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Walk With God Ministries


28 04月

激しい悔い改めによって栄光の津波が起される ビル・ヨント 4月28日


激しい悔い改めが天地を揺るがす時、栄光の霊的津波を解き放つ

ビル・ヨント 


津波のヴィジョン

ヴィジョンの中で私は巨大な海岸線から潮が引いていくのを見ました。引いていく潮は主の御霊でした。今は潮が引いていくシーズンです。キリストの身体(教会)が水の中にほとんど浸かりながら立っていました。潮がだんだんに引いていくと、今まで水の中に入って隠れていた身体の部分がどんどんとあらわにされていきました。引き潮の中で私たちは霊的に裸にされて立っているようでした。

潮が海岸線から引いていくと、神の民を縛っているチェーン(くさり)や縄が沢山見えてきました。 人々は縛られていたので、御霊の後を追っていくことができなかったのです。御霊はだんだんと人々から遠ざかっていきました。御霊によって彼らは罪や弱さをあらわにされたにもかかわらず、御霊は彼らから遠ざかっていくのでした。

ある者たちは、御霊の後を追って少し遠くまで行くことができました。しかし、引き潮はその速度を増したので、彼らを置いていってしまったのです。そして選ばれた者、義人さえもが、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか?」と叫びはじめたのです。キリストの身体は、疲労困憊し、大いに落胆してそこに立ちすくんでいましたが、その立っている場所は干からびて、砂漠のような土地になってしまいました。

教会は波がずっと遠くへ行ってしまったのを見ることができるだけで、もはや御霊の動きを経験することはできませんでした。それどころか、彼らに残されたのは、彼らの罪であり、束縛であり、無力さだけでした。 教会はその姿をあらわにされ、裸のままで立っていると、水に触ったこともない人々が海岸のうしろで大きな声であざけっているのが聞こえました。
彼らはこの世を表していましたが、彼らは教会の罪と恥を見、神をあざけっていました。それは神の民にとって永遠とも思えるような長い時間でした。神と引き離されたままで、もうこれからは全く悪いこと(敗北・失敗すること)しか起こらないように感じられたのです。

多くの者は、遠くに行ってしまっている波のほうを見るのもやめて、彼らが以前いた場所である岸にむかって歩きはじめました。彼らはあきらめてしまったのです。待っても待っても来ないー待つことに疲れ果ててしまいました。そして、もう神は自分たちを見捨てたに違いないと確信するようになりました。

しかし、わずかに残った者たち(レムナント)はそこにとどまり、主を待ち望み、自分の罪を告白し悔い改め、全世界のためにとりなしをし、すべては権力や能力ではなく神の霊によってなることを悟って、じっとそこに立っていました。そのとき地は動かず、引いていっていた潮もそこでとどまり、不思議な静けさがあたり一面を覆いました。そして主が語られました。「潮がもどり始める。今、引いた潮がターンし始める。潮はもどって来るのだ。もっと大きく満ちるために!これはわたしの地が待ち望んでいたわたしの栄光の津波なのだ!」と。

詩篇24:1-2「地とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き/潮の流れの上に世界を築かれた。」(新共同訳)
詩篇24:7-8「城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。 栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。」

解放の大波が神の民にくる

潮が満ちてきました。最初に来るのが見えた聖霊の大波は、神の民の上にくる解放の力強い波でした。ヨエル2:32に「しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」とあります。 神の民に大いなる解放のミニストリーが与えられます。この大波がやってくると、神の指によって悪霊の力がはじき出される大いなるときが始まるのです。

次に来る大波は「回復」と呼ばれるものです。この大波はバックスライドした者や信仰の破船にあったものたちを大勢連れてきます。神が「私はバックスライドした者と結婚している。」と言われます。

海はあたかも死んだ者たちを諦めたかのようだ!しかし被造物の総てが待ち望んできた天の津波がいよいよ来る!
次に来たもっと大きな波は「救い」の波でした。 この波は一回ではなく、あとからあとから押し寄せてきました。これらの波は失われた人たちー救われようがないと思われていた人たちーを持ち運んできました。地のどん底から失われた人々を連れてきました。海は死者を吐き出しているようで、奈落の底から魂が上がってくるようでした。

その中には不道徳なスターたち、大勢の人を殺した殺人者たち、魔女やオカルト、東洋の宗教をしていた者たちがいました。おぞましい恐ろしい犯罪を犯した者たちもいました。まるで、地獄そのものがこれらの魂を吐き出しているようでした。地獄は彼らが出て行くのをそのままにしていました。地獄の門が開き、これらの魂が放免されていました! これら最後の救いの波は海のどん底をさらってくる力があったのです。

波はどんどんと高まり続け、その救いの波は岸から奥に向かって多くの陸地を覆い始めました。主の御霊は洪水のように押し寄せ、主の旗印が地上に高く掲げられました。救いの波が文字通り地を覆うにつれ、大勢のものが救われて行きました。これらの波がどんどんと大きくなり、巨大な津波のようになったときに主が言われました。「わたしが生きているかぎり、水が海を覆うように、わたしの栄光が全地に満ちるであろう。」
さあ、共に悔い改めましょう。(終わり)


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19 04月

望みの門  フランシス・フランジペン   4月19日


望みの門

フランシス・フランジペン

私たちは往々にして、信仰の力は強調するけれども希望の大切さは過小評価してしまいがちです。
しかしながら、「信仰とは望んでいる事がらの実体(ヘブル11:1)」とあります。 ですから、まず神に対して強い希望を抱かなければ、私たちの信仰は役に立ちません。実際、私たちがトランスフォームされるための最初のステップは、私たちの中の希望が目ざめることです。

私たちはキリストを信じた後でもなお、失敗をします。私たちが罪を犯してしまうと、自分は有罪であるという思いに縛られ、その思いが希望の声を窒息させてしまいます。イスラエルがカナンを征服したときの話を考えてみてください。主はカナン人の富でイスラエルを繁栄させようとされました。しかしそのためには、一番初めのエリコの戦いの勝利品はすべて神にささげることを条件とされました。残念なことに、アカンという男が主の命令に背き、金、銀、シヌアルの外套をとり、テントの中に隠しました。その彼の罪の結果として、次の戦いで36人のイスラエル人が小さなアイの町に負かされ侮辱され死にました。

主がアカンが犯人だと示されましたので、ヨシュアは彼と彼の家族を、全財産と共に谷に連れて行きました。聖書に次のように書かれています。「『なぜあなたは私たちにわざわい(trouble)をもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわい(trouble)をもたらされる。』 全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけたーーーそういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。」(ヨシュア7:26,26)

アコルという言葉は「troubling 悩ませる 困らせる」という意味で、一人の人の罪が多くの人の上に困難と苦痛をもたらすことを表しています。勿論アカンにとって一番辛かったことは、自分の犯した罪のために妻と子供たちまでが死に追いやられたということです。彼らが抱き合って恐ろしい刑罰を待っているとき、自責と後悔の念がアカンの心には耐えがたいほどにあふれたことでしょう。

個人的な失敗

後にアコルの谷は、最悪の刑罰を表す象徴となりました。それは死と荒廃の場でした。勿論、今日私たちは罪を犯した者や無責任な行動で他の人を悲しませた者を、石打ちにはしません。しかし、罪にはその結果が必ずあります。 私たちの身体は石打にはなりませんが、公に有罪であると判決を受けることは、石打の刑と同じくらい人間の心を打ち砕きつぶしてしまいます。 事実、私たちの多くの者はアコルの谷を個人的に経験しています。そこでは私たちの不道徳な行為や、賢明でない行動が他の人に苦しみを与えてしまったのです。

もしかしてあなたは姦淫を犯してしまったかもしれません。それはあなたの配偶者や子供たちに非常な苦しみをもたらしました。また、あなたはイライラして不注意な運転をしていたために事故を起こし、他人に怪我をさせたり、最悪の場合は人を死なせたりしたかもしれません。あるいは、あなたがクリスチャンとしてよい見本を示さなかったために、あなたの子供たちが神から離れていってしまったかもしれません。私たちが失敗を犯す可能性は無数にありますが、その結果はほとんどいつも同じです。それは、あなたの人生の上にのろいがかぶさったかのようになることです。

自分の心が自分を責めることだけでも苦しいのですが、あなたの失敗を知っている人たちが、「あなたにはもう希望がない。」と声を合わせてあなたに言うときは非常に辛いものです。あなたに対する世間の反感や冷たい目、批判的な態度は、アカンが肉体に受けた石と同じくらい、あなたの魂に鋭く突き刺さるのです。 確かにあなたの肉体が死ぬことはありませんが、その代わりにあなたの希望が死んでしまうのです。今まで希望と期待をもって将来を眺めることができたのに、今や心痛や後悔があなたの将来への視野を塞いでしまいます。

私たちが真に悔い改めることによって心が清くされ強められることだけが、自責の重荷から解放される唯一の方法です。ですから、失敗や罪、その結果ののろいからあなたが解放される唯一の道は、聖霊によって私たちがトランスフォームされることです。
  
残念なことに、敵は多くのクリスチャンを不信と自責の思いの中に閉じ込めてしまっています。彼らは自分のしたことが悪かったことは自覚し、そのことを憎んではいますが、その罪の意識の重荷から自分を解放することができないでいるのです。私たちの贖い主はとりこの解放を宣言するために来られたことを思い出してください。(イザヤ61:1参照) 主は監獄に入っている人たちのことだけを言っておられのでしょうか? そうではなく、主は過去の失敗のとりことなってしまっているすべての人のために来てくださったのです。神は私たちが過去の失敗から学ぶことを望んでおられますが、そのとりこになることは望んでおられません。イエスは、アコルの谷に夢が埋もれてしまっている人たちを解放し回復するために来てくださいました。

個人的な悲劇

私たちが負っている重荷は、自分の道徳的な失敗の故ではなく、人生のなんらかの惨禍から来ていることもあります。

人間の魂が受ける最大の試練の一つに、愛する者の死があります。そのような損失は非常な重荷を私たちに与え、私たちを過去のとりこにしてしまいます。アブラハムの父、テラの物語は、愛する者の死から離れられなかった人物を深い洞察をもって描いています。

テラには3人の息子がいました。アブラム、ナホル、ハランです。聖書には「ハランは父テラの面前で彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。(創世記11:28)」とあります。息子を失うことは非常な痛みをもたらします。特に自分の腕の中で息子が死ぬのを見るのは、全く打ちのめされるような経験です。

その後しばらくして、カナンに新しい土地を見つけようとして、テラは家族をつれてカルデヤ人のウルを離れました。 しかしその途中で、テラは死んだ息子ハランと同じ名の町を通らねばなりませんでした。テラはカナンへの旅を続ける代わりに「ハランに着いてそこに住んだ。(31節口語訳)」のです。

愛する者の死を悼み、その人を慕わしく思うのは当然です。しかしながら、人生の中で起こる悲劇は、その痛みを忘れるのは誠実ではないという誤った忠誠心で私たちを縛ってしまう恐れがあるのです。飛行場でチラッと見た他人の顔やラジオからふと流れてきた歌で、その人の心は何
13 04月

使徒の時代の再来  キャシー・ペルトン  4月13日



隔ての塀をこわし架け橋とする

キャシー・ペルトン

初代教会の人々の生活

先月のことですが、私は幾晩かにわたり、ぴったり2時44分に目を覚ましました。毎晩それが起こるので、主がそのことを通して私に何かを語っておられるのだということに気がつきました。その意味を祈り求めたところ、主の御霊が使徒行伝の2章44節に私を導いてくださいました。
「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有していた。」

この言葉を読んだとき、私の心の中に、他のクリスチャンたちともっと親密で個人的な交わりを持ちたいという強い願いがわきあがってきました。 主が私と引き合わせてくださった同じ町に住むクリスチャン達と心からの交わりを持ち、彼らの人生と関わりを持ちたいという願いが私の心に湧き上がってくるのを最近しばしば感じていました。私は他のクリスチャン、特に教会に来てはいても孤独を感じている人たちに対して同情心や憐みを感じ、そのような人たちともっと時間を共に過ごすようになってきていました。

人を知り、人に知られる大切さ

使徒行伝2:44には、彼らはすべての物を共有していた、とありますが、それを読んで私は、ただ所有しているものを売って分け与えるというだけではなくて、(確かにそれも大切ですが)、物質的なこと以上のことを考えました。 イエスが弟子たちと一緒に旅をして生活を共にしていた時のことを、私は思いめぐらしました。 すると神様は、私が周りにいる人たちと人生を分かち合うとはどういうことかを示し始めてくださいました。ローマ人への手紙12:15には、「喜ぶ者と喜び、泣くものと共に泣きなさい。」とあります。

共に旅をしてすべてのものを共有することは、その人々の喜びと悲しみをも分かち合うということです。キリストの身体である教会の中には、私を知ってほしい、という深い願いがあります。私はいままでの数ヶ月の間、周りにいる多くの人たちとゆっくりと交わる時間を持ちました。その中で彼らが先ず第一に言ったことは、周りにいる人たちを知り、自分も知ってほしいという願いを彼らが持っていることでした。知られるということは、即ち大切に思ってもらうということです。

イエスはご自分の弟子たちをよく知っておられました。彼らと旅をしながら共に食事をし、夜は共に寝ました。彼らが何かに成功したときや、また、失敗したときにも主は彼らを愛されました。主は一人ひとりと親しく交わりを持たれました。主は私たちにもそのようにしてくださるのです!ですから私たちも主と同じように、周りの人たちと個人的に親しく交わらねばならないのです。

使徒行伝2:46-47には次のようにあります。「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
どうして毎日多くの人が救われたのでしょうか? それは、クリスチャンたちがイエスがしたと同じような言動をとっていたからです。彼らはイエスの手足となっていたのです。彼らはお互いに親しく、毎日生活を共にしていました。一人ひとりが神からだけではなく、お互いにみんなと個人的に親しく知られていましたから、そこには大きな喜びがありました。彼らは「山の上の町」となり、「暗やみの光」となり、飢え乾いて人から愛され理解されたいと願っているこの世へ「愛」となったのです。

隔ての塀

私たちが個人的に親しく知られたいと願っているとすれば、どうしてキリストの身体の中にこのように多くの不一致があるのでしょうか。その一つの理由は怒って腹を立てること(オフェンス)です。 敵はキリストの身体を分裂させるために、人々が腹を立てるようにといつも働きかけます。非常につらいことが起こって痛みを覚えているときに、そばに来て共に悲しみ、愛を示す人が一人もいなかったとしたら、その人はきっとキリストの身体全体に対して腹を立ててしまうでしょう。

最近、私は短いヴィジョンを見ました。そのヴィジョンの中で私は一人ひとりのクリスチャンが木の塀に囲まれて孤立している姿を見ました。そして「O fences be removed! オー、塀(フェンス)よ、取り除かれよ!」と言う声が聞こえました。 主が立腹(オフェンス)について語っておられることが分かりました。次に、多くのクリスチャンを取り巻いていた塀が取り除かれるのが見えました。立腹の塀に使われていた板が、一人ひとりの前に置かれ、教会の中に生じた裂け目や破れの上の架け橋となりました。
この短いヴィジョンが終わったとき、私は自分にむかって「オー、塀(フェンス)よ、取り除かれよ!」と宣言し始めました。そして主に、私の人生の中のすべての立腹の板を取り除き、その板を亀裂を修復し回復させる架け橋として使ってくださるようにとお願いしたのです。

イザヤ58:12「あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。」

イザヤ58章を是非全部読んでみてください。この章がキリストの身体に一致を回復し、救いを求めている人々の魂を収穫するためのかぎとなる章ではないかと、私は思います。

新しい音

Iコリント13;1「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」

2年前のことですが、私はアルバータのエドモントンでの「ライズ・アップ 立ち上がれ」という集会に参加していました。集会中のある夜、何百人というクリスチャンが、私がそれまでに経験したことがないような全く純粋な美しいワーシップの中に入っていくことができました。このワーシップの中で、聞こえてくる響きに私は畏敬の念を覚えました。それは神の民が主を切に求める響きであり、また、同時に神が神の民を求める響きでもありました。それはまことの愛の音響でした。

そのワーシップでは、既成の歌は一つも歌われず、すべてその場で生まれた歌(スポンテニアス・ソング)で神への思いが歌われました。そのとき、私たちのチームのメンバーの一人であるステイシー・キャンベルが、静かにステージに上がり、私たちに聞こえていた「音」について語り(預言し)はじめ皆は心打たれました。彼女は主の御手御足に釘を打ち付ける槌の音について語り、それを「熱望の音」とよ
06 04月

エルサレムにあるテンプルマウントと神殿の関係  4月6日


テンプル・マウントの外に神殿が位置していたことを発見した新たな研究

2007年2月11日 WorldNetDaily.com より© 2007 WorldNetDaily.com

1866年に英国の探検家によって作られた地図と、ユダヤ教のミシュナの一節を用いて、イスラエルの考古学者でヘブル大学の教授であるジョセフ・パトリッチ氏が、ユダヤ教の神殿が建っていた正確な位置を突き止めたと発表した。神殿は古代に2度建設されたが、2度とも破壊されている。

この神殿は紀元前10世紀にソロモン王によって建てられ、その後バビロンから帰還したユダヤ人によって紀元前5世紀に再建されたが、多くの学者はその神殿があった位置は現在イスラム教の岩のドームが建てられている場所であるといっている。しかし、ジョセフ・パトリック教授はその推定は間違っており、正確な位置を示す考古学的な証拠があると言う。


      西を向いているエルサレムにあるテンプルマウ
ントの上に位置するドーム・オブ・ロック

パトリッチ教授によると、神殿や外庭、部屋や門はもっと南東に向いていて、現在のテンプル・マウントに斜に、しかももう少し東よりに建っていたという。これは、神殿は東向きで、現在のウエスターン・ウオール(西の壁)にもっと近かったと主張する他の学者たちの意見とは異なっている。

しかし、この違いこそが、アブラハムがその上で息子イサクをいけにえにしたとユダヤ人が信じ、イスラム教徒はモハメッドがそこから天に昇ったと信じている「ロック(岩)」の上には昔の神殿が建てられていなかったという理由であると、パトリッチ教授は述べている。

パトリッチ教授の神殿の位置についての研究は、1866年に英国の技師であったチャールス・ウィルソン卿が、パレスチナ・エクスポレーション・ファンドのために研究した資料に基づいている。ウィルソンは現在のテンプル・マウントの下のいくつかの古代貯水槽を地図に表したが、その一つに、ローマ帝国によって紀元70年に破壊された神殿の痕跡が保存されていると教授は言っている。

ウィルソンによって地図に表された貯水槽は、幅は約4.5メートル、長さ52メートル、深さ13.7メートルで、テンプル・マウントの南東の隅に位置していたが、南東に面していて北と南にも溝が伸びていた。


北東に面している第一世紀に存在した神殿のパトリッチによる復元図。ヘブル大学の好意によるもの。(スケッチはリーン・リトメーヤー)

「今までテンプル・マウントにある貯水槽の位置とそのユニークな形が、祭壇と聖所の位置と形に由来していることを思いついた人は誰もいなかった。」とパトリッチ教授はYネットニュースに語った。

教授によれば、この貯水槽だけがテンプル・マウントで発見されたユダヤ教のミシュナに書かれているものと一致していると言われる。ミシュナは紀元3世紀に編纂されたラビの口伝集で、神殿の庭にあった祭壇で祭司たちが行った毎日の清めの儀式といけにえの務めについて書かれている。

祭司たちは、いけにえをささげるために祭壇への斜面路を登る前に身を清めなければならなかったが、その清めの水は、貯水槽から水車の原理を使って運ばれ、洗盤に汲まれたことが、ミシュナには記されている。


左図はパトリッチによる第一世紀の神殿の復元図。図中、八角形をしたものがドーム・オブ・ロック。図面は上の方向に向かって東向き。

パトリッチ教授は、水車と洗盤があった位置は、ウィルソンの地図にある南東に向いているこの巨大な貯水槽から割り出すことができ、さらにそこから祭壇や神殿そのものの位置も分かると信じている。

パトリッチ教授は、神殿は他の学者たちが推定している位置よりももっと南と東に寄っていて、テンプル・マウントの東と西の壁に対して直角ではなく斜めに建っていたと結論づけている。また、そうだとすればドーム・オブ・ロックにある「岩」は神殿が建っていた敷地の中には入っていないことになる。

パトリッチ教授は、自分の研究は全くアカデミック(学術的)なものであり、政治的意味合いが配慮されたものではないと言っている。(終わり)


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05 04月

花を咲かせる   パトリシア・キング    4月5日


花を咲かせる

パトリシア・キング



バラの花のヴィジョン

少し前のことですが、私は一つのオープン・ヴィジョン(起きているときに見るヴィジョン)を見せられました。この文章を読んでおられる方の中にもこのヴィジョンの指し示すことが当てはまる方がおられると思います。


このヴィジョンの中の私は、キッチンの窓から見える古い農家を眺めていましたが、そこに沢山のバラが植わっている庭園があるのに気がつきました。いくつかのバラは開いていましたが、ほかは堅いつぼみのままでした。バラ園の上には嵐を呼ぶような大きな黒雲が広がっていました。私は心の中で「もうじき、、」とつぶやき始めたのでしたが、「大雨になるぞ」という言葉を頭の中で考える暇もなく、そのとき天が開いて土砂降りになりました。大雨は降り続きましたが、その中で私は奇妙な光景を見たのです。

開いていたバラの花は、コップのように水で一杯になり、重くなると花は頭を下げてカラカラに乾燥した地面に水をこぼし、また、頭をあげて水を天から受けていました。

固いつぼみのバラの花は、同じ雨の下にありましたが、つぼみの周りに数滴のしずくをつけるだけでした。その時主が「開いている花は雨を受けるけれど、つぼみはしずくだけしか受けられない。」と言われました。


死海はなぜ死んだか

花が開かないでつぼみのままになっている理由は沢山あります。太陽の光が少ない、土に栄養がない、水が足らない、というようなことです。しかし、私の見たヴィジョンでは、すべての条件は調っていて、すべてのバラが同じ雨を受けていました。 同じ環境の下に置かれていたのに、開いている花と開いていない花とがあったのです。 一体何が違ったのでしょうか?

これと同じことが「神様の庭園」の中でも起こることがわかります。ある者たちは雨の中で踊り、ある者は傘をひろげ、ある者は雨を飲み、又他の者は水の成分を知りたがり、ある者は溺れることを恐れ、ある者は旱魃を恐れます。結論は「けちけちしている人」からは何も得られないということです。彼らは豊かなのですが、自分の持っているものをしっかりと握りしめ、それを必要としている人たちに分け与えようとはしないのです。死海が死んだのもそれが理由です。

あふれ出すことの大切さ

ヨルダン川から良いものがすべて死海に流れ込むのですが、そこから出ていくものは何もないのです。それで水は澱み死んでしまうのです。それと同じように、キリストの身体の中でも、霊的水ぶくれは非常に嫌われるべきものです。私たちはすでに生ける水で一杯なった身体でざぶざぶと音を立てながら集会に集い、もっと水を受けようとするのです。乾いている人のためにもっている水を分け与えようともしません。その結果はもっとも悲劇的なものとなります。即ち、つぼみが固く閉じていて、雨を受けることが全くできない状態になるのです。これは自分で飢饉を招いている姿です。


言葉は影響力がある

神の子供たちが花を咲かせない理由はいくつかあります。恐れや、無視されたとか、拒絶された、裏切られた、妨害された、虐待された、批判されたというような経験が原因となります。批判は創造性を殺してしまいます。たった一言のひどい言葉でそれを言われた人の賜物は窒息してしまいます。互いにかけ合う言葉は、その人を育てる肥料になるか、あるいは殺す毒になるかのどちらかなのです。殺す力のあるような否定的な言葉を受けると、私たちは自分を固く閉ざし、やがて干上がってしまいます。

神さまは花は咲くように造られたのです。花は、開くと無防備になり攻撃されやすくなります。その花のすべての良さがあらわになり、隠れたところがなくなります。飢えたひとのためには食糧となり、乾いた人のためには飲み物となり、家のない人のための宿となり、見るに美しく、新鮮な空気を与えます。(実際に植物は炭酸ガスを酸素に変えます)これが主から与えられた私たちの仕事であり、この世でするべきことなのです。

また、私は植物に話かけると良く育つことも知りました。ディボーションのときを持つのはまさにこのためです。神様はあなたに話けられ、あなたは必ず成長します!後の雨が降り始めています。ですからつぼみのままでいないで花を開いてください。(終わり)


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