29 08月
クリエイティブな教会 グラハム・クック 8月29日
クリエイティブな教会
グラハム・クック
(スティーブ・ショルツによるインタビューからの抜粋)
神はエコノミストではない
私たちは教会活動において何かをするときには、能率よく最小限の努力、費用ですることを常に目標にしてしまうという間違いをおかします。一週間のうち数時間の集会で、すべての能力、技術を最大限に用い、最も有利に、最も効率よく、最も多くの人に影響を与えようとします。しかし、神様はエコノミスト(経済家)ではないのです。
私たちは集会にだけ焦点を当ててしまっています。イエスは「わたしはあなたに集会を与えるために来ました。集会をもっと豊かに与えるために」とは言われませんでした。「わたしはあなたに命を与えるためにきた」といわれましたね。教会で今行われていることは、人々を生かし、彼らが神にある人生を楽しめるようにはほとんどしていません。人々にどのようにすれは霊的に生きられるかを教えていません。集会の中でどのようにうまく機能するかを教えているだけです。しかも、その機会さえ与えていないことが多いのが現実です。
二種類の礼拝
聖書を見ると、集会には二つのタイプがあることがわかります。一つはテンプル(神殿)における礼拝であり、もう一方はシナゴーグ(会堂)です。今の教会で行われている礼拝を見てみると、一人ひとりが神と霊的に交わる機会がありません。というのは、私たちがしている礼拝はほとんどシナゴーグ的な礼拝だからです。テンプル・ワーシップというのは、人々が神殿に祈りや生贄や捧げものをするために行くことでした。すべて神を中心とした行為でした。他方シナゴーグでの集会は、人々が教えを受け、他の人々と交わり、ミニストリーを受けるためでした。
今教会で私たちがしていることは、この二つを混ぜ合わせて、両方を一時にしようとしているのです。即ち、まずワーシップをして、そのあとにメッセージを聞くというパターンです。その結果、ワーシップは次の教えのための序曲みたいになってしまっています。人々は集まってワーシップをしますが、本当は教えを聞き、その後でミニストリーをしてもらうためにきたのであり、その前にワーシップを仕方なくするという感じになります。本当は喜び楽しむべきワーシップが仕方なく耐えるものになってしまっている状態です。また、ワーシップをしたい人たちはもっとワーシップがしたいと思います。教えの部分を彼らは我慢して聞いているのです。
ですから、あるときはテンプル・ワーシップだけをする、テンプル・ミーティングをするべきだと私は思います。ただ主をワーシップするためにだけ人々が集まるのです。そしてすべてを聖霊にお委してワーシップの中で自由に働いていただくのです。私たちの教会では、このような礼拝を「Let’s Waste the Whole Evening on God」一晩中神のために時間を浪費する集会、と呼んでいます。人々はワーシップの場に喜びをもって神に会いに来ます。
私たちは人々に神をワーシップする方法を教えます。ワーシップのいろいろな形を教えます。ワーシップそのものについて、敬愛(adoration)について、普通の賛美、高揚した賛美、悲嘆の祈り(lamentation)について、そして主の臨在の中にどのように入っていくかを教えます。また、身体をどのように動かすか教えます。教会で踊る人はあまりいませんが、それは人々がどうやって踊ったらいいかわからないからです。ですから私たちはワーシップのために身体をどのように使うかを教えます。手を上げる、拝する、ひざまずく、くるくる回ることなど、すべての身体の動きは何かを表現している象徴的なものであり、主への全面降伏や敬愛などを表しています。
それとは別に、私はセミナーをするのも好きです。人々を集めて(ワーシップはしないかもしれません)教えのときを持ち、その後に話し合い、祈り、ミニストリーのときを持ちます。そのセミナーは一つのテーマがあり目的があります。
クリエイティブな礼拝
聖霊はご自分が自由に働かれるクリエイティブな(創造的)環境を作られます。現行のほとんどの集会はクリエイティブな環境ではありません。いつも同じ箱の中で何かを創ろうとしています。神はご自分を箱の中に入れられる方ではありません。一度だけそうされましたね。それは契約の箱ですが、神は箱に触れるものは死ぬといわれました。神が箱に入られたときでさえ、人間が触れることはできなかったのです。
聖霊が創造の天才だということを見出しつつある教会が世界中に沢山あります。ポイントは教会のメンバーにいろいろなことを任せることだと思います。多くの教会には非常に賜物のある人たちがいます。あるときは家族中心の礼拝にすることができます。子供むきの話をしたり、劇をしたりできます。また、ワーシップのコンサートと祈りの会にして近隣の人たちを招待してもいいのです。
教会では毎週、つまり年52回も「あなたの人生を変える」メッセージをしながら、誰の人生もあまり変わっていないのが現状です。夕拝もある教会ならば104回ですし、祈祷会のメッセージを入れれば156回です。いったい私たちは何をしているのでしょうか。人々はメッセージを聞いてノートをとることが上手になるだけです。彼らが聞くだけで実行しない者になってしまうのを私は保証できます。
霊で生きることについて
霊で生きることは、オーガニック(有機的)であると同時に、オーガナイゼイショナル(組織的)です。今の教会は後者に偏っています。イエスは聖霊に関して「風は思いのままに吹く」と言われています。それは聖霊を縛ってとどめることはできないということです。自然界のことを研究している人に聞いてみたらわかりますが、昆虫でもなんでもいいのですが、彼らはこう言うでしょう。すべての生命のある集団は、自然に自分たちで組織をつくるのです。すべての被造物、すべて生きているものは、自分たちで組織をつくる、セルフ・オーガナイズするのです。動物の王国であっても昆虫の世界であっても、命のあるものが集まると自分たちで組織をつくるのです。
人々が集まってきて、自分たちの情熱、やヴィジョンを中心にして自然に自分たちの中から組織をつくります。しかし、オーガニゼイショナルな世界では、人々は集会、ミーティングを中心にして組織化されてしまうのです。人々の思いを本当には解放しないやり方で、組織はつくられます。なんと多くの牧師が、自分が個人的に神から受けたヴィジョンを、教会のメンバーに理解させようと押し付けていることでしょうか。彼 らはメンバーの一人ひとりの夢やヴィジョンを生かし達成させることを怠っているのです。(終わり)
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