06 01月
2008年は光の年 パトリシア・キング 2008年1月6日
2008年は光の年
パトリシア・キング
2008年には、教会に限らず社会の中の様々な場所で、「光」というテーマが神の御霊の働きによって話題となり、取り沙汰されるでしょう。科学の分野では、光の研究者たちが、光の作用、働き、力に関する新しい発見を世界に告げることでしょう。
預言者たちには、世界の国々へ「光が侵略する」ことに関しての知識が与えられるでしょう。著述家たちは光について書き記し、説教者たちは光について説教をし、奇跡が伴うでしょう。超自然的な光が現れたという証言も聞かれるでしょう。
主からの預言の言葉
主が言われます。「まことの光が暗闇と邪悪の中に入ってくるであろう。私の民は今の時、彼らの光が来たことによって強く立ち上がる。そして彼ら自身が山の上で隠されることのない光となる。
多くの者は言うであろう。『ああ、なんという暗闇の世になったのだろう。何と悪が蔓延っていることだろう。』と。しかし、暗闇を物ともしない者たちをわたしは持っている。彼らは暗闇を見ても動揺しない。彼らはわたしの光を知っているからだ。彼らはわたしの光を暗闇の中に持ち運ぶので、暗闇さえも彼らは光とかえる。
わたしの栄光の光を浴びてその力に浸る者たちを、わたしは起す。彼らは混沌や混乱を見ると、『光よ、あれ!』と言い、すると光が現れる。彼らは病気や疾患に苦しんでいる人を見ると、『光よ、あれ!』と言う。すると病気も疾患もわたしの臨在の中で消えて逃げさる。光のあるところに暗闇は存在できないからだ。
これらの者はわたしのまことの光、即ち、わたしの臨在の力、すばらしさを実際に知っている。彼らは光が暗闇を駆逐することを知っているので、暗闇の中でも恐れることがない。彼らは自分の家庭の中でわたしの光を宣言する。すると暗闇は逃げさる。彼らは職場でわたしの光の力を宣言する。するとシフトやアラインメントが起こる。そうだ、わたしの光を信じる者は、暗闇を見たらすぐに、どこででもわたしの光を宣言する。彼らはわたしの光と栄光を持ち運び放出する者たちなのだ。
暗闇が地を覆うであろう。しかし、わたしの民の上にわたしの光が現れる時がきた。国々の王たちは彼らが持つ光に引き寄せられるであろう。わたしの栄光が彼らの上に現れるであろう。
わたしがわたしの光を現すために選ぶ『バラエティーに富んだ器たち』を見て動揺してはいけない。ある者たちは『この人を見てみなさい。彼は風変わりだ。彼は普通とは違うことをする。彼が真の神のしもべでありえるだろうか?』と問うであろう。わたしの光をこの地に解き放つためにわたしが選んだ器たちが、今までとは違うやり方をするのを見て驚いてはいけない。わたしが選んだしもべは、御霊によって見分けるのだ。わたしは新しい事をしている。聞く耳のあるものは聞きなさい。
わたしはいろいろな器を用いる。伝統的な器、教養のある器、単純な器、人から好意を持たれている器、誤解されている器、子供、女性、男性、年配者、若い者、そして、自分が宣べ伝えてる光はまさにわたしである事を知らない器でさえ、わたしは用いる。
そうだ、今はわたしの光が暗闇を侵略する時であり、それが起こり始める。」
宣言 「光よ、あれ!」
創世記1:1-3に、地は形なく何もなかったと書かれています。それは混沌と暗闇の状態であり、光はありませんでした。神が「光よ、あれ。」と言われると、光が現れました。一章の少し後のほうには、主が地上を照らすために太陽と月を創造されたことが書かれています。
ヨハネ1:9には、イエスがまことの光であることが書かれています。私は、創世記一章で父なる神が言われた「光」はイエスだと思います。父はこの地をまことの光であられる御子で満たしたのです。ヘブル1:3では、イエスは力あるみことばによって万物を保っておられると教えています。コロサイ1:17では、万物は御子にあって成り立っていると書かれています。
ヨハネ8:12では、イエスご自身が「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」といわれています。マタイ5:14では、「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が出来ません。」と言われました。
まことの光はイエスです。私たちの生活のすべての領域に、主の光を呼びよせることを学ぼうではありませんか。自分の家族の中に、人間関係、性格、経済、健康、力の中すべてに。また、主の光を絶望の闇、罪の闇の中に持って行きましょう。私たちの周りの世界に主の輝かしい光をもって侵入しましょう。
さあ、出て行って輝いてください。「光よ、あれ!」と宣言してください!(終わり)
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