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Walk With God Ministries


24 09月

天からの新しいサウンド(音) ダグ•アディソン 9月24日


天からの新しいサウンド(音)

ダグ•アディソン 

「新しいサウンド(音、音響)が天からすでに解き放たれている」と神が何度も言われるのが私に聞こえます。新しいサウンドが来るという預言はこれまでにも語られており、多くのミュージシャンやワーシップリーダーがそれはどんな音であるかを模索しています。まだどこの教会でも天からの新しい音を聞いたことはありませんが、私の霊の中でそれはいつも響いているのです。

音楽はすべてのもののペースをセットします。神は今地上で新しいことをされているのですが、それもやはり音楽を通して流れ出るのが適切であるのです。油注がれた音楽は私たち個人個人に対しても、又教会や地域、世代に対しても神のみこころやご計画を伝達することができます。ワーシップ音楽は、ただ単に神の御ことばを聞く前に私たちの心を整えるための歌だけを指すのではありません。(それも確かに大事な役目ではありますが。)ワーシップとは聖霊が ご自分の道やもっと高い目的に私たちを導かれるために叫ばれる叫びCRYなのです。

新しいサウンドは私たちを旋風(嵐)のように捕らえることでしょう。そしてそれは今の私たちのワーシップとは全く異なるものでしょう。私たちの多くが以前神を経験しましたが、まだそのようには神を経験していない今の若い世代の耳を新しい音(楽)は捕らえ彼らに神を経験させることでしょう。預言的音楽、過激的なダンス、新しい歌やアートなどが新しい音の主な要素major keysとなり、ついには教会史の中で最も偉大なリバイバルの一つを迎え入れることになるでしょう。過去の神のムーブメント の場合と同じように、新しい音を教会全員が受け入れるとか神からのものであると認めることは、残念ながら起こらないでしょう。 

轟々と音を立てて流れる川とか雷がとどろくような音が天から聞こえてきました。私が聞いた天からの音は、ちょうどハープ奏者が奏でるハープの音のようでした。天の御座とその周りを囲む四つの生き物と長老たちの前で新しい歌が歌われました。その歌は地上から贖われた144,000人にしか分からない歌(黙示録14:2-3)でした。

過去に起こった最後の新しいサウンドから学べ

1960年代に英国からの新しいサウンドがアメリカや世界に旋風を巻き起こしました。ビートルズが現れ、リズム&ブルースのエッセンスに早いビートを加えて楽しくわくわくさせるフィーリングを与えました。その歌詞は当時の若い世代に力を与えました。それだけではなく、彼らの音楽には「油注がれている」と言ってもいいくらいの何か特別なものがあったのです。ジェイムス•ライルは彼の著書“Sons of Thunder”の中で、ビートルズは神からの召しがあったにも拘わらず状況や間違った選択をしたために、自分たちに与えられていた神の御国のより偉大な ディスティニーを見つけ出すことが出来なかったのだと神から示されたことを述べています。その結果、彼らの賜物と音楽はアメリカ史上最も大きな中東の宗教のムーブメントを迎えるのに用いられてしまったのでした。神が彼らに新しい音と音楽の息吹を与えたにも拘わらず、敵がそれを歪めてしまったのです。

私はよく考えるのですが、今までに新しいサウンドの到来を預言的に認識した人があったでしょうか? いたとすれば、その人はビートルズが御国の賜物と召しを見いだすのをもしかして助けられたのではないでしょうか? 1960年代初めに天からの新しい音がドイツのハンブルグやイギリスのリバプールの居酒屋ですでに起こっていたことをもし教会が知っていたならば、人々はそのことを信じ受け入れたでしょうか?

私は預言的に宣言しますが、現在すでにこの地上に新しいサウンドが来ています。ビートルズが一つの世代を神から引き離してしまったと同じように、この新しい天からのサウンドは今の若い世代を大勢神へと引き寄せるのです。今度は敵に奪われることはないでしょう。

ロックンロールは年配の人たちには好まれませんでした。教会は、それを若い世代に福音を伝えようとする神の御心から出たものであるとして喜んで受け入れる代わりに、それを押しとどめようとしました。その結果敵が偽物を作り、ロックは堕落し濫用されました。ジーザス•ピープル•ムーブメントが起こったとき初めてロックが教会の中で使われるのが許されたのです。しかしそれは十年遅すぎたのでした。

1980年代の初めに、ヴィンヤード•チャーチの創始者であるジョン•ウィンバーは「ガレージ•バンド」が教会のワーシップをリードしている幻を見ました。ガレージ•バンドとは世には知られていない才能あるミュージシャンのバンドのことです。そして確かに現代のワーシップチームは昔ガレージ•バンドと呼ばれていたものと同類です。興味深いことに、ジョン•ウィンバー自身も、キリストに一生を捧げる前はRighteous Brothersというバンドのメンバーでした。

トーチを掲げるものの台頭

2009年7月16日に私は夢を見たのですが、夢というよりは霊的体験と言った方がいいでしょう。それは私がカリフォルニア州のベイカーズフィールドにミニストリーに出かける前の夜だったのですが、自分が出席しようとしていた集会へ私は霊で連れていかれました。その体験の中で、私は黒い手の平でつかめるような電気製品を組み立てるようにと言われました。それ電気のトーチのようでしたが電流を必要としないものでした。それは聖霊からエネルギーを受けて、全く新しいレベルでミニストリーをするために用いられるものでした。

トーチにハンドルをとり付けると、 それは地上で聞いたことのないサウンドを霊の中に(あるいは霊のサウンドを)創りだしました。それは電子のピッチelectronic pitchを持ち、いつまでも(永遠に)鳴り響いていました。そのサウンドは本当に変っていたので多くのクリスチャンは腹を立て、その新しい音を聞きたくない大勢の人から私は攻撃を受けました。次の日、夢ではなく現実で私はカンファレンス場に着いたのですが、そこは初めての場所だったにも拘わらず私が霊的体験で見たのと全く同じビルディングでした。

神が新しいサウンドと新しい油注ぎを解き放たれていること、そしてそれは非常に過激的であるので、クリスチャンの多くがそれを退けてしまうということを私は知っていました。このトーチとサウンドは、新しい世代がそれを掲げて かつてなかったような神の超自然的な栄光の新しいレベルへと走っていくためにとっておかれたものなのです。私がこの夢(体験)を
22 09月

アメリカを憂う(2)   坂 達也   2009年9月22日


アメリカを憂う(2)

                                          坂 達也 


 今年になって、それも特に最近私は、今アメリカに起こりつつあることがあまりにも重要かつショッキングであるために、ニュースを聞くたびに直ぐにも日本の皆さんに伝えなければいけないと言う衝動に駆られて来ました。(そしてその都度ぐっと抑えて来たのですが)なぜなら、それをしていると、あたかも私が政治・経済評論家にでもなってしまって霊的メッセージを二の次にしていると誤解される恐れを持ったからです。実はそれ程、最近のアメリカの政治・経済と言うより、もっと根本的にアメリカの民主主義国家、ひいてはクリスチャン国家としての国の土台そのものが激しく揺さぶられております。 

 チャック・ピアース師は8月22日に当HPに掲載したメッセージで「経済的シフトが8月の終わりまでに起こるのに気をつけていてください。8月24日から10月17日の間に、金融システムに大いなる変化があるでしょう。銀行のシステムの変化はまだ全部完了していないことに注意してください。これから構造的なシフトが加速度を増して起こります。政府機関は人々の見ている前で再編成されて行きます。」と言いました。
 ここでご注目いただきたいのは彼が「政府機関は人々の見ている前で再編成されて行きます。」と云ったことです。この預言は今アメリカにおいて「まのあたりで」その通りのことが起こっています。

アメリカではこの春、昔起こった有名なボストン・ティー・パーティーに倣ってか、各地でティー・パーティーと称する主に国の税金政策への抗議集会が持たれました。その後夏に入り、オバマ大統領は千ページ以上と言う問題だらけの内容を持つヘルス・ケアー法案を突然提案しました。問題は、議員の誰にも法案をゆっくり読む暇すら与えないで8月の夏休み休暇前に上下院を通そうとした大統領の強引なやり方に保守派の国民が中心となって大反発が起きました。それによって休暇前の法案決議は阻止されたのですが、休暇に入った8月には各地でその地方の議員を呼び出し法案の内容を問いただす「タウンホール」集会が持たれ、これが国を挙げての大変な論争騒ぎを引き起こしました。

これに加熱された国民の政府と国会に対する不信の声は、Tea Party Expressと言う民衆の抗議集会に発展し、8月28日西海岸のサクラメント市を出発点に34都市、7千マイルにわたるバス・ツアーによる集会を終えて、9月12日には首都ワシントンに集結しました。これには全国から参加した少なくとも約7万の民衆(実際は何十万人とも言われ、官公庁からの公な数字は出されていない)がワシントン・モールを埋め尽くし平和裏で抗議集会が持たれたのです。(日本ではあまり取り上げられていなかったようですが?)

このアメリカに今起こっている民衆の「むしろ旗蜂起」は単に経済リセッションとか、失業者増加、急増する国の負債への不安、ヘルスケアだけの問題ではなく、あるいは、デモクラットとかリパブリカンと言う政党支持の問題でもなく、むしろ国全体の言論の自由が脅かされ、政府に権力を集中させようとしているオバマ政権の社会主義(マルキシズム・ファッシズムとさえ取沙汰されている)に移行するのではないかという恐れと反発に発展しつつあります。抗議集会に集まる民衆は政治集団というよりも「愛国者」の集まりと言うべき人たちで、アメリカ合衆国憲法を忘れるな!守れ!の声も多く聞かれました。

リック・ジョイナー師が「今、アメリカの将来が問われる国の生死の問題にまで立ち至っていることは疑う余地がない」と言っている通り、47年アメリカに住む私自身もこのような事態は未だかって経験したことがないことに驚愕しております。
私が知っている歴代の大統領は必ずしもクリスチャンとは言えないにしても、オバマ大統領のようにはっきり反クリスチャンの大統領はおりませんでした。そしてその違いがこれほど大きいとは思ってもみませんでした。しかしメディヤの大半は気がついていないようです。この「むしろ旗」現象は過去に起こったマッカーシーイズム、ジョンバーチ・ソサエティー、ケネディー大統領暗殺、ウオーターゲート事件、2001年のテロによるワールド・トレード・センター爆破事件等のパラノイド・ポリティック(偏執病的政治現象)の一つぐらいに扱っておりますが、いずれそんな問題ではなく、アメリカの命取りとなる可能性とその大きな危険性に気が付く時が来ると思います。あるいはその時は既に手遅れになっているかもしれないません。

さて、そこで本日ご紹介したいのは、「The CALL」を主催しているルー・インゲル師が9月20日に発した緊急の警告と祈りのお願いについてです。師は今「イスラムの大きな波が押寄せて来ている」ことを指摘し、アメリカの全クリスチャンが緊急に霊的戦いの準備に入ることを呼びかけました。それは数日後に迫っている9月25日にMuslim Day of Prayer in Washington DCと称して5万人のイスラム教徒がワシントン・モールに集結し、ホワイトハウスまで行進しようと言う歴史的企画をしているからです。彼らは「イスラム教徒はホワイトハウスに行進し、そこでアラーに祈り、ホワイト・ハウスがイスラム・ハウスになる勝利の宣言をする」と言っておりますから大変な事態になって来ました。

インゲル師は「これは単なる空な言葉ではない。それは闇の霊の敵が企てる目標と計画(の集中攻撃)を物語っており、今アメリカに大きなトラブルがもたらされつつある。」と言います。師は「第一、我々の大統領は、最近イスラムの聖なる断食祈祷の日Ramadanが来ることを称え、それにイスラム教徒が参加することを奨励した。一方この大統領は、春のアメリカの伝統的行事であるクリスチャン中心の「国民祈りの日」には何も言わず、完全に無視した。」と言います。通常「国民祈りの日」に大統領はワシントンDCに全国から主な人々を招待して自らの大きな祈祷集会を持って来ましたが、今年オバマ大統領はこれをしませんでした。


今アメリカは本当に急変しつつあります。数年前からアメリカに今後起こることへの預言を受けているジョン・ポール・ジャクソン師は、師の「パーフェクト・ストーム」と題するDVDメッセージの中で、

・オバマ大統領を暗殺する計画が立てられること、
・今後アメリカの学校ではクリスチャンの祈りは禁止されても回教徒の祈りは許される 
 時代が来ること、
・そして、イスラム教徒のアメリカ大統領が2024年までに実現する


14 09月

霊の武器のための銃弾の緊急招集 ビル ヨント 2009年9月13日


霊の武器のための銃弾の緊急招集

ビル ヨント 


これまで私たちは 様々な霊的武器を敵の攻撃に用いてきましたが、近頃私はそれに関して疑問を持ち始め、「主よ、私たちは適切な弾薬を用いているのでしょうか?」とお聞きするようになりました。武器に合っていない弾薬とは、自分が召されていない(もしくは、かつては召されていたが今はもう召されていない)ミニストリーの場所にしがみついていて、どうして自分の部隊は戦果をあげられないのだろうといぶかしく思っている人のようなものです。

より高い目的へ

時として神は私たちのミニストリーが人々から拒絶される(reject)ことを許され、それによって私たちが もっと高い主の目的にむかって飛び出せる(eject)ようにされるのです! 神は私たち(個人)が更に高くのぼるようにと常に計らってくださるのですが、必ずしも私たちのミニストリーが高くのぼるようにされるとは限りません。「拒絶される reject」という言葉は「捨てられる throw away」という意味です。「飛び出させる eject」という言葉は「勢いよく追い出す、強制的に追放する」という意味です。もしあなたのミニストリーが人々や状況によって拒絶されたと思うならば、それは、神の目から見れば、もっと高い召しに向かうために追い出されたのかもしれないのです。

最近のことですが、私はある牧師のために祈る機会がありました。彼は自分の進むべき方向に関して主からの言葉を求めていました。彼がおかれていた状況は何も聞きませんでしたが、それは私が主のみ心を正確に聞くためにはその方が良かったからです。祈っていると私はパンプ散弾銃Pump shotgunのヴィジョンを見ました。この型の銃は、パンプすると自動的に空の薬莢を吐き出し、次の弾丸を銃に詰めることが出来るのです。

この牧師のミニストリーは、本人の目から見ても、また多くの教会員の目から見ても、全く拒絶され捨てられた「空の薬莢」であると見えました。しかし、神の目には、彼のミニストリーは勢いよく放り出されて、それによって主がもっと素晴らしい方法で彼を用いられることが出来るようにされたのです。神は私たちがもっと高くのぼれるように常に計らって下さいますが、私たちのミニストリーに関してはそうとは限らないことを忘れないでください。

次に、主が牧師自身を銃に詰め彼がまだ行ったことの無いところ、使徒的な召し、に向けて発射しようとしておられるのが見えました。散弾銃の中には沢山のBB弾が入っていて広い範囲の的にあたるようにしてあるように、「ばらばらになっても増大するミニストリーもあるのだ!この牧師のミニストリーはこれから広がって行き、近くや遠くの多くの的に当たるであろう。」と主が語られました。

時として神は、私たちをもっと高い目的に用いるために,私たちの人生から現在のミニストリーを取り出してしまわねばならないのです 。現在、一見すると後退しているようなミニストリーが多くありますが、実のところそれらは違う方向に向かって前進しているのだと私は感じます! 私自身のミニストリーを始めとしていろいろなミニストリーでそれが起こっています。私が喜びを持ってしていたことが人々に受け入れないように見えたのですが、それは私のミニストリーのその部分を神が追い出されて”ejecting”、私がより素晴らしく用いられるようにしてくださったのです。私はそのミニストリーを非常に愛していたので、自分から 手放すことは決して出来なかったことでしょう。ですから神は他の人々を使って私にあきらめさせたのです! 

みんながあなたやあなたのミニストリーを拒絶しようとしている、という拒絶コンプレックスを持つのを私は勧めているわけではありません。あなたは正しいスピリットを持ち続け、神が人々の拒絶rejectionを用いてあなたを強く押し出すejectionまでは、反対する人々(あるいは反対されること)に忍耐せねばなりません。それが神の手によるものであり神のタイミングであるならば、あなたは今までの理解を遥かに超えた主の臨在と平安の「注入」”injection”を経験することでしょう。

あなたは銃弾

霊的な武器は何かと尋ね求めたときに、私はその銃弾を見つけたのでした。それは私たちです! 最近、栄光に満ちたワーシップをしている中で(にもかかわらず)、 敵を攻撃する武器の力が不足していることを感じ、それがなぜかを思い巡らしていました。すると主が「わたしの大砲にあなたを詰め込んでもいいか?」と言われているのを感じました。

これまで私たちは主の軍隊を立て上げるために、神にワーシップや祈りを捧げ、お金も出してきたように思えます。しかし、主は今、私たちが主の武器の銃弾になることを求めておられるのです。「この地上で敵を克服するためにわたしが持っているものはあなたたちだけなのだ!わたしを信頼しなさい、そしてわたしの武器にあなたを装填させなさい。」と主が言われているようです。主が必要とされるのは私たちが主に完全に服従し、主の霊的大砲や銃、戦艦に詰められ装備されることなのです。

主の銃弾になるという啓示は私を圧倒しました。弾丸は一度飛び出したら戻ってきません! 銃の中の弾は自分が撃たれた場所に戻ることはないことをよく知っているのです! 月日が経つうちに忘れてしまっていた大変重要な召しを私は思い出しました。それは神からの召しは引き返すことのない片道切符だということです。もしも引き返すことを少しでも考えるならば、私たちはきっと引き返してしまうでしょう。

神の召しを強く受けて世界の国々に宣教に出かけていった人々のことを以前読んだことがあるのですが、私はそれを思い出しました。神からの召しを真摯に受け取った人たちは、宣教地に向かう船に乗り込むときには自分の棺も一緒に積み込んだのです。彼らは自分がもう戻らないことを知っていました!もし戻ることを少しでも考えたならば、彼らは帰ってきていたことでしょう。彼らはイエスに従うことを選んだ日は、即自らに死ぬ日であることを知っていたのです。

「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしの言葉のゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」黙示録12:11

このように、主は私たちが 敵を攻撃するにあたって、片道切符しか持たないで主にどこまでも従って行くようにと召しておられます。霊の大砲、銃、戦艦が今、敵に狙いを定めて戦闘態勢に入りました。銃弾が今招集されつつあり、私たちが銃弾です!その召しに私たちは喜んで答えるでしょうか?(終わり)


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08 09月

まどろむ者よ、目を覚ませ! テレサ•フィリップス 2009年9月8日


まどろむ者よ、目を覚ませ!

テレサ•フィリップス
 


私はあるショッキングな夢を見ました。それは私をひざまずかせるのに十分でした、喜びで! その夢はこうです。私と主人が車をドライブして丘を下っていくと、私たちの横を数人の人たちが乗った車が走っていました。すると、その車がコントロールを失って橋のそばにあったコンクリートの柱にぶつかってしまったのです。彼らの車は大破しました。私たちの車もその衝撃を受け損傷を受けました。

私は直ぐに救急に電話してから、車の中の人を助けに向かいました。一人の子どもが血を流していたので、毛布でくるみ近くの病院に連れていきました。私はもう一度救急に電話をしてから、二人目の被害者を病院に運びました。病院にいるときにも又救急に電話しました。というのは、病院でも誰も私たちを助けにくる人がいなかったからです!

私は主人が意識を失っているのに気がつき、助けを呼びました!誰も助けに来てくれませんでした。私は接着テープがあるのを見つけて、腹部が大きく裂けている女性の手当をし始めました。彼女の傷口をテープでふさぎはじめたのですが、もう一度助けを呼びました、、、「イエス様」と私はささやいたのです。すると傷口からの出血が止まり彼女は身を起こしました。私はホッとしました。でもまだ誰も助けに来ません。主人が意識を取り戻したのがわかりました。子どもも目を開け息をしていることがわかりました。全員の出血はすべて止まっていました。私はもう一度救急に電話をしましたが誰も来ませんでした。

すると、私の前にカーキ色のズボンをはき、ぱりっとした白いシャツを着た男の人が立っていました。私が「ドクター、今までどこにいたんですか?」と聞くと、彼は「わたしはあなたのすることを見ていたのですよ。あなたは私がすることを許されていることよりもうまくやっていました。I was watching you … you did better than I was allowed to do.」と言いました。実のところ彼は患者を治療することを許されていない医者だったのです。病院の医療関係者たちが来てくれないので、夢の中の私は本当に腹を立てていました。

夢から覚めたとき、私の身体は震えていました。夢の意味が私にはわかっていました。何か劇的なことを神が考えておられることがわかったのです。私はもう一つの眠りから揺り起こされたのです。それは主が実にどのようなお方であるかを忘れている眠りです。今は多くの者がその眠りから目覚める時であり、私もその中の一人として入れられたいと思いました!

その時、私は主を、主の臨在を、私のまわりに感じ始めました。夢の中で私は主の名前を大声で叫びました。そうです、私は主の御名を用い、主はそれに答えてくださいました。夢の中でその結果を私は見ることができました! 私は目を覚ますときに、はっきりとそのことを意識していました。主の教会はものごとを変えることが出来る、又、変えていこうとしているのです。私は「私たちが変えるんだ!」と大声で叫びました。私たちが変えていくのであり、又、変えていかねばならないのです! シフトです!

夢の中の男性は実に私たちのよき医者である主イエスでした。主は手を出すことを許されていなかったのです。主が「わたしはある I AM」という方という明白な真理にも拘わらず、「I was」と言われたのです。聖霊が新しい啓示へと私たちを目覚めされておられることを私は知りました。私たちは「わたしはある」という方をその言葉通りに受け取っていいのであり、又、受け取らねばならないのです。


御言葉通りに主を受け取る

“モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」” 出エジプト3:13—14

神は、モーセに導くようにと託した 民のために「わたしはある」を遣わされました。それは「わたしはある」という現在形の言葉でした。即ち、今あるもの、活動しているもの、生きているもの、動いているものです。神はご自身の一部を与えられたのです。歴史を変え、時の流れを変えることになった啓示的な一瞬を神はモーセに与えたのです。神はアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれましたが、モーセにはご自分の名前を与えられたのです! 神は変わることのない神であられるのです!

聖書によれば、神はモーセに「あなたをパロに対して神(即ち、わたし)とする。」と言われました。どうしてでしょうか? それは「わたしはある」という方があなたと共におられるからです。それは主との交わりであり、パワフルであり、啓示的です! モーセは神がご自分を顕されるのを見ました。今日、多くの者が自分のための燃える柴の前に立っています。何故でしょうか? それは今多くの者は、「わたしはある」という方に働いていただく必要を見るからです 。

まさに今この時 、私たちは神がここに確かにおられることを知っています。これは非常に重要です。神は「わたしはあなたを決して見放さず、あなたを見捨てない。」と言われるからです。

「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたと共におられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」申命記31:8

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20b


「わたしはある」という方が与えられている

「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。」出エジプト23:20−21

「わたしはある」というお方は、天の聖なる都から遣わされた天使にご自身の名前を与えられたのです!ここに「イスラエルを守るために主から遣わされた天使のミニストリー」を私たちは見ることができます。「わたしはある」というお方がご自分の名前を分け与えられたのですが、それはどうして
07 09月

ハワイの八月   坂 柚実子   9月7日


ハワイの八月


常夏といわれるハワイですが、やはり一番暑いのは8月です。しかし今年は9月に入っても暑い日が続きます。日中外を歩くのは暑く陽に焼けるので、極力避けるようにしています。

さて、このひと月ほど、主人は床をカーペットから板張りに替えるのに忙しくしていました。これは2年前にこのマンションに越してからの念願でしたので、やっとやり終えて大満足です。
部屋の半分の家具を動かしてカーペットをはがしたところと、完成したところの写真です。




さて、遅れております日本旅行の報告を続けたいと思います。

重点的にご報告させていただきますが、奈良地区では、郡山希望チャペル(村山直樹牧師)と奈良ニューホープチャペル(木谷直也牧師)を訪れました。
私たちは木谷先生のお宅に二泊させていただき、ご夫妻から楽しく霊的なお話を沢山聞かせていただきました。木谷先生は神様から賛美の歌を沢山与えられる方で、「タンバリンと踊りで」等は神学校時代に与えられた曲で、本人も知らないうちに日本中の教会で歌われていたそうです。

郡山希望チャペルでの集会には、奈良ニューホープチャペルと奈良ベタニヤ教会(山田静男牧師)の方々も参加しての合同集会でした。この3つの教会はいつも協力しあっているそうです。ワーシップチームも合同で、木谷夫人のピアノや村山先生のドラム(ハワイのニューホープのワーシップチームでドラムをたたいておられたそうです。)等々で、素晴らしい賛美を主に捧げることができました。直也先生のドラム
 

翌日は奈良ニューホープチャペルでの集会でした。この教会では近頃賛美の時に踊ることを始めたそうで、 自由に主の前で踊る人が増えているそうです。そのために前に広くスペースがあけてあります。写真

私たちも大いに踊ったので、踊っているところに写真は撮れませんでした。(笑)
主人はメッセージの後で40歳以下の人たちのためにお祈りをさせていただきました。

今年は例年秋に訪問する沖縄を6月に訪ねました。いつものように宮里サレム教会の島袋先生、伊覇先生、兼城兄弟が出迎えてくださいました。私たちはいつも沖縄ではサレム教会の一階に滞在させていただきますが、今回も日曜礼拝や6回の集会( 家庭集会、祈祷会、聖書研究会)の奉仕を通じて、教会の皆様と素晴らしい交わりをさせていただきました。

サレム教会の砂川兄弟は高校教諭をされていた方ですが、教会での様々な奉仕に励んでおられます。家庭集会のリーダ−をはじめとして、教会の書はすべて兄弟の作品ですし、毎週のお花も彼の創作です。庭の花をたくみに使って大胆な生け花をされます。私たちはそれを見せていただくのを毎年楽しみにしております。
生け花と習字の間の砂川兄弟の写真



又、沖縄滞在中、いつものようにジョイチャペルで集会を持たせていただきました。

大城節子先生と宮平満副牧師です。宮平先生はオレゴン州のポートランド•バイブル•カレッジを今年卒業された方で、私たちがポートランドで親しくしていた英語学校のブショア先生ご夫妻の消息などお聞きすることができました。先生のこれからの主にある沖縄でのご活躍を期待いたします。二人の写真



金武バプテスト教会(横田盛永牧師、聖子副牧師)での礼拝は、父の日スペシャルとして横田先生が三線(さんしん)で琉球賛美を弾いてくださり、みんなで歌いました。主人のメッセージも無事にすんで礼拝が終ったときに沖縄の踊りで勝利の喜びを表すカチャーシーをみんなで踊ることになり、三人のおばあさんに続いて沢山の人が前に出てそれぞれの振りで踊りました。教会 がずっと祈ってきたことに対する答えが与えられて、皆さんが 喜びに満たされ、踊りたいという気持ちで一杯になったそうです。主人も一緒に踊っています。
先生の三線とみんなが踊っているところの写真

(続く)


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