25 12月
時を知る リック/ジョイナー 2008年12月25日
時を知る
リック/ジョイナー
様々なことが起こった2008年も、終わりに近づきました。多くの人は、世界で起きていることを見て、新年を恐れと不安を持って迎えようとしています。しかし一方、大きな信仰と希望をもって迎えようとしている人たちもいます。そして信仰と希望は必ず勝利をおさめるのです。2009年は(そのような人たちには)最高の年になります。
クリスチャンならば全員、大きな信仰と希望をもって未来を展望するべきです。たとえそれが「大艱難」に入ることになってもです。これから世界に何が起こるかは問題ではありません。なぜならば私たちの王は勝利され、御国は必ず来るからです。御心は天になるようにこの地でも起こります。ボブ/マムフォードは「聖書の最後を読めば我々が勝利することがはっきりしてる!」と言いました。第二コリント2:14にあるすばらしい約束を見てください。
「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。」
この箇所で言われているように、主は常に私たちを「キリストによる勝利」に導いてくださるのです。重要な点は、主の勝利は私たちが望んだ結末と同じとは限らないということです。主の最大の勝利は十字架でした。私たちもそのような勝利を喜んで受け取ることが出来るでしょうか? もし出来るならば、悪に対する最大の勝利を私たちも経験することが出来るでしょう。2008年は多くの人にとってブレイクスルーの年でした。2009年にも又、多くの人がそれを経験するでしょう。私たちの勝利は確実であり、もしあなたが信仰の人ならば、勝利が確立されるずっと前からそれを喜び始めることができます。恐れを持つ人は、たとえ物事がうまく行っている時でさえ、いつも悩んでいます。信仰のある人は、たとえ物事がうまく行っていなくても、常に平安と喜びをもって生きています。私たちはそのどちらかを選ぶことができる(選ばねばならない)のです。
私たちの教会の最近の礼拝で、ジャック/ディア師が話したことですが、私たちは往々にして、主にではなく物事の結果に自分の信仰を置くという間違いを犯してしまいます。それでは私たちの思いは、主にではなく、起こっている事柄、物事に捕われてしまうことになります。もし私たちが主に信頼するならば、物事のすべての結果は主の目的のためには一番良いものであること、そしてそれはただ私たちの勝利ではなく「主の勝利」であることをも信じなければなりません。多くの場合、一番の勝利は私たちの信仰が成長することであり、ヤコブ書にあるように、それは金よりも価値あるものなのです。私たちの信仰は、信仰が必要とされない限り成長しないのです。
このことは、特定の結果を望んで祈ってはいけないと言う事ではありません。例えば、ある癒しとか、ある問題を乗り越えるための祈りです。私たちはある一つの結果に信頼を置くのではなく、主に信頼を置かねばなりません。そうするとき、多分自分が期待した以上の結果を見る事になるでしょう。
多くの人は多難だった2008年が過ぎ去るのを見て「やれやれ」と思っています。新年を新たな出発と見て、希望と期待を持つことは良いことです。私たちは今の時代が過ぎ去るのを同じ思いで見ることでしょう。次の時代が今私たちが考えることが出来ないほどすばらしいものになることは、絶対に確かなことです。一日ごとに主の再臨と御国の到来が近づいています。しかしそうであっても、その時までにはこの世界は艱難を通らねばならないのです。使徒パウロは私たちが御国に入るためには艱難を通らねばならないと言っています。それはこの世界にとっても同じです。しかし、この世がどのような所を通るかは問題ではないのです。もし私たちが主にとどまり、揺るがされることのない御国の上に人生を築いたならば、私たちはそれによって影響を受けることはありません。
以前私はある預言的経験をしました。突然私は、 ある種の戦艦の 制御室の中に立っているのがわかりました。レーダーのスクリーンの前に私は立っていましたが、主ご自身が私のすぐ右に立っておられました。スクリーンに小さな光の点(ブリップ)が前方正面にあらわれ、自分たちの方にむかって動いてきました。衝突を避けるために私は船が90度向きを変えるように命令しました。しかし、スクリーン上の点は動かず、それどころかますます近づいてきます。それで今度は反対方向に向きを変えるように命令しました。しかし、その結果は前と同じで、点はますます近づいてきます。次に私はスクリーンを握って衝撃に耐える身構えをしましたが、衝撃は起こらず、点も消えてしまいました。私は主に一体これはどうしたことか、と尋ねました。主はあの点は「大艱難」であったと言われました。主は、大艱難は必ずやってきて避けることはできない、しかし、それは主のすべての行動を映し出すレーダースクリーンのほんの小さな点に過ぎず、私が主の近くにとどまる限りそれを感じることもない、と言われました。
この体験は私にとって非常にリアルであり、魂の奥深くに何かを植えつけてくれたので、私はとても助けられました。しかし、あなたが私の見たこの幻を信じても信じなくても重要なことは、主は信頼するに足るお方であり、主のみ傍近くにいれば何が起ころうと守られるということは、まさに正当な聖書の真理です。
あなたは、主のみ傍近くにいたにもかかわらず殉教した人たちはどうなのだろう、と思われるかもしれませんが、それも主の守りだったのです! 私たちが生きるか死ぬかは問題ではなく、問題なのは私たちが忠実であり続けるかどうかなのです。私たちの全人生は「主と共に治めるための訓練」であり、福音のために命を捨てることは信仰の最も偉大な行為の一つです。もし私たちがただ復活の教義だけでなく心から復活を信じるならば、私たちはこのことを喜ぶべきであり、使徒や多くの殉教者と同じように、主の御名のために苦しむことに私たちが値するもの見なされたことを光栄に思うべきです。
2009年は最良の年となるでしょう。それは困難ではないということではありませんが、それは私たちにとって一番よいことなのです。なぜならばローマ8:28−30に次にように書かれているからです。
「 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」
私たちが速やかに勝利を得るための一つの方法は、神が私たちに起こるのを許されるすべての事は、私たちが御子に似る者になるためであることを理解することです。何か試練が起こったらすぐに、 どの御霊の実の訓練を主が自分にしておられるのかを見定めるのです。一番の基礎は、愛と信仰です。愛はあなたに何をせよと言っていますか? 信仰はあなたに何をせよと言っていますか? それがほとんどの場合「答え」です。そして第一コリント13:8「愛は決して絶えることがありません。(滅びない)」という事を常に忘れないでください。
2009年に勝ち取るべき 最大の勝利は、私たちの愛が成長することです。まず神を愛し、そしてお互いを愛するのです。二番目に大きな勝利は、信仰が成長することです。この二つは必ずしも試練を通してだけ得られるものではありませし、特に試練がなくてもこの二つを忠実に追い求めているならば、そうです。しかしながら、やってくる試練はすべて価値あるものです。裁きの日には、私たちの人間としての成功度は、他の何よりもどれほど神を愛し人を愛したかにかかっているのです。成功してください。愛を成長させてください。また、信仰を成長させて、どんどん成功してください。(終わり)
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