03 12月
聖霊は今御国の精鋭を用意しておられる 12月3日
卵をひなに孵すめんどりのように
今私たちを覆って下さっている主のご臨在
ウエード・テーラー
「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」(ルカ13:34)
めんどりは、次の世代を生み出すために、本能的に卵の上に坐って卵を温めます。それと同じように、主が私たちをより高い霊的領域と使命へと生み出したいと思われる時には、聖霊がその人を卵を抱くように静かに覆われるのです。特に今の時代にそれが起こっています。
「 勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。」(ヨハネの黙示録2:26,27)
世の中は一段と混乱とフラストレーションの様相を呈しています。しかし、その間にも主は、主のご計画の時が満ちた時に、政府の高官となって「鉄の杖」で世を治める者たちを今静かに準備されています。
卵の殻の内側で命が形作られていくのと同じように、今、聖霊によって命を与えられて胎動を始めた私たち一人一人の内に、新しい時代への生きた希望が形作られています。
たとえ、私たちが自分に一体何が起こっているのか、又何のために自分が整えられているのかが分からなくても、聖霊の取り扱いを内に感じそれに呼応していく時に、聖霊は私たちを覆うことによって、私たちが主に取り扱われる過程を完成させて下さっているのですから、その聖霊の働きを妨げないで、積極的に協力していくことが大切です。その過程を経て初めて、私たちは終末の時に主の協力者として活動する者となる用意が出来上がるのです。
「万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになると、万軍の主は言われる。」(マラキ書4:1-3)
この聖霊の内面的な深い取り扱いは、私たちの存在の中核に作用し、私たちを変え、それによって主のより高い使命(目的)にかなって用いられる者としてくれます。そうなってはじめて、主がこれからの時代に与えようとされている力を私たちが正しく使えると言う信頼を主から受けることが出来るのです。
すべての被造物が終末の贖いの顕れを待ち望んでうめき始めています。イエス様は私たちに命を得させ、もっと豊かに得させようとこの世に来てくださいましたが、この世はまだイエス様のもとに来ようとはせず、むなしく探し続けています。それゆえに聖霊は、ご自分のしもべたちの上を静かに覆って、主が力をもって来られる時に効果的に働くことができるようにと今、備えをしておられるのです。
主は今、ご自分が懐に抱いて暖め育てている人々にこう言われます。-「私をいまだに拒絶しているすべての者たちを、私は愛し、慈しんでいる。彼らが感じているフラストレーションを私も共に感じているのだ。」と。
それ故に、主は今、聖霊によるひなに孵す覆いの臨在に喜んで応える者たちの内側を整える準備の作業を急ピッチでしておられます。これらの人々は、主がなさろうとしている準備の作業に、自分の存在、身体、魂、霊のすべてを無条件で差し出すことが要求されています。この主の働きに反するすべてのものを、私たちのうちから取り除かれようとする主の作業に私たちは一切を委ねなければなりません。
「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」 (ロマ書12:1)
主はご自分のしもべたちを今召しておられます。それは召された者が今の時に主への忠実な信仰で立つだけではなく、その生き方によってこの世の中で真の命を表現し、実演・実証してゆく者となるように召しておられるのです。この真の命こそ、主が、傷つき迷っている世の人々に与えたいと心から願っておられるものです。
私たちが生み出され、より高い霊的領域で機能し始めるためには、「天が開く」ことを堅く信じ、又、それを勝ち取っていかねばなりません。私たちはその「開かれた天」の下で主を待ち望み、すべてをなさしめ、そのための力を与える主の恵みを受け取るのです。
この終末のミニストリーを生み出すために、主が私たちの上を今はぐくみ覆っていて下さるのですから、私たちは主に対する愛と、又、聖霊が私たちの内に働いて私たちを変えようとしておられることを心から受け入れると共に、それへの感謝の念を常に言い表さねばなりません。それは、終末に主が解き放そうとしておられる王国の権威を私たちが正しく扱えるようにと今聖霊が私たちを整えていて下さるからです。
聖霊様の覆いが続けられ、私たちがその聖霊の働きを受け入れて従う時に、主が私たちを整える準備の作業を必ず完成させて下さると言う望みを抱いて、私たちは安息に入ることが出来るのです。(終わり)
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