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Walk With God Ministries


29 03月

坂 達也・柚実子 2008年 春の来日予定  3月29日


2008年春 坂 達也・柚実子の来日予定表
 
[日本に滞在中の連絡先:坂 達也 携帯電話 090-6644-6207]

4月15日(火)日本到着 3:10PM 中部空港 
  16日(水)         
  17日(木)門司港ハレルヤチャーチ 渡橋先生 
  18日(金)八女フロンチアチャーチ 近藤先生
  19日(土)水俣福音教会 神園先生
  20日(日) “
  21日(月)松山 天川美江さん
  22日(火) “  ”  家の教会での集会 
  23日(水)津田キリスト教会 水村先生 
  24日(木) “
  25日(金)鳴門ホープチャペル 森綾子先生
26日(土)関西ハレルヤチャペル 小山敏夫・良子先生
27日(日) “
28日(月)南紀リバーサイドチャーチ 寺田先生
29日(火) “
30日(水)京都、シオン・プレイズ・チャーチ
5月 1日(木)  “  祈りの歩行  夜 集会
   2日(金)
   3日(土)藤枝リバイバルチャーチ
   4日(日)    “
   5日(月)大府、神の家キリスト教会 上野定雄先生 
   6日(火) 
 L 7日(水)京都 神足教会 斉藤先生 
   8日(木)  “
   9日(金)東京へ 
  10日(土)府中 
  11日(日)  “ イエスキリスト緑の牧場 染本先生
  12日(月)東京  
  13日(火) “  
  14日(水)群馬 富士見四恩キリスト教会 高田先生
  15日(木)いわき グローバル・ミッション・チャペル 森 章 先生
  16日(金)福島 旭町キリスト教会 小久保先生   
  17日(土)福島 蓬莱キリスト教会  佐藤先生
  18日(日)    “
  19日(月)  
  20日(火)長野 サンクゼール 久世先生 
  21日(水) “
  22日(木) “      午後成田へ 10:00PM発 帰国


  以上ですが、お問い合わせとご質問はメールか携帯にお電話下さるようお願い致します。
  お祈りを感謝します。               
                                          坂 達也・柚実子

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27 03月

主の軍隊の召集 リック・ジョイナー 2008年3月27日


主の軍隊の召集

リック・ジョイナー

人々を集める「動員の油注ぎ」について考えてみるとき、動員する数と油注ぎがどのような関係にあるかをも理解せねばなりません。バプテスマのヨハネの油注ぎは、ユダヤ全土から人を集め、主のための備えをさせるものでした。しかし、ほとんどの者は初めから大勢の人を集める能力をもっているわけではありません。ヨハネのミニストリーも、多分最初はそれほど大規模なものではなかったことでしょう。多くの場合、大きな権威を与えられる前に、まず小さなことに忠実であることを私たちは学ばなければならないのです。

世界的に見て非常に大きい教会やミニストリー、又ムーブメントも、初めはすべて12人くらいが集まって祈ることから始まりました。もし、私たちに動員の油注ぎがあるとしても、それは多分非常に小さなグループから始まるでしょう。小さなグループの時にどれだけ忠実であるかによって、主が私たちにどれだけ権威をもっと与えてくださるかが決まると思います。そして、多分それは少しずつ増えていくと思います。私が「思います」というのは、あくまで主がすべての主権を握っておられるのであり、いつもそうされるとは限らないからですが、普通、主はそのようにされます。

いつの時代においても、小グループを集める油注ぎのある人、あるいは数百人とか数千人、又はそれ以上を動員する油注ぎを受けている人たちがいます。自分たちにとっても、また他の人に関しても、それが真理であることを悟るならば、多くの人たちがフラストレーションから守られ、又、人々を動員するどころか散らしてしまうような失敗を犯すこともなくなるでしょう。神があなたを300人の牧師として召しておられるならば、あなたが様々な手段で教会をもっと大きくしようとしても、いろんなことが起きて、結局あなたは300人の牧師に戻るでしょう。その反対もあります。あなたが5000人の教会の牧師として神から召されているならば、教会の分裂やその他の問題が起こって、一時、教会が小さくなったとしても、また5000人に戻ることでしょう。

ですから、もし私たちがリーダーとして召されているのであれば、主は何のために自分を召されたのかを理解し、自分が置かれた場所で満足し、そこで最善を尽くすように決意する必要があります。小さいことに忠実であるならば、定められた時に主はより大きな権威を私たちに与えてくださいます。私たちは自分で自分を昇進させるのではなく、主が昇進させてくださるのでなければならないことをはっきりと知るべきです。神が与えられたのではない影響力を自分の力で得るとすれば、必ず問題を引き起こします。そのようなことは知恵のある者ならば何としても避けたいと思うはずです。ポイントは主に従順であるということです。役に立たない将軍であるよりも、才気ある有能な中尉である方がずっといいのです。

私たちのミニストリー(モーニングスター・ミニストリーズ)の仕事の一つは、色々なカンファレンスを開催することですが、それにもこの真理が当てはまることを学びました。私たちが開催するカンファレンスの多くは、クリスチャンをあるミニストリーのために調えたり、御霊の賜物を分与したりするものです。私たちはカンファレンスを宣伝する方法を知っていますし、確かに以前は何千人もの参加者がありました。しかし、聖徒たちを整えるためのカンファレンスは、小規模の方がよいということが分かったのです。私たちのゴールはただ沢山の人を集めることではなくて、参加した全員が変えられ、強い影響を受け、カンファレンスが終わるときには、以前よりもっとキリストの力強い働き人、メッセンジャーとなって遣わされていくということです。それと異なる種類のカンファレンス、特にキリストのからだの交わりやミッションや伝道への思いを促進させるためのカンファレンスの場合は、大きいほどよいのです。

このことをお話している一番の理由は、クリスチャンのリーダー達が今まで犯してきた悲惨ないくつかの間違いについて、共に考えてみたいからです。その一つは、神が定めてはおられない目的のために、神の民を何度も何度も動員してきたことです。第二は、正しい目的のためではあるけれども、間違った霊でクリスチャンを動員してきたことです。第三は、敵の要塞を砕くために人々を訓練し、調え、教育するために動員するのではなくて、動員すること自体を目的としてしまったことです。このような間違いはすべて、人々に多くの幻滅をもたらし、落胆させました。落胆とは勇気をなくすことですが、勇気こそすべて勝利する軍隊にとって、もっとも大切なエネルギーの源となるものです。

動員の効果的な方法を知っていれば、大勢の人を集めるのはそんなに困難なことではありません。ですから、私はずっと前から、教会やミッション、ミニストリーがただ大きいからという理由で感銘を受けることはなくなりました。本当の問題はその実です。大きなグループだけれど人々は世話がやけ、力がなく、その働きは小さなグループより少ないということもあるのです。私たちが人々を動員したいと願う理由は、福音のための効果的な力を立て上げ、神の御国を伝えるためでなければなりません。

集まって来た人たちを効果的に備え、調え、導くことが出来る人にこそ、私たちは従っていくべきです。大きなグループや教会でもこのようにしているところもありますが、それは稀です。使徒行伝19章32節に、自分たちが何のために集まったのか分からない人たちが混乱していることが書かれています。はっきりした目的もなく集まることは、大抵の場合、人々を混乱に落としいれます。

教会のヴィジョン

アメリカのクリスチャンの半数以上が、どの教会にも所属せず礼拝に出席していないと推定されています。これは悲劇的なことです。しかし、彼らを教会の生きた交わりに連れ戻そうとする前に、現在の教会の状態を見てみる必要があるのではないでしょうか。もし半数以上のクリスチャンが所属したい教会を見つけられないとすれば、もしかして半数以上の教会がキリストによって与えられた基本的な命令から、なぜか離れてしまっているという可能性はないでしょうか? クリスチャンが教会の交わりから離れてしまう理由は沢山ありますし、その中で正当性のあるものはほとんどないかもしれません。しかし、多くの教会がキリストをもはや真のリーダーとして立ててはいないこと、そして、人々にはそれがちゃんと判ることも私たちは認めねばなりません。

神の民を集めることは重要です。
22 03月

主の愛を持ち運ぶ者となる  キャサリン・ブラウン  3月22日


主の愛を持ち運ぶ者となる

キャサリン・ブラウン

最近私に与えられた幻の中で、数人の人が主に近づいて主の衣のすそにさわろうとしているのを見ました。それは聖書にある12年間長血をわずらっていた女がしたのと同じでした。(マルコ5:25)彼らは多くの人生の重荷を背負っている様子でしたが、主の愛のまなざしを一度受けさえすればすべて癒されることが私には分かりました。主も彼らを癒してあげたいというお気持ちで一杯でした。あなたも「主よ、助けてください」と必死でひざまずき、手を伸ばして主にすがろうとしたことが、これまでありましたか? 主はいつでも私たちのうなだれた頭を上げてくださり、癒しの力で私たちを喜んで満たしてくださるお方であることを信じることはとても大切です。そのことに同意を表すかのように、主は幻の中で「わたしの手を、わたしの顔を見なさい。」と言われました。

次第にもっと多くの人が主に近づいてきて、主の御手にすがりつきましたが、なぜか彼らは主の愛に満ちた御顔を見上げることができないようでした。確かに私たちは、度々、イエスが人々の手をとって癒されたということを読みます。主の愛に満ちたまなざしが人々を病や罪への隷属から解放し、抑圧の鎖を砕き、死人によみがえりの命を与えました。私たちが業を行うときには手を用いることを私が思いめぐらしていると、主が「すべての実りはわたしとの聖なる親しき交わりから生まれ出る。」と言われました。

もし私たちが主の御顔を見たことが無いならば、イエスの御手の業を期待することはできません。しかし又、主の釘跡のある御手に触れることなしに御顔を仰ぐことはできません。ここに恵みのパラドックスがあります。私たちは十字架を見てまず信じますが、信じたときに主をもっと理解し、もっと鮮明に主を見ることができるのです。キリストの麗しさを見つめるとき、私たちは父なる神をも受け入れる祝福に預かるのです。イエスは「わたしを見た者は、父を見たのです。」と言われました。(ヨハネ14:9b)

顔と顔を見合わせて

この啓示を受けている最中に、私はまた、ある友達に関する素晴らしい幻を見ました。この友人はモザンビークや他の数カ国にリバイバルをもたらす働きのために、主に大きく用いられてきた人です。幻の中でイエスは彼女の前に立って顔をじっと見つめ、彼女を御腕に抱きしめました。すると、イエスのお腹から命の水の川が流れ出て彼女の中に入っていきました。主は愛のまなざしをもって尚も彼女を抱きしめておられましたが、その愛の流れによって次々に国が生まれ変わっていくのが見えました。これは私の友人に限らず、御国の福音をすべての国々に伝え弟子とせよ、という主の召しに答えたすべての人を象徴している幻です。私たちが持つ主との最も奥深い経験というものは、私たちの心の奥の聖所で起こるものであることに私は気がつきました。その場所で主は私たちと聖なる交わり(聖餐)の時を持って下さり、それによって私たちは永遠に変えられるのです。

イエスは私たち一人一人と顔を見合わせてしっかりと抱き合うことを切望されています。主の御顔を仰ぐときに、私たちは主の手となって世の中で傷ついている人たちに手を差し伸べ癒したいという思いが与えられ、そのための力も与えられるのです。多くの人々の救いはそのような秘密の聖所で生まれます。花婿なる王キリストの秘密の場所とは、主のまなざしが私たちの心を虜にし、恋におとし入れ、私たちが主の愛で満ち溢れるようになる所です。そこで顔と顔を合わせるときに、私たちは完全に神を信頼し、主の愛に完全に頼り切ることができるのです。

私たちはみな、天からのマナで満ち溢れるようになる必要があることを改めて実感させられます。それは主に安息することによってのみ得られるものです。私たちがもっと主をよく知ることができるように、神は私たちの目から覆いを取り除きたいと切に願っておられます。そのような聖なる時に、主は御自分が総ての力を持ち、総てをご存知であり、永遠に私たちと共におられ、無条件の愛が常に満ち溢れている方であることを、私たちにもう一度思い出させてくださいます。主は美しい花嫁に心を奪われておられます。でも私たちは、自分が王の王なる方からどれほど深く慕われているかを、本当には理解していないことが多いのではないでしょうか。

主の胸の鼓動を聞く

最近、主の御前に出ているときに、主が私に気づかせてくださったことがあります。それは、私がいつも主の愛の中に安息する必要があり、「主からいただく次の課題は何か?」ということばかりに気をとられて主を待つのではいけないということでした。私の一番の願いは救い主と共に時を過ごすことであるという思いに達したとき、自分は時に何もかもやめて立ち止まり、ただ主の臨在を深く吸い込んで主の愛を受けることがいかに必要であるかに気がつきました。戦場にいる者たちは天の軍勢の総司令官である主と時を過ごし安息を得なければならないことを、主が語られました。又、孤独なリーダーたちが主の元に来て主との交わりを通して、彼らの空っぽになった部分を主が満たして下さることを主がどれほど望んでおられるかを語られました。主の恵みが、私たちの心の中にあるすべての自分で守ろうとする壁を打ち壊し、心の総てが主の愛によって満たされて全き者にならねばならないことを語って下さいました。

神の臨在の中で過ごす時間は、私たちの心の畑を耕し、主の御心と御ことばの種を深いところに蒔きます。そして、それは定められた時になると芽を出し実を結ぶのです。私たちが一人で神と時を過ごすとき、神は剪定とともに施肥をしてくださり、私たちの知性、意志、感情を、私たちのために立てられた主の完全な御計画に一致させ沿わせてくださいます。私たちが主をワーシップして時を過ごすと、イエスは私たちの硬いところを柔らかくし、乾いたところを潤してくださいます。主の憐れみに盲目であった領域の霊的視力を主は再調整してくださるので、私たちは物事を自分の見方ではなく主の見方で見ることができるようになります。火のように燃える主の目は私たちを主のもとへと引き寄せ、私たちの良心を謙遜と崇拝でひざまずかせます。イエスは私たちに、へりくだることが美しいことであることを知ってほしいのです。

3つの祭壇:勤勉、任務、献身

幻の中で、私は天にある3つの祭壇を見ました。一つは「勤勉diligenceの祭壇」と呼ばれ、一つは「任務dutyの祭壇」、そして3つ目は「献身devotionの
14 03月

これからの40日間への神の言葉 チャック・ピアース 3月14日


これからの40日間への神の言葉

チャック・ピアース

私たちは、この世代では今までになかったような大きな再配置、再編成の2ヶ月間を、今まさに迎えようとしています。この2ヶ月に起こることが、私たちの人生とこの国が辿る道を決めます。主は2008年3月4日、火曜日の朝1時に私を起されました。私がトイレに行くと、そこに「自分の理解(アンダースタンディング)に頼るな」と書かれた額がかかっているのが目にとまりました。そこに電気はついていなかったにもかかわらず、その言葉が明るく照らし出されていました。その聖句が火のように赤や黄色に浮かび出ていたのです。私は5時にまたそこに行ったので、額を見てみますと、聖句は実は紺色で書かれているがわかりました!

主が私に語り始められました。

「あなたは今日、自分の理解に頼ってはならない。これからわたしが造ろうとする道をあなたがしっかり見るようにわたしは招いている! わたしはわたしの民のための道を造り、また、造り直しているからだ!これから40日の間は、あなたをいらだたせ不快にする状況が増すであろう。自分の(今までの)理解に頼ってはならない。この期間にあなたの知らないことをわたしは示すであろう。わたしが形造っている型(パターン)をあなたが分かるようにする。過去の理解―たとえそれが今まで40年間の理解であったとしても―にとらわれてはいけない。なぜならば、わたしはこれからの40日間に、わたしの民のうちに新しい理解の時を生み出そうとしているからだ。わたしの知恵はあなたの知恵とは違うからだ。わたしはわたしへの恐れと畏敬の念を私の民の中に起している。

悪がどのように活動しているかをわたしはあなたに教える。わたしはあなたに悪がどのように話しかけるかを聞かせる。悪の声は今まであなたの心を乱し、あなたに戦いをいどみ、あざけってきた。あなたの中にわたしの義がわき起こるであろう。わたしの言葉があなたの口に与えられ、あなたがその言葉を発すると、あなたの周りの霊的雰囲気は変えられるであろう。

わたしはあなたの荒地に大路(ハイウエイ)を造る。風に吹かれて移動する砂で造るのではない。あなたの将来の土台が築かれるのだ。確かにあなたのために設けられた地をわたしはあなたに見せる。自分自身の理解に頼ってはならない。あなたを眠らせようとする力をあなたの中にある神の力で克服し、これからの40日を用いて、あなたの周りの霊的環境を変えてゆけ。

叫び声を上げてわたしをあがめよ。わたしの名を祝福せよ。あなたを将来へと導く戸口には、今まで敵の名が掲げられていたが、それはわたしの名に変えられるからだ。敵があなたの門をふさいでいたが、今わたしはあなたに権威を与えあなたを新しい地に入らせる!

心をつくして主により頼め。自分自身の理解に頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、わたしはあなたに道を示そう。あなたの周りの状況だけを見てはならない。自分の理解に頼ってはならない!あなたの心がわたしから離れないようにせよ。自分の能力に決して頼ってはならない。

わたしはあらゆる権威の領域を治める強い人々を立てる。権威の領域はこれからの40日間で編成し直されるであろう。あなたの口からでるわたしの言葉の力がブレイクスルーをもたらすであろう。あなたはチャンスを逃してはならない。また、再編成を促進するためにわたしが造っている触媒を見逃してはならない。今まであなたを騙し、威嚇してきた山を飛び越えるための油注ぎを受けよ。

それは、今週あなたに起こる嵐を恐れてはならない。わたしがあなたの道を整え直し、あなたの時を変えるからだ。あなたに追いつき圧倒しようとするものより先にわたしはあなたを行かせる。だから嵐を恐れてはならない。雨や風がかえってあなたの益となるのを見よ!扉の鍵がガチャガチャと音を立てるのが聞こえるだろう。わたしが地獄の門を揺り動かしているのだ。あなたが前進するのを妨げていた障害物(あなたの感情も含めて)に向かって、退け!と命じて、あなたが前進できるようにせよ。

あなたの道を平らにし、わたしが新しい道に入れるようにせよ。高すぎるものは低くなり、低すぎるものは高くなる。わたしは高慢なものを低くし、へりくだったものを新しい地位につかせる。未来へと続くまっすぐな道をわたしは造っている。わたしがあなたを未来へと導いてゆく道を見よ。あなたの只中にわたしが入るのを許し、荒野の中であなたを次の地へと導く道をわたしに備えさせよ。

わたしは終わりの時を初めから支配している。この地上でわたしの統治領域外で起こることは一つもない。わたしの御心が天で行われるように今日地でも必ず行われることを信じよ。わたしを統べ治める王として見上げよ。天の大路があなたのまわりの地上に出来てくるのを見よ。わたしはあなたが下に行くのではなく、上に上がってくるのを求めている。わたしがあなたのために用意した地へと導く大路を見つけよ。

荒野でわたしの声を聞け。あなたは自分が行くべき道が今まではっきりとは分からなかった。しかし今日、わたしはあなたを新たに召し出す。あなたは今勢いがついている(モーメンタム)この機会を逃してはならない。毎日座って教えられるだけで満足していてはならない。なぜならば、教えだけではあなたは次の地には行くことができないからだ。

あなたはあの山を飛び越える油注ぎがこれから21日間、わたしから発せられる召しが聞こえるように戦え。今の時のためのわたしの召しを聞くことができる者は、その召しにどのように従えばいいのかを知っている。あなたが今後に附いて行っている人のことを言っているのではない。あなたがあるところから次のところへと行くべき道を設けるという召しである。わたしの召す声を聞きなさい!わたしの声はあなたの谷、あなたの荒野に入り、「わたしのところに上ってこい!」と呼んでいる!

今は再構成のヴィジョンの時だ。今は地の上であなたが立つべき場所を探し出すときだ。それは、あなたが立っても沈まず、あなたを混乱させたり罠にかけたりすることがない場所だ。あなたの荒野でわたしの声を聞け。40日の間に、わたしはわたしの召集を喜んで受けたものたちに資格を与え始める。

これから数日の間、敵の声に混乱するな。あなたは敵から3度誘惑される。あなたを新しい場所に導くためにわたしが造っている大路をあなたが見つけ、そこに堅く立つことがないように敵は妨害してくる。今、しっかり目を覚まして声を聞き分けよ。様々な声はあなたのまわりに
09 03月

朝の散歩道    坂 柚実子  2008年3月9日


朝の散歩道


私は朝、近所に散歩に出かけます。
イエスは「野の花を見てごらん、空の鳥を見てごらん」と山上の垂訓の中でいわれましたが、散歩をする私を楽しませてくれるのは、花と小鳥です。神は私達の毎日の生活を楽しくするために花と小鳥を創造してくださったのかもしれませんね。

ハワイの花といえば、プルメリヤ、ブーゲンビリヤ、ハイビスカスがもっとも一般的で、見るからに暑さに強く日照りが続いても大丈夫な木の花が多いです。
プルメリヤの花は一軒に一本はあると思えるほど愛されていて、花が木の下に落ちていますが、香水にもされるとおり、とてもよい香りがしますので思わず拾ってしまいます。先日、拾った白いプルメリヤの花を指先にそっとつまんだまま歩いていたら、風が吹いてきて指の中でそれが風車のようにくるくると回りはじめました。きっと木から落ちるときもくるくると舞い落ちるのでしょうね。

このあたりの家々は、みんなおなじような平屋が多いですが、庭は千差万別です。手をかけている庭は一目瞭然ですが、その中でも木の花ではなく草花をきれいに育てている庭を見るのはとても御馳走です。桔梗、菊、アスター、トレニヤなどが咲いていて毎日の水遣りが大変だと思うのですが、私の心を和ませてくれます。

散歩の行き先の一つはココヘッド・パークで、うちから20分くらいですが、そこにココ・クレーターという山があり、高い頂上まで階段(使われなくなった鉄道の枕木です)がついています。元気な人はほとんど駆けるようにして上っていきますが、私の場合はほんの少し上って海を眺めておしまいです。

「砂漠は生きている」という映画では、カラカラに乾燥している砂漠に雨季がくると、それまで息をひそめていた動物、昆虫、植物が一斉に活動し始める様子が映されていました。ハワイも雨季に入ると、今まで茶色だったココ・クレーターが緑色になり、足元には小さな野の草が咲きます。目立たない花たちですが、私にはとてもかわいく思えます。野の花を「栄華を極めたソロモンより美しい」と言われたイエス様は、すばらしい美意識を持っておられたようですね。父が露草を「非常に美しい花」と表現していたのを思い出して、ちょっとうれしくなりました。(終わり)


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