があり、それはこの国が「光を照らす山の上にある町」として再び確立されるかどうかの瀬戸際の年となると言っています。

 

「12」という数は聖書では政府、 統治(government)を表しています。 今年の大統領選挙で、アメリカという国の今後の地位が決められます。アメリカ合衆国はその偉大さのかなりの部分をすでに失ってしまいましたが、今シフトがなされないならば更に多くのものを失うことになるでしょう。2011年のためのことばの中で、私たち(ACPE)は、2011年は傾きが変わる「ティッピング・ポイント」の年になるか、あるいは「完全なる嵐 パーフェクト・ストーム」の年のどちらかになることを感じとっていました 。世界的にこの予想は非常に正確だったようです。大変悲しいことですが、日本にとっては文字通り「パーフェクト・ストーム」の年となってしまいました。

 

しかしながら、2011年の揺さぶりは、これから世界中で起こる揺さぶりに較べれば、まだ小さいものであるという感覚が集まった人たちの中にありました。これからのシーズン、キリストのからだ全体が、地上の国々の中で影響力のある声と権威を持たねばならず、主が来られる日までこの地を「占領すること occupy」を学ばねばなりません。しかし、ACPEはある人たちのように世界の終りが2012年に来るとは信じません。

 

揺り動かし

 

ヘブル12:27−29と黙示録12:10−12が今年のことばとして適切であると感じました。

 

「この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺る動かされるものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。私たちの神は焼き尽くす火です。」(ヘブル12:27−29)

 

私たちのリアリティーは、揺り動かされることのない御国に住んでいることだ、ということを忘れないでください。私たちは揺り動くことのないお方にしっかりと掴まっていなければなりません。私たちが自分の人生の中で持っている揺り動かされないものとは何でしょうか? 見つけてください。先のシーズンで清められ剪定されてシフトした事が、私たちの人生と信仰を新しいより高いレベルへと導いてくれます。

 

「そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。『今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。』」黙示録12:10−12

 

キリストのからだが「エクレシア」又、法的権威として立ち上がるシフトがやってきます。多くの牧師が、「 political correctness この世一般が認める政治的同調」という束縛を打ち破り、自分の信じる事を明言するようになります。説教者たちは壇上から大声で妥協なしに聖書の言葉を語ります。これによって多くの政治家たちは、自分が「兄弟の告発者」になってあまりにも行き過ぎたことに気づき、主の恐れが多くの者の上に下ります。

 

このエクレシアのシフトにより、ある期間、エクレシアに敵対する者たちは信徒に対して激しい怒りを抱きますが、彼らも自分たちが行き過ぎていたことを知ります。アメリカとヨーロッパの牧師たちは、霊的覚醒と改革のための代弁人となります。新しい世代の「ウェスレイ」や「ウィルバーフォ—ス」たちが共に立ち、再び「教会」が道徳的権威として立ち上がるように呼びかけます。

 

今は使徒行伝4章のシーズンです。敵は教会を迫害しますが、教会は当時と同じように祈りによって戦います。しるしと不思議が数多く起こり、大勢の人たちが救われます。宗教組織は崩壊し、残るのは神の「レムナント 残りの者たち」です。私たちは妥協することなしに自分の場所にしっかり立っていなければなりません。

 

改革者に対する反撃はすさまじいでしょう。それはサタンが激しい怒りをもって反撃してくるからです。 メディアから攻撃が起こりますが、神ご自身がそれに対して応戦されるので、メディアは自分たちが神から攻撃されていることを知るでしょう。この戦いを通して、エクレシアは揺り動かされることのない輝く光として立ち上がってくるでしょう。

 

敵の攻撃に怯まなければあなたは勝利します。教会は自分の声を持ちます。リベラルなメディアは、堕胎に反対し聖書的な結婚観を支持する人たちに対して特に攻撃してくるでしょう。へイト・クライム(憎悪犯罪—人種、宗教、性的指向等の特定のグループに対する偏見、暴力)は正義的行為とされ、容認されるようになります。

 

まず初めに、「聖さのムーブメント」が教会に起こり、どんな罪も容認されなくなります。 悔い改めない者はあらわにされます。主が 性的罪やポルノにはまっている者たちを説教壇から取り除かれるからです。

 

経済は揺り動かされる

 

世界的な経済的揺り動かしを指し示す聖書箇所が幾つか与えられました。

「あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」ダニエル2:34−35

 

今は神の御国が全地に満ちる時です。エクレシアが全地に満ちる山となるでしょう。これが示す意味は私たちに与えられませんでしたが 、神にご計画があることは確信しました。山々が崩れていくとき、神は解決の答えを持っている神の御民を、銀行、経済、教育、政治の領域に準備されています。軍隊さえそのシステムを変えるでしょう。

 

ヨーロッパは揺れに揺れるでしょう。EUは、自分たちの政治から神を排除し福音を伝える牧師たちを逮捕しようとまで思っていたのですが、彼らは神ご自身によって取り扱われるでしょう。揺れ動きの最中に、神は歴史上今までなかったほどに教会を覚醒されます。ロシアとアジアの幾つかの場所も揺り動かされます。数カ国では、今までその国に君臨し動かされることはないと思われた独裁者が落とされるでしょう。

 

経済的揺り動かしの中で、多くの国家に暴動が起こるでしょう。神はこのシーズンを反キリストの霊の根を取り除くために用いられます。以前は、例えばイスラムのようないろいろな「主義」に信奉していた多くの人は、その真の姿があらわになるのを見てキリストに来ます。トルコとエジプトはイスラエルを脅そうとするでしょう。主は私たちにイスラエルと共に立たねばならないことを再び語られました。

 

エジプトはイザヤ19が成就されるシーズンを迎えるでしょう。 迫害の中で苦しむ教会を神が覚醒させ、一時的にはサタンが優勢かに見えるかもしれませんが、最後には神の大いなるムーブが勝利するからです。

 

今の時、国連さえも今までなかったほどに揺り動かされ、国連が持つ反イスラエルのアジェンダが暴露されるでしょう。

 

経済の見えなかった中身が「割れてあらわにされる」でしょう。地上全体に経済組織の揺り動かしがあるでしょう。しかし今、神はこの時のために用意されてきた神の「ヨセフ」を立て上げられるでしょう。主は私たちに恐れてはならないと、はっきりと言われました。

 

私たちは主にどのように備えたらいいのかを尋ねました。主は私たちに「危機のための備え」をしていなければならないと言われました。それは「地震とかの災害が起こったときのために必要な物資を蓄えて置くのは良いことである」という意味だと私たちは感じました。ある程度の物資を蓄えるのは賢明なことであると感じた一方、恐れのゆえに大量の貯蔵をする事に対する警報もありました。

 

「そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。『宿営の中を巡って、民に命じて、「糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから。」といいなさい。』」 ヨシュア1:10−11

今のシーズンに忘れてはならない大切なことが3つあります。

1.恐れに対して正面から立ち向かう

2.物資を蓄える

3.天の御国は決して揺るがされないことを知る

 

イスラエルはこの揺り動かしの最中にも繁栄を続け、世界の多くの者たちが銀行のシステムを確立する方法に関するアドバイスを受けにイスラエルに行くでしょう。イスラエルはイザヤ60の成就のシーズンです。

 

扉をしめよ

 

イザヤ22:15−22により、国家の最高の地位に着こうとする者たちが国民に対して父の心を持っていない時、神の教会は彼らに扉を閉ざすことを神が望んでおられることが感じとられました。選挙のサイクルに劇的なシフトが起こるでしょう。ある政治家たちはまだ心が定まっておらず(天秤の上に載っている状態)、 義しい票を投じるか、暗い闇に落ちて行くかのどちらかに傾くことになるでしょう。

 

アメリカの選挙では、神は人々からそれぞれの覆いを吹き飛ばして、本当に義であり保守である者を明らかにするでしょう。私たちはアメリカのために祈りと断食の年とすることを呼びかけています。アメリカはこの一年でよい方にシフトするか、ひどく震われます。

影響力のある3つの山

 

「任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。」使徒行伝12:25

 

「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国王へロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」使徒行伝13:1−3

 

今は、預言者と教師が一緒に働くべき新しいシーズンです。教えの賜物と神のことばの強い土台とは、教会に惑わしを入りこませない ために一緒に働かねばなりません。教師職にある者を私たちは認識し、他のミニストリーの賜物と同じように働きのために召し出さねばなりません。

 

この事は今年、特に大切です。それは今年最も重要な三つの山は、教会/宗教、家族、政府だからです。神は家族を再び一つにすると言われ、私たちは家族に焦点を当てねばならないと言われました。神は家族関係を癒し回復されます。

 

又、地域教会は神のエクレシアとして機能し、改革時代にアメリカを変えたよりも更に大きく国を変えていくでしょう。改革時代には牧師たちが自由のために戦いに参加しました。「その時の世論に同調する意味での政治的正しさ、political correctness」により機能していた様々な場所で「宗教の霊」が暴露されるでしょう。

 

上述のバルナバとサウロとマルコに関する聖書箇所から分かるように、今はミニストリーのために神が世代を結びつける時です。今は次の世代をメンタリングする(教え導く)シーズンです。エリヤとエリシャの関係にある人たちが共に立つてバトンを渡して行くでしょう。マントルがモーセからヨシュアに移ったように、「バプテスマのヨハネ」の働きをしていた人々が「ジーザス・ピープル(弟子たち)」の世代のために道備えをしていたように、移って行きます。

 

私たちは多くの人々が「地の果てまで出て行くように」という神の召しを聞く新しい宣教のムーブメントを見るでしょう。それはJ.R.MottのStudent Volunteer Movement以来見た事もないようなムーブメントとなるでしょう。神が大勢の女性たちを立て上げるので、多くの新しい女性たちがリーダーとなって立ち上がるでしょう。今は詩編68:11「主はみことばを賜る。良いおとずれを告げる女たちは大きな群れをなしている。」が成就するシーズンです。

 

人身売買、売春の犠牲者のために戦う「あわれみのミニストリー」のムーブメントが起り、今までになかったほど社会の中で教会が発言力をもつようになります。売春に対する神の裁きの「重りなわ」が天から下ろされます。様々なことが暴露され、政治のトップリーダーたちの性的犯罪も明らかになり、世界にショックを与えます。(この会議の直後に、世界的な売春組織が明るみに出された事がニュースとなりました。)

 

「家」の年

 

「それからイエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。『「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。」と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。』また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。」マタイ21:12−14

 

今年は「家」の年です。教会と同様に家族も「家」を表します。エクレシアは、すべての国の祈りの家となるでしょう。これによりすべての「politically correctnessその時の世論に同調する意味での政治的正しさ」からシフトしなかったものは、教会から追い出されるでしょう。まことの麦と一緒に育ってきた毒麦がどこにあるのかが分かるようになるでしょう。人々がどちら側に 立っているかを見分けられるようにするのが神の目的です。私たちは真理を語るために「教会のノンプロフィット 非営利団体」の特権をすすんで返上することさえ必要となるでしょう。

 

プライドがあらわにされ、クリスチャンのリーダーたちに新たな謙遜さが生まれるでしょう。その結果「祈りの家」に進んでなる者たちは偉大なしるしと不思議を見るでしょう。大勢の人々の解放が起り始め、多くの者が超自然的に強い束縛から自由にされるでしょう。新しい「ジーザス・ピープル・ムーブメント」が起こるでしょう。

 

私たちは、「祈りに浸された教会」を主が求めておられる、又、主は少数の選ばれた人たちだけではなく教会全体が祈ることを求めておられる、ということばを受け取りました。このことばにより、アメリカに祈りのムーブメントが回復されるように私たちが祈ることを神が求めておられることがわかりました。主はアメリカの祈りの歴史を私たちに思い起させてくださいました。

 

1980年代—地域教会で早朝の祈りと主の祈りが強調された偉大な神のムーブ

1990年代 — 祈りのムーブメントは主にパラ・チャーチの働きとなり、「AD2000」や「10/40のウィンドウの祈り」を通して多くの働きがなされました。この働きにより今までは福音に対して閉ざされていた多くの国が開かれました。又、ビル・ブライト師は断食祈祷のムーブメントを導きました。

2000年代 — 大学のキャンパスに神は祈りの家のムーブメントを起こされました。これはこれからも続けられ広がっていきますが、同時に祈りは地域教会にもどされ、今までになかったほどに教会全体が祈るまでになります。 祈りの家への情熱が取り戻されます。(ヨハネ2:17)

子どもと若者ユース

 

「そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。両親は彼を見て驚き、母は言った。『まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。』するとイエスは両親に言われた。『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。』」 ルカ2:46−49

 

子供や若者さえも、来るべき祈りのムーブメントの影響を受けます。子供と若者の覚醒が全地に起こります。イエスが賢者たちを驚かせたのは12歳のときでした。子供と若者の世代、特に10−12歳(tweens)が今までなかったように 立ち上がってくる時となるでしょう。

 

詩編110:3にあるメシア預言が実現するでしょう。

「あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。」

 

ルー・イングル師は次のように言います。「夜明け前の暗い時間に、若者が集まり始める。乾いていた(誰もいない)地面は今や目の届く限りキラキラと輝いている。敵は夜眠りにつき、起きてみるとどこから現れたかわからない軍隊に取り巻かれているのを発見する。それは彼にとって最大の悪夢である。何も無かった平野が今や兵士で埋め尽くされ、彼らの武器は朝日に輝いている。文字通り一夜にして、献身した若者の軍隊が今ある暗やみから立ち上がってくる。この若者の大軍はすでに機動し始めている。今は目に見えないが、後に無敵となる。( Invisible now – Invincible later.)」

 

シンディー・ジェコブ師がつけ加えました。「彼らは神のあかつきの軍隊です! 戦いのためのフレッシュな軍隊、 聖さに燃え、主への情熱で真っ赤に燃えている軍隊! 彼らは聖く美しく、堕胎、貧困、ポルノ、同性愛やすべての性的罪の縛りを取り除く油注ぎを持っています。

 

今、極限の聖さが求められています。朝寝をするよりも神を愛する反世俗の戦士たちは、聖さの麗しさに心を奪われているので、世俗的な娯楽の楽しみを捨て去ります。聖さより美しいものは何一つありません。この世の誘惑もそれに勝るものではありません。言葉には表せないほどに麗しいのです。どんな詩人でも聖さの本質をことばで表現することはできません。彼らは主イエス・キリストと恋に落ち、主は言葉に表せないほどに麗しいのです。」(終り)


09 02月

今年示されていること     坂 達也       2012年2月10日


今年示されていること

坂 達也

 

数年前でしょうか、ボブ・ジョーンズ師が2012年までに終末の使徒が出て来ると預言したことを覚えておられる方は多いと思います。私も昨年来、今年はクリスチャンが使徒になる年であると言うことを強く示されています。

と言っても私は、「地域のリーダーとなる使徒職」と言うような大げさなことを指して言っている訳ではありません。使徒である資格は、すべてのことを信仰で行動する人であればよいと思っております。すなわち、その人の毎日行なっていることが、すべて神から出たもので、自分に与えられた「神の仕事」を忠実に実行する人であることです。

 

そうなるためには、今年こそ「心を尽くし精神を尽くして主の御声に聞き従う」(申命記30;2)ことによって信仰を得て、その信仰ですべてのことを実行することに徹する必要があります。なぜなら「信仰は神の(話す、レーマの)ことばを聞くことから始まる(得られる)」(ロマ書10:17)からです。勿論聖書の御ことばを読むことも大切です。それからその時に必要な御ことばを主は与えて下さいます。

 

イザヤ 55:11 で主は「わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」

と言っておられるように、私たちは主から出るレーマのことばをいただき、それを信仰で実行すれば、神が私たちに与える使命と主の御心が必ず成し遂げられ、果たされるでしょう。

 

同時に主は、今既に、私たちの信仰を悪魔を用いてふるい、ゆすぶり始めておられることに気が付く必要があります。それは信仰においても「揺り動かされるものが取り除かれる」ことが必要だからです。(ヘブル12:27)それによって多くのクリスチャンが、自分の信仰に疑いを持ち始めたり、あるいは信仰を失う可能性があります。

 

さてそこで、最近、私に強く示されていることがあります。それは、父なる神のリーダーたちは、今年からは今までの祈りに費やす時間を少なくとも倍にする、そして一日最低二時間、時間が許される場合は四時間、五時間祈ることです。

 

実はこの思いは、ホノルル在住の家内の友人から最近いただいたテープを聞くことによって、私にその確認が与えられました。このテープは、Kat Kerrと言う女性の講師が、ハワイで初めての集会(ヒーリング・ルームでの)を持たれた時のものですが、この方はしょっちゅう主に呼ばれて天に行き、神の御座近くで親しく主のお話を聞いておられるそうです。その方が、天国で語られた主のお話をされた最後に、自分は毎晩四時間、主の前に出て時間を過ごすと言われたのです。私は、その方が何でもないかのようにポロッと口にされたその言葉にはっとしました。ブラザー・ローレンスがそうしていたことを思い出し、そうだこれだと思わされたのです。

 

毎晩4時間主と時間を過ごす――ローレンスはそれで睡眠時間が少なくなっても主が補ってくれると言っていたと思います。すばらしいではありませんか。今天国に行き来している人が増えているようですが、その人たちは主と非常に親しい人たちであることに間違いありません。

そこで早速私は、たまたま遅ればせの新年の三日間の断食をするところでしたので、二日間、一日合計で4-6時間祈ってみました。そして、やろうと思えば出来ることを確信しました。

それで思い出すのがモーセとかヨシュアが言っている律法を心に刻み込む方法です。

 

「 聞きなさい。イスラエル。・・・ 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。・・・あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」(申命記6:4-9)

彼らは律法をいつも口で唱え、色んなところに書き記して覚えた(まるで学生の頃の試験の日のようです)のでしょうが、今の私たちは、律法の替わりに主の前にできるだけ多く立って、一日中レーマの御ことばを聞くことによって(私たちの意識で聞くと共に、私たちの霊が聖霊から聞き)御ことばで満ちている状態「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(申命記30:14)でなければならないと思います。

 

私たちは常に主の思いとご計画を知らねばなりません。それには、主に密着して歩く以上のよい方法はないと思います。

パウロは誰よりも異言で祈ったと言いますが、私たちも本当に主と親密な関係になって常に御ことばをいただかなければ、主が言われる「わたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす」器になることは出来ません。これが出来る人が使徒であると信じます。

 

今年神は、私たちがそうすることを喜ばれるだけでなく、それが出来るように導き、助けて下さり、それが楽しく出来るようにして下さると信じます。

今は、終末の非常時期に既に入っています。忙しくて祈る時間がないと思う時ではなく、主と時間を過ごすことが世の中で最も大切なことであり、祈ることを自分のプライオリティーの一番にすれば、出来ないことはない、主がそれを助けてくれると思うべきではないでしょうか。(終り)


06 02月

警鐘をならす―聖霊は何を語っておられるのか リック・ジョイナー 2012年2月7日


警鐘をならす―聖霊は何を語っておられるのか

 

リック・ジョイナー

 

歴史上最大のリバイバルの一つは、1906年にロスアンゼルスのアズサ・ストリートで始まりました。以前は家畜小屋であったみすぼらしい建物は神の栄光で明るく輝き燃え、しばらくは「世界で2番目に有名な住所」と呼ばれました。神は同じことが又出来ますし、私たちがそれを必死で心から求めればして下さいます。

 

歴史上のすべてのリバイバルは、幾人かが神に激しく餓え渇き、酸素よりも神を更に求めるほどになった結果として起こるように思えます。そのように激しく神を求める人は決して神から否まれることはありません。今は「世界で最も知られる住所」となるようなリバイバルを求める時です。決して止まることのない神のムーブを求める時です。

 

私は数々のヴィジョンや夢で、大災難が起こること(特にアメリカ西海岸で)を見てきました。それで、私が西海岸に対して憎しみを持っているのではないか、と言う人たちも中にはいます。決してそんなことはなく、むしろその反対です。私がそのような夢を見るのは自分でコントロールできることではなく、精神分析では深層心理の現れだというかもしれませんが、私にはこれが預言的な夢であることがはっきり分かるのです。大災害の夢を見たあとの私の気持ちは沈み、人々が耳を傾けて悔い改めることによってその事が実際には起こらないことを望むのです。 そして攻撃や非難を受けても人々に警告せずにおられないのは、私が心から心配し悲しんでいるからなのです。

 

私は今の時代の終りに魂の収穫があるのを預言的に見ています。どうして大災難が来る前にリバイバルが先に起こってはならないのでしょうか? 神がヨナの説教を用いて邪悪なニネベを救われたとしたら、来るべき大災難で失われるかもしれない何百万人もの命を神は救われようとされないのでしょうか? 聖書には、神の本当の御心は人々を救いたいと願っておられるであると確かに書かれています。

それでは、どうしてそうされないのでしょうか? 神は自分の命や自分が成し遂げたい事を捨て、神の求めておられるとりなし手になる人々が現れるのを待っておられるのです。 どれほど人々から侮られ、馬鹿にされ、迫害されても神の真理、義、正義を妥協なしに伝える説教者が立ち上がるのを神は待っておられるのです。神は本当にそういうお気持ちおられるのです。私たちはどうでしょうか?

 

主は荒野の幕屋やエルサレムの神殿で、祭壇に火をつけられました。そして次に主は、祭司たちにこの火を燃えつづけさすように命じられました。それと同じように、本物のリバイバルを始めることが出来るのは神だけですが、その火を燃やし続けることを怠ってリバイバルを終らせるのは人間です。リバイバルが起こるためには、 根本的な神への飢え渇きと、神の目的のためには自分の目的を犠牲にして捧げる人々の献身がなければなりません。

 

過去数年に渡って、私は多くのネガティブなことを預言せねばなりませんでした。そして好むと好まざるとに関わらず(多くの人は好みませんが)それらが正確であったという結果が出ています。かなり多くの人々が私の言葉に耳を傾け、判断をし、信じて、それに備えをして、よい結果を得て栄えています。いつの時代にあっても備える者が栄えることを私は知っていますが、大災難の故に栄えることはしたくありません。私たちの第一の目標は、人々に警告を発することによって大災難が起こらなくなるようにすることです。大いなる裁きの日にはすべてのことに決着がつき正しい裁きがなされます。私はその日のために生きようと決意しています。

 

アメリカの西海岸は、今までになかったように揺さぶられようとしています。私は知人全員にもう少し大災害に備えるための時間が与えられるように祈るように勧めていますが、あまり時間がないのです。 同じような災害がミシシッピ川沿いのニューマドリッド・フォルトに発生するのを預言的に見た人たちもいます。ある人たちは、アメリカがイスラエルにエルサレムを分割するようにと強い圧力をかける時期と関係してこれが起こることを見ています。アメリカがイスラエルに対して行ってきた事とこの国を襲った自然災害との間には、驚くべき関連性があるのです。それは単なる偶然でそうなったのではありません。

 

東日本で大地震が起こったのを機に私がこのことを言い始めたことによって、私の人生の中の 物議を醸す沢山の事柄がまた一つ増えました。私は議論好きではありませんが、今の時代、何かを達成しようとすれば必ず物議を醸すことを避けられないことが分かりました。私が言葉を誤解のないように完璧に用いたとは思いませんし、自分自身でもどうかと思うこともあるのですが、この事に関してだけは私の言葉によってより多くの議論が起こった方がいいのです。これは真実の言葉であり、物議を醸していることはより多くの人がそれについて話す結果となっています。西海岸のある人たちは(非常に疑い深い人たちの中からも)耳を傾けるようになり、それを私は心から感謝しています。

そうではあっても、この事が西海岸に起こり始める日は、私の人生最悪の日となることでしょう。ずっと前に学んだ事ですが、 たとえ預言が正確でも、その預言者が死んでしまって最早脅威でなくなるまでは、正当な評価を受けることはあまりないのです。この理由から、私は自分が正しいと証明されることなどは考えてもいません。この事に関してはむしろ自分が間違っていた方がいいと思うのですが、間違っていないことを私は知っています。日本での地震と津波が起こって以来、私は西海岸に住んでいる人たちに対する嘆き悲しみをますます深く感じているのです。

 

又、非常に多くの偉大な教会や神の働きが西海岸にあることを私は感謝しています。そして願わくばそのすべてが災害を免れてゴシェンのように守られるといいと思います。災害が起こったときには、今までに無かったほどに偉大な教会、聖徒たちが必要とされることを私は知っているからです。それが理由で彼らがこの警告に耳を傾けないのかもしれない、と 考えたこともあります。神はすべてのクリスチャンがその地を去ることを望んでおられないからです。西海岸にいる神の民が強められ守られるように、そして彼らが神に大いに用いられ、命を亡くす人の何倍もの人が救われるようにと、私たちは今祈らねばなりません。

中でも最も必要とされるものは、バプテスマのヨハネ、或いはヨナの油注ぎを持って悔い改めを呼び起こす声であり、それによって人々に罪が示され悔い改めが起こり、主がもう少し時間的猶予を下さるようにすることです。アメリカが今置かれている危機を通リ抜けるためには、再び大いなる霊的覚醒が起こらねばなりません。しかし、 今は西海岸のリバイバルが緊急の課題です。このためにどうか私と毎日祈りを合わせてください。

 

皆さんの中には、これによって 私のミニストリーが損なわれるとの心配から、この事を話すのを止めるようにと望まれた方がありました。先ず、私は皆さんが心配してくださることを心から感謝いたします。しかし、実際のところこのことで私のミニストリーが損なわれているとは思いません。しかしもしそうであるとしても、私はミニストリーを立て上げるためとか、自分の名を挙げるためとかのためではなく、ただ神の御心を行うために生きているのです。主のしもべとなるべき者が受け入れねばならない「主の重荷」というものがあるのです。私の一番の心配は、私が臆病になり、人々が耳を傾けるような言葉で警告を発することができないことです。警報というものは、人々を叩き起こす程うるさくあるべきものですが、もし人々の目を覚ますことができたならば私は大変うれしいです。そうであっても、皆さんが心にかけてくださることを心から感謝いたします。(終り)