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Walk With God Ministries


29 07月

フロリダ州ロングウッドの集会で与えられた預言 マーク・チロンナ 2011年7月30日


2011年6月28日にフロリダ州ロングウッドの集会で与えられた預言

マーク・チロンナ

 

 

「戦車の前を走っていた者にわたしは再び力を与える」

主の御ことば「今は移行と変化の時です。わたしはわたしの臨在とわたしの霊を送り、わたしの民を再びその息吹に触れさせることによって、彼らを新鮮で生き生きと活気に満ちた次元へと伴います。今の日々をわたしは何にたとえましょうか? エリヤが疲労困憊した時に彼がした旅のことを思い出してください。それは彼がバールとアシュラの勢力を打ち破り、天から火を呼び、わたしの命令によって天を開き、雨を降らせ、大いなる勝利を勝ち取った直後のことでした。

 

戦車より早く走った後に、彼はイザベルとその悪霊どもから脅かされ、一人になり意気消沈してしまいました。わたしには今まで立派に走っていた沢山の息子、娘たちがいます。彼らは、暗闇の勢力が自分に襲ってきて「これ以上お前が前進するならば、ただではおかないぞ」と脅かされることなど予想もしていませんでした。

 

しかし、わたしは戦車の前を走っていた者たちに、わたしのメッセンジャーであるエリヤに与えたのと同じように新しい力を与えようとしています。エリヤが疲れ果てたときにわたしが天使を遣わしパン菓子を与えました。それによって、彼が 最初にわたしと出会った場所に着くまでの40日間、旅を続ける体力を彼は得ることができました。そして以前わたしがわたしの栄光を表したホレブ山にわたしは彼を連れ戻しました。それは、わたしがわたしのしもべモーセにしたと同じように、エリヤが土台とすべき啓示によって生きる人生へと彼を連れ戻そうとしたのです。

 

進め、上に前に

 

今は移行のシーズンであり、わたしは新しい次元、わたしの御霊による新しい啓示的次元をもたらします。あなたは今、天使のパンを食べ、それによってわたしはあなたを支え励まします。なぜならば、次のレベルの啓示的場所に到達するための旅があなたを待っているからです。そのレベルとは次の世代を建て上げるためのものです。

 

ですからわたしの民であるあなたは、わたしの言うことよく聞きなさい。今、あなたは分岐点に立ち、倦み疲れたと感じていますが、わたしは尚も前進するようにとあなたを召しています。わたしは尚も追い求めよとあなたを召しています。しかしあなたはまず一つのことをせねばなりません。あなたの旅の荷物をほどいて、 あなたの旅には最早必要でないものを捨てなさい。そしてもう一度少しの物で旅支度をしなさい。あなたの荷物が軽ければ軽いほど、あなたの足は早くなり、荷物を少なくすると、あなたのかかとに風が吹いてきて、地上の勢力やあなたを引きずりおろそうとする力の領域を越えて、風があなたを高く持ち上げるのを感じるでしょう。

 

あなたは足取りも軽く、 あたかも天空を駆けるように 天使の栄光の素早さをもって走るでしょう。なぜならば、わたしは次の世代へのわたしの 約束を新しくする準備をしていて、そのためにわたしの力を十分に知り味わった世代を必要としているからです。 わたしの力がこれからの時、次世代のために完全に現わされるためです。わたしの栄光とわたしの恵みが具体的に現されることは、 彼らが今まで立派に走って来た者たちと一緒に、 これからのレースを走り抜くために不可欠だからです。

 

あなたがゴールに到達するのを暗闇の力にくじけさせてはいけません。あなたの進むべき方向はただ一つです。それは上へ前へと進み続けることです。すぐそこに必要なものの備えがあります。あなたが荷物を作り直すならば、速度が増し加わり、わたしの力と栄光の顕れに対する新鮮な飢え渇きが又起こるでしょう。」

 

聖霊の新しい風が来ようとしている

 

神がキリストのからだに何かを言われるのを私は聞きました。それは私たち民全体に言っておられました。 「キリストの栄光と力が地上で新たに顕されるように」と必死で願う叫びが天で起こっています。主はこの街がキリストの栄光と力を見る必要があることを知っておられます。もし今まで懸命に走っていたならば、 あなたの身体は疲れを覚えているでしょうが、それでも止まらないで頑張って走り続けねばなりません。確かに神は私たちをある場所まで連れて行きたいのです。ですから、今夜全員がここに集まってはいませんが、全員のために神の御言葉をしっかり受け取って「父よ、私たちは荷物を作り直して、少ない荷物で旅をします」と申し上げましょう。

なぜならば、これからは私たちが今までやってきたことに基ずくのではなく、これから向かって行く場所に標準を定め直した新しい方向性(と目標)を持った家(教会)になることによって、今までよりももっとすばらしいことが起こるからです。

 

必ず聖霊の新しい風が吹いて来ると確信してください。それは間もなくです。なぜならば私たちは新しいペンテコステに突入したのであり、神はご自分の風を強く吹かせようとしておられ、その風であなたをくじけさせようとする敵を、籾殻が麦から吹き飛ばされるように吹き飛ばします。あなたが置かれているのがマーケットプレイスであれミーティングプレイスであれ、元気を出してください。あなたの召しにふさわしい油注ぎが与えられ、新しい風が来ようとしているのですから。

 

今は止めてしまう時ではありません! 神の目的に必要でないものを荷物から取り出し、必要なものだけを入れ直す時です。なぜならば今からあなたが行く場所では、ここまで来るのに必要であった多くのものは最早必要ではないからです。あなたに必要なことは、神の山に登って岩の裂け目を見つけることであり、そこで神の栄光があなたの前を通り過ぎ、次の任務のための計画や指示が与えられるのです。(終わり)


21 07月

今は選択の時 チャック・ピアス      2011年 7月21日


 

今は選択の時

チャック・ピアス

 

今は選択の時

 

7月18日から8月9日の間は非常に重要な時であることを覚えねばなりません。健康や経済的な問題、あるいは人間関係の変化などに気をとられてはいけません。この期間、あなたの上にいる権威者のために毎日祈ってください。未だかって無かったほどに力を入れるべき重要な危機的な時です。私たちの未来に立ちふさがる巨人と戦うための足場を確立するべき重要な期間です。

 

鍵となる主からの御ことば-今月、燭台を選びなさい

 

「あなたにあなたが立つべき新しい場所が与えられるでしょう。しかし足場を固めることを急いではいけません。新しい場所では多くの変化が起こるでしょう。ですから喜んで根をはり、しかも、また新しい場所に移されることを喜んで受け入れなさい。わたしは新しい方法であなたの内なる霊に火を灯し始めています。あなたの内にある7つの御霊が今再び燃やされて生き返るので、わたしたちは、わたし(主)の燭台と一つになるでしょう。あなたとわたしは今シーズン、契約に一致することにより一つとなるでしょう。わたしたちは明るく輝きながら前進していくでしょう。

 

この世はわたしがこの地上で持っている7つの御霊を見るようになるでしょう。御霊が再び燃え始めています。地獄もその火を消すことはできません。今立ち止まっている多くの者たちは活き活きとして再び燃え始めるでしょう。先のシーズンであなたは立ち止まってしまいましたが、今シーズンは今までになかったように前進するでしょう。

 

わたしは建てる者と確立する者を持っています。そして又、見張る者と守る者を持っています。今という時にあなたが自分の場所を探すのをわたしに手伝わせてください。あなたが確立する手伝いをさせてください。なぜならばわたしは多くの者を一つの庭から別の庭へと移し変えているからです。わたしは先のシーズンでは育たなかった種が育つようにしています。わたしは新しい畝を耕しています。古い土壌をくずし、新しい畑を造っています。わたしは今のシーズンのための軍隊を育てるでしょう。この軍隊は新しいやり方で機動し前進し始めるものです。

 

この月に燭台を選びなさい。燭台になりなさい。今選びなさい。そうすればあなたは将来もずっと明るく輝くでしょう。7倍の輝きの内、あなたは半分だけ明かりが灯っていればいいのです。わたしが火をつけあなたを輝かさせてください。わたしは燃える炎が必要なのです。わたしはあなたを見ます! あなたの光の一部を暗くしていたさびやがらくたをわたしが取り去るときに驚いたり腹をたててはいけません。わたしはあなたを愛しあなたに火を灯します。」(終わり)

Chuck Pierce 
Glory of Zion International Ministries
Email: chuckp@glory-o


10 07月

天からの振込を受け取る ジョン・ベルト 7月11日


天からの振込を受け取る

 

ジョン・ベルト

 

ルカ10:42 「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

 

神は 天から私たち一人ひとりに振り込むものを毎日用意しておられます。イエスは「明日のための心配は無用です。労苦はその日その日に、十分あります。」と言われました。もし私たちが明日のことを心配するならば、今日の祝福をのがしてしまいます。もし私たちが今という時を慈しむことを学び、それを最大限に生かし、自分の毎日の生活の中に神が語りかけるのを許すならば、私たちの人生は今までになかったように主の平安で満たされることでしょう。

 

諸々の声や物事が神の御声を遮るのを許してしまうならば、私たちは人生上の様々な事柄の中で空虚さと混乱に陥ってしまうでしょう。私たちの出来る最良のことは、一瞬一瞬を聖霊の御声に敏感に生きるという「神との場所」を見つけ出すことです。神は決して(私たち一人一人への)言葉が足らない方ではなく、私たちへの導きが足りない方でもありませんし、又、私たちの思いの中から遠く離れていたいと思われる方でもありません。なぜならば実際に神は私たちから遠く離れておられることは決してないからです。神は常に私たちの内側におられるのです。

 

私たちは旧約のパラダイム(型)によって生きているのではなく、キリストが御業をすでに完成されたという立場から生きているのです。多くのクリスチャンは、神は天におられて、私たちは下から神の扉を叩いているのだという観点で生きています。これほど真理からほど遠いものはありません。イエスは弟子たちに「わたしは今あなたがたと共にいるが、あなたがたの内にいるようになるでしょう。」と言われました。もし私たちが真に主のものであるならば、主は私たちの内におられまあす。パウロが「聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。(第二コリント13:13)」と言ったのはこのことなのです。今私たちは新しい命を持つ者という立場で生きているので、私たちの霊と神の御霊とは私たちの心の内庭でつなぎ合わされているのです。

 

第一コリント2:9−12「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神が備えてくださったものは、みなそうである。』神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のこと(人が知っていること)は、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神の(その人に対する)みこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。」

 

私たちの霊と聖霊との聖なる結びつきを通して、神はご自分のもっとも深淵な願い、即ち「私たちの中に栄光の望みであるキリストがおられること」に即して私たちを建て上げることが今やお出来になるのです。神は遠くから神を眺めるだけではなく間近で親しく個人的に交わる人たちをずっと待ちこがれておられたのです。これらすべてのことが、今は、キリストによって実現されたのです。

 

もっと親密な場所に入っていく

 

以上のことを心に止め、マルタのように自分の業によって主を喜ばせようとあちらこちらと走りまわって忙しくする前に、マリヤがイエスにしたように神との時間を取ってください。自分の業から休息して主に身を委ねて、十字架上で完成された主の御業の中に入ってください。 立ち止まり、主を見上げ、主が言われておられることに耳を傾けることを学ぶならば、私たちはもっと多くのことを成し遂げることが出来るのです。以下に、毎日主と更に深く更に親密に交わるためのいくつかの具体的なステップを書きます。

 

1.ゆったり出来るところで横になる

2.主を賛美礼拝する

3.自分の思いを静める(必要なことを思い出したような場合は急いでメモに書

  いて、それを忘れる)

4.主の愛を受け取る

5.しばらく後に、魂が静かになったと感じたら、主があなたに言われていることを書き留める

 

一日を通していつでも、自分がしている仕事を5分くらいやめ、神にあなたの心の中に入ってもらう時間をつくるのは、とてもよいことを覚えておいて下さい。主はいつも私たちが主に目を向けるのを待ち望んでいてくださいます。問題は「私たちが(主と同じように)いつも主を待ち望んでいるか?」ということです。

 

神の富は計り知ることができません!(終わり)


04 07月

神と共に歩む フランシス・フランジペン 7月5日


 

 

神と共に歩む

 

フランシス・フランジペン

これからの時代には 、不気味な出来事がある特定の日に起こる(あるいは成就する)という宣告(真偽ともに)を聞く度に、多くの人々の心は動揺するでしょう。しかしながら、今私たちはそれが起こる「ある特定の日」のためではなく、「婚礼」のために整えられているのです。日々のキリストとの関係の深さが終末における私たちの神との歩みを決定します。

 

明日を迎えるための私たちの確信は、今日どのように神と歩むかに根ざしています。そしてその日々の中で、「私たちが神と共に歩むべき狭い道」とは実際にどういうものであるかが明らかにされていきます。それは議論の余地のない真理です。即ち「イエスの再臨に備える唯一の道」は、主が最初に来られたとき命じられたことに忠実に従うことであり、主が命じられたこととは「わたしに従ってきなさい。(ヨハネ1:43)」ということです。

 

イエスに「従って行く」とは、生きる限り忠実に主と歩むということに他なりません。私たちは主が来られるのが近いことを期待しますが、本当のところいつ戻られるかはわかりません。私は終末は非常に近いと信じますが、それでも預言された出来事がみな成就されるには何年もかかるかもしれません。いずれにせよ、「子羊なるイエスに従っていくこと」、「主と共に毎日歩むこと」が私たちの召しなのです。

聖書を学ぶと、初めから 主は、御臨在の中を主と共に歩んだ人々のために常に必要を満たしてくださいました。この世でどんな事が起こっても、神のしもべたちはその時代に満ちていた恐れや憂慮の虜になることはありませんでした。神と共に歩むことによって、彼らはすべての事に対処する備えが出来ていたのです。

 

イエスが戻られる時は、丁度ノアの時代のようであると主は言われました。ノアの人生を今一度見てみましょう。神は洪水がいつ起こるかという定められた日にちをノアに与えられませんでした。主がノアに与えられたのは二つのことでした。即ち、箱舟を造るという仕事と、仕事を成し遂げるための時間です。

 

万能の神は一瞬に悪を滅ぼすこともお出来になりました。しかし、聖書によれば 「箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられた(第一ペテロ3:20)」のです。神が 第一に焦点を当てられていたのは、滅ぼされるべきものではなく、建て上げられつつあったものでした。

 

私たちの多くはサタンがしていることに焦点を当ててしまい、神がされていることが見えないことがあります。主の焦点は、悪の暗黒がどれほど深くなったかということにではなく、教会がどれほどキリストに似る者となったかに当てられているのです!神の御こころから流れ出ている恵みがあるのです。 大きな暗闇が覆うとき、主はご自分が栄光をお受けになることと主の民を守ることを決意されているのです。

 

神はノアに箱舟を造るように言われました。その仕事が完成したときに洪水が来ました。私たちにも仕事があります。それは神のヴィジョンであり、「主の家を建てて国々の魂の収穫に参与する」という仕事です。イエスは「悪が増大するとき、収穫が始まる」とは言われませんでした。主は「実が熟すると、、、収穫の時が来たからです。(マルコ4:29)」と言われました。

 

神の最高の御計画が悪の増大によって変更になることは決してありません。「『神の義』は悪が滅ぼされることを要求する」という人があるかもしれません。確かにそうです。しかし、「神のご性質」が 主の栄光が教会に満ちあふれるというすばらしい計画と約束がまず成就されることを要求されるのです。

ノアをもう一度見てください。「その心が計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった」という時代にノアは生きていました。ノアの世界は(今の私たちの世界と同じように)「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐に満ちていた。(創世記6:5、11)」のです。

 

しかし、それと同じ時代に「ノアは主の心にかなっていた(創世記6:8)」のです。ノアのどこが違っていたのでしょうか? 神の守りの恵みをノアはどのようにして受けることができたのでしょうか?聖書には「ノアは正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」と書かれています。

私は「ノアは神とともに歩んだ。」という箇所が大好きです。神と共に歩むとはどういうことでしょうか?それは私たちが御ことばに従い続け、主の臨在を尊重することです。私たちは神を見ることは出来ませんが、神を知っています。私たちは万能なる神のうちに安全な場所を見つけたのです。私たちの平安は主から来るのであって、人々とか場所や物とかによるものではありません。

 

ノアという名前は「安息、休息」という意味です。主のしもべとして、ノアは自分の人生の任務、使命を知っていたばかりではなく、神にのみ安息する場所を見つけていました。一歩一歩、一日一日、ノアは主の臨在の中に生きたのです。ノアは神と共に歩み、主と親密な関係を持っていました。

 

誰かと親密な関係になるのは一朝一夕にできることではありません。未知というベールを貫いて変らぬ友情と親密さに到達するには時間がかかります。神と共に歩むことが、どうして主を非常に喜ばせることなのかという理由がここにあります。なぜならばそれによって神と人との間に、時を経ても変る事のない関係を築くからです。私たちは最早、回りからの色々な意見、批判、または承認によって 左右されることはありません。神と共に歩くということが達成されるときにのみ、創造主との親密さが真に始まり、将来に対する平安が増し加わるのです。

 

アブラハムのことを見てください。彼は神の友(イザヤ41:8参照)と呼ばれました。彼が99歳のとき、主が現れて「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。(創世記17:1)」と言われました。神とともに歩むことは、人を清くし、神と親しい関係へと導きます。全き者となるための源です。

 

アブラハムの子孫であるイサクとヤコブもまた、神と共に歩みました。(創世記48:15)これら父祖たちの生涯をかけた全能の神との交わりは、後に続く者たちすべて(王、預言者、そして今日神と歩むすべてのクリスチャン)のための手本 となったのです。

 

私自身の経験

 

ある預言的出来事の日にちや、或いは主の再臨の日までも間違って定めてしまう人たちに対して、私たちは厳しく批判するべきではありません。通常、彼らは真摯であるが故に自分の預言をその地方や国で公に告知してしまうのです。私自身も70年代の半ばに同じような経験をしてしまったのです。

 

その頃、核戦争の脅威が世に満ちていました。多くのクリスチャンはアメリカに神の裁きが下ることを予想していました。そのころ、私は巨大な彗星が1975年のクリスマスの日に現れるという記事に遭遇しました。今まで知られていなかったその彗星は、それを発見したハンガリー人の名をとって「Kohoutek」と名付けられました。時のしるしは私の恐れを確かなものとしましたが、その上に宗教の雑誌に「Kohoutek」とは「子羊を喰らうオオカミ」という意味だと書いてあるのを見たときは、これは終末が近いことを確証する「天のしるし」だと確信するに至りました。

 

内なる確信に突き動かされて、私はデトロイトのすべての教会(1200)に、世界はこのクリスマスに終るという警告を発し始めました。デトロイトで一番視聴率の高い朝のトークショウのゲストにまでなり、300万人もの人にむかって神の怒りが間近に迫っていることを警告したのです。

クリスマスが来て去って行きましたが、何事も起こりませんでした。彗星は誇張された天文学的失態でした。自分の洞察に全く確信を持ち、時代のしるしの恐怖に迫られていたので、間違った情報を受け取ってしまったのでした。翌年の一月の終りにハンガリー語の堪能な婦人とたまたま会ったので、私は「Kohoutek」を英訳してくれとみました。それは「トマトをシュチューの中に入れる」というような意味だと思うと彼女は言いました。

 

私の知識は間違っていましたが私の動機は正しいことを、神はご存知でした。このような恥辱的な経験をしたので、私は教会の歴史上の他の「世の終り」のムーブメントについて研究を始めました。その結果、ヨーロッパで起こった2つの重要な事を発見しました。非常に大勢の人たちが1666年に反キリストが現れると信じていました。これは狂信と恐怖の波となり国から国へと広がっていきました。

 

私はブラザー・ローレンスという人の書簡集をその時読んでいました。彼は修道院で皿洗いをしながらキリストに仕えている僧でした。この「The Practice of the Presence of God(日本名 敬虔な生涯)」は、ブラザー・ローレンスが持っていたシンプルでしかも深い神の臨在の故に、キリスト教の古典となっています。しかし、私の人生を変えたのは、彼の最初の手紙がヨーロッパ中が反キリストへの恐怖で覆われていた1666年に書かれていたという事実でした。彼の回りで起きている世界の大混乱の中で、少なくとも一つの魂はイエス・キリストの平安の中に憩っていたのです。

ブラザー・ローレンスは今の私たちの時代のモデルとなってくれます。終末の恐怖と混乱が増し加わるとき、私たちが憩える穏やかな港は主の臨在の中だけだからです。その時に私たちが主を本当に知っているためには、 今主と共に歩まねばなりません。

 

 

エノクは神と共に歩んだ

私の大好きな聖書箇所の一つに創世記5:24「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」があります。ヘブル11:5にはエノクは「移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」と書かれています。

 

エノクは300年神と共に歩みました。毎朝エノクは起きると主を求め、万能の神と共に忠実に歩んだのです。そして エノクは神に喜ばれた故に、遂に死を経験しないで、主と共にいるように天に移されました。

私たちも同じです。神と共に忠実に歩むならば、 御父に大いなる喜びをもたらすことができるのです。聖書には、エノクは彼の人生が「神に喜ばれている」ことが「あかしされていた」と書かれています。神はご自分の喜びをエノクに伝えたのです。神の喜びを知ることは天の甘い蜜を味わうことに他なりません。

 

これから何が起ころうとも、「未来の神」は「今日」私たちと共に歩まれています。私たち

は未来や明日を見ることはできないかもしれませんが、先に何が起ころうとも、

私たちが今日キリストに忠実であることが、私たちの最高の保証なのです。

キリストによって挙げられた最初の人として、エノクはイエスがいつかご自分に集められようとしているすべての人たちにとっての手本となりました。彼らはシンプルに情熱をもって神と共に歩むのです。(終わり)

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